London Evening Advertiser
- 列車がトラックに衝突、父子死亡
- シカゴで抗争再燃、2人死亡
- 対ロシア貿易で英国が首位に
1926年10月12日付のロンドン・イブニング・アドバタイザー紙は、ロンドン近郊クラムリンの踏切で起きた死亡事故を地元の大きなニュースとして伝えた。紙面によると、20分遅れで走っていたC.P.R.のモントリオール発シカゴ行き急行が軽トラックに衝突し、エドガー・C・クラーク(48)と5歳の息子ケネスが即死した。同紙はシカゴのホーリー・ネーム大聖堂のそばで起きた機関銃襲撃も報じ、5人が撃たれて2人が死亡し、密造酒ギャングの報復の連鎖が予想されると書いた。モスクワ電は、ソ連の貿易人民委員部の統計をもとに、英国が米国を抜いて対ロシア貿易の首位に立ち、ドイツが2位、1925年に首位だった米国が3位に下がったと伝えた。
この読み取りは、一部しか判読できない1面から三つの抜粋を対象とする。紙面の右端は破れたり黒ずんだりしており、価格と右側の記事の末尾が欠けているため、ムッソリーニの民兵、オランダのトロール船、トロントのコークスに関する記事は訳していない。クラムリンとシカゴの抜粋は文の途中で切れており、クラムリンの列車の行き先は判読できず、シカゴの記事の見える部分は犠牲者の名を挙げていない。付属のOCRが大きく崩れていたため、抜粋は紙面の画像から書き起こした。
翻訳
列車がトラックに衝突、父子死亡
今朝、クラムリン付近で惨事。高速急行の進路に真っすぐ乗り入れる
本日午前11時28分、エドガー・C・クラーク(48)と5歳の息子ケネスは、クラムリンでC.P.R.の線路にトラックを乗り入れ、モントリオール発シカゴ行きの特急であるC.P.R.第21列車の進路に真っすぐ入ったため、即死した。
列車は定刻より20分遅れて[?]へ向けて疾走しており、トラックに激突した勢いはすさまじく、排障器の金属製の桟2本が完全にもぎ取られ、軽トラックは大破した。
クラークは北へ向かって走っており、機関車の排障器の機関助士側にぶつかったため、自動車の車体の破片が機械部分に食い込んだまま残った。
クラークは車で……へ向かう途中だったとみられている
シカゴで抗争再燃、2人死亡
……が、市内の酒類取引の支配をめぐって、羽振りのよい二つの密売ギャング団の間で始まった。
昨日の夕方遅く、ノース・ステート通りにあるシカゴのローマ・カトリックの大聖堂、ホーリー・ネーム大聖堂のすぐそばで5人の男をなぎ倒したギャングたちが使った不吉な武器は、あの恐るべき戦争の道具、機関銃だった。
マクスウィギン州検事補の暗殺よりも大胆なこの殺人的な襲撃は、報復とそれに対する報復、つまりあらゆる「密造酒」抗争がたどる果てしない悪循環を招くとみられていた。
「またギャングの殺しだ。誰も何も知らない。誰も……したがらない
対ロシア貿易で英国が首位に
ドイツが2位、米国は3位に後退
モスクワ、10月11日発――英国は、ロシアとの貿易量で米国から首位の座を奪った。
1925年、米国は外交承認がないにもかかわらずロシア貿易で世界首位だったが、今年は3位に転落した。
貿易人民委員部の過去11か月間の統計によると、
解説
クラムリン事故当時のカナダで鉄道の安全を監督した機関
1926年10月当時、カナダで鉄道の安全を所管した国の機関は鉄道委員会だった。アドバタイザー紙は、エドガー・C・クラークがクラムリンでC.P.R.の線路にトラックで乗り入れ、遅れて走っていたモントリオール発シカゴ行きの第21列車にはねられ、息子ケネスとともに即死したと報じた。カナダの議会は早くから鉄道事故の防止を法律で定めており、1857年の法律は当時の鉄道委員会に旅客の安全と鉄道事故の防止を監督する権限を与えた。1903年の鉄道法は、それまでの枢密院鉄道委員会に代えて新しい鉄道委員会を設け、この委員会は1904年2月1日に発足した。新しい鉄道委員会は、運賃や料金とならんで鉄道の安全も管轄した。1938年の運輸法が鉄道委員会を運輸委員会へ改めるまで、委員会はこの形で存続したので、クラムリンの衝突事故の時点で鉄道の安全を監督していたのはこの委員会である。この抜粋は事故の経過と衝撃の大きさを伝えた部分で、鉄道委員会や鉄道会社の対応には触れていない。
ホーリー・ネーム大聖堂前の銃撃とワイス対カポネの抗争
アドバタイザー紙が伝えた襲撃は、シカゴのノースサイド・ギャングの首領ハイミー・ワイスが1926年10月11日に殺された事件である。抜粋の見える部分はワイスの名を挙げていないが、日付と場所と武器が一致する。ワイスは、1924年11月10日にディーン・オバニオンが本拠の花屋で殺された後にノースサイド・ギャングの首領を継ぎ、トリオ・カポネ組への報復を始めた。ジョニー・トリオがニューヨークへ去った後、シカゴでは市全体を巻き込むギャング抗争が起きた。1926年9月20日には、ノースサイド側の車列がシセロにあるカポネのホーソン・ホテルに銃弾を浴びせた。その3週間後、ワイスはボディーガードのサム・ペラー、ギャングのパディ・マリー、弁護士ウィリアム・W・オブライエン、調査員ベンジャミン・ジェイコブズと歩いていた。下宿屋に潜んでいた銃撃者たちが短機関銃と散弾銃で発砲し、ワイスとマリーが致命傷を負った。オブライエンは4発を受け、ペラーとジェイコブズも負傷したので、この経過は紙面の「5人をなぎ倒した」という記述と見出しの2人死亡に合う。流れ弾は通りの向かいにあるホーリー・ネーム大聖堂の礎石も削った。シカゴ警察は後に、機関銃を撃ったのはジャック・マクガーンだとした。紙面が引いた「誰も何も知らない」という言葉は、事件翌日の時点で犯人がまだ公に特定されていなかった状況を伝えている。
ソ連の対英・対米貿易を担った窓口
ソ連の対英貿易と対米貿易は、どちらも相手国の法律の下で設立されたソ連側の会社を通じて行われた。英国では全ロシア協同組合、通称アルコスが1920年10月にロンドンで営業を始め、ソ連政府の公式の買い付け・販売機関となった。アルコスは英国法に基づく英国の会社だったが、株主はすべてソ連市民だった。1921年の英ソ通商協定は、ソ連の公式の通商代表に外交特権を与えた。英ソ両政府の間には外交関係もあり、その関係は1924年に保守党のスタンリー・ボールドウィン政権が成立した後に緊張を深めた。米国では、アムトルグが1924年にソ連初の在米通商代表機関としてニューヨークで設立された。アムトルグは、米ソが1933年に国交を結ぶまで、事実上の通商代表部と準大使館の役割を果たした。モスクワ電が書いたとおり米国が1925年に「外交承認がないにもかかわらず」対ロシア貿易で首位に立てたのは、アムトルグという窓口があったことが大きい。紙面の順位はソ連の貿易人民委員部による11か月分の統計に基づいており、英国が首位に立ったという話はモスクワ側の数字を同紙が伝えたものである。
1927年のアルコス捜索と英ソ断交
英国が対ソ貿易で首位に立ったと報じられた翌年、英国政府はソ連との関係を断った。1927年5月12日、英国警察はロンドンにあるソ連通商代表部とアルコスの本部を捜索した。警察は、陸軍省から盗まれたとされる最高機密文書を探していた。この捜索は、ソ連の公式の通商代表に外交特権を与えていた1921年の通商協定に反するものだった。英国は1927年5月下旬にソ連との外交関係と経済関係を断ち、この記事が伝えた貿易を支えてきた英ソ通商協定はそこで終わった。アルコスは6年間の活動で英ソ間に約1億ポンドの取引を扱っており、この額から、1926年の順位の背後にあった英ソ間取引の規模がうかがえる。
原文
FATHER AND SON DIE AS TRAIN HITS TRUCK
Tragedy Near Crumlin This Morning. DROVE DIRECTLY IN PATH OF FAST EXPRESS Driving his truck onto the C. P. R. tracks at Crumlin directly in the path of C. P. R. train No. 21, Montreal-Chicago flyer, at 11: 28 a. m. today, Edgar C. Clark, 48, and his 5-year-old son, Kenneth, were instantly killed. The train, speeding toward [?] 20 minutes behind schedule, hit the truck with such force that two of the metal spokes of the pilot were completely wrenched off, while the light truck was demolished. Clark was driving north and hit the engine cowcatcher on the fireman's side, leaving splinters of the motor car body wedged into the machinery. It is believed that Clark was driving over to
TWO DEAD AS WARFARE IS RESUMED IN CHICAGO
has opened between two opulent bands of booze racketeers for control of the city liquor traffic. That fearful engine of war, the machine gun, was the sinister weapon employed by gangsters who mowed down five men in the shadow of Chicago's great Roman Catholic Cathedral of the Holy Name on North State street late yesterday. The murderous attack, more daring than the assassination of Assistant States Attorney McSwiggin, was expected to bring reprisal and counterreprisal-the eternal vicious cycle that all " alky " feuds go through. " It is another gang killing. No one knows anything. No one wants to
BRITAIN LEADING IN RUSSIAN TRADE
Germany Takes Second Place As America Slumps to Third. Moscow, Oct. 11. - Great Britain has captured first place from the United States in the volume of trade with Russia. In 1925, despite the absence of diplomatic recognition, the United States led the world in Russian trade, but this year has fallen to third place. According to the statistics of the tradecommissariat for the last 11 months,
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料