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· ジュネーヴ(スイス) · フランス語

Journal de Genève

1926年10月14日の第1面は、W. M.の署名入りコラムでチェコスロバキア情勢を伝えた。コラムは、ドイツ人が国家の側に加わったことをベネシュの大きな成功と評した。コラムは同時に、ベネシュの所属する国民社会党が野党にあり、ベネシュが専門家として閣内にいるだけで政治的に宙に浮いていると書いた。フェイレール大佐は署名入りの論説で、スイス軍が上層部で弱いのは行政と指揮が混同されているためだと論じ、この混同が軍を損なう事件を繰り返し生むと主張した。米国特派員は、クーリッジ大統領の特使トンプソン大佐が2か月かけてフィリピンを巡り、11月の報告書に先立って見解を漏らしていると報じた。

翻訳

チェコスロバキアにおける国民融和

ベネシュ氏は、常に諸政党の上に立つことを重んじてきたが、比例代表制の仕組みによって、代議士に選出されるためにはどこかの政党を選ばざるをえなかった。氏が選んだのは国民社会党である。氏は同党と道義的な親近性をもっていたが、党内には氏の最も激しい個人的な敵対者も幾人か含まれている。この党が今日野党の立場にあるため、ベネシュ氏は専門家として内閣に加わっており、政治的にはいくぶん宙に浮いた格好になっている。それでも、ドイツ人が国家の側に加わったことは氏にとって大きな成功である。氏はマサリク大統領や、農業党党首で首相を務める友人シュヴェフラ氏と考えを一つにしながら、……に対する穏健な政策を一貫して進めてきた。

根本的な混同

断言するだけでは足りず、論証しなければならない。私は、わが軍は上層部において弱く、それは人の責任ではなく、軍が本来発揮しうる力を減じている欠陥のある組織の責任だと断言できると考えた。根本的な欠陥は、行政と指揮とのあいだの嘆かわしい混同にある。この混同から、軍とその仕事を損ないつつ周期的に持ち上がる「事件」が生じるのである。……

フィリピンとゴム

(米国特派員発)ここ数か月、フィリピンは執拗に世間の注目を集めている。さまざまな問題が同地に困難な状況を生んでおり、その解決は矛盾をはらんだものにしかなりえない。そして[?]、自ら見解を固め、公平に事を進めようと望んだクーリッジ大統領は、特別代表のチャーミ・トンプソン大佐をはるかな群島へ派遣した。大佐は2か月をかけて島々を調査し、あらゆる方面へ巡ってきたばかりである。大佐が大統領に報告書を提出するのは11月になってからだが、大佐はすでに自らの見解をそれとなく漏らしており、今日の時点で、フィリピンについて近く下される措置がどのようなものになるかをある程度うかがい知ることができる。

解説

1926年10月にドイツ系政党がチェコスロバキア政府に加わった経緯

1926年10月12日に発足した第3次シュヴェフラ内閣で、ドイツ系の政治家が建国以来初めてチェコスロバキアの閣僚になった。新ドイツ人名事典のマイア=ハルティング伝によると、それに先立ってチェコ系とスロバキア系の政党による国民連立が、農産物関税と聖職者の俸給をめぐる対立で崩れていた。この後、マイア=ハルティングが法相として、農業者同盟のフランツ・シュピナが公共事業相として入閣した。同じ伝記によると、プラハの法学教授だったマイア=ハルティングは早くも1918年12月に、ドイツ人が新国家に参加するべきだと主張していた。米国議会図書館の国別研究も、ドイツ系政党が1926年から政府に参加したと記している。コラムが掲載されたのは内閣発足の2日後であり、W. M.がベネシュの功績とした「ドイツ人の国家への合流」は、このドイツ系閣僚の入閣を指すと考えられる。

ベネシュが専門家として閣内にとどまった理由

コラムによると、ベネシュは比例代表制のもとで代議士になるために国民社会党に入り、その党が野党に回ったため専門家として閣内にとどまっていた。米国議会図書館の国別研究は、ヴァーツラフ・クロファーチが率いたチェコスロバキア国民社会党が主に下位中産層や公務員、知識人から党員を集め、その知識人の中にベネシュがいたと記しており、党とのつながりを裏づけている。同じ研究によると、戦間期の大半は5つのチェコスロバキア系政党の連立が政府の中心だったが、1926年3月から1929年11月まではその連立が維持されなかった。コラムが描いた、所属政党から離れて閣内にいるベネシュの姿は、この連立の中断と一致している。新しいシュヴェフラ内閣はドイツ系閣僚を含む別の政党の組み合わせで成り立っており、ベネシュの党はその外にいた。

フェイレール大佐の論説の背後にある軍の事件

スイス軍では1923年に、高級将校が軍の再編計画に抗議して軍を去った。1920年に参謀本部へ昇進していたエミール・ゾンデレッガーが、この年に再編計画に反対して辞任したのである。当時、軍事省を率いていた文民閣僚はカール・ショイラーであり、ショイラーは連邦参事在任中ずっと軍事省を担当し、1923年には連邦大統領も務めた。フェイレール大佐は、行政と指揮の混同が軍を損なう事件を周期的に生むと主張しており、軍事省の政治的な長と最高位の将校が軍の組織をめぐって衝突したこの出来事は、その主張に当てはまる。選んだ抜粋自体は具体的な事件を名指ししていないが、同じ論説の後半で大佐は1923年の「ショイラー=ゾンデレッガー紛争」や、ゾンデレッガーが「扉を叩きつけて」軍を去ったことに自ら触れている。

カーミ・トンプソンによる1926年のフィリピン視察

記事のチャーミ・トンプソン大佐は、クーリッジ大統領が1926年にフィリピン調査のため派遣したカーミ・トンプソンのことだ。マニラの米国商工会議所誌は1926年10月号で大佐の帰国を報じ、大佐が7月9日にマニラに到着したと記した。同誌は、大佐がこの仕事に3か月を費やしたとも書いており、ジュネーブの特派員が伝えた2か月より長い。同誌は大佐が受けた政治的な圧力も伝えた。フィリピンの指導者たちは米国からの即時かつ絶対的で完全な独立を要求し、ミンダナオに別個の統治を与えるベーコン法案に反対していた。特派員が、解決は矛盾をはらんだものにしかなりえないと書いたのは、独立運動と米国の統治を分割または強化する案とのこうした対立を指していると考えられる。

原文

La pacification nationale en Tchécoslovaquie

M. Bénès, qui a toujours tenu à se placer au-dessus des partis, a cependant été obligé, par le jeu de la représentation proportionnelle, de choisir un parti pour se faire élire député. Il a choisi le parti socialiste-national, avec lequel il avait des affinités morales, bien qu'il y compte quelques-uns de ses plus farouches adversaires personnels. Ce parti étant aujourd'hui dans l'opposition. M. Bénès appartient au cabinet en tant que spécialiste, et se trouve un peu en l'air dans la politique. Le ralliement des Allemands à l'Etat n'en est pas moins un grand succès pour lui. Il n'a cessé de faire, en communion d'idées avec le président Masaryk et avec son ami, M. Svehla, chef du parti agraire et président du conseil, une politique de modération vis-à-vis

La confusion fondamentale

La confusion fondamentale Il ne suffit pas d'affirmer, il faut démontrer. J'ai cru pouvoir affirmer que notre armée était faible par en haut, non du fait des hommes, mais de celui d'une organisation défectueuse qui diminue son rendement possible. Le défaut fondamental réside dans une fâcheuse confusion entre l'administration et le commandement. De cette confusion procèdent les «affaires», qui, périodiquement, surgissent au détriment de l'armée et de son travail. Que

Les Philippines et le caoutchouc

(De notre correspondant des Etats-Unis) Voici plusieurs mois que les Philippines retiennent avec insistance l'attention publique. Divers problèmes y crèent une situation difficile, car leur solution ne saurait être que contradictoire. Et [?] désirant se faire une opinion et procéder avec équité, le président Coolidge a envoyé dans le lointain archipel un représentant spécial, le colonel Charmi Thompson, qui vient de passer deux mois à étudier les îles et à les parcourir en tous sens. S'il ne soumettra son rapport au président qu'en novembre, il a laissé cependant filtrer son opinion, et l'on peut dès aujourd'hui se faire une idée de ce que sera le prochain règlement des Philippines.

紙面の出典:Source: Le Temps archives / Journal de Geneve

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