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· パリ(フランス) · フランス語

Le Figaro

1926年10月8日付のフィガロ紙一面は、ジュネーヴの印象記と国内政治の記事を並べた。G・ド・レノルドは署名コラムで、旗で飾られ、外国の自動車やカフェの楽団、英語やスペイン語やドイツ語であふれる暑いジュネーヴを描いた。レノルドは橋を渡ってフランス語の聞こえる静かな旧市街へ移り、ジュネーヴは二つあると書いた。アンリ・ヴォノヴァンは論説で、物価高と小麦・石炭の供給を検討する閣議に対し、講じた措置を積極的に公表するよう求めた。ヴォノヴァンは、物価上昇がポンド安に対する庶民の満足を減らしており、専門的な説明では慰めにならないと論じた。行政改革を扱った記事は、地方分権、行政分散、選挙で選ばれた機関への権限移譲を三つの別個の概念として区別し、改革の動機が節約にあると指摘した。

この読み取りは一面上部の三つの抜粋を対象とし、どの抜粋も文の途中で途切れている。OCRの文字化けがひどいため、紙面の中段と下段の本文は書き起こしていない。為替表と金保有高の記事も、数字を確認できないため対象外である。集めた資料が1926年の行政改革を扱っていないため、解説は行政改革の記事の歴史的背景を取り上げていない。

翻訳

ジュネーヴの精神と国際連盟

……と国際連盟。私はジュネーヴから戻ったところだ。あちらは暑かった。ニースのような暑さだった。通りには水がまかれていた。家々は旗で飾られていた。あらゆる種類の旗があり、異国の旗も多く、アメリカ、エチオピア、日本の旗が掲げられていた。ローヌ川の気の抜けたにおい、すでに海のにおいが漂う河岸では、どのカフェの前にも楽団がいた。後部に遠い国々の頭文字をつけた自動車も走っていた。歩道では英語が話され、スペイン語が話され、ドイツ語が話されていた……。私は橋を渡り、旧市街に逃げ込んだ。私はそこで、日陰と静けさ、フランス語、ジュネーヴなまり、スイスの国旗に再び出会った。ジュネーヴは二つある。左岸、……

またしても、もう一つの危険

主幹兼編集長。政治。政局。またしても、もう一つの危険。閣僚たちは水曜日にすでに物価高の問題を取り上げていた。閣僚たちは今朝の閣議でもこの問題の検討を続け、小麦と石炭の供給問題を取り上げる予定である。閣僚たちは、講じた措置について、発表の中であまり控えめにならない方がよいだろう。物価の上昇が、庶民という広い層のあいだで、ポンド安がもたらす満足感をいくらか減らしているからである。この全般的な値上がりは予想された避けがたい現象だと分かっていても、安定化を見すえて国内物価が世界の物価水準へ引き上げられているのだと自分を納得させても、相次ぐインフレと新しい税が物価に織り込まれているのだと何度自分に言い聞かせても、それらは慰めとしては不十分である。政府はきっと耳にしているはずだ……

権限はいかに混同されるか

政治。フランソワ・コティ。行政改革。権限はいかに混同されるか。政府は地方分権と行政分散という二つの言葉を、同時に世論へ餌として投げ与えた。政府が検討している改革は、その両方を含まねばならない。改革はさらに、ある種の行政権限を官吏から選挙で選ばれた機関へ移さねばならない。これらは互いにまったく別の三つの概念であり、この三つだけで、政府が定めたとされ、すでに実行に着手した計画の中身のほぼすべてを含んでいる。忘れてはならないが、改革を導く原則は良き主婦の原則、すなわち節約である。しかし、一つの問……

解説

1926年9月、ドイツの国際連盟加盟

レノルドが描いた旗と楽団と外国ナンバーの車であふれるジュネーヴは、直前に国際連盟の注目度の高い総会を開いた都市だった。ドイツは1926年9月10日に国際連盟へ正式に加盟し、この日はマルヌの戦いから12年目の記念日と重なった。ドイツは連盟理事会の常任理事国の席も得て、同じ席を争ったポーランドは非常任の席にとどまった。グスタフ・シュトレーゼマンが総会で演説したあと、フランス外相アリスティード・ブリアンは同じ演壇に立ち、小銃と機関銃と大砲を捨てて仲裁と平和に道を譲れと呼びかけた。抜粋されたコラムの部分はドイツに触れていない。レノルドは多くの言語が飛び交う河岸と、橋を渡った先の旧市街を対比し、旧市街でフランス語とジュネーヴなまりとスイス国旗に出会ったと書いている。九月の出来事と並べて読むと、レノルドの言う二つのジュネーヴは、国際連盟の舞台となった国際都市と地元ジュネーヴの姿を並べたものと読める。抜粋はレノルドがこの比較を展開する前で途切れている。

ジュネーヴ、トワリー会談とフラン

国際連盟の会期とヴォノヴァンが論じたフラン問題は、独仏外交の中で結びついていた。ブリアンとシュトレーゼマンは、ドイツ加盟をめぐる式典の期間中にトワリーで会談した。シュトレーゼマンはこの会談でフラン安定のための物的支援を約束し、ブリアンはザール地方を予定より早くドイツへ返還することなどに同意した。独仏両政府が異議を唱えたため、トワリーでの合意の範囲はまもなく縮小された。パリでは、レイモン・ポワンカレが通貨問題に専念して外交をブリアンに任せ、ブリアンはドイツとの融和政策を選んだ。抜粋されたヴォノヴァンの論説は、フランの回復と物価上昇をインフレや税や安定化という国内の問題として扱い、外国からの支援には触れていない。

ポワンカレ内閣とポンド安

ヴォノヴァンが呼びかけた閣僚たちは、1926年夏の通貨危機の中で成立したレイモン・ポワンカレ内閣の一員だった。後年の解説記事によると、ポンドが1926年7月21日に235フランという記録的な水準まで上昇し、ガストン・ドゥメルグ大統領はポワンカレに挙国一致内閣の組閣を求めた。この内閣は右派諸党と急進党を結集した。フランス政府の公式な人物紹介は、ポワンカレの再起用を1926年7月23日とし、ポワンカレがただちに信頼を回復してフランの安定に成功したと記している。この経緯から、論説の言うポンド安はフランの回復を意味する。ヴォノヴァンはフランの回復を庶民の本当の満足の源とみなし、食料と燃料の値上がりがその満足を減らしていると論じた。安定化を見すえて国内物価が世界の物価水準へ引き上げられているという説明や、過去のインフレと新税が物価に織り込まれているという説明は、フィガロ紙の主張であり、確立した歴史的説明として扱うことはできない。

1926年以降の物価とフラン

ヴォノヴァンが論説を書いた時点では物価はまだ上がっていたが、論説が触れた安定化はその後に実現した。ポワンカレの政策を振り返る後年の解説記事は、税収が増える一方で消費者物価が下がる傾向を示し、その一因がフランの価値の回復にあったと述べている。この解説記事は、物価が下がり始めた時期を正確には示していない。フランス政府は1928年6月25日にフランを戦前の金価値の5分の4だけ切り下げ、1926年に達した相場に近い水準で法的に固定した。見出しの言うもう一つの危険、つまり通貨回復期に庶民を苦しめた生活費の高さは、完了までさらに2年近くかかった過程の中の過渡的な問題だった。

原文

L'esprit genevois et la S.D.N.

et la S. D. N. Je reviens de Genève. Il y faisait chaud, une chaleur de Nice. On avait arrosé les rues. Les maisons étaient pavoisées: toutes sortes de drapeaux; beaucoup d'exotiques, américains, éthiopiens, japonais. Sur les quais, où l'on respirait l'odeur fade du Rhône, - déjà l'odeur de la mer, - des orchestres devant chaque café. Des automobiles avec, à l'arrière, les initiales de pays lointains. Sur les trottoirs, on parlait anglais, on parlait espagnol, on parlait allemand... J'ai passé le pont pour me réfugier dans la vieille ville. J'y ai retrouvé l'ombre, le silence, le français, l'accent genevois, le drapeau suisse. Il y a deux Genèves, Rive gauche,

ENCORE L'AUTRE DANGER

DIRECTEUR-RÉDACTEUR EN CHEF POLITIQUE LA POLITIQUE ENCORE L'AUTRE DANGER Les ministres, mercredi, s'étaient occupés déjà de la Vie Chère. Ils continueront au Conseil de ce matin; ils envisageront la question du ravitaillement en blé et charbon. Il sera bon qu'ils ne se montrent pas trop discrets dans leurs communiqués sur les mesures qu'ils auront prises, car la hausse des prix diminue un peu dans le grand public des petites gens, la satisfaction que cause la baisse de la livre. On a beau savoir que ce renchérissement général est un phénomène prévu, inéluctable; on a beau se persuader que c'est en perspective de la stabilisation que les prix intérieurs sont hissés vers les prix mondiaux, on a beau se répéter que ce sont les inflations successives et les impôts nouveaux qui s'incorporent aux prix, ce sont là consolations insuffisantes. Le gouvernement a sans doute entendu

COMMENT ON CONFOND LES POUVOIRS

POLITIQUE: FRANÇOIS COTY LA RÉFORME ADMINISTRATIVE COMMENT ON CONFOND LES POUVOIRS Le gouvernement a jeté simultanément en pâture à l'opinion publique les mots de décentralisation et de déconcentration. La réforme qu'il médite doit comprendre l'une et l'autre. Elle doit, en outre, transférer certaines attributions administratives des fonctionnaires aux pouvoirs élus. Ce sont là trois notions entièrement distinctes et qui, à elles seules, contiennent presque toute la substance du programme que le gouvernement est censé avoir défini et dont il a déjà commencé l'exécution. Le principe qui inspire la réforme, ne l'oublions pas, est celui des bonnes ménagères: les économies. Mais une ques -

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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