Diario La Nación
- 大統領閣下、到着
- ボリビア、先制
- 音楽と旗
1926年10月13日付のラ・ナシオン紙は、前日にサンティアゴのニュニョア競技場で行われた南米選手権の開幕戦、チリ対ボリビアの模様を伝えた。紙面は、両国のリボンを結んだ花束がアレジャノに手渡され、両チームの選手11組が抱き合った試合前の式典を報じた。同紙は、大統領が外相アントニオ・ウネウスや外務・陸軍両省の幹部を伴って到着した様子も記事にした。試合経過の記事は、アルボルタのコーナーキックからメンデスを経てアギラールが4分にボリビアの先制点を決めた場面を詳しく伝え、遠来のチームの序盤の戦いぶりを評価した。短信は、イララサバル大通りの交通と観衆を整理した警察を称え、コンクリートのスタンドに各国の旗が並んだと伝えた。
この読み取りは、1926年10月13日付ラ・ナシオン紙のスポーツ面から3つの記事を扱う。対象は試合前の式典と大統領の到着、ボリビアの先制点の経過、警察と旗についての短信である。1本目の記事は文の途中から始まり、随行者を列挙する途中で切れている。2本目の記事の冒頭には見出しの一部とみられる「HIL ENOS」という断片があり、翻訳では省いている。この記事の末尾は判読できない語で終わる。左側の綴じ目近くの段は湾曲して端が欠け、右側の数段も語の途中で切れている。「El preliminar」の記事は1行目の時刻が読み取れないため、書き起こしていない。読んだ範囲には試合の最終スコアが含まれていない。添付のOCRは発行日を10月12日と誤読しているが、紙面の画像は1926年10月13日を示している。
翻訳
大統領閣下、到着
……両国のリボンを編み合わせた花束をアレジャノに手渡し、二人はすぐに抱き合った。選手たちも主将にならい、観衆は11組の友愛の抱擁に拍手を送った。
大統領閣下、到着
試合開始の直前、大統領がスタジアムに到着した。随行したのは、外務大臣アントニオ・ウネウス氏、同省と陸軍省の次官であるミゲル・ルイス・ロクアント氏とディアス将軍、さらに……
ボリビア、先制
……わが代表のゴールは苦しい場面を迎えたが、サンチェスがまたもコーナーキックに逃れてしのぐ。
ボリビア、先制
ボリビアの攻勢はますます危険さを増し、ベロソはやむなく再びコーナーキックを与える。アルボルタがこれを申し分なく蹴り込む。ボールを受けたメンデスはすぐさまアギラールに渡し、アギラールはゴールまで4メートルの位置からシュートを放つ。ヒルはこれを止めきれなかった。場内が固唾をのむなか、試合開始4分で先制点が生まれていた。この時点で、遠来のチームは好印象を与えている。とりわけ目につくのは[?]
音楽と旗
昨日午後、わが警察は大きな役割を果たした。警察はイララサバル大通りの交通と、スタジアム前に詰めかけた観衆の流れをきちんと整理し、場内でもしかるべき秩序を保たせた。
音楽と旗
コンクリート造りの両スタンドの上には各国の旗が数えきれないほど掲げられ、催しに華やかさを添えるとともに、ニュニョア・スタジアムが見せる美しい情景を仕上げていた。
解説
ニュニョア競技場に集まった5か国の大会
この紙面が伝えた試合は、1926年南米選手権の開幕戦である。チリはこの大会を10月12日から11月3日まで主催した。ブラジルが開幕前に出場を取りやめたため、南米サッカー連盟の加盟6か国のうち5か国だけが参加し、全試合がサンティアゴのエスタディオ・スポルト・デ・ニュニョアで行われた。この競技場はカンポス・デ・スポーツ・デ・ニュニョアとも呼ばれ、ホセ・ドミンゴ・カーニャスが1918年に国へ寄贈した土地に建っていた。チリ代表は、現在の国立競技場が1938年に開くまで、この競技場を本拠地とした。大陸規模の大会が1か所の会場で開かれたため、開幕日には政府高官や各国の代表団、大勢の観衆が同じ場所に集まった。ラ・ナシオン紙がイララサバル大通りの交通や入場門付近の群衆を整理した警察の働きに1段落を割き、各国の旗で飾られた2つのコンクリート製スタンドを国際的な催しの舞台として描いた理由も、この事情から説明できる。
チリ代表の初勝利と主将同士の抱擁
1本目の記事に出てくる式典の中心にいたのは、コロコロの英雄でもあったチリの主将ダビド・アレジャノである。サッカー専門サイトのエンカンチャが2016年に掲載した回顧記事によれば、ボリビアの主将はラファエル・メンデスだった。ラ・ナシオン紙は、両国のリボンで結んだ花束と両チームの11組の抱擁を友愛の場面として描き、その直後に大統領が外相や外務・陸軍両省の次官を伴って到着したと伝えた。開催国チリにとって、この試合は大きな意味を持っていた。チリはアレジャノの4得点などで7対1と大勝し、エンカンチャはこの結果を、32試合勝てなかったチリ代表が歴史上初めて挙げた勝利と位置づけている。ボリビアは大会で勝ち点を挙げられず、4試合で2得点、24失点の最下位に終わった。紙面がボリビアの序盤の戦いぶりを評価した記述は、スコアが大きく開く前のわずかな時間を記録したものである。
ボリビアの得点時刻をめぐる記録の食い違い
ラ・ナシオン紙の試合経過記事は、アルボルタのコーナーキックをメンデスが受けてアギラールに渡し、アギラールが試合開始4分に4メートルの距離から放ったシュートをチリのゴールキーパー、ヒルが止められなかったと伝えた。後年の記録は、この得点がいつ生まれたかについて互いに一致していない。エンカンチャの2016年の記事もテオフィロ・アギラールがボリビアに先制点をもたらしたと書いているが、時刻は3分としており、その後チリが同点に追いついて大差をつけたと記している。統計団体RSSSFの試合記録は、チリが前半に4点を挙げたとし、アギラールの得点を62分の5対1の場面に置いている。紙面に名前が出るヒルやディフェンダーのベロソは、RSSSFの先発記録とも一致する。RSSSFは観客数を1万2000人とし、エンカンチャは8560人としている。試合を目の前で見た記者の記事は、ボリビアが先にゴールを挙げたことを示す有力な証拠であり、数十年後にまとめられた統計表が得点の順序を取り違えうることを示している。RSSSFはまた、チリの5点目となったモレノのゴールを、南米選手権で初めてコーナーキックから直接決まった得点として記録している。
1926年のラ・ナシオン紙とスポーツ欄
ラ・ナシオン紙は1917年1月14日、エリオドロ・ヤニェスが率いる自由派の国会議員たちによって創刊された。同紙は創刊から10年のうちに、全国で最も広く読まれる新聞の一つになった。同紙の海外ニュース欄とスポーツ欄は読者に高い人気を集めており、この紙面も試合を刻々と追い、「ボリビア、先制」のような小見出しを立て、警察や音楽、旗についての短い記事まで載せている。1926年10月の時点で、同紙はまだ民間の新聞だった。同紙が独立した新聞であった時期は、このころ終わりに近づいていた。1927年、カルロス・イバニェスの独裁政権が同紙を接収し、チリ国家の公式機関紙に変えた。スタジアムに来た大統領と閣僚を伝えたこの記事は、同紙が政権の宣伝紙になる前に、自由派の民間日刊紙として書いたものである。
原文
Llega S. E. el Presidente de la República
tregando a Arellano un ramillete de flores con las cintas de ambos países entrelazadas, abrasándose ambos en seguida. Los jugadores siguieron el ejemplo de sus capitanes, mientras el público aplaudía los once abrazos fraternales. Llega S. E. el Presidente de la República Momentos antes de iniciarse el partido llegó al Estadio el Presidente de la República, acompañado del Ministro de Relaciones Exteriores, señor Antonio Huneeus; de los Sub-Secretarios de este Ministerio y del de Guerra, señores Miguel Luis Rocuanto y general Díaz, respectivamente; del
Los bolivianos abren la cuenta
HIL ENOS tuación difícil a la valla nacional, que salva Sánchez concediendo otro corner. Los bolivianos abren la cuenta La presión de los bolivianos se hace cada vez más peligrosa, viéndose obligado Veloso a provocar otro puntapié esquina que sirve Alborta en forma impecable. El balón es tomado por Méndez, el que en el acto cede a Aguilar, jugador que desde cuatro metros del arco enfila un tiro que Hill no alcanzó a detener. Se había abierto la cuenta a los cuatro minutos de juego, en medio de la espectación general. A esta altura del juego, el elenco visitante impresiona favorablemente. Se nota mucho [?]
Música y banderas
Nuestra policía desempeñó papel preponderante en la tarde de ayer al organizar en debida forma el tránsito de la Avenida Irarrázaval, la afluencia de público frente al Estadio, como también al hacer guardar el debido orden dentro de él. Música y banderas Sobre ambas tribunas de cemento se advertían infinidad de banderas de diversas naciones, lo que contribuyó a dar realce al espectáculo, completando el hermoso marco que ofrecía el Estadio de Ñuñoa.
紙面の出典:Source: Internet Archive