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· サイゴン(現ベトナム) · フランス語

L’Écho annamite

1926年10月8日付の『レコー・アンナミット』第1面は、10日の日曜日に行われる植民地評議会選挙をめぐる論争を大きく載せた。社説「誠実な人々」は、候補者レ・クアン・チン氏が公約を破り、植民地評議員の任期を私利に使ったと非難した。同じ社説は、チン氏を前総督モーリス・コニャックの体制と結びつけ、その名残を一掃するよう有権者に呼びかけた。断片として残る告知は、チン氏が故ファン・チャウ・チンとの友情を偽って利用し、ファン・ヴァン・チュオン氏から二度否定されたと伝えた。退任する評議員たちの信条表明は、行政当局から独立を保ち、見返りなしに4年の任期を務めたと述べて再選を求めた。本版の読み取りは第1面の一部に限られ、信条表明の署名者や風刺画の文字は含まない。

本版の読み取りは、精度の低いOCRから起こした第1面の3つの文章を対象とする。対象は、レ・クアン・チン氏を攻撃する社説、文の途中から始まる告知の断片、信条表明の冒頭部分である。本版は、信条表明の署名者、小さな活字の残りの欄、風刺画「COGNACQ, QUAN-LON OI!」、題字欄の購読料と広告料、号数の全体を読み取っていない。画像の分割の境目で切れた行では、語が抜けている可能性がある。

翻訳

誠実な人々

親愛なる同胞諸君。

レ・クアン・チン氏の主張がどれほどの値打ちのものか、諸君はもうはっきりわかったはずだ。最も明確な約束を破り、最も厳粛な誓約を踏みにじり、あらゆる品位を捨て、祖国の利益を顧みず、彼は植民地評議員としての任期から最大限の利益を引き出そうとした。

そのレ・クアン・チン氏が、今日、厚かましくも諸君の票を求めている。諸君の目をごまかそうとして、彼は対立候補を攻撃し、彼らに毒を吐きかけている。本来なら、忘却のヴェールが慈悲深く彼とその過ちを覆うように、恥を知って黙っているべきであるのに。

日曜日には忘れないでほしい。コーチシナが数年にわたり、コニャック氏とその一味のもう一人の犠牲者であるファイス氏がまさしく瘴気に満ちたと評した空気の中で暮らしてきたのは、レ・クアン・チン氏とその共犯者たちのおかげなのだ。

コニャック氏とともに、抑圧と密告と恥ずべき取引の体制は消え去る。その最後の名残を報復の一撃で一掃するのは、諸君である。

諸君、親愛なる同胞諸君

……あらゆる真実とあらゆる羞恥心を顧みず、あの偉大な愛国者に対して抱いていたという友情なるものを利用しようとした。彼はその愛国者の生前、一度も近づいたことがなく、それには当然の理由があった。この件で彼は、ファン・チャウ・チン氏の友であり不遇をともにした同志であるファン・ヴァン・チュオン氏から、手厳しい否定を二度も招いた。それは彼にとって、二度の痛烈な平手打ちである。

諸君、親愛なる同胞諸君

植民地評議会選挙

信条表明

親愛なる同胞ならびに有権者諸君。

諸君が4年前に私たちに託した任期は、いま終わりを迎えた。私たちは全力でその任期を果たしてきた。そこから得たのは精神的な満足だけである。もっとも、それは私たちにとって、妥協と良心の放棄の代償として支払われる行政上の恩恵などより、はるかに望ましい報酬である。

私たちは行政当局に対して独立を保ってきた。その独立は何の得にもならず、時には危険を伴うこともあった。そうすることで、私たちは自らの義務を果たしたにすぎない。諸君の票を求めたとき、私たちは諸君に対して一つの約束をしたからである。その約束の重さは、祖国の利益が危うくなった局面で私たちにはっきりと見えた。私たちは、誓った言葉に忠実な誠実な人間として、その約束を几帳面に守り抜いた。

務めを怠らなかったと自覚するこの任期について、私たちはいま諸君にその更新をお願いする。

解説

『レコー・アンナミット』と立憲党の陣営

『レコー・アンナミット』は、グエン・ファン・ロンが『ラ・トリビューン・アンディジェーヌ』で働いた後、1920年に創刊した自由主義系の新聞である。ロンは、1923年に結成されブイ・クアン・チエウが率いた民族主義政党インドシナ立憲党の副党首を務め、自身も植民地評議員に選ばれた。この経歴を踏まえると、この紙面が選挙戦の宣伝紙のように読める理由がわかる。信条表明の筆者たちは任期が4年前に始まったと述べており、前回の選挙は1922年だったことになる。筆者たちは、行政当局からの独立を自分たちの最大の実績として掲げた。読み取れた範囲には署名が含まれないため、本版はこの文章を誰の名で出したかを確定しない。レ・クアン・チン氏への攻撃は、対立陣営の新聞が選挙戦の最終盤に書いたものである。読者は、この攻撃を同氏の行動の確かな記録ではなく、新聞自身の告発として読む必要がある。

コニャック総督の退任が選挙の焦点になった理由

モーリス・コニャックは1922年2月14日からコーチシナ総督を務め、同年4月12日までは総督代理の立場だった。1926年4月19日にはアリスティド・ウジェーヌ・ル・フォルが総督代理に就き、同年12月30日までその職にあった。10月の選挙は、コニャックが去って数か月後、暫定の行政の下で行われたことになる。社説は、この交代をとらえて、コニャック氏とともに抑圧の体制が消え去ると書いた。コニャックがベトナム人の知識人に敵意を示したことは記録に残っている。コニャックは記者グエン・アン・ニンを呼びつけ、この国に知識人は必要ないと告げた。ニンはそれ以前に、コニャックが申し出た判事の職と土地の払い下げを断っていた。この種の申し出は、信条表明が妥協の代償として払われると書いた行政上の恩恵の一例といえる。筆者たちは、見返りのない独立をそうした恩恵と対比させた。レ・クアン・チン氏をコニャックの共犯者とする記述は、あくまでこの新聞の党派的な非難である。

ファン・チャウ・チンとの友情が争点になった理由

ファン・チャウ・チンは長いフランス滞在の後、1925年にサイゴンへ戻り、1926年3月24日に同地で死去した。4月4日の葬儀は、植民地政府に対するかつてない規模のデモになった。グエン・アン・ニンの伝記は葬列に7万人が加わったと記し、別の記述は参列者を6万人以上としている。二つの数字は一致しないが、どちらも大規模な出来事だったことを示している。半年後のサイゴンでは、チンとの個人的なつながりが政治的な資産になっていた。告知がレ・クアン・チン氏について、近づいたこともない偉大な愛国者との友情なるものを利用したと非難したのは、このためである。告知が証人として挙げたファン・ヴァン・チュオンは、パリのベトナム愛国者グループで、グエン・アン・ニンやグエン・タット・タインとともにチンと活動した人物である。チュオンは、フランス政府が自分とチンに対して仕組んだ陰謀を自著で描いており、告知が不遇をともにした同志と呼んだのはこの経歴に合っている。告知が伝える二度の否定の文面は、読み取れた範囲には含まれない。

1926年春の騒乱と立憲党

この選挙戦は、立憲党の党首が大衆政治に巻き込まれた春の後に行われた。グエン・アン・ニンが1926年3月21日に逮捕された日は、ブイ・クアン・チエウがフランスから帰国した日と重なり、サイゴンでチエウを出迎えた群衆はニンの釈放を叫んだ。ファン・チャウ・チンの葬儀と合わせて、この数週間にサイゴンの民族主義的な感情は街頭で公然と示された。10月の植民地評議会選挙では、候補者たちがその流れを誰が正当に受け継ぐかを争った。信条表明は、祖国の利益が危うくなった局面で約束を守ったという名誉の言葉でこれに応えた。社説は、コニャックの体制を投票によって終わらせるよう有権者に求めた。二つの文章はともに、植民地当局への抗議を街頭で目にしたばかりの有権者に向けて書かれ、その気分を評議会選挙の一票で示すよう訴えた。

原文

HONNÊTES GENS

HONNETES GENS Mes chers compatriotes, Vous voilà édifiés sur la valeur des affirmations de M. Lê-quang Trinh. Manquant à ses promesses les plus formelles, foulant aux pieds ses engagements les plus solennels, abdiquant toute dignité, faisant litière des intérêts de son pays, il a cherché à tirer le plus de profit de son mandat de conseiller colonial. M. Lê-quang-Trinh a aujourd'hui l'audace de solliciter vos suffrages. Essayant de vous donner le change, il attaque ses adversaires, il bave sur eux, alors qu'il devrait avoir la pudeur de se taire pour que le voile de l'oubli s'étende, miséricordieux, sur lui et ses fautes. N'oubliez pas dimanche que c'est grâce à M. Lê-quang Trinh et à ses complices que la Cochinchine a vécu pendant plusieurs années dans une atmosphère que M. Fays, autre victime de M. Cognacq et de sa clique, qualifiait avec juste raison de méphitique. Avec M. Cognacq disparait un régime d'oppression, de mouchardage, de trafics honteux. A vous d'en balayer les derniers vestiges d'un geste vengeur.

Messieurs et chers compatriotes

pris de toute vérité et de tout sentiment de pudeur, d'exploiter la prétendue amitié qu'il avait pour le grand patriote que, de son vivant, il n'a jamais approché, et pour cause. Il s'est attiré à ce sujet de M. Phan-van Truong, l'ami, le compagnon d'infortune de M. Phan-châu-Trinh, deux cinglants démentis qui sont pour lui deux retentissants camouflets. Messieurs et chers compatriotes

ELECTIONS AU CONSEIL COLONIAL

PROFESSION DE FOI Chers compatriotes et électeurs, Nous voici au terme du mandat que vous nous avez confié il y a quatre ans. Nous l'avons rempli de notre mieux; nous n'en avons retiré qu'une satisfaction morale qui est, pour nous, il est vrai, une récompense autrement enviable que les faveurs administratives par quoi se payent les compromissions et les abdications de conscience. Nous avons observé vis-à-vis de l'Administration une indépendance qui, pour être sans profit, n'allait pas parfois sans risques. Ce faisant, nous avons accompli seulement notre devoir, car en briguant vos suffrages nous avons pris, par devers vous, un engagement dont la gravité nous est apparue aux heures où les intérêts de notre pays se sont trouvés en jeu et auquel nous avons scrupuleusement fait honneur en honnêtes gens fidèles à la parole donnée. Ce mandat, auquel nous avons conscience de n'avoir pas failli, nous venons vous en demander le renouvellement.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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