Politika
- 内閣の危機か?
- 諸説に対する野党の見方
- ウズノヴィッチ氏、閣議について。
ポリティカ紙は1926年10月12日の1面で、連立与党クロアチア農民党の指導者ステパン・ラディッチをめぐるウズノヴィッチ内閣の危機を伝えた。同紙は、ベオグラードの政界が急進党・ラディッチ派連立の命運を決める閣議の決定を待っていたと報じた。同紙によれば、大多数の政治家は内閣が今回もラディッチの釈明を受け入れると見ており、同紙はその釈明を拙劣でこしらえたものと評した。別の記事は、話し合いが終わるまではその点すら確認できないと答えたウズノヴィッチ首相の言葉を伝え、政府に近い筋が民主党と教権派を加えた連立拡大を口にしていると報じた。議会筋はこの構想を実現しにくいと見ていた、と同紙は書いた。三つ目の記事は、普段は記者に愛想のよい首相も閣議のあとはほとんど語らなかったと伝えた。
この読み取りは、紙面画像から書き起こした確度中程度の三つの抜粋を扱う。三つの抜粋はいずれも文の途中で始まり、二つ目と三つ目は紹介する発言の直前で切れている。二つの区画の小さな活字の段落と一つの区画全体は、文字が薄すぎて書き起こせない。判読できる本文は内閣がラディッチに釈明を求めた具体的な出来事を明記しておらず、参照した背景資料もその出来事を記述していない。
翻訳
内閣の危機か?
……正午。内閣の決定は急進党・ラディッチ派連立の今後の命運を左右するはずのものであり、その決定を待つあいだ、急進党を含むすべての政界筋は様子見の姿勢を崩さなかった。昨日午前の時点では、St.ラディッチ氏について閣議がどのような決定を下すのか政界筋にはわかっていなかったが、それでも大多数の政治家は、ほかならぬ政府自身がラディッチ氏をこの窮地から抜け出させる方法を見つけるだろうと確信していた。当面はまたもすべてが元のままにとどまり、どんな犠牲を払っても自らの地位を守ると決めているウズノヴィッチ氏の内閣は、今回もラディッチ氏の釈明を、それがどれほど拙劣でこしらえたものであっても、受け入れざるをえなくなるだろうという見方が支配的だった。
諸説に対する野党の見方
「話し合いが終わるまでは、それすら確認できない!」とウズノヴィッチ氏はその指摘に答えた。
諸説に対する野党の見方
政府に近い筋からは、ここ数日、現在の困難な政治情勢から抜け出す唯一の道は、急進党とラディッチ派に加えて民主党と教権派も加わる連立を組むことだと考えられている、という話が何度も聞かれた。こうした願望は昨日も議会筋で話題となり、その願望は容易には実現できないというのが大方の見方だった。野党の有力議員の一人は昨日、この問題についての意見を次のように本紙に語った。
ウズノヴィッチ氏、閣議について。
……宮廷式部長官室へ。
ウズノヴィッチ氏、閣議について。
普段は新聞記者にいつも格別に愛想のよい首相でさえ、昨日正午には他の閣僚以上に詳しく語ろうとはしなかった。ウズノヴィッチ氏はただこう述べただけだった。
解説
急進党とラディッチ派が連立を組んだ経緯
ポリティカ紙が命運を気にかけた連立は、1925年に結ばれた取り決めにもとづいている。クロアチア農民党は1925年3月27日、全議員の前で中央政府と君主の統治、ヴィドヴダン憲法を承認した。そのうえで同党はニコラ・パシッチの人民急進党と政権を組み、ステパン・ラディッチ自身が教育相に就いた。パヴレ・ラディッチ、ニコラ・ニキッチ、ベンヤミン・シュペリナ、イヴァン・クライチの各党員も閣僚の座を得た。汚職スキャンダルでパシッチが辞任に追い込まれると、ニコラ・ウズノヴィッチが1926年4月8日に首相となり、この連立を引き継いだ。記事の言う急進党・ラディッチ派連立はセルビアとクロアチアの主要政党のこの取り決めを指しており、同紙は一人の政治家をめぐる争いを内閣全体の存続にかかわる問題として扱っている。
内閣が今回も譲歩すると見られた理由
記事によれば、大多数の政治家は、どんな犠牲を払っても地位を守ろうとするウズノヴィッチ内閣が今回もラディッチの釈明を受け入れると予想していた。ウズノヴィッチの足場は弱く、党内の対立を抱えており、彼の下では短命の内閣が次々に入れ替わった。ラディッチは閣内の地位を使って自らの主張を訴え続けた。歴史家ラティンカ・ペロヴィッチによれば、ラディッチは閣僚になると宮廷を中心とする汚職との闘いに力を注ぎ、国王の側近は宮廷よりも牢獄にいるべきだと述べた。記事の今回もという言葉は、内閣がそれ以前にもラディッチの釈明を受け入れてきたと同紙が見ていたことを示している。同紙は、首相が連立を保つために譲歩を重ねる立場にあると描いている。
民主党と教権派を加える構想の前例
ポリティカ紙は、政府に近い筋が急進党とラディッチ派に民主党と教権派を加える連立を危機からの唯一の出口と見ており、議会筋はその実現を難しいと判断していたと報じた。こうした相手はラディッチにとってなじみのある政党だった。1924年7月には民主党のリュボミル・ダヴィドヴィッチが、民主党、スロベニア教権派、ボスニアのムスリムによる連立内閣を短期間率い、クロアチア農民党がこの内閣を支持した。記事が伝えた1926年の構想は、2年前にラディッチと協力した政党を、現在の連立相手である急進党と同じ政府に加えるものだった。同紙はこの構想を政府側の願望として紹介し、野党の有力議員にその見方を語らせている。
急進党・ラディッチ派連立の結末
急進党・ラディッチ派連立は、この10月の危機のあと数か月しか続かなかった。急進党の党首ニコラ・パシッチが1926年12月10日に死去すると、ラディッチの党との権力分担の取り決めは打ち切られた。ラディッチは閣僚の職を辞して野党に戻り、1927年にはスヴェトザル・プリビチェヴィッチと連立を組んだ。ウズノヴィッチの首相在任も1927年4月17日に終わった。この1面が伝える様子見の空気は、ラディッチの党が急進党とともにベオグラードで政権に加わっていた時期の最終段階に当たる。
ポリティカ紙のラディッチに対する立場
記事がラディッチの釈明を拙劣でこしらえたものと評したのは、ポリティカ紙自身の判断である。歴史家ラティンカ・ペロヴィッチは、1928年に議会でラディッチらクロアチア農民党議員が銃撃されるに至る経緯を論じ、当時のポリティカ紙の編集長がセルビア人とクロアチア人の間の悪感情をあおっていたと指摘している。この評価は後世の歴史家による解釈である。読者はこの評価を手がかりに、ラディッチの言動を内閣がかばわなければならない失態として描くこの1面の論調を読み取ることができる。
原文
Криза владе?
подне. У очекивању одлуке владине, која је имала да буде пресудна за даљу суд бину коалиције радикално радићевске, сви политички кругови, па и радикални, нису излазили из става ишчекивања. Иако се у политичким круговима ју че пре подне није знало каква ће бити одлука министарског савета у погледу г. Ст. Радића, ипак је највећи број политичара био уверен да ће баш сама влада наћи начина да помогне г. Радићу да се извуче из ове незгоде. Владало је уверење да ће за сада оста ти опет све по старом и да ће влада г. Узуновића, одлучна да своје позиције брани по сваку цену, и овога пута бити приморана да прими објашњења г. Радића па ма како она неспретна и намештена била.
ОПОЗИЦИЈА О ВЕРЗИЈАМА
- Ми не можемо пре закључења разговора ни то да констатујемо! - рекао је г. Узуновић на ту примедбу. ОПОЗИЦИЈА О ВЕРЗИЈАМА Из кругова блиских влади могло се последњих дана чути више пута да се сматра да би једини излаз из садашње тешке политичке ситуације било стварање једне коалиције у којој би поред радикала и радићеваца били још и демократи и клерикалци. О тим жељама говорено је и јуче у парламен тарним круговима и опште је уверење било да се та жеља не може лако остварити. Један од истакнутих чланова опозиције овако нам је јуче изнео сво је мишљење по овом питању:
Г. УЗУНОВИЋ О СЕДНИЦИ ВЛАДЕ.
у маршалат Двора. Г. УЗУНОВИЋ О СЕДНИЦИ ВЛАДЕ. Ни председник владе, који је иначе увек изванредно предусретљив према новинарима, није хтео јуче у подне да буде опширнији од осталих чланова владе. Г. Узуновић је само рекао: