時報
- 今日、万国運動会が開幕
- 九江は平常どおり平穏
- 各方面の軍事情報
1926年10月9日の時報の第一面は、上海の催しの告知と江西の戦況を並べて載せた。告知は、中国、米国、英国、フランス、日本、ロシア、ポルトガル、オランダの8か国が参加する万国運動会がその日の午後に天文台路の中華運動場で開幕すると告げ、入場券の価格が三つの等級に分かれていることも伝えた。同じ広告欄では、ある保険会社が静安寺路の8階建て本社の落成式に人々を招いた。戦況記事は、九江が南軍の手に落ちたとする英国砲艦の無線と、九江は平常どおり静かだとする日本軍艦の無線を並べ、陥落説には根拠がないと判断した。別の記事は、修水以外の戦線がほぼ休戦状態にあること、革命軍が徳安を占領したこと、学生や商人や物乞いに変装した南軍の便衣隊の活動を報じた。軍事情報欄は、孫伝芳が送ったとされる兵員輸送船が九江の江中で命令を待っていたことと、負傷兵を収容しきれなくなった紅十字会の窮状を伝えた。
この版は紙面の三つの部分を扱う。一つ目は保険会社の告知と万国運動会の告知を含む広告欄、二つ目は九江をめぐる報道、三つ目は軍事情報欄の冒頭である。OCRの文字は大きく崩れているため、本文は紙面の画像から読み取り、いくつかの記事は断片だけが残り、省略記号と[?]で示している。最も小さい活字は判読できず、日付欄の購読料、革命軍の徳安占領と日本人が伝える革命軍の戦術に関する記事の大半、南京発の電報の一部は読み取れない。紙面の左端は破れている。手元の背景資料は万国運動会と保険会社の新社屋を扱っていないため、解説は戦況記事だけを取り上げる。
翻訳
今日、万国運動会が開幕
y. October. 9. 1926. THE
[上]海静安寺路の本社8階建て新社屋で落成式を挙行いたします。茶菓を用意し、各界の皆様ならびに保険契約者の皆様のご見学を謹んでお願い申し上げます。当日12時には、地元の長官ならびに政界・軍界・工業界・商業界・学界の名士の方々にもご講演をお願いしております。招待状をお送りしたほか、行き届かない点があることを恐れ、改めて新聞に広告を出し、皆様お誘い合わせのうえご来臨くださるようお願い申し上げます。切にお待ち申し上げます。華安合羣保寿公司謹んで告ぐ
今日、万国運動会が開幕
数か月の準備を重ね、上海中の話題をさらってきた万国運動大会が、本日午後、フランス租界天文台路の中華運動場で開かれる。参加するのは中国、米国、英国、フランス、日本、ロシア、ポルトガル、オランダの8か国である。競技は午後2時ちょうどに始まる。会場の四方には観覧席が設けられて座り心地もよく、さらに西洋楽団を雇って演奏で盛り上げる。入場券は1元、6角、4角の三等級で、いずれも馬浪路口のバスケットボール場で販売する。4角券は東側の正門から、1元券と6角券は西側の正門から入場する。各界の皆様のご注意を願う。上海万国運動会委員会
…何ら…はない ◎ 昨日…軍が南軍に…軍艦…陥落説はない ◉ ◎ 高安・修水の損失も…河岸の外
九江は平常どおり平穏
九江は平常どおり平穏
この2日来、当地では九江方面について種々の[?]うわさが飛び交い、大騒ぎになっている。しかし今朝、当地の[?]軍が受け取った九江発の報告によれば、同地には何の変化もないという。(東方社、8日上海発)
◉ 昨日、英国砲艦の無線は、九江の海軍が南軍に買収され、九江が陥落したと伝えた。今日、日本軍艦の無線は、九江は平常どおり静穏だと言っている。陥落説は根拠のないものだとわかる。(上海8日電通電)
北…党軍が退却中…付近の南軍はすでに思い思いに退却し、…沿いの南軍は目下敗走中である。聯軍にはもはや追撃し尽くす力がない。現在、修水を除けば、各地の戦線はほぼすべて休戦状態にある。
◉ 革命軍、徳安を占領 九江6日通信。潯陽は革命軍の話を聞いて以来、恐慌の極みにある。軍関係者の話によれば、革命軍が占領した…は九江から100里も離れており、その地は山が多い。趙旅団は南昌へ救援に向かった。趙旅団がまだ…ないうちに、…村人を扇動して道案内をさせ、瑞昌から小規模な攻撃をかけた。わが軍はすぐには防御を固めておらず、突然銃砲声を聞き、…指揮の一幕…機に乗じて攻撃し、たちまち…部隊…重傷を負い、ただちに退却を命じ…老門…既成事実となり…この戦いで第4師の兵士の死傷は…
◉ 日本人が伝える革命軍… 東方社九江5日通信。南軍が…軍を用いたこと、…軍の敗退、徳安の陥落は、いずれも奇抜で危うい事柄だったが、幸いにも何度も成功を収めた。…その軍の便衣隊の活動…南軍はしばしば便衣、すなわち軍服を着ない部隊を用いる。彼らはしばしば学生や商人に、さらには物乞いにまで変装し、…に紛れ込み、正面攻撃の際には敵の背後を脅かして…を攪乱する。…はひとえにこの便衣隊の活動に頼っており、また ㊀ 一般の人民の南軍に対する好感、中国…
各方面の軍事情報
…明日と確定…くじを開く…汽船、住民…第9師から…千余に分け…沙 ◉ 各方面の軍事情報 ▲ 九江5日。江裕号が上流から潯に到着し、[?]余人を満載していた。孫伝芳が徳安・沙河方面の情勢が緊迫しているため、[?]から…したものだと伝えられる。6日朝になっても、船はなお江中に停泊して命令を待っていた。▲ 運ばれてくる負傷兵は日ごとに増え、とうに収容しきれなくなっている。紅十字会は小屋を建てて臨時の救護所を設けたが、それでも次々に運ばれてくる。紅十字会によれば、さらに1000人来れば、ついには収容も治療もできなくなるという。▲ 潯へ向かう将校の家族は非常に多い。5日午後、怡和の隆和号…
解説
九江の陥落説が流れた理由
九江の陥落説は、直前の戦況に根拠をもっていた。国民革命軍は1926年9月に江西へ攻め込み、孫伝芳配下の将軍の寝返りにも助けられて、9月19日までに九江と南昌を国民党の支配下に置いた。孫伝芳は9月21日に援軍を率いて南京から到着し、国民革命軍を退却させ、失った地域の大半を取り戻した。このため、英国と日本の軍艦の無線が食い違った10月上旬には、九江はおそらく再び孫伝芳の手にあった。国民党軍が再び九江の攻略に動いたのは11月初めであり、九江が静かだとした日本軍艦の無線のほうが、後の記録とよく合う。紙面の戦況記事は二つの方向を示している。ある記事は南軍が敗走中で修水以外の戦線はほぼ休戦状態だと書き、6日付の九江通信は革命軍が徳安を占領したと伝えている。孫伝芳の軍は10月末までに江西全域で再び退却し、この小康状態は長く続かなかった。
南軍と戦った孫伝芳の聯軍
南軍と戦った側の司令官は孫伝芳である。孫伝芳は1925年11月25日に江蘇の軍事総督として南京に本拠を置き、その後2年のあいだに江蘇、浙江、福建、安徽、江西の全域へ支配を広げた。孫伝芳の軍は最盛期に20万人を超えた。広州の国民政府は孫伝芳に不可侵協定を持ちかけたが、孫伝芳は自らの政権を国民党の支配下に置くことを拒んだ。このため北伐軍は、呉佩孚の軍が退却すると矛先を江西に向けた。紙面は孫伝芳が徳安・沙河方面へ兵を船で送ったと伝えており、敗走する南軍を追撃する力がもはやないと書かれた聯軍も孫伝芳の連合軍を指す。この記述は、9月下旬の反撃に成功した孫伝芳の軍もまた消耗していたことをうかがわせるが、これは紙面の評価であり、確かめられた数字ではない。
便衣隊と民間人をめぐる報道
東方社の九江5日通信は、紙面が日本人の伝えるものとして載せた記事であり、南軍の成功を便衣隊の活動と一般人民の好感によるものだと説明している。この記事によれば、便衣隊は軍服を着ない兵士で、学生や商人、さらには物乞いに変装し、敵の背後を脅かした。この記事は人名も数字も具体的な戦闘も挙げておらず、戦場からの報告というより全体的な評価として読める。他の史料は、この時期の孫伝芳の支配地で学生や国民党支持者と疑われた人々が大きな危険にさらされていたことを記録している。孫伝芳は9月下旬に失った地域の大半を取り戻した際、数百人の学生、教員、国民党員と疑われた人々を殺害した。北伐軍に対する民衆の支持は、同じ秋に別の地域でも見られた。福建に入った国民革命軍の部隊は、客家を含む多くの住民に歓迎された。
長江の外国軍艦と兵員輸送船
九江をめぐる食い違った二つの報告は、どちらも外国軍艦の無線から出ていた。一つは英国砲艦、もう一つは日本軍艦の無線であり、上海の新聞は長江の外国艦船を戦況の情報源として使っていた。外国艦船もまた、この時期の長江で戦闘に巻き込まれていた。楊森は英国の商船を使って長江で兵を運んでおり、1926年9月5日には英国の3隻が万県で楊森の兵に押さえられた河川汽船を奪い返そうとして、中国軍に砲火を浴びせた。紙面によれば、九江周辺の戦争でも商船が使われていた。江裕号は孫伝芳が送った兵を満載して到着し、江中で命令を待っていた。将校の家族も多数が九江へ向かい、途切れた最後の行には怡和の汽船の名が見える。こうした船による輸送には危険も伴った。この号の1週間後の10月16日には、九江近くで中国の兵員輸送船クアン・ユアン号の弾薬が爆発した。
徳安と沙河の位置
徳安と沙河は、九江から南昌へ向かう経路上の地点である。紙面によれば、孫伝芳は徳安・沙河方面の情勢が緊迫したため兵を船で九江へ送り、6日付の九江通信は革命軍が進んだ地域を九江から100里離れた山の多い土地だと書いている。後の1938年の武漢作戦の記録も、この経路の位置をはっきり示している。九江を占領した日本軍の師団は、九江・南昌間の鉄道に沿って南へ進み、徳安の攻略をめざした。この師団は九江のすぐ南の沙河で大きな損害を受けた。この記録から、九江から沙河を経て徳安へ続く線が九江と省都南昌を結ぶ主要な経路だったことがわかる。1926年10月に徳安で戦闘が起きていたことは、陥落のうわさが流れた九江の近くで戦闘が続いていたことを示している。
原文
今日萬國運動會開幕
y. October. 9. 1926. THE 海靜安寺路總公司八層新屋舉行落成典禮備茶點恭請各界人士並保壽諸君參觀是日十二時並請當地長官及政軍工商學各界聞人演說除具柬奉邀外誠恐或有未周用再登報啓請諸君連袂惠臨毋任盼禱華安合羣保壽公司謹啓今日萬國運動會開幕籌備數月轟動全滬之萬國運動大會於今日下午在法租界天文台路中華運動場舉行參與者有中美英法日俄葡萄牙及荷蘭等八國准下午二時起賽會場四周均設看台座位舒暢且雇有西樂隊吹奏助興入場券分一元六角四角三等均在馬浪路口藍球房出售四角券由東首大門進場一元及六角券由西首大門進場至希各界注意上海萬國運動會委員會啓並無何 ◎ 昨日軍被南軍艦無失守說 ◉ ◎ 高安修水之損失亦河岸外
九江平靜如常
九江平靜如常二日來本地關於九江方面種 [?] 傳、 甚囂塵上、 然據今晨本地 [?] 軍所得九江發報告、 謂該地並無何等之變化、 (東方社八日上海消息) ◉ 昨日英國炮艦之無線電傳九江海軍被南軍收買、 九江失守、 今日日本軍艦無線電云、 九江安靜如常、 可見失守說係無根、 (上海八日電通電) 北黨軍退却中附近之南軍已隨意退却、 沿南軍目下正在敗退中、 聯軍、 已無窮追之力、 現除修水各處戰線幾全在休戰狀態、 ◉ 革軍佔領德安九江六日通訊、 潯陽自聞革軍驚惶萬狀、 據軍界所述革軍佔江有一百里之遙、 其地多山、 趙旅赴南昌往援、 方趙旅尚未人、 鼓惑鄉人引導、 由瑞昌小擊、 我軍未即防衛、 陡聞槍砲指揮之一劇、 乘機攻擊、 霎時部負重傷、 當指令退責老門、 成事實、 該役四師兵士、 死傷 ◉ 日人所傳之革東方社九江五日通信、 南軍用動軍之敗退及德安之陷落、 皆奇危事而幸能屢邀成功、 其軍便衣隊之活動、 南軍常以便即不穿軍服之軍隊也、 彼等常學生或商人、 甚至喬裝乞丐、 混在正面攻擊時脅敵之後、 以擾下、 全恃此便衣隊之活動、 而 ㊀一般人民對南軍好感、 中國
各方軍事消息
定准明天開籤輪船、 居民距九師、 分千餘沙 ◉ 各方軍事消息 ▲ 九江五日江裕輪由上游抵潯、 滿載 [?] 餘人、 傳係孫傳芳以德安沙河方面緊急、 由 [?] 者、 六日晨尚傍江中候命、 ▲ 傷兵逐來日衆、 早已不敷收容、 紅十字會蓋棚設臨時救濟處、 然仍陸續運來、 據紅會再有千人、 則終將無法收容醫治、 ▲ 軍官家屬赴潯者極夥、 五日下午怡和隆和