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· ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl

Politika

1926年10月9日付のポリティカ紙は、ニコラ・ウズノヴィッチの急進党・クロアチア農民党連立内閣で起きた最初の閣僚交代を報じた。同紙は、森林鉱山大臣ニキッチ博士が国民議会の会合はもちろん、ザグレブのHSSクラブの会合も待たずに政府から外されたと伝えた。同紙はこの更迭をステパン・ラディッチの個人的な威信にとっての勝利として描き、その勝利は短命に終わるという一部の筋の見方も紹介した。別の記事は、ウズノヴィッチ首相が最新の動きを尋ねる記者たちを笑ってはぐらかし、記者たちが、王宮での謁見の後にニキッチ問題は存在しないと述べていた首相の発言を指摘した様子を伝えた。同紙によれば、この問題は木曜日の夜に閣僚の大半が知らないうちに決着し、V・ヨヴァノヴィッチ博士がニキッチ博士の後任となった。

この版は、1926年10月9日付ポリティカ紙1面から三つの抜粋を部分的に読んだものである。折り目が複数の段で一行ずつを隠し、画像の区切りが行末と一部の閣僚名を切っている。判読できない語は訳文中で疑問符の記号によって示している。画像の端で一部しか見えない小見出しは訳していない。解説は、ヨヴァノヴィッチの任命に対するパシッチ派の反応と、10月12日の議会再開後の連立交渉を扱っていない。集めた資料がこれらの点を記録していないためである。

翻訳

ニキッチ博士の更迭

…国民議会の会合ばかりか、昨日ザグレブで開かれたHSSクラブの会合さえも、変更なしに待つ勇気を持たなかった。こうして最初の変更は、政界で予想されていたよりも早く、また政府自身が望んでいたよりも早く行われた。最初の変更は、ラディッチ派全般のために、とりわけラディッチ派の首領としてのSt.ラディッチ氏の個人的な威信と権威のために行われたものである。というのも、森林鉱山大臣ニキッチ博士が政府から外されたからである。すなわち、ラディッチ派とSt.ラディッチ氏が以前から求めてきたことが実行されたのであり、彼らはこの要求を問—

ウズノヴィッチ氏は何と言うか

…V・ヨヴァノヴィッチ博士とニキッチ博士のほか、ウズノヴィッチ氏のもとには数人の大臣がおり、その中にはスルスキッチ、M・トリフノヴィッチ、B・マクシモヴィッチの各氏もいた。首相府を出たウズノヴィッチ氏は、いつものようにベオグラードと地方の新聞の記者たちに出くわした。記者たちは[?]氏に最新の動きを尋ねた。

「ゆうべはどこにいたんですか、それで私にニュースを話せとは!」とウズノヴィッチ氏は笑った。

これに対して記者たちは、謁見の後に氏自身が、何も新しいことはなく、ニキッチ博士の問題も存在しないと述べたではないかと、ウズノヴィッチ氏に指摘した。

「いや、あれを言った時には、事は—」

V・ヨヴァノヴィッチ博士、ニキッチ博士の後任に

もっとも、ある筋の主張によれば、ラディッチ氏のこの勝利はごく短命に終わるという…

V・ヨヴァノヴィッチ博士、ニキッチ博士の後任に

周知のとおり、一昨夜、王宮からの帰途、首相ウズノヴィッチ氏は記者の質問に答えて、いかなる変更もないと言明した。ニキッチ博士については、ウズノヴィッチ氏は、その問題は存在しないと言っておく必要があると考えた。それにもかかわらず、ニキッチ博士の問題は木曜日の夜に解決され、しかも昨日確認できたところでは、政府閣僚の大部分が知らないうちに解決されたのである。[?] [?] [?] [?]

解説

ニキッチとラディッチ派が政府に入った経緯

ラディッチのクロアチア農民党は、急な方針転換を経て内閣に加わった。ラディッチは1925年2月の選挙を前にした1月、党の幹部とともに逮捕された。その後、農民党は人民急進党と合意を結び、この合意は権力の分担と、投獄されていた党幹部の釈放を含んでいた。ラディッチ本人は教育大臣となり、ニコラ・ニキッチはパヴレ・ラディッチ、ベンヤミン・シュペリナ、イヴァン・クラヤチとともに閣僚の地位を得た党員の一人だった。ポリティカ紙の記事は、ニキッチの退任をラディッチ派への譲歩として扱い、ラディッチとその支持者が以前から求めてきた要求が実現したと書いた。同紙はこの更迭を、党首としてのラディッチの個人的な威信を高める出来事として描いた。読み取れる範囲の記事は、ラディッチがニキッチの退任を求めた理由を説明しておらず、更迭が連立内でのラディッチの立場に持つ意味に重点を置いている。

1926年秋のウズノヴィッチ首相の立場

ニコラ・ウズノヴィッチは1926年4月に首相に就いたばかりだった。ニコラ・パシッチはその月、汚職スキャンダルに直面して辞任に追い込まれていた。ウズノヴィッチの政権は急進党内の対立を抱え、短命な内閣が次々に交代した。政権のこの不安定さが、記者たちが一人の閣僚の交代に強く注目した理由の一つだったと考えられる。ポリティカ紙の二つの記事は、首相の発言と実際の出来事を並べて示した。同紙によれば、ウズノヴィッチは王宮から戻った際に記者に変更はないと述べ、ニキッチ問題は存在しないとも語った。同紙は、それでもこの問題が木曜日の夜に閣僚の大半が知らないうちに決着したと書いた。同紙はまた、V・ヨヴァノヴィッチ博士とニキッチ博士がウズノヴィッチのもとに集まった閣僚の中にいたと記し、首相が記者の質問を笑ってはぐらかし、記者たちが以前の否定を指摘した様子も伝えた。

ニキッチ更迭後の急進党・農民党連立の行方

ポリティカ紙は、ラディッチのこの勝利はごく短命に終わるという匿名の筋の見方を伝えた。急進党と農民党の連立そのものは、その後さらに数か月続いた。クロアチア農民党は1926年12月下旬にもなお政府にとどまっており、党員のアウグスト・コシュティッチは12月24日にウズノヴィッチ政府の建設大臣に任命された。農民党は1927年2月1日に連立を離脱した。人民急進党の党首だったパシッチは1926年12月10日に80歳で心臓発作により死去し、その死によって急進党と農民党の権力分担は途中で終わった。10月のニキッチ更迭は、この連立が崩れた時ではなく、連立の最後の時期に起きた出来事である。

原文

Уклањање г. др. Никића

смео да сачека без промена не само састанак Народне Скупштине него ни састанак клуба ХСС. који је јуче заседавао у Загребу. И тако је до првих промена дошло пре него што се то очекивало у политичким круговима и пре него што се у самој влади желело. Прва промена учињена је у корист радићеваца уопште, а напосе у корист личног престижа и ауторитета г. Ст. Радића као шефа радићеваца. Јер из владе је уклоњен министар шума и руда др. Никић, дакле учињено је оно што радићевци и г. Ст. Радић одавно траже под претњом да ће од тога захтева правити пи -

ШТА КАЖЕ Г. УЗУНОВИЋ

ине. Поред др. В. Јовановића и др. Никића, код г. Узуновића било је више министара међу којима и г. г. Срскић, М. Трифуновић и Б. Максимовић. Излазећи из председништва владе г. Узуновић је наишао као и обично на представнике београдских и провинцијских листова. Новинари су питали г. [?] о последњим новостима. - Па где сте били ноћас да вам кажем новости! - смејао се г. Узуновић Новинари су на то приметили г. Узуновићу да је он сам после аудијенције рекао да нема ничега новог и да нема питања др. Никића. - Па када сам вам оно говорио ствар -

ДР. В. ЈОВАНОВИЋ НА МЕСТО ДР. НИКИЋА

Међутим, тврде извесни кругови, ова победа г. Радића биће веома кратког века.. ДР. В. ЈОВАНОВИЋ НА МЕСТО ДР. НИКИЋА Као што је познато, прексиноћ на повратку из Двора председник владе г. Узуновић изјавио је, на питање новинара, да неће бити никактвих промена. Што се тиче др. Никића, г. Узуновић је сматрао за потребно да каже да оно не постоји. Па ипак питање др. Никића решено је у четвртак ноћу и то, како се јуче могло констатовати, без знања највећег дела чланова владе, [?] [?] [?] [?]

紙面の出典:Source: Narodna biblioteka Srbije / Digitalna NBS

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