時報
- 奉天軍、衛戍部隊を編入
- 呉、奉天・山東の援軍派遣を引き続き遅らせるよう要請
- 商務印書館(コマーシャル・プレス)
1926年9月28日の『時報』には、軍の指揮権をめぐる報道と書籍購入を促す広告が並んだ。衛戍部隊には、改編を希望する者は登録し、それ以外は王懐慶の邸宅で次の命令を待つよう指示が出されたと伝えた。呉佩孚は兵力が十分だとして広東への艦隊派遣を求め、別の提案では李景林を湖北援軍の総司令に推す動きがあったと報じた。商務印書館の広告は、周年記念贈呈品の特価提供と日常用の参考図書を掲げ、月末までの利用を呼びかけた。
本版は1926年9月28日付『時報』から提供された三つの抜粋のみを扱います。小さな活字、欠けた字画、画像の境界をまたぐ文章のため判読に限界があり、[?]の記号を残しています。二つ目の抜粋は文の途中で終わっており、欠けた続きは補っていません。転記の確度は最初の軍事記事と広告では低く、二つ目の軍事記事では提供された断片の範囲内で高いとされています。
翻訳
奉天軍、衛戍部隊を編入
[?] 衛戍司令官の部隊の接収に当たる邵副官は、部隊に対し、改編を希望する者は登録すること、そうでなければ王懐慶の邸宅に赴き、次の命令を待つことと伝えた。[?]
呉、奉天・山東の援軍派遣を引き続き遅らせるよう要請
[?] 呉佩孚は、自軍の兵力は十分であり、奉天・山東軍には渤海艦隊を派遣して広東を攻撃することだけを望むと述べている。このため、奉天側の湖北への援軍派遣は一時停止になったとの話がある。(北京27日午後4時発電)
◎ 張宗昌は呉佩孚に、李景林を湖北援軍総司令に任命するよう提案した。その指揮下に置く部隊については、まず優先するのは——
商務印書館(コマーシャル・プレス)
商務印書館の30周年記念贈呈品を特価でご提供。陽暦の今月末で締め切ります。この機会をどうぞお見逃しなく。日常用の参考図書 [?]
解説
登録を通じて新たな指揮下へ
記事に記された取り決めは、奉天側による改編を希望する兵士と、王懐慶の邸宅で次の命令を待つよう指示された兵士を分けるものだった。登録は、新たな指揮下への編入に向けた具体的な手続きとなっていた。中国第二歴史檔案館の案内は、それ以前の制度的背景を示している。1919年9月に設置された京畿衛戍総司令部は総統に直属し、首都の治安維持や京畿地方の警備などを担ったという。この司令部は1921年10月に廃止され、京畿警衛総司令部に置き換えられた。この前史からは、衛戍部隊の指揮と首都の治安との結び付きが分かる。1926年9月の記事では、こうした軍事的権限の問題が、個々の兵士の登録や指定された行き先という形で現れていた。
武昌付近での後退と艦隊派遣の要請
援軍を遅らせる理由として呉が述べたのは、すでに兵力が足りているということだったが、広東を攻撃する海軍の援助は求めていた。この区別は、援助の形と向け先の両方に関わる。湖北へ援軍を送る代わりに、艦隊で広東を攻撃するという要請だった。それ以前の米国外交電報は、この要請を取り巻く軍事的圧力の背景を示している。1926年9月1日、マクマリー駐華公使は、呉が大きな敗北を喫して退却し、南方軍が武昌のすぐ近くに迫っているという8月31日の領事報告を伝えた。こうした直近の状況の中で、呉は兵力が十分だと述べながら、援助を別の地域へ向けるよう求めていた。張宗昌による李景林の総司令任命案は、交渉のもう一つの側面を示す。援軍派遣には、その部隊を誰が指揮するかという問題も伴っていた。
周年記念と月末の期限で実用書を売り込む
この広告は、30周年記念、贈呈品の特価提供、日常用の参考図書を結び付けていた。陽暦の月末という締め切りは、実用書に関心を持つ読者に、すぐに購入へ動く理由を与えるものだった。参考図書の出版はすでに商務印書館の事業の一部であり、後年にまとめられた同館の年表の1924年の項目には、『中国年鑑』『少年百科全書』や辞典類が挙げられている。これらの刊行物は、広告が日常の調べ物の需要に訴えかけた背景を具体的に示している。ただし、この年表から今回の販売対象となった書名までは分からない。広告は、参考図書の継続的な実用性に期間限定の購入機会を結び付け、周年記念を販売促進の契機としていた。
原文
奉軍收編衞戍軍隊
[?] 接收衞戍司令軍隊之邵副官、 向該軍隊表示、 如願改編、 即報名改編、 否則赴王懷慶宅聽候後命 [?]
吳仍請奉魯援軍從緩
[?] 吳佩孚自謂兵力足用、 僅望奉魯軍派渤海艦隊攻粵、 故奉方援鄂之舉、 有暫告停止之說、 (北京二十七日下午四時電) ◎ 張宗昌向吳佩孚提議、 請以李景林担任援鄂總司令、 所率軍隊、 先盡
商務印書館
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