Politika
- アドリア鉄道
1926年10月2日付の『ポリティカ』は、「アドリア鉄道」と題する読者の投書を掲載した。投書は同紙の社長に宛てて掲載を求める形をとり、専門家もまた国全体の利益を踏まえてこの問題を検討すべきだと訴えた。続いて番号付きの論証に入り、海へ向かう山稜と深い河谷のために、国内のどの既存港も、生産と消費のあらゆる中心地へ扇状に広がる鉄道網で結ぶことはできないと論じた。近代的な港が国家全体に役立つにはそうした枝分かれした鉄道交通が不可欠だとして、ベオグラード―サラエボ線と結んだスプリト港がその役割を果たせるかという問いには否定的な答えが出ると示した。
この読み取りは、投書「アドリア鉄道」のうち判読できる一節だけを扱う。本文は文の途中から始まり、スプリトとベオグラード―サラエボ線をめぐる問いの途中で切れている。そのため、筆者の論証の全体や、コトルなど他の港についての議論は確認できない。署名は確実には判読できない。紙面の風刺画の説明文とその他の本文は、信頼できる形で書き起こせない。
翻訳
アドリア鉄道
……専門家もまた検討し、得られた知見に基づき、わが国全体の利益を念頭に置いて、自らの結論を出すべきである。その意味で、社長殿、この私のアドリア鉄道に関する論述を、貴紙の近日中のいずれかの号に掲載していただけるようお願い申し上げる。
1) わが国の地図を少し注意深く眺め、海へ向かう山稜と深い河谷の走る方向を見るだけで、わが海の既存の港のうち、鉄道路線で扇状に結ばれ、それを通じて輸出入品をわが国のあらゆる生産と消費の中心地へ運べるような港は一つとして見いだせないことがわかる。そして、そのように枝分かれした鉄道交通があってはじめて、近代的な港は国家全体の利益に資し、あらゆる経済上・交通上の利益を満たすことができるのである。したがって、提起された問い「スプリト港は、ベオグラード―サラエボ線とともに――」に対しては、ただちに否定的な答えが浮かぶ。
解説
内陸への直通路を得たばかりのスプリト
投書は、ベオグラード―サラエボ線とともにスプリト港が王国の海の玄関口になり得るかを問う。この投書が載ったのは、ダルマチア沿岸で決定的な変化が起きてから約14か月後だった。スプリトには1888年建設のクニンまでの短い路線があり、長く「ダルマチア鉄道」と呼ばれていた。しかし、北へ通じる直通路が完成したのはリカ鉄道によってだった。その最後の区間であるグラチャツ―クニン間は1925年7月25日に盛大な祝賀の中で開通し、ザグレブ―スプリト/シベニク線が完成した。したがって1926年秋の時点で、スプリトの鉄道はザグレブ方面へ通じていた。投書が取り上げたのは、サラエボを経てベオグラードへ向かう新たな連絡線によって、スプリトを国家全体の港にできるかという問題だった。残っている本文から読み取れる限り、筆者の答えは、既存のどの港も鉄道網全体の中心にはできない、というものである。これは投書自身の主張であり、競合する路線案についての定まった評価ではない。
海への一路線に12年
投書は地図に論拠を置く。海へ向かう山稜と深い河谷が、内陸へ扇状に広がる路線で港を支えることを妨げている、というのである。ダルマチアの港へ通じる最も新しい路線だったリカ鉄道は、そうした連絡線が一本できるだけでもいかに時間がかかったかを示している。着工は1913年春で、1914年6月には約1万4000人が現場で働いていた。1915年からは動員とオーストリア=ハンガリー国内の窮乏によって資材と労働力の供給が滞り、1918年以降は新たなユーゴスラビア当局がより遅いペースで工事を続けた。1920年と1922年に区間ごとに開通し、最後の区間が開通したのは1925年だった。一本の路線に12年を要した以上、どの港をどう結ぶかは重い決断であり、国全体の利益に照らして判断すべきだという投書の主張は、こうした背景の中で読むことができる。1957年にザグレブのユーゴスラビア科学芸術アカデミーから刊行されたズヴォニミル・イェリノヴィッチの研究は、この問題を「アドリア鉄道をめぐる闘争」とその経済的目的として論じた。この投書が加わった論争が、単なる技術上の問題にとどまらなかったことがうかがえる。
鉄道論争の場としての『ポリティカ』
筆者は「社長殿」と呼びかけ、「貴紙」への掲載を求めている。したがってこの文章は、新聞自身の報道ではなく、寄せられた投書として載っている。『ポリティカ』は1904年にヴラディスラヴ・F・リブニカルが創刊したベオグラードの日刊紙で、創刊号は4ページ、発行部数は2450部だった。戦争のため1915年9月から1919年12月まで発行が止まっており、1926年の時点では継続的な発行を再開してからまだ7年足らずだった。番号付きで論を立てたこの種の投書を載せることで、ベオグラードの読者は、アドリア海の問題が国全体の利益と専門的判断の観点から論じられるのを目にすることができた。ここで新聞は発表の場を提供しているだけで、スプリトをめぐる結論は投書者自身のものである。投書者の名前は、この読み取りでは判読できない。
原文
Јадранска пруга
но и стручњаци испитати и на основу стечених знања а с погледом на опште наше интересе донети свој закључак. У том смеру, ја вас молим, господине Директоре, да изволите ово моје разлагање о Јадранској Прузи пустити у један од наредних бројева вашег цењеног листа. 1) Само један пажљивији поглед на карту наше земље, на правац планинских греда и речних дубодолина према мору, уверава нас, да је немогуће наћи ниједно од постојећих пристаништа на нашем мору, које би се могло лепезасто везати железничким пругама, преко којих би се извозна и увозна роба могла преносити у све наше центре и производње и потрошње. А само са тако разгранатим железничким саобраћајем могло би једно модерно пристаниште служити на корист целе државе и задовољити све привредне и саобраћајне интересе. Нама се одмах према томе намеће негативан одговор на постављено питање " Може ли се Сплитско пристаниште са пругом Београд-Сарајево -