Il Piccolo
- ムッソリーニ議員、ローマに帰着
- フェデルツォーニ議員、フィウメへ
- レニングラード向けのイタリア製バス
今回の読み取りでは、1926年10月14日付『イル・ピッコロ』に載った短い電報記事三本を取り上げた。ローマ発の記事は、ムッソリーニが特別列車でフォルリから深夜に帰着し、閣僚、次官、党幹部、警察幹部の出迎えを受けたのち自動車でトルローニア荘へ向かったと伝えた。別のローマ発記事は、ホスト・ヴェントゥーリらフィウメの代表団が複数の大臣と協議し、フェデルツォーニ内相を11月4日の戦勝記念式典に招いて、内相が快諾したと報じた。モスクワ発の記事は、レニングラード・ソビエトがイタリアの大手自動車会社とバス購入の交渉に入り、同社が有利な信用条件を認めたと伝えた。
今回の読み取りは、一部しか判読できない紙面から三つの抜粋を扱う。各抜粋の冒頭や末尾には、マッフィ枢機卿の国王謁見、イギリス産業に関する論評、陸上交通・内水航行連盟の規約の見出しといった隣接記事の断片が含まれており、翻訳はそれらを紙面のまま訳している。左右の画像の端は破れたり切れたりしており、題字の一部は図書館の印に覆われている。提供されたOCRは誤りが多いため、抜粋は画像から書き起こしたものである。この読み取りは、フェデルツォーニが11月4日に実際にフィウメを訪れたかどうか、またレニングラードと交渉したイタリア企業がどこかを確定しない。
翻訳
ムッソリーニ議員、ローマに帰着
ローマ発、13日 ― 政府首班は午後11時30分、特別列車でフォルリからローマに戻った。駅には出迎えのため、内務大臣フェデルツォーニ閣下、首相府兼協同体担当次官スアルド閣下、外務次官グランディ閣下、内務次官テルッツィ閣下、国民経済次官バルボ閣下、国家ファシスト党書記長トゥラーティ議員、グランデ・ウッフィチャーレ勲位の公安総局長ボッキーニ氏、同じくグランデ・ウッフィチャーレ勲位の内務大臣官房長ガスペリーニ氏、県知事、警察本部長が顔をそろえていた。首相閣下はただちに自動車でトルローニア荘へ向かった。
マッフィ枢機卿、国王に謁見
フェデルツォーニ議員、フィウメへ
……秘書のカランドラ、モデナ両師を伴っており、国王は枢機卿と約1時間にわたって和やかに懇談した。国王陛下はその後、大学のアドゥッコ総長を引見し、大学の近況を尋ねた。
フェデルツォーニ議員、戦勝記念祭のためフィウメへ
ローマ発、13日 ― クアルティエリ上院議員、県知事、ホスト・ヴェントゥーリ、バチッチの各氏からなるフィウメの委員会が、今朝ローマに到着した。代表団は内務大臣をはじめ複数の大臣と協議した。『トリブーナ』紙はさらに、代表団が本日フェデルツォーニ議員に対し、戦勝記念式典のため11月4日にフィウメを訪れるよう招請し、大臣が喜んで招待を受けると答えたと伝えている。
陸上交通・内水航行連盟の規約
ローマ発、13日
レニングラード向けのイタリア製バス
……イギリスの産業界がまず結束を固め、他国の例にならって強力なカルテルを組織しようとしないかぎり、新たな繁栄は期待できない。
レニングラード向けのイタリア製バス
モスクワ発、13日 ― レニングラード・ソビエトは、最近到着したイタリアの大手自動車会社の代表者たちと、レニングラード市のバスを購入するための交渉に入った。同社は有利な信用貸付の条件を認めることに同意した。
解説
ローマ駅に集まった政権中枢の顔ぶれ
紙面が並べた出迎えの顔ぶれは、1926年10月半ばに権力を握っていた人々の一覧になっている。最初に名前の挙がったルイジ・フェデルツォーニは、のちにファシズムと一体化したナショナリスト運動の創設者の一人であり、1924年から1926年まで内務大臣を務めた。この記事は、内相としての任期の終わりに近い時期のフェデルツォーニを伝えていることになる。党書記長として名前の出るアウグスト・トゥラーティは、1926年から1930年まで国家ファシスト党の書記長を務め、ムッソリーニの支配を固める役割を果たした。紙面によれば、閣僚や党幹部に加えて公安総局長、県知事、警察本部長も駅に出向いており、党と政府と警察の幹部がそろって政府首班の深夜の到着を迎えたことがわかる。
弾圧強化の数週間前の帰京
記事は深夜の到着とトルローニア荘への移動だけを記録しており、フォルリ訪問の理由には触れていない。この帰京の数週間後、政権の政治は大きく転換した。ムッソリーニは1926年の一年だけで三度の暗殺未遂に遭った。そのうちの一つは同年のハロウィーンにボローニャで起き、15歳の無政府主義者アンテオ・ザンボーニがムッソリーニに向けて発砲した。政権はこの事件を口実にして、秘密警察の創設や政治的反対派の解散を含む一連の抑圧的な立法を進めた。この記事が伝えた帰京は、この発砲事件を受けた抑圧的な措置が打ち出される数週間前の出来事である。
フィウメ代表団の顔ぶれとフェデルツォーニ招請
紙面はフィウメの委員会としてクアルティエリ上院議員、県知事、ホスト・ヴェントゥーリ、バチッチの名を挙げた。ジョヴァンニ・ホスト=ヴェントゥーリは当時オーストリア=ハンガリー領だったフィウメで生まれたイタリア民族統一主義者であり、ガブリエーレ・ダンヌンツィオのフィウメ占拠の計画に深く関わった。ホスト=ヴェントゥーリは1925年11月15日から1928年5月24日までフィウメのファシスト連盟の書記を務めており、ローマを訪れた代表団には地元党組織の責任者が加わっていたことになる。招待を受けたフェデルツォーニはナショナリスト運動の創設者の一人であり、1915年に『ダルマツィアは待っている』と題する本を出版していた。フィウメの代表団は、アドリア海東岸について著作を持つナショナリストの政治家に戦勝記念式典への出席を求めたのである。
レニングラードのバス商談とイタリア・ソ連貿易
モスクワ発の記事は、売り手を「イタリアの大手自動車会社」とだけ記している。記事が伝えた商談は、ファシズムとボリシェヴィズムの思想上の対立を抱えながらも続いていた通商関係の中で行われた。イタリアとソ連は1921年12月26日に通商協定を結んで接触を保ち、1924年2月7日には正式な外交関係を樹立した。ファシスト政権下のイタリアは、ソ連を承認した最初期の西側諸国の一つだった。1926年にイタリアの自動車会社がレニングラード・ソビエトに信用供与を申し出たことは、すでに成り立っていたこの通商関係の中での動きである。のちの1933年5月6日に両国は工業化を後押しする経済協定を結び、そのころソ連側はイタリアの航空、自動車、海軍の各産業の技術に関心を寄せていた。
原文
L'on. Mussolini tornato a Roma
L'on. Mussolini tornato a Roma ROMA, 13 Con treno speciale alle 23. 30 ha fatto ritorno in Roma da Forlì il Capo del Governo. A riceverlo alla stazione si trovavano il ministro dell'Interno S. E. Federzoni, S. E. Suardo sottosegretario alla Presidenza e alle Corporazioni, S. E. Grandi sottosegretario agli Esteri, S. E. Teruzzi sottosegretario agli Interni, S. E. Balbo sottosegretario all'Economia nazionale, il segretario generale del P. N. F. on. Turati, il direttore generale della P. S. gr. uff. Bocchini, il capo di gabinetto del ministro dell'Interno gr. uff. Gasperini, il Prefetto e il Questore. S. E. il Primo ministro si è subito recato in automobile a villa Torlonia. Il card. Maffi ricevuto dal Re
L'on. Federzoni a Fiume
gnato dai segretari mons. Calandra e Modena, e lo ha intrattenuto in cordiale colloquio circa un'ora. S. M. ha poi ricevuto il rettore magnifico dell'Università, prof. Aducco, al quale ha domandato notizie dell'Università. L'on. Federzoni a Fiume per la celebrazione della Vittoria ROMA, 13 E ' giunta stamane a Roma una commissione di Fiume, formata dal sen. Quartieri, dal prefetto, da Host Venturi e da Bacich. La rappresentanza ha conferito con vari ministri, tra cui quello dell'Interno. La Tribuna aggiunge che la rappresentanza ha oggi invitato l'on. Federzoni perche voglia recarsi a Fiume il giorno 4 novembre, per la commemorazione della Vittoria, e che il ministro ha risposto di accettare di buon grado l'invito. Lo statuto della Confederazione dei trasporti terrestri e della navigazione interna ROMA, 13
Autobus italiani per Leningrado
nuovo rifiorire non è da attendersi, se prima l'industria inglese non penserà a serrare le proprie file e a organizzarsi in forti cartelli secondo l'esempio di altre nazioni. Autobus italiani per Leningrado MOSCA, 13 Il Soviet di Leningrado è entrato in trattative con i rappresentanti giunti recentemente di una grande casa italiana di automobili, allo scopo di acquistare gli autobus per la città di Leningrado. La casa ha consentito ad accordare vantaggiose condizioni di credito.
紙面の出典:Source: Internet Archive