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· ウィーン(オーストリア) · ドイツ語

Neue Freie Presse

このウィーンの紙面は、ヨーロッパの経済的統合という構想に大きく紙幅を割いた。署名コラムでジークフリート・シュトラコッシュは、パンヨーロッパは諸民族の経済協力から始めるべきだと論じたが、関税を撤廃すれば高関税で不適切な立地に守られてきた産業が倒れ、雇用が脅かされると警告した。オーストリア公使リードルが提案した段階的な引き下げでも危険は残るとした。ユーゴスラビアのバルカン関税同盟構想の報道に触れ、工業化の遅れた国々ではむしろ実現しやすいと見たうえで、鉄協定にならって政府と産業界を交渉の席につかせる道を提案した。別の記事はリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーを清廉で創造的な指導者と絶賛し、その権威の源を、東京駐在の外交官として親ユダヤ的な反ユダヤ主義論を著し日本人女性と結婚した父に求めた。さらに、10月2日から5日にウィーンで開かれる中欧交通会議に向けて、エレメール・ハントシュ、ゲオルク・ゴートハイン、グスタフ・グラーツらの寄稿の一覧を掲げた。

翻訳

パンヨーロッパと経済

名誉博士ジークフリート・シュトラコッシュ

……諸国家の。統一されてパンヨーロッパとなった国家領域になってはじめて、というのではなく、パンヨーロッパへの結合がなお私たちの夢であり期待であるような諸民族の経済的協力である。このような控えめなパンヨーロッパへの第一歩でさえ、ただ力ずくで実現できるものではない。各国の工業家、商工業者、商業界が無条件に国際協力へと歩み寄ることは期待できない。経済上の競争相手は、諸国民やその政治家たちと同様、利点と不利点がはっきりと比較衡量されて明らかにならない限り、感激して互いの腕に飛び込む気にはならないものだ。関税の撤廃――今日だれがそれを押し通そうとするだろうか。だれが関税撤廃のさしあたりの影響を諸国家にとって耐えうるものにする役を引き受けるだろうか。高関税によって誤った立地に人為的に守られてきた産業のどれほどが倒れざるをえず、どれほどの働き口がいっそう危うくなることか! オーストリアの公使リードルが提案したような、慎重に手探りする形で関税をゆっくり引き下げる場合でさえ、危うくなるのだ。新聞報道によれば、ユーゴスラビア政府は商務大臣クラヤチ博士の提案に基づき、バルカン諸国の関税同盟の計画を打ち出すつもりだという。これらの国々の工業化が比較的進んでいないことを考えれば、それはあるいは実行しやすいかもしれない。それに比べ、ヨーロッパのほかの地域ではなんと難しいことか! だが、この方法でうまくいかないのなら、別の、もっと抵抗の少ない方法でならうまくいくかもしれない。諸国家とその工業・商工業を交渉のテーブルにつかせてみてはどうだろうか。いまこそ一度試みてみたら、ちょうど今、鉄協定が成――

リヒャルト・N・クーデンホーフ=カレルギーに寄せて

リヒャルト・N・クーデンホーフ=カレルギーに寄せて。ある現象の肖像。

この人物が存在するということは、慰めであり、すばらしい励ましである。腐敗、思想の破産、なおざり、決断力の弱さ、そして空疎な美辞麗句のただなかに、そのすべての正反対である人物――積極的で、創造的で、実際的で、粘り強く、厳密な人物――がいるということ、それは慰めである。党派根性と締まりのなさと反道徳の押し寄せる汚濁の奔流のなかに、そのすべてを否定する人物――思考の奥底まで清廉で、救済に与する者――がいるということ、それはすばらしい励ましである。この人物からは多くの光が放たれている。彼は足跡を残し、それは輝き、人を惹きつける。これが指導者であるということ、そして彼がいかにしてそうなったかは、驚くべきことだ。ここで一つの意志が世界の無気力と懐疑を打ち砕いたさまは、驚くべきことだ。

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとは何者か、それを知る者は五年前にはごくわずかだった。数人がその名を知っていたのは、同じ名の人物がかつて『反ユダヤ主義』という本を書いていたからだった。この本の著者は伯爵で、帝国・王国の公使館書記官にして東京駐在の代理公使だった。ならば当然、反ユダヤ主義を擁護する本だろうか? 気まずい驚き! この帝国・王国の外交官が書いたのは、まったくの親ユダヤ的な本だったのである。あらゆる抵抗をものともせず、ここでは男らしく自由な声が語っていた。確固たる利害がそう勧めるからといって態度を曖昧にすることも、暗黙の了解がそう勧めるからといって沈黙することも、よしとしない声だった。ここで語っていたのはリヒャルト・クーデンホーフの父であり、職務よりも信念を重んじる人物だった。彼はほかの点でも因習など意に介さず、日本人女性と結婚した。彼女がリヒャルト・クーデンホーフの母となった。二つの古い文化が触れ合い、混ざり合う。目標に到達するまで掘り下げ、食い込んでいく、狂信的なまでの日本的な粘り強さが、内奥から高貴な……の貴族性と、オーストリアで育……の芸術性と結びつく

中欧交通会議

中欧交通会議。ウィーン、10月2日から5日まで。卓越した専門家による寄稿。

「中欧経済協力の可能性」リヒャルト・ライシュ博士
「中欧交通会議に寄せて」ハンス・シュールフ博士
「欧州経済共同体に向けた地域協定」B・シュスター博士(プラハ)
「中欧交通会議について」次官エレメール・ハントシュ博士
「合理化の先駆者としての中欧交通会議」工学博士ゲオルク・ゴートハイン
「中欧のための国際的な交通の自由」F・J・ショー
「ユーゴスラビアと交通会議」S・D・アレクサンダー
「経済協力」グスタフ・グラーツ博士
「鉄道分野における国際化の思想」オットカール・ランカシュ博士

解説

シュトラコッシュが手本に挙げた「鉄協定」

シュトラコッシュは論の結びで、関税を一気に撤廃する代わりに産業界を交渉の席につかせる手本として、成立したばかりの「鉄協定」を挙げている。これはおそらく国際粗鋼共同体のことで、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ザール、ドイツの鉄鋼業界が1926年9月30日、つまりこの号が出るわずか2日前に結成したものだ。これは自由貿易の取り決めではなく生産者カルテルであり、その点がコラムの論理に合っている。シュトラコッシュにとっては、保護されてきた産業や雇用を自由競争にさらすよりも、生産の割り当てを事前にすり合わせる競争相手どうしの交渉のほうが現実的に見えたのである。執筆の時点でオーストリアはまだ参加していなかった。オーストリアの鉄鋼業界がハンガリー、チェコスロバキアとともに加わったのは1927年1月1日であり、ウィーンの読者にとってこの協定は、将来まねるかもしれない外国の例にとどまっていた。

1926年のパンヨーロッパ運動

シュトラコッシュはパンヨーロッパを「なお私たちの夢であり期待である」と述べ、その「控えめな第一歩」を経済協力に求めている。一方の人物評は、クーデンホーフ=カレルギーを、意志の力で世界の無気力を打ち破った指導者、しかも五年前にはほとんど知られていなかった人物として描く。運動はまだ生まれて数年にすぎなかった。クーデンホーフ=カレルギーの著書『パン・ヨーロッパ』は運動への入会申込書を添えて1923年に出版され、1926年には汎ヨーロッパ連合がウィーンで最初の大会を開いた。そこで約2,000人の代議員が彼を中央評議会の議長に選んでいる。紙面に称賛と慎重さが同居している理由の一端はここにある。人物評は世間の評価が高まりつつある創設者をたたえ、経済を論じるシュトラコッシュは、工業家も国家も熱意だけで関税による保護を手放しはしないと警告し、もっと抵抗の少ない別の道を探っている。

父の反ユダヤ主義論と日本人との結婚

この人物評は、クーデンホーフ=カレルギーの道義的な権威の根拠を生まれ育ちに、とりわけ父ハインリヒに置いている。筆者によれば、ハプスブルク帝国の外交官だった父は、反ユダヤ主義を論じた「まったくの親ユダヤ的な」本で読者を驚かせ、日本人女性と結婚して因習に背いた。基本的な事実は確かめられる。ハインリヒはオーストリア=ハンガリーの外交官として日本に駐在し(伝記的な概説では、人物評の言う公使館書記官・代理公使ではなく公使代理とされている)、リヒャルトの母は青山光子だった。ハインリヒは著書『反ユダヤ主義の本質』が自らのユダヤ人への反感を裏づけるものになると考えていたが、1901年に刊行した時には別の結論に達していた。ただし、彼の議論は「親ユダヤ的」という言葉が示すほど一面的ではなかった。単純な人種理論を退けながらも、ユダヤ人が人種的に異なるという見方は受け入れていたのである。人物評は父を「職務より信念を重んじた」人の象徴とし、リヒャルトをその独立心と二つの古い文化の出会いから生まれた人物として描いている。

エレメール・ハントシュと中欧会議の議題

会議の告知は論説ではなく寄稿の題名を並べた一覧だが、名前を見ればウィーンでの会合の狙いが分かる。「次官」と記されたエレメール・ハントシュ(1917年にハンガリー商務省の政務次官となった)は、1925年にユリウス・マインルとともに中欧経済会議を創設した。彼は、内陸水運、郵便、鉄道輸送の協力を強めることで、1918年以降の帝国の共通経済圏の解体によって損なわれたドナウ諸国間の経済的分業を回復できると考えていた。告知のテーマが、交通の自由や鉄道の国際化から「合理化」、欧州経済共同体に向けた地域協定にまで及んでいるのはこのためだ。ハントシュの立場は、同じ紙面に載ったシュトラコッシュの慎重論を理解する手がかりにもなる。彼は無制限の自由貿易の支持者ではなく、ドナウ諸国どうしの段階的な接近と相互の経済的開放を望んでいた。この考え方では、交通網の連結と技術的な調整のほうが、即時の関税同盟よりも抵抗の少ない統合への道だった。

原文

Paneuropa und die Wirtschaft.

Staaten; nicht erst des geeinten, zu Paneuropa gewordenen Staatengebietes, sondern die wirtschaftliche Kooperation jener Völker, deren Zusammenschluß zu Paneuropa noch unseren Traum und unsere Erwartung bildet. Auch ein solcher bescheidener Anfang zu Paneuropa läßt sich nicht einfach herbeizwingen. Es ist nicht zu erwarten, daß die Industriellen, die Gewerbetreibenden und der Handel der verschiedenen Staaten sich bedingungslos zu internationaler Zusammenarbeit finden werden. Wirtschaftliche Konkurrenten sind ebenso wenig geneigt wie die Nationen und ihre Politiker, einander gerührt in die Arme zu fallen, so lange die Vor - und Nachteile nicht klar abgewogen zutage liegen. Die Aufhebung der Zölle, wer wollte sie heute durchsetzen, wer es unternehmen, die nächsten Folgen der Zollaufhebung für die Staaten erträglich zu machen? Wie manche Industrie, künstlich auf unrechtem Platz durch hohe Zölle gesichert, müßte nicht daran glauben, wie manche Arbeitsgelegenheit nicht noch mehr gefährdet sein! Selbst dann gefährdet, wenn die Zölle in jener vorsichtig tastenden Art langsam abgebaut würden, die der österreichische Gesandte Riedl angeregt hat. Die jugoslawische Regierung beabsichtigt nach Zeitungsmeldungen, auf Vorschlag des Handelsministers Dr. Krajac mit dem Plane einer Zollunion der Balkanstaaten hervorzutreten. Bei der relativ geringen Industrialisierung dieser Staaten wäre dies vielleicht eher durchzuführen. Wie schwer dagegen im übrigen Europa! Geht es aber nicht auf diese Weise, so vielleicht auf eine andere, weniger Bedenken begegnende Art. Wie wäre es, wenn man versuchte, die Staaten und ihre Industrien und Gewerbe an den Verhandlungstisch zu bringen? Wenn man jetzt einmal versuchte, so wie nun der Eisenpakt zustande ge -

Gruß an Richard N. Coudenhove-Kalergi.

Gruß an Richard N. Coudenhove-Kalergi. Porträt eines Phänomens. Daß es diesen Menschen gibt, ist ein Trost und eine herrliche Ermutigung. Daß es, inmitten von Zersetzung, Ideenbankrott, Beiläufigkeit, Entschlußschwäche und Phrase einen Menschen gibt, durchaus all dessen Gegenteil: positiv, schöpferisch, sachlich, beharrlich, exakt, das ist ein Trost; daß es in der heranbrausenden Schmutzflut von Parteispirit, Laxheit und Antimoral einen Menschen gibt, durchaus all dessen Verneinung: rein bis ins Geheimnis des Gedankens, Parteigänger der Erlösung, das ist herrlich ermutigend. Viel Licht strahlt von diesem Menschen aus. Er hinterläßt eine Spur, sie glänzt, sie ist verführerisch. Unerhört, daß dies ein Führer ist, und wie er es wurde. Unerhört, wie hier ein Wille die Lethargie und Skepsis der Welt gesprengt hat. Wer das war, Richard CoudenhoveKalergi, das haben noch vor fünf Jahren die wenigsten gewußt. Ein paar Leute kannten den Namen, weil einer, der so hieß, seinerzeit ein Buch geschrieben hatte: " Antisemitismus. " Der Verfasser dieses Buches war Graf, k. u. k. Legationssekretär und Geschäftsträger in Tokio: also selbstverständlich ein Buch für den Antisemitismus? Peinliche Ueberraschung! Der kaiserliche und königliche Diplomat hatte ein durchaus philosemitisches Buch geschrieben. Jeden Widerstands ungeachtet, sprach hier eine mannhafte, eine freie Stimme, nicht gewillt, unentschiedener zu werden, wenn das entschiedene Interesse und zu schweigen, wenn es die schweigende Uebereinkunft empfahl. Der hier sprach, war Richard Coudenhoves Vater, jemand, dem die Meinung über das Amt ging. Er hatte auch sonst für Konvention nichts übrig: er heiratete eine Japanerin. Sie wurde Richard Coudenhoves Mutter. Zwei uralte Kulturen berühren sich, vermischen sich. Die fanatische, schürfende, eindringende, ans Ziel kommende japanische Insistenz geht mit der Aristokratie eines innerst adeligen, mit dem Artistischen des in Oesterreich heran -

Mitteleuropäische Verkehrstagung.

Mitteleuropäische Verkehrstagung. Wien, 2. bis 5. Oktober. Mitteilungen hervorragender Fachmänner. " Möglichkeiten mitteleuropäischer wirtschaftlicher Kooperation. " Von Dr. Richard Reisch. " Ein Gruß an die Mitteleuropäische Verkehrstagung. " Von Dr. Hans Schürff. " Regionalabkommen zur europäischen Wirtschaftsgemeinschaft. " Von Dr. B. Schuster (Prag). " Zur mitteleuropäischen Verkehrskonferenz. " Von Staatssekretär Dr. Elemer Hantos. " Die Mitteleuropäische Verkehrstagung als Bahnbrecher für die Rationalisierung. " Von Dr. - Ing. Georg Gothein. " Internationale Verkehrsfreiheit für Mitteleuropa. " Von F. J. Shaw. " Jugoslawien und die Verkehrstagung. " Von S. D. Alexander. " Wirtschaftliche Zusammenarbeit. " Von Dr. Gustav Gratz. " Der Internationalisierungsgedanke auf dem Gebiete des Eisenbahnwesens. " Von Dr. Ottokar Lankas.

紙面の出典:Source: Oesterreichische Nationalbibliothek / ANNO

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