Il Piccolo
- イタリアとブルガリアの関係強化
- 軍縮に関する提案
- ファシスト党指導部の会合
1926年10月7日付のイル・ピッコロは、ブルガリアのブロフ外相がローマのキージ宮でムッソリーニと長時間会談したことを、公式声明の全文とともに伝えた。紙面は、伊希新通商条約の残る争点を詰めるためにギリシャ代表団がローマに着いたことも報じた。記事によれば、旧条約の延長は9月10日に切れており、両政府はその日に暫定協定を結んでいた。チューリヒ発の記事は、国際連盟の混合委員会が化学戦や細菌戦の準備を犯罪とみなす提案を受け入れたと報じた。ローマ発の党発表は、ファシスト党全国指導部がムッソリーニの主宰で会合し、翌晩のファシズム大評議会の議題を検討したと伝えた。本稿の読み取りは一面の一部に限られ、ゼークトの辞任やイギリス炭鉱ストの記事は断片しか残らない。
本稿は一面の三つの記事を訳出している。紙面の画像は列の端で切れており、ゼークトの辞任、ラコフスキーの声明、イギリス炭鉱ストなどの記事は断片しか残らないため、本稿はそれらを訳していない。図書館の貼り紙が題字の一部を覆い、左端の狭い広告欄は判読できない。いくつかの語はにじんで読めず、抜粋はその手前で止めている。本稿は人名と数字を推測で補っていない。
翻訳
イタリアとブルガリアの関係強化
イタリアとブルガリアの関係強化、ムッソリーニとブロフの会談の目的
公式声明
ローマ発、6日 ブルガリアの外務大臣ブロフ氏は昨夜ローマに到着し、今朝キージ宮に赴いて、ムッソリーニ代議士の接見を受けた。会談の後、次の公式声明が発表された。「政府首班は今朝キージ宮において、ブルガリア外務大臣ブロフ氏を接見した。両政治家は長時間にわたり心のこもった会談を行い、イタリアとブルガリアの友好関係の強化にとりわけかかわるあらゆる問題を検討した。ムッソリーニ閣下はブロフ閣下に対し、イタリア政府と国民の名においても、このたびの喜ばしい訪問への感謝を表明した。この訪問は、両国の間に存在する親善の新たな証しである」。
平和と経済協力の政策
通商条約をめぐる伊希交渉、ローマで
ローマ発、6日 ギリシャ政府の代表団がローマに到着した。代表団は、イタリアとギリシャの新しい通商条約について、なお争点として残る最後の諸点を確定する任務を負っている。周知のとおり、両国はかねてからこの条約の締結に向けて交渉を続けている。去る9月10日、両政府は通商のための「暫定協定」に暫定的に調印した。その日に、旧伊希通商条約に順次認められてきた各種の延長の効力が切れたためである。この「暫定協定」は旧条約のほぼすべての条項を実質的に維持しており、両国が新しい条約に調印すればただちに失効する。ギリシャ政府の代表団はローマに着くとすぐに、外務省と国民経済省がそれぞれ指名したイタリア側代表との一連の協議を始めた。協議の目的は、ここ数か月アテネで行われた交渉で合意に至らなかった新条約草案の諸点を検討することである。
軍縮に関する提案
ジュネーヴの委員会がまとめた軍縮の提案
チューリヒ発、6日 国際連盟の混合委員会は、軍縮に関する諸問題の経済的な側面を研究する任務を負っていたが、二つの報告書を提出して作業を終えた。連盟事務局は本日、その報告書の本文を公表した。報告書で注目すべき点として、混合委員会は、化学戦または細菌による戦争に向けた軍事上および民間の準備、とりわけ航空戦力の準備を犯罪とみなすという提案を受け入れた。そのために各国は、この種のあらゆる準備を厳しく処罰することを約束すべきだとされる。
ファシスト党指導部の会合
新シリーズ 第2130号
政府首班のもとでファシスト党指導部が会合
ローマ発、6日 国家ファシスト党報道局は次のように発表した。党の全国指導部は本日午後3時、キージ宮において政府首班閣下のもとに集まった。会合には、フェデルツォーニ大臣閣下のほか、党書記長トゥラーティ議員、副書記長のアルピナーティ議員、リッチ議員、スタラーチェ議員、メルキオーリ勲爵士、ボネッリ博士、指導部員ブラン議員、管理担当書記長マリネッリ勲爵士、民兵隊総司令部のバザン将軍が出席した。マラヴィーリア、バスティアニーニ、ロッソーニの各議員とマルギノッティ勲爵士は、届け出のうえ欠席した。指導部はドゥーチェの主宰のもと、明晩のファシズム大評議会の会合に向けて議事日程に挙げられた議題を検討し、議事の順序を定めた。会合は午後6時に閉じられた。
解説
1926年からブルガリア外相を務めたアタナス・ブロフ
ローマ発の公式声明に出る「ブロフ氏」は、ブルガリアの銀行家で政治家のアタナス・ブロフである。ブロフは1926年1月4日から1931年6月29日まで外務大臣を務めたので、ムッソリーニとの会談は就任1年目の出来事だった。ウィキペディアの伝記によれば、ブロフは財務相モロフとともに難民借款と安定化借款の交渉をまとめ、賠償債務の支払い猶予の延長も取り付けた。イル・ピッコロが載せた声明は、両国の友好関係にかかわる「あらゆる問題」を検討したと述べるだけで、財政上の案件の名を挙げていない。したがってブロフの外交とこれらの借款との結びつきは後の記録から分かる背景であり、紙面が報じた内容とは区別して読む必要がある。
1926年の難民借款とイタリアの銀行
1926年、国際連盟はブルガリアの難民問題の深刻さを調べるため、委員を派遣した。ブルガリアの英字誌ヴァガボンドによれば、国際連盟の財政部門から派遣されたルネ・シャロンが1926年から1932年までブルガリアで活動し、25万人のブルガリア人難民を支援した。同誌によると、ブルガリア政府は1926年12月22日、いわゆる難民借款として240万ポンドの契約に調印した。この調印はブロフのキージ宮訪問から約11週間後にあたる。同誌はさらに、イギリス、アメリカ、スイス、イタリア、オランダの銀行が追加で450万ドルを出したと書いている。ヴァガボンドはまた、この借款が、長年ブルガリアの主な債権者だったフランスの銀行の独占的な地位を損なったと評価している。イタリアの銀行が貸し手に加わったことは記録で確かめられる。ただし10月6日のローマの会談でこの借款が話し合われたかどうかは、声明もこれらの資料も示していない。
国際連盟の軍縮作業と化学戦・細菌戦
チューリヒ発の記事が伝えた提案は、国際連盟が続けてきた軍備問題への取り組みの一部である。1921年に設けられた軍備に関する臨時混合委員会は、化学戦の禁止、一般住民への爆撃の禁止、火砲と戦車の制限といった提案をすでに議論していた。1925年には37か国が、窒息性ガス、毒性ガスその他のガスと細菌学的戦争手段の使用を禁止する議定書に署名した。題名が示すとおり、この議定書は使用を禁じる取り決めだった。イル・ピッコロが報じた提案は、こうした戦争への軍事上と民間の準備を犯罪とみなし、各国に処罰を約束させる内容であり、使用より前の準備の段階を対象にしていた。連盟は1926年に軍縮会議準備委員会も設け、6年の準備を経て、軍備縮小・制限会議が1932年から1937年まで開かれた。
1926年の党指導部とファシズム大評議会
党の全国指導部は、ファシズム大評議会の議事を準備するために集まった。大評議会は1922年に国家ファシスト党の機関として作られ、国家機関になったのは1928年12月9日である。したがって1926年10月の時点で、大評議会はまだ党の機関だった。ウィキペディアが挙げる大評議会の権限には、党書記長やその他の党幹部の指名と、党規約の承認が含まれる。キージ宮の会合に出席した党書記長はアウグスト・トゥラーティだった。トゥラーティは1926年から1930年まで党書記長を務め、ムッソリーニの支配を固めるのに力を貸した。党の発表は出席者と欠席者を列挙しているが、議題の中身は示しておらず、翌晩の大評議会の議題を指導部が検討したと述べるだけである。同じ大評議会は1943年7月24日から25日にかけての夜にムッソリーニの指導をめぐる採決を行い、動議は賛成19、反対8、棄権1で可決された。
原文
Il consolidamento dei rapporti fra Italia e Bulgaria
Il consolidamento dei rapporti fra Italia e Bulgaria scopo dell'incontro di Mussolini con Buroff Un comunicato ufficiale ROMA, 6 Il ministro degli Esteri bugaro, signor Buroff, giunto ieri sera a Roma, si è recato stamane a palazzo Chigi, ove è stato ricevuto dall'on. Mussolini. Dopo il colloquio è stato diramato il seguente comunicato ufficiale: " Il Capo del Governo ha ricevuto stamane a Palazzo Chigi, il ministro degli Esteri di Bulgaria, signor Buroff. Nel lungo, cordiale colloquio fra i due uomini di stato, sono state esaminate tutte le questioni che particolarmente interessano il consolidamento degli amichevoli rapporti fra Italia e Bulgaria. S. E. Mussolini ha espresso a S. E. Buroff, a nome anche del Governo e del popolo italiano, la sua riconoscenza per la gradita visita, che è una nuova prova della cordialità esistente fra i due paesi ". Politica di pace e collaborazione economica Negoziati italo-ellenici a Roma per un trattato di commercio ROMA, 6 Sono giunti a Roma i rappresentanti del Governo greco, con l'incarico di definire gli ultimi punti ancora controversi del nuovo trattato di commercio fra l'Italia e la Grecia, che, come è noto, già da tempo è in corso di stipulazione tra i due paesi. Il 10 settembre scorso è stato firmato in via temporanea, tra i due Governi, un «modus vivendi» per gli scambi commerciali, essendo venuta in quel giorno a scadere la validità delle varie proroghe accordate via via al vecchio trattato di commercio italo-greco. Il «modus vivendi» suddetto, che mantiene sostanzialmente quasi tutte le clausole del vecchio trattato, scadrà non appena firmato il nuovo patto fra le due nazioni. I rappresentanti del Governo greco non appena giunti a Roma hanno iniziato la serie dei loro colloqui con i rappresentanti italiani, rispettivamente designati dal Ministero degli Esteri e da quello dell'Economia Nazionale, per esaminare i vari punti dello schema del nuovo trattato sui quali non è ancora intervenuto l'accordo nel corso delle trattative svoltesi nei mesi scorsi ad Atene.
Le proposte per il disarmo
Le proposte per il disarmo formulate dalla Commissione ginevrina ZURIGO, 6 La Commissione mista della Società delle Nazioni, incaricata di studiare l'aspetto economico delle questioni relative al disarmo, ha terminato i suoi lavori presentando due rapporti, dei quali il segretariato della Società pubblica oggi il testo. Di essi è notevole rilevare che la Commissione mista ha accettato la proposta di considerare la preparazione militare e civile e particolarmente di forze aeree alla guerra chimica o mediante bacteri come un delitto. All'uopo le nazioni dovrebbero impegnarsi a punire severamente ogni preparazione del genere.
La riunione del Direttorio fascista
Nuova Serie - N. 2130 La riunione del Direttorio fascista presso il Capo del Governo ROMA, 6 L'Ufficio stampa del P. N. F. comunica: Si è riunito oggi alle ore 15, a Palazzo Chigi, presso S. E. il Capo del Governo, il Direttorio nazionale del Partito. Erano presenti alla riunione, oltre S. E. il ministro Federzoni, l'on. Turati, segretario generale del Partito, i vicesegretari generali, on. Arpinati, on. Ricci, on. Starace, comm. Melchiori, dott. Bonelli, il membro del Direttorio on. Blanc, il segretario generale amministrativo comm. Marinelli, il generale Bazan, del comando generale della Milizia. Assenti giustificati: gli on. Maraviglia, Bastianini, Rossoni ed il comm. Marghinotti. Sotto la presidenza del Duce, il Direttorio ha esaminato gli argomenti posti all'ordine del giorno per la riunione di domani sera del Gran Consiglio Fascista, ed ha disposto l'ordine dei lavori. La seduta è stata tolta alle ore 18.
紙面の出典:Source: Internet Archive