東亞日報
- 中国革命と胡適氏の演説
- 更生の道
部分的に判読できた1926年10月14日付の東亜日報1面は、胡適が中国革命を失敗と断じたという外電を取り上げた。記事によれば、胡適は在英中国学生の団体が開いた共和国成立15周年の祝賀会で、革命は政府の外形を変えただけだと述べた。胡適はまた、中国人が近代文明の理解と青年の養成を怠ったと指摘した。記事はこの主張を新しい原理ではないと認めた上で、重い示唆を含むと評価した。記事はさらに、政治革命は経済的意味を持って初めて効果を生むと論じた。同じ面には崔鉉培の連載「朝鮮民族更生の道」第18回が載った。崔鉉培は朝鮮の山がはげ山になった原因として、日本より不利な土質と雨量、大きな材木を育てる動機の乏しさ、造林の知識と遠慮の欠如、薪を大量に使うオンドルのかまどの四つを挙げた。
この版は、一部を判読できた1面の二つの抜粋だけを扱う。一つは胡適の演説を論じた記事、もう一つは崔鉉培の連載第18回である。胡適の記事は中ほどに文字の乱れた部分があり、文の途中で切れている。山林の一節にもいくつか欠けた箇所がある。判読できない語は[?]または[…]で示している。紙面のその他の本文欄は文字が小さく不鮮明で書き起こせないため、人名や数字は復元していない。
翻訳
中国革命と胡適氏の演説
木曜】大正十五年十月十四日
一
外電によれば、在英中国学生中央連合会が開いた中国の共和国成立十五周年記念祝賀会の席上で、胡適氏が一場の演説を行った。その中で胡適氏は、民国の革命は明らかに失敗したと述べ、単に表面上の政府の形態が変わったにすぎないと語ったという。そして、中国国民が近代世界と新文明の理解に努めず、青年の養成に熱心でなかったことを指摘したという。電文があまりに簡単で、文意を十分に解釈しにくい点が多い。そればかりでなく、胡適氏が中国において権威ある『[?]ス』の学徒であるという点で[…]ことは、一般の認めるところであった。したがって、これは胡適氏の意見によって新たに発見された特別な原理ではない。しかし胡適氏は深刻な体験を通してこれを改めて叫んでいるのであり、それだけに、我々に与える示唆は並々ならぬものだと信じる。すなわち、政治革命というものは経済的意味を持つときに初めて革命の効果が生じるのである。そうしようとするならば、その先導者は、その社会にある経済組織と政治組織の関係、および経済的実際に関する正しい[…]
朝鮮民族更生の道【18】
生気振作―理想樹立―更生確信―不断努力
文学士 崔鉉培
山林はその国民の文明程度を示すものだと言われる。朝鮮の山がはげ山になっている原因を考えてみると、いくつかの原因がある。第一は、日本の土地のように土質や雨量などが樹木の生長に適しているという天恵が朝鮮にはないことである(もちろん、これは絶対的な原因にはならない。朝鮮の土地は決してそれほど天恵の乏しい不毛の地ではない)。第二は、人民がいくら山林をよく育てておいても、その木を棟梁の材として思うように立派な家を建てることができず、そのため大きな材木を育てる必要が少ないことである。第三は、民智が開けていないため、造林に関する知識がなく、将来を考える遠慮もないことである。そのため人民は[?]ことだけを知っていて、植えることを知らない。第四に、この山あの山をすべて食い尽くしてもまだ腹をすかせているというオンドルのかまどが、山林の荒廃にいくらかの責任を負っている。
解説
胡適が辛亥革命を失敗と見た理由
東亜日報が要約した外電の内容は、胡適が米国から帰国して以来唱えてきた考えと一致している。胡適はコロンビア大学でジョン・デューイに学び、デューイから強い影響を受け、その通訳も務めた。胡適は1917年に中国へ戻り、1911年の革命で共和国が生まれたにもかかわらず、中国が7年前に出国したときから大きく変わっていないことを知った。胡適ら留学帰りの知識人は、新しい西洋式の政府を成功させるには伝統的な中国文化を全面的に作り直す必要があると結論づけた。北京の知識人たちは1917年に、20年間政治から離れて教育、学術、文化の活動に専念すると申し合わせた。新聞が伝えた演説の内容、つまり革命は政府の外形を変えただけで、中国人は近代文明の理解と青年の養成を怠ったという指摘は、この方針をそのまま言い直したものである。紙面は胡適をある権威者の学徒と書いているが、その名は判読できない。別の資料で確かめられる事実として、胡適はデューイの弟子であり通訳でもあった。
記事が引き出した経済的教訓と胡適自身の方法の違い
記事の後半は、外電が胡適の発言として伝えていない結論を導いている。筆者は、政治革命は経済的意味を持って初めて効果を生み、その先導者は社会の経済組織と政治組織の関係を理解しなければならないと論じた。経済構造を重く見るこの主張は、京城の筆者自身のものである。胡適は、冷静で思慮深い研究を通じて漸進的な変化と個別問題の解決を図るべきだと唱えたことで知られる。胡適はまた、マルクス主義や無政府主義のような抽象的な公式を採用すれば中国の問題がすべて解決すると期待するのは無駄だと考えていた。したがって記事は、胡適の権威と失敗の判定を出発点にして、経済組織についての独自の議論を組み立てている。読者は、胡適が述べたと伝えられる内容と、新聞がそこから導いた結論を分けて読む必要がある。
15周年を迎えた中国で進んでいた統一戦争
胡適の判定が京城に届いたとき、中国は1911年以来の未完の課題をめぐって戦争のさなかにあった。国民党の国民革命軍は、辛亥革命の後に分裂した中国を再統一するために北伐を始めた。蔣介石は1926年7月9日に総司令の職を受け、北伐を正式に開始した。この号が出るまでの数週間で、北伐軍は長江に達していた。呉佩孚が武昌の城内に残した部隊は1か月以上持ちこたえたが、武昌は10月10日に陥落した。記事の判読できる部分は、この戦闘に触れていない。記事は革命の失敗を文化、青年の養成、経済組織の問題として論じた。同じころ中国中部では、軍隊が共和国を誰が治めるかを武力で決めようとしていた。
崔鉉培と連載「朝鮮民族更生の道」
崔鉉培は文学士の肩書で署名した。崔鉉培は1925年に京都帝国大学哲学科を卒業し、1926年に延禧専門学校で教え始めた。韓国民族文化大百科事典によれば、崔鉉培は10年に及ぶ日本留学を終えようとしていた1925年に「朝鮮民族更生の道」を書いた。東亜日報は1926年にこの文章を66回にわたって連載した。連載は1930年に単行本として刊行された。この本の中心である第3章は民族更生の原理を示し、まず民族の生気を振るい起こし、次に民族の理想を打ち立てるべきだと説いた。第3章はまた、更生に対する確固とした信念が必要だと強調した。この連載第18回の副題は、これらの原理と一致している。この著作は、教育学と民族主義的な啓蒙の理念を結びつけたものと評価されている。崔鉉培はこの回でその方法を山林荒廃の問題に当てはめた。崔鉉培は気候を絶対的な原因とは認めず、人民に造林の知識と遠慮が欠けていることと、オンドルが大量の燃料を使うことを原因に挙げた。崔鉉培ははげ山を民族の文明程度を示すしるしとして扱った。
植民地下で外来思想を伝えた東亜日報
二つの記事は、限られた許可によって存在できた朝鮮人経営の日刊紙に載った。朝鮮総督府は1919年の三・一運動を鎮圧した後、少数の朝鮮人経営の新聞の創刊を認めると発表した。1920年に創刊された東亜日報は、外国の思想を伝える場として広く読まれた。この役割があったので、英国での中国人思想家の演説を伝える外電が、1面で革命を論じるきっかけになった。東亜日報は常に停刊の危険の下で発行していた。東亜日報は1926年3月に三・一運動の記念日に関する演説を掲載し、再び停刊処分を受けた。この紙面は日付を大正十五年という日本の元号で記している。東亜日報はこうした制約の中で、中国の失敗した革命から朝鮮の読者への教訓を引き出し、朝鮮民族の更生の道を論じる連載を載せた。
原文
中國革命과胡適氏의演說
木曜】 大正十五年十月十四日中國革命 과 胡適氏 의 演說一外電 에 依 하면 留英中國學生中央聯合會 가 開催 한 中國 의 共和國成立十五周年記念祝賀會席上 에서 胡適氏 의 一場演說 이잇섯다 는 中民國 의 革命 이 明白 히 失敗 하엿다하고 單只表面的政府 의 形體 가 變更 하엿슴에 不過 하다 고하엿다 그리하야 中國民 이 近代世界 와 新文明 의 理解 에 努力 하지안코 靑年養成 에 熱心 하지 안엇슴을 指摘 하엿다고한다 電文 이너머 簡單 하야 文意 를 充分 히 解釋 하기어려운 點 이만흔뿐아 니라 胡適氏 는 中國 에잇서서 權威 잇는 『[?] 스』 의 學徒 인 點 으로미 허쓰지못하던바에 잇섯다는것 은 一般 이 認定 하는바이엇슴은 나 四 그럼으로 胡適氏 의 意見 에 依 하 야새로 發見 되는 特別原理 는아니 지만은 다시 深刻 한 體驗 을 通 하 야 부르지지느니만큼우리에게 주는 暗示 는 不凡 하지아니한줄을 밋는다 即政治革命 이라는것은 經濟的意味 를가지는 時 에비로 소 革命 의 効果 가나는것이오 그리하라고하면 그 先導者 는그 社會 에잇는 經濟組織 과 政治組織 의 關係及經濟的實際 에 關 한 正
更生의道
朝鮮民族更生 의 道 【十八】 生氣振作 - 理想樹立 - 更生確信 - 不斷努力文學士崔鉉培山林 은그 國民 의 文明程度 를 示 하는것이다고하는 朝鮮山 의 濯濯 한 原因 을생각하야보면 려가지의 原因 이잇다 첫재는 質 과 雨量等 이 樹木 의 生長 에 當 하기 日本土地 와 가튼 天惠 잇지아니한것 (勿論 이것이 絶原因 은못된다 朝鮮土地 가 決 그다지 天惠 가적은 不毛 의 地 가 니다) 이오둘재는 人民 이아모 山林 을잘길우어노하도 棟樑 의 하게집을잘지어볼수가업기때문 에 大材木 은기를 必要 가 적은것 이그한아이오 셋재는 民智 가열니지못하야 造林 에 對 한 智識 이업스며 또 將來 를생각하는 遠慮 가업기때문에 [?] 줄만알고 심을줄은모르는것이그 한아이오 넷재는이 山 저 山 다잡아먹어도 어훌하다는 溫突 의아궁지가 山林濯濯 에 對 하야 多少 의 責任 을진다