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· ベルリン(ドイツ) · ドイツ語

Vossische Zeitung

「フォス新聞」のこの面は、国外の政治危機と国内の二つの争点を並べて伝えた。スペイン国境発の通信は、自由党のロマノネスとビリャヌエバが、プリモ・デ・リベラの国民議会構想は憲法違反になると国王アルフォンソに抗議したこと、砲兵将校が反抗的なビラをひそかに配っていることを報じた。この通信は王位が危ういと見たが、国王は結局召集令に署名するだろうと予想した。無署名の社説は、プロイセン州とホーエンツォレルン家の和解が金曜日に成立すると見込んだ。社説はこの和解をブラウン政府にとって最小の害悪として擁護し、棄権にとどまった社会民主党を批判した。アルトゥール・エレッサーは青少年を低俗・猥褻文書から守る法案を取り上げ、州の審査会が加わったことで地方ごとの道徳観が国全体の文学を検閲するおそれがあると警告した。

翻訳

スペインの憲法危機

自由党が国王に抗議 / 軍内で激しい扇動 / 国民議会の召集か?

アンダイエ(スペイン国境)、10月13日 「フォス新聞」通信

自由党がスペイン国王アルフォンソに宛てた、ロマノネスとビリャヌエバ署名の抗議書簡の写しが出回っている。書簡はプリモ・デ・リベラの国民議会構想に反対するもので、国民議会を召集すれば憲法違反が生じると国王に指摘している。さらに砲兵将校たちのビラがひそかに配布されている。ビラは、先の紛争で譲歩したのは流血を避けたかったからだと弁明している。将校たちは自らを敗者とも、軍から締め出された者とも考えていない。この声明には国王に向けた文言も含まれている。懸案の砲兵紛争は、10月1日から将校への給与支払いが止まったため、この数日でさらに先鋭化した。

プリモ・デ・リベラの最近の演説から判断すると、彼は譲歩せず、国民議会を断念することもないだろう。決定は国王ひとりにかかっている。国王はすでにプリモ・デ・リベラといくらか対立しているが、その対立は十分ではない。十分であれば、国王は彼を罷免しなければならないはずだからである。その結果、王位は現在きわめて危うい。第一に、扇動がますます強まっている軍から共和派の蜂起が起こりうるからであり、第二に、強い左への揺り戻しを経た後の議会が、国王の黙認のもとでプリモ・デ・リベラが犯した重大な憲法違反を国王に対して立証しうるからである。事態はきわめて深刻である。現時点の印象では、アルフォンソ13世は危険を承知のうえで国民議会の召集令に署名するだろう。プリモには自分自身と国王を守るだけの力が十分にあると、国王は考えているからである。

マドリード、10月13日 「フォス新聞」通信

国王は明日、プリモ・デ・リベラを伴い、3週間の予定でバルセロナへ出発する。

与党の決断

プロイセン州政府がホーエンツォレルン家の代表者と結んだ和解は、金曜日に最終的に処理される予定である。最初の二度の読会では、内容に立ち入った審議は行われなかった。そして議会の慣例では、第三読会は個々の問題を蒸し返す機会というより、それまでの議決を形式的に確認する場とみなされている。円滑に処理されることに疑いはない。すでに仮署名されている和解は法律となるだろう。

旧諸侯の過大な要求に反対する者にとって、現段階ではもはや、以前に何をすべきだったか、この春にもなおどれほど誤りが重ねられたかを論じることは問題ではない。むしろ決定的なのは、社会民主党のブラウン首相が率いるプロイセン州政府が和解の締結を最小の害悪とみなし、現状のもとでは財産関係の不確かな状態が続くよりも和解のほうがプロイセン国家にとって得策だという見解をとっている事実である。これほど重要な問題で各党が内閣にいる自党の信任者の職責上の決定を支持するのは、議会制度の本質にかなうことである。民主党の州議会議員たちは、これが「苦い薬」であることを十分承知しながら、この原則に従って行動している。民主党会派の議員2人が、出された方針に反して法案に反対票を投じたこと――グレスラー議員とヘルマン議員である――は非難されねばならない。受け入れを決めた民主党会派の多数派も、和解の数多くの細部に対する懸念を十分に理解していることは明らかなのだから。法案への賛成はそうした細部の是認を決して意味せず、プロイセン州政府が交渉から考えうる最善のものを引き出したという確信を表明するにすぎない。

もっとも、最大の与党である社会民主党は、自らが支える内閣に全面的な支持を与える義務を認めていない。同党は棄権という中途半端な措置で満足している。それで共産党の攻撃をかわせるわけでは決してない。それでも同党の現在の態度は、国民投票の際に結んで自党にも大義にも損害をもたらした共産党との緊密な結びつきから、一定の距離を置くことを意味している。共産党の騒ぎが大衆により強い印象を与えるかどうかは疑わしい。いずれにせよ社会民主党には、地域的な一時の風潮に惑わされず、崩壊と再興の年月に共和国のために守ってきた大きな路線を保つべき十分な理由がある。

低俗・猥褻文書取締法

アルトゥール・エレッサー

低俗文書と猥褻文書とは何か。第二読会を間近に控えたこの法律は、この総称のもとに「大量頒布を目的とし、芸術的または学術的価値を持たず、形式と内容において人心を荒廃させ、もしくは風紀を乱す作用を持つ文書、または青少年の道徳的、精神的もしくは健康上の発達に有害な影響を及ぼし、もしくは青少年の空想を過度に刺激するおそれのある文書」を含めている。低俗文書と猥褻文書にはどう対処するのか。このように特徴づけられた文書を全国低俗文書リストに載せることによってである。このリストはちなみにすでに存在し、法案とともに見本として国会に提出されている。リストに記載された文書は、店舗営業でも行商でも、販売のために並べることも広告することも許されない。売り場の中でも、ショーウィンドーでも、通りから見えるその他の場所でも陳列してはならない。18歳未満の者に販売のために差し出すことも、営業として引き渡すこともしてはならない。――そのほかにも、許されないことはいろいろある。

低俗・猥褻文書法は、もともとはごく立派で真剣に心配する両親の子どもだった。共和国を、ひいては国家を守り抜いたヴァイマル連合の諸党が、善意の教師団体や青少年教育団体の支持を得てこれを世に送り出したのは、父親のいない戦争の年月を経て、革命とインフレの危機を経た私たちの青少年を、風紀の乱れや粗暴化から、ひょっとすると愚鈍化からも守るためだった。まさにこの点では、住宅事情の改善、遊び場の増設、プールの建設、安くて良い読み物の供給によるほうが青少年のためにもっと多くのことができたはずだと容易に想像できたとしても、それでもなお、法律があまり役に立たなくても大した害にもなりえないだろうという見通しで、自分をなだめることはできた。この皮肉な中立は、今日ではもはや許されない。ちょうど百年前に偉大な国法学者が、私たちは立法の才能を失ったと言ったとすれば、その才能は今日こそまったく見つからなくなったように思われる。作家や出版社の改善提案がわずかしか顧みられなかった以上、この法律も、自らの生みの親に跳ね返った共和国保護法と同じ道をたどるだろう。政党の、それもすべての政党と政府との交渉を経てこの法律がとった姿を前にして、もともとの生みの親たちは十字を切るほかない。これは取り替え子だ。私たちの子はまったく違う姿をしていた。――そして生みの親たちは、確実に予想される奇形が頭から手足まで自分たちを覆い尽くす前に、この子を見捨てる勇気を持つべきである。

この法律は何によって変質し、受け入れられないものになったのか。当初は、国全体の低俗・猥褻文書リストの作成を担うのは中央の審査会ただ一つのはずだった。一つのドイツの道徳、一つのドイツの青少年、一つのドイツの憂慮、一つの低俗と一つの猥褻。しかし周知のとおり、諸州は国に何ひとつ譲ろうとせず、何かを禁止できる場面ではなおさらである。こうして州の審査会が法律に入り込み、こうして私たちはまたもやプロイセンとザクセン、バイエルンとメクレンブルク、ヴュルテンベルクとヘッセン=ダルムシュタットの道徳を抱えることになる。そのどれもが、それぞれの正当な特性をひどく嫉妬深く守っている。法律がなくても、すでに今日、ドイツの芸術家や作家をボールにして見事なサッカーの試合が行われている。たとえばある本がプロイセンで冒涜罪で起訴される。プロイセンの裁判官はその本に何の問題も見いださない。すると同じ起訴がたとえばバイエルンかメクレンブルクの裁判所に現れることは確実に予想でき、バイエルンやメクレンブルクの神様は、プロイセンの神様には与えられなかった満足を得る。しかし押収はどれも、その効力を国全体に及ぼす。低俗・猥褻文書のために設けられる州の審査会が特別多数を必要とするとしても、専門の鑑定人が文筆界と書籍業界、教員と青少年福祉の各団体から出されることになっているとしても、地元の事情に通じた議長がどのように審査会を組み、どのように自分の多数を整えられるかは察しがつく。そしてこうした裁判に一度でも関わった者なら、嗅ぎ回りと、個人や団体の密告へのどれほど暗い熱狂がドイツじゅうに広がっているか、本物の芸術や文学らしく見えるものすべてに対してどれほど奇妙な復讐心が目を覚ましているかも知っている。法律が認めた上級審である国の審査会もまた、……の者たちによって……ことが大いに懸念される……

解説

プリモ・デ・リベラの国民議会が憲法違反とされた理由

アルフォンソ13世は、すでに一度憲法を棚上げにしていた。国王は1923年9月14日にプリモ・デ・リベラのクーデターへの支持を表明し、文民政府を罷免して1876年憲法を停止した。プリモ・デ・リベラは文民執政府を発足させると、1923年に約束した議会制への復帰を拒み、有権者個人の代わりに職能団体の利益を代表する国民議会を設けた。記事が伝える自由党の抗議は、こうした機関の召集を、停止中の憲法に対するさらなる違反とみなした。署名者のロマノネス伯は、1876年憲法を復活させ、1923年に停止された議会を再開することを目指す陰謀に加わっていた。1926年6月にその蜂起が失敗すると、プリモ・デ・リベラはロマノネス伯に50万ペセタの罰金を科した。したがってこの抗議は、同じ目標を追ってすでに処罰を受けた政治家が出したものである。国王は多少の摩擦があってもプリモの側にとどまるという通信員の見立ては、歴史家ガブリエル・カルドナの記述と一致する。カルドナによれば、6月の計画を知っていたアルフォンソ13世は、より安全で都合のよいプリモ・デ・リベラに賭けることを選んだ。王位そのものが危ういという紙面の警告は、長い目で見て根拠のあるものだった。軍の不満が高まると国王は独裁への支持をやめ、プリモ・デ・リベラは1930年に辞任し、後任のベレンゲールの政権は1931年に第二共和政が成立するまでしか続かなかった。

砲兵将校が独裁政権と対立した理由

砲兵将校と政権の対立は、昇進制度をめぐるものだった。砲兵は年功だけで昇進を決める「閉鎖序列」を守ってきたが、1926年6月9日に公布された政令は全軍の昇進制度を統一した。1926年6月にプリモ・デ・リベラ打倒を図った陰謀では、加わった将校の大半が砲兵隊の出身で、彼らはこの政令に反対していた。記事が伝える秘密のビラは、この続く対立の中で出たものである。ビラの中で砲兵将校たちは、流血を避けるために引き下がったと弁明し、国王を批判する文言も書き込んだ。10月1日から将校の給与が止まったという情報は、通信員自身の報告である。軍から共和派の蜂起が起こりうるという紙面の懸念にも、実際の根拠があった。6月の陰謀に加わった若い将校のうち、ラモン・フランコ少佐やフェルミン・ガラン大尉は、旧憲法の復活にとどまらず共和政の宣言を求めていた。

プロイセンとホーエンツォレルン家の和解が終わらせた争い

この争いは1918/19年の革命にさかのぼる。旧諸侯の財産は革命の際に差し押さえられたが、収用はされなかった。ヴァイマル憲法第153条が私有財産を保障していたため、旧諸侯は多額の金銭補償を求めた。共産党が旧諸侯の財産収用を求める運動を起こすと、社会民主党の指導部は高い失業率と労働者の気分を考慮して共産党の動きを支持した。1926年6月20日の国民投票が失敗すると、多くの州政府は旧諸侯の家と比較的早く金銭上の妥協に達した。プロイセンでは1926年10月15日に州とホーエンツォレルン家の和解が成立した。この日は金曜日で、社説が予告した最終処理の日にあたる。社説が社会民主党の棄権を批判した背景には、この経緯がある。社会民主党は数か月前に共産党と並んで収用を求めていたので、自党のブラウン首相がまとめた補償つきの和解に賛成すれば、その運動と食い違う立場に立つことになったと考えられる。社説は棄権を共産党との提携からの部分的な後退と読んだが、それでも与党は自らの内閣を全面的に支えるべきだと主張した。

低俗・猥褻文書法の成立とその後

エレッサーが批判した法律は、1923年12月19日の閣議で提案された。国会は1926年12月3日にこの法律を可決し、法律は同年12月18日に施行された。したがってこの論評は、最終採決のおよそ7週間前に掲載されたことになる。成立した法律は、リスト掲載の判断を審査所に委ねた。各審査所は官吏の議長1人と専門家8人で構成され、専門家は芸術・文学、書籍・美術品取引、青少年福祉、教員の各分野から2人ずつ選ばれた。掲載された側は、ライプツィヒに設けられた上級審査所にリストからの削除を申し立てることができた。複数の審査所の上に国の上級審を一つ置くこの構成は、エレッサーが描いた仕組みに対応する。マルティン・ラートは法律専門サイトLTOの記事で、7か条からなる成立法には審査所が何を規制すべきかの定義がまったくなかったと指摘している。エレッサーが法案から引用した定義は、成立した条文には残らなかったことになる。歴史家マーガレット・F・スティーグは、この法律が10年もたたないうちに空文化し、1935年に帝国文筆院の指針に置き換えられたと結論づけている。

原文

Spaniens Verfassungskrise

Redakteur (m. Ausn. d. Handelsteils): Carl Misch, Berlin. Unverl. Manuskripte werden nur zurückgesandt, wenn Porto beiliegt. Verlag und Schriftleitung: Berlin SW68, Kochstr. 22-26 Spaniens Verfassungskrise Die Liberalen protestieren beim König / Starke Agitation im Heer / Einberufung der National-Versammlung? ✱ Hendaye (Spanische Grenze), 13. Oktober Nachrichtendienst der " Vossischen Zeitung " Es zirkulieren Abschriften des von der liberalen Partei an König Alfons von Spanien gerichteten Protestschreibens, unterzeichnet von Romanones und Villanueva, das gegen Primo de Riveras Projekt einer Nationalversammlung gerichtet ist und den König auf den Verfassungsbruch hinweist, der aus der Einberufung der Nationalversammlung entstehen würde. Ferner werden insgeheim Flugblätter der Artillerieoffiziere verbreitet, die das Nachgeben im letzten Konflikt damit rechtfertigen, daß sie Blutvergießen vermeiden wollten. Sie betrachten sich nicht als unterlegen und nicht aus dem Heere ausgeschlossen. Diese Bekanntmachung enthält auch gegen den König gerichtete Sätze. Der schwebende Artilleriekonflikt verschärfte sich dieser Tage noch deshalb, weil vom 1. Oktober ab die Gehaltszahlung an die Offiziere weggefallen ist. Nach den letzten Reden Primo de Riveras wird dieser nicht nachgeben und von der Nationalversammlung nicht abgehen. Die Entscheidung liegt allein beim König, der bereits etwas im Gegensatz zu Primo de Rivera steht, aber doch nicht ausreichend, da er ihn sonst absetzen müßte. Infolgedessen ist der Thron zurzeit sehr gefährdet, erstens durch einen republikanischen Aufstand, der vom Heer ausgehen könnte, in dem die Agitation immer stärker wird, zweitens, weil ein späteres Parlament nach erfolgter starker Linksreaktion dem König den schweren Verfassungsbruch nachweisen könnte, der von Primo de Rivera mit Duldung des Königs begangen worden ist. Die Lage ist sehr ernst. Der jetzige Eindruck ist, daß Alfons XIII. trotz der Gefahr das Einberufungsdekret für die Nationalversammlung unterzeichnen wird, da er Primo für stark genug hält, sich und ihn zu schützen. ✱ Madrid, 13. Oktober Nachrichtendienst der " Vossischen Zeitung " Der König reist morgen für drei Wochen nach Barcelona in Begleitung von Primo de Rivera ab. Die Entscheidung der Regierungsparteien Die endgültige Erledigung des Vergleichs, den die preußische zu lassen, die sie im Dienst der Republik in den Jahren des Zusammenbruchs und des Wiederaufstiegs eingehalten hat. Kommunistenkundgebung verboten

Die Entscheidung der Regierungsparteien

Die Entscheidung der Regierungsparteien Die endgültige Erledigung des Vergleichs, den die preußische Staatsregierung mit den Vertretern der Familie Hohenzollern abgeschlossen hat, soll am Freitag erfolgen. Eine eingehende sachliche Erörterung ist in den beiden ersten Lesungen nicht erfolgt. Und die dritte Lesung gilt nach parlamentarischem Brauch mehr als eine formelle Bestätigung der vorausgegangenen Beschlüsse, denn als Gelegenheit zu einer Aufrollung der Einzelfragen. An einer glatten Erledigung ist nicht zu zweifeln. Der Vergleich, der bereits provisorisch unterzeichnet ist, wird Gesetz werden. Für die Gegner der übertriebenen Fürstenforderungen handelt es sich in dem jetzigen Stadium nicht mehr darum, zu erörtern, was früher hätte geschehen sollen und was an Fehlern noch in diesem Frühjahr gehäuft wurde. Entscheidend ist vielmehr die Tatsache, daß die preußische Staatsregierung unter der Führung des sozialdemokratischen Ministerpräsidenten Braun den Abschluß des Vergleichs für das geringste Uebel hält und die Auffassung vertritt, daß der preußische Staat unter den gegebenen Umständen mit dem Vergleich besser fährt, als bei der Fortdauer des jetzigen Zustandes der Unsicherheit der Besitzverhältnisse. Es entspricht dem Wesen des parlamentarischen Systems, daß in einer so wichtigen Frage die Parteien die pflichtgemäße Entscheidung ihrer Vertrauensmänner im Kabinett decken. Nach diesem Grundsatz handeln die demokratischen Mitglieder des Landtags, obwohl sie sich darüber im klaren sind, daß es [?] um eine " bittere Pille " handelt. Wenn zwei Abgeordnete der demokratischen Fraktion entgegen der ausgegebenen Parole [?] gen die Vorlage gestimmt haben - es handelt sich um die Abgeordnet [?] n Greßler und Hermann -, so muß das mißbilligt werden. Es ist ja doch klar, daß auch die Mehrheit der demok [?] atisch [?] n Fraktion, die sich für die Annahme entschieden hat, durchaus die Bedenken gegen zahlreiche Einzelheiten des Vergleichs würdigt. Die Zustimmung zu der Vorlage bedeutet auch keineswegs eine Billigung dieser Einzelheiten, sondern lediglich den Ausdruck der Ueberzeugung, daß die preußische Staatsregierung das denkbar beste aus den Verhandlungen herausgeholt hat. Die stärkste Regierungspartei, die Sozialdemokratie, erkennt freilich die Pflicht nicht an, dem von ihr getragenen Kabinett ihre volle Unterstützung zuteil werden zu lassen. Sie begnügt sich mit der halben Maßnahme der Stimmenthaltung. Damit entwaffnet sie die kommunistischen Angriffe keineswegs. Immerhin bedeutet ihre jetzige Haltung ein gewisses Abrücken von der engen Verbindung mit den Kommunisten, die die Sozialdemokratie zu ihrem eigenen Schaden und zum Schaden der Sache bei dem Volksentscheid eingegangen ist. Daß der kommunistische Radau stärkeren Eindruck auf die Massen machen wird, kann bezweifelt werden. Jedenfalls hat die Sozialdemo [?] [?] atie alle Ursache, nicht durch örtliche Augenblicksströmungen sich von der großen Linie abbringen

Das Gesetz gegen Schund und Schmutz

für den Fernverkehr Amt Dönhoff 3660-3696. TelegrammAdresse: Ullsteinhaus, Berlin. Postscheckkonto Berlin 660. Das Gesetz gegen Schund und Schmutz Von Arthur Eloesser Was ist Schund und Schmutz? Das Gesetz, dessen zweite Lesung bevorsteht, begreift unter diesem Sammelnamen " für Massenverbreitung bestimmte Schriften ohne künstlerischen oder wissenschaftlichen Wert, die nach Form und Inhalt verrohend oder entsittlichend wirken, oder von denen eine schädliche Einwirkung auf die sittliche, geistige oder gesundheitliche Entwicklung oder eine Ueberreizung der Phantasie der Jugend zu besorgen ist ". Wie soll Schund und Schmutz bekämpft werden? Durch die Aufnahme der also charakterisierten Schriften in eine Reichsschundliste, die übrigens schon besteht und dem Reichstag zugleich mit dem Gesetz beispielmäßig vorgelegt worden ist. Die durch die Liste gekennzeichneten Schriften dürfen im stehenden Gewerbe wie im Umherziehen weder feilgehalten noch angekündigt werden; sie dürfen innerhalb der Verkaufsräume, im Schaufenster oder an anderen von der Straße aus sichtbaren Orten nicht zur Schau gestellt werden; sie dürfen Personen unter achtzehn Jahren weder zum Verkauf angeboten noch gewerblich überlassen werden. - Und sie dürfen noch manches andere nicht. Das Schund - und Schmutzgesetz war ursprünglich das Kind ganz achtbarer und ehrlich besorgter Eltern. Die Parteien der Weimarer Koalition, die die Republik und damit das Reich erhielten, haben es mit der Unterstützung wohlmeinender Lehrer - und Jugendbildungsverbände zutage gefördert, um unsere Jugend nach der vaterlosen Kriegszeit, nach den Krisen von Revolution und Inflation vor Entsittlichung und Verrohung, vielleicht sogar vor Verdummung zu wahren. Wenn man sich auch leicht vorstellen konnte, daß für unsere Jugend gerade in dieser Hinsicht durch die Verbesserung der Wohnungsverhältnisse, durch die Vermehrung der Spielplätze, durch die Errichtung von Schwimmbädern, durch die Zuführung billiger guter Lektüre mehr geschehen wäre, so durfte man sich immer noch mit der Voraussicht beschwichtigen: Wenn das Gesetz nicht viel hilft, wird es auch nicht viel schaden können. Diese ironische Neutralität ist heute nicht mehr erlaubt. Wenn vor genau hundert Jahren ein großer Staatsrechtler gesagt hat, daß wir das Talent für Gesetzgebung verloren haben, so scheint es gerade heute ganz unauffindbar geworden zu sein. Nachdem die Verbesserungsvorschläge der Schriftsteller und der Verleger nur geringe Beachtung gefunden haben, wird es mit diesem Gesetz nicht anders gehen als mit dem Republikschutzgesetz, das gegen seine eigenen Urheber zurückschlug, und über der Gestalt, die es nach den Verhandlungen der Parteien, aller Parteien mit der Regierung angenommen hat, dürfen sich die ursprünglichen Erzeuger nur bekreuzigen. Aber das ist ja ein Wechselbalg! Unser Kind sah ganz anders aus. - Und sie sollten den Mut haben, es zu verstoßen, bevor sicher zu erwartende Mißbildung sie an Haupt und Gliedern überwächst. Wodurch ist das Gesetz entartet und damit unannehmbar geworden? Ursprünglich sollte nur eine Zentrale Spruchkammer mit der Aufstellung der Schund - und Schmutzliste im Reich befaßt sein: Eine deutsche Sittlichkeit, eine deutsche Jugend, eine deutsche Sorge, ein Schund und ein Schmutz. Aber die Länder gönnen dem Reich bekanntlich nichts und besonders nicht, wo es etwas zu verbieten gibt. So kamen die Spruchkammern der Länder in das Gesetz, und so bekommen wir wieder die preußische und die sächsische, die bayrische und die mecklenburgische, die württembergische und die hessen-darmstädtische Sittlichkeit, von denen jede ihre berechtigten Eigentümlichkeiten recht eifersüchtig pflegt. Schon heute wird auch ohne das Gesetz mit deutschen Künstlern und Schriftstellern ein hübsches Fußballspiel getrieben. Ein Buch wird etwa wegen Gotteslästerung in Preußen unter Anklage gestellt. Der preußische Richter findet nichts Arges an ihm. Darauf kann man mit Sicherheit annehmen, daß dieselbe Anklage etwa vor einem bayrischen oder mecklenburgischen Gericht auftaucht, und der liebe Gott von Bayern oder von Mecklenburg erhält die dem preußischen versagte Genugtuung. Aber jede Beschlagnahme erstreckt ihre Wirkung auf das ganze Reich. Wenn auch die für Schund und Schmutz vorgesehenen Spruchkammern der Länder auf eine qualifizierte Mehrheit angewiesen sind, wenn auch die sachverständigen Gutachter durch die Organisationen des Schrifttums und des Buchhandels, der Lehrerschaft und der Jugendwohlfahrt gestellt werden sollen, man ahnt, wie ein mit den lokalen Verhältnissen vertrauter Vorsitzender sich seine Kammer zusammensetzen, sich seine Mehrheit qualifizieren kann. Und wer je mit solchen Prozessen zu tun hatte, weiß auch, welche schwarze Sucht der Beschnüffelung, der Angeberei von Persönlichkeiten und von Verbänden durch Deutschland geht, welche merkwürdige Art von Ra [?] sucht gegen alles wach ist, was nach richtiger Kunst und Literatur aussieht. Es steht durchaus zu befürchten, daß auch die von dem Gesetz zugestandene obere Instanz einer Reichsspruchkammer von denen der

紙面の出典:Source: Staatsbibliothek zu Berlin / zefys

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