新聞を読み込んでいます… / Loading the edition…

· アルジェ(アルジェリア) · フランス語

L’Écho d’Alger

1926年10月8日付の『レコー・ダルジェ』第1面は、レーモン・ポワンカレの挙国一致内閣をめぐるパリの政治ニュースを伝えた。同紙は、ある案件が財務省の各部局で検討されたのち翌週の閣議で承認される予定だと報じた。ブリアンがラインラントの事件とドイツ情勢を閣議に報告する見通しだと記事は伝えた。ポワンカレは司法大臣バルトゥーと会い、公務員連盟の書記長も給与の均衡化をめぐってリベール氏に迎えられた。論説の断片は、カルテルが2年間あらゆるポストを握ったと非難し、行政権の介入を求めた。別の記事は、陸軍大臣が軍用航空の死亡事故を防ぐ通達を出したと報じた。リヨン発の記事は、アルジェリアから戻った詐欺師レームが厳重な護衛つきで予審判事のもとへ移送され、ジュネーヴ行きを認めたと伝えた。

この版で読めるのは、見出し、小見出し、冒頭の数行からなる3つの短い部分である。最初の2つの部分は、その前にある記事の末尾から始まっている。論説と航空記事は、どちらも文の途中で切れている。紙面の本文の大部分は画像が粗く、読み取ることができない。OCRで乱れた語、人名、数字は推測で補っていない。レームが誰だったのか、どの事故が航空関係の通達につながったのか、ポワンカレとバルトゥーが何を話し合ったのかは、この版からはわからない。

翻訳

首相府にて

[?]公表……、本件は検討のため財務省の各部局に回され、閣議の最終的な承認にかけられるのは来週になってからである。ブリアン氏はおそらく、外交問題、とりわけラインラントでの諸事件とドイツの最近の出来事についても閣議に報告するだろう。

首相府にて

司法大臣、ポワンカレ氏を訪問

パリ、10月7日発――レーモン・ポワンカレ氏は今朝、司法大臣バルトゥー氏の訪問を受けた。

公務員給与の均衡化

また、公務員連盟の書記長ローラン氏は、リベール氏に迎えられ、

軍用航空において

……内閣は、反対派が目下そうしているように――そして政府もそれを知らないわけではない――自らが着手した改革の第一歩を彼らが利用するにまかせている。行政権の介入は避けられない。2年間にわたり、カルテルがその全能ぶりを過度に誇示してきたからである。カルテルは、自ら認めたとおり、あらゆるポストを欲した。権力へ通じるあらゆる道を占拠すると称した。その手先はいたるところにいる。このような状況は、挙国一致内閣の政策とは相いれない。

軍用航空において

事故防止のために

陸軍大臣の通達

パリ、10月7日発――col……によって引き起こされた数件の死亡事故が

山師レームの所業

パリ2区モンマルトル大通り5番地 電話 グーテンベルク74-64 広告はアヴァス通信社でも受け付ける。

山師レームの所業

巧妙な詐欺師、アルジェリアからの帰途の上陸を語る

リヨン、10月7日発――予審判事は本日、レームを尋問した。彼の移送には異例の措置がとられていた。囚人護送車には、いかなる逃亡の企ても防ぐよう護衛がつけられた。取り調べを受けたレームは、グルノーブルへ行ったことを否定したのち、ジュネーヴへ行ったことを認めた。

解説

1926年10月のポワンカレ挙国一致内閣

第1の記事は、ポワンカレの政権復帰から約11週間後の政府の動きを伝えている。ポワンカレは1926年の財政危機をきっかけに政権に戻り、1929年まで首相と財務相を兼ねた。首相府で扱われた案件が閣議の承認前に財務省の各部局へ回されたのは、首相が財務相を兼ねていたことと関係があるとみられる。第4次ポワンカレ内閣では、ブリアンが外相、パンルヴェが陸相、サローが内相を務めた。ブリアンは1926年にポワンカレに首相の座を譲った前首相である。したがって、ラインラントとドイツ情勢を閣議に報告すると予想されたのは、前首相で現職の外相だった人物である。司法大臣ルイ・バルトゥーもこの内閣の中心人物であり、上院の記録によれば、1926年7月27日に内閣の施政方針演説を読み上げた。記事が伝えるのは、ポワンカレが朝にバルトゥーと会った事実だけである。2人が何を話し合ったかは、記事にもここで用いた資料にも書かれていない。

左派カルテルと論説の非難

論説の断片は、「カルテル」が2年間にわたってポストを独占したと非難している。左派カルテルはパンルヴェとエドゥアール・エリオの協力から生まれ、1924年5月の総選挙に勝った。この選挙でポワンカレの保守連合は敗れ、エリオが同年6月に首相に就いた。その後、フランの下落によって財政危機が起こり、エリオ内閣は1925年4月に総辞職した。したがって、論説のいう「2年間」は1924年の選挙勝利から1926年7月のポワンカレ復帰までの期間にあたる。同紙が擁護した「挙国一致内閣」には、カルテル側の政治家も加わっていた。エリオ自身が第4次ポワンカレ内閣で公教育・美術相を務めていた。こうした事情を考えると、論説は、カルテル側も含む連立内閣に対し、カルテルが任命した人々を行政から外すよう求めていたことになる。カルテルの「手先はいたるところにいる」という主張は同紙の党派的な論評であり、確かめられた事実として扱うことはできない。

1926年の政令による改革

論説は、内閣が着手した「改革の第一歩」を反対派が利用していると述べ、行政権の介入を求めている。ポワンカレ政府は1926年に、政令によって行政機構を実際に改めていた。同年のポワンカレ=サロー政令については1927年にグルノーブル大学で法学博士論文が書かれ、その論文は県参事会の廃止を一つの章で論じている。県参事会は地方の行政裁判所の役割を果たしていた機関である。これらの政令から、政府が1926年に政令によって国の制度を作り替えていたことがわかる。ただし、残っている断片は改革の名前を挙げていないため、論説がどの政令を念頭に置いていたかは特定できない。

航空事故防止の通達を出した陸軍大臣

軍用航空の事故防止に関する通達は陸軍大臣が出したもので、1926年10月の陸軍大臣はポール・パンルヴェだった。パンルヴェはブリアン内閣で陸軍大臣を務め、1926年にポワンカレが政権を引き継いだ後もその職にとどまり、1929年7月まで在任した。パンルヴェは数学者でもあり、早くから航空に強い関心を持っていた。1908年にはフランスでウィルバー・ライトの飛行機に初めて同乗した乗客となり、1909年には大学で初めて航空学の講義を開いた。当時は独立した航空大臣がいなかったため、軍用航空は陸軍省の担当だった。内閣の名簿では、ローラン・エナックが航空大臣として入閣したのは1928年9月である。記事の断片は、数件の死亡事故の原因を述べ始めたところで切れている。このため、どの墜落事故が通達のきっかけになったかは、この紙面からはわからない。

原文

A la Présidence du Conseil

[?] public, il sera renvoyé, pour étude, aux services du ministère des Finances et ne sera soumis définitivement à la ratification du Conseil des Ministres que la semaine prochaine. M. Briand mettra, sans doute, aussi le Conseil au courant des affaires extérieures, notamment des incidents de Rhénanie et des derniers événements d'Allemagne. A la Présidence du Conseil LE GARDE DES SCEAUX CHEZ M. POINCARE Paris, 7 octobre. - M. Raymond Poincaré a reçu, ce matin, M. Barthou, garde des Sceaux. LA PEREQUATION DES TRAITEMENTS DES FONCTIONNAIRES D'autre part, M. Laurent, secrétaire général de la Fédération des Fonctionnaires a été reçu par M. Ribère,

Dans l'Aviation Militaire

le Cabinet laisse ses adversaires exploiter comme ils le font, en ce moment - et le gouvernement ne l'ignore pas - le commencement de réforme qu'il a entrepris. L'intervention du pouvoir exécutif s'impose parce que, pendant deux ans, le Cartel a exagéré les manifestations de son omnipotence. Il a voulu, comme il l'a avoué, toutes les places. Il a prétendu occuper toutes les avenues du pouvoir. Ses créatures sont partout. Une telle situation est incompatible avec la politique d'un Cabinet d'Union Nationale. Dans l'Aviation Militaire POUR PREVENIR les ACCIDENTS Une circulaire du Ministre de la Guerre Paris, 7 octobre. - Plusieurs accidents mortels, provoqués par des col -

Les exploits de l'aventurier Rème

5, Bd Montmartre, Paris (2e) Téléphone: Gutenberg 74-64 Les annonces sont également reçues à l'Agence Havas Les exploits de l'aventurier Rème L'HABILE ESCROC RACONTE SON DEBARQUEMENT A SON RETOUR D'ALGERIE Lyon, 7 octobre. - Le juge d'instruction a entendu aujourd'hui Rème. Des mesures extraordinaires avaient été prises pour son transfert. L'automobile cellulaire était escortée de façon à éviter toute tentative d'évasion. Interrogé, Rème, après avoir nié être allé à Grenoble, reconnut être allé à Genève.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

万国一面について →

本日の新聞一覧

街を巡る ↑
100%
原紙を拡大して読む

つまんで拡大 · 指で紙を動かす