Evening Star
- 米国、世界法廷問題で動く見込みは薄い
- 100発が乱れ飛ぶ クラン団員と反対派500人が衝突
- イタリアのヨット会談で秘密外交が復活
1926年10月2日のイブニング・スター紙1面は、ワシントンで行き詰まった世界法廷問題とともに、国内の暴力と欧州の外交の駆け引きを伝えた。デービッド・ローレンスは、クーリッジ大統領がジュネーブの列強の対応を上院の留保に対する拒否とみなし、どこを修正したいか上院議員に非公式に尋ねる方針だと報じた。上院議員が問題の蒸し返しを拒むことは分かりきっている、とも書いた。マサチューセッツ州グロトン発のAP電は、自動車で乗りつけた約100人の反クラン派が倒木で道路をふさぎ、野原で集会中のクラン団員約400人に発砲した事件を伝えた。100発以上が撃たれたが、死傷者は報告されなかった。ロンドン発のジョン・ガンサー記者の電報は、リボルノに停泊したヨット上で行われたチェンバレン・ムッソリーニ会談について英国側の公式説明を紹介した。そのうえで、会談は仏独接近に対抗する秘密外交と勢力均衡政治の復活を示すという観測筋の見方を伝えた。
翻訳
米国、世界法廷問題で動く見込みは薄い
……モンタナのカウボーイ、カール・ダンラッドが氷山から投げ縄で捕らえた生きたホッキョクグマ。同船はセイウチやイッカクなど北極圏の標本も積んで帰ってきており、いずれも博物館のために剥製にされる。
米国、世界法廷問題で動く見込みは薄い
次の一手は米国の留保に対応した列強の側にあるとみられる
デービッド・ローレンス
世界法廷をめぐる論争の次の一手は、先ごろジュネーブに集まり、米上院が採択した米国の留保を拒否した列強の側にある。
「拒否した」という言葉は、あえて使っている。クーリッジ大統領は外国政府の行動を米国提案の拒否とみなしているからだ。このことはホワイトハウスで公式に明らかにされた。
大統領はまた、外国政府が拒否した提案は上院自身の提案であり、したがって、外国政府の考えに合わせるために提案の文言のどこを変えたいのかを上院に尋ねなければならない、と考えている。長い討論で時間を失わないよう、大統領は正式な教書ではなく非公式な形で尋ねるつもりだ。
両党の上院議員が大統領に何と答えるかは、はじめから分かりきっている。すなわち、問題を蒸し返して「妥協拒否派」に議論で葬り去らせ、来たる議会の短期会期でほかの重要法案が審議される機会をつぶさせるのは無益だ、ということである。
スワンソン議員と協議
世界法廷をめぐる論戦を指揮した民主党の指導者スワンソン上院議員が、クーリッジ大統領から最初に意見を求められた。スワンソン氏は米国の留保が審議されていたときジュネーブにいたので、外国政府の見方を知っている。
各国はおそらく、米上院が融和的な態度をとり、あの有名な第5留保に付された解釈を受け入れるだろうと考えたのだろう。各国はまもなく、上院の3分の2にその新しい解釈を受け入れさせるのは難しいと知らされることになる。したがって、世界のほかの国々が米国の世界法廷参加を望むのであれば、近く各国政府が米国に宛てる外交文書の文言を変えなければならない。最終的な外交上のやりとりはまだ行われていないので、そうする時間はまだある。
大統領が間に合うように上院の総意を得られれば、米国の見解は国務省から在外の米国大使・公使の一部に非公式に伝えられる。
面子をめぐる反対を懸念
100発が乱れ飛ぶ クラン団員と反対派500人が衝突
ワシントンD.
100発が乱れ飛ぶ クラン団員と反対派500人が衝突
マサチューセッツの激戦で拳銃とライフルが火を噴く
道路に倒木、行く手をふさがれた「騎士」たち
銃撃の中、車は野原を突っ切る――現場にはガラス片が散乱
AP通信
マサチューセッツ州グロトン、10月2日発――昨夜午前0時を回って間もなく、クランと反クラン勢力の計500人余りが拳銃とライフルで撃ち合い、100発以上が発射された。町と州の警察がきょう、この事件を捜査していた。死傷者は報告されていない。
この騒ぎは、過去2年間に州内各地で起きてきた長い一連の騒動の最新のものである。
驚いた近隣住民の通報を受けて町と州の警察が到着したとき、残っていたのは、砕けたフロントガラスの破片が散らばる野原だけだった。
警察によると、自動車に分乗した100人の襲撃隊が、脇道を入った野原で集会を開いていたクラン団員400人を急襲した。襲撃隊は野原沿いの道路の両端に木を切り倒してバリケードを築いたうえで発砲した。
クラン団員は自分たちの車へ急いで駆け込み、応戦しながら、襲撃隊が陣取った倒木の前を通らずに道路へ出ようと、野原を突っ走った。
退職事務職員ら、抗議を検討
イタリアのヨット会談で秘密外交が復活
……昨日の発行部数 99,780 AP通信 2セント
イタリアのヨット会談で秘密外交が復活
チェンバレンとムッソリーニには公表された以上の深い狙いがあるとみられる
公式見解は「ロカルノ精神の推進」
非公式の分析では、新たな勢力均衡の組み合わせが生まれる可能性
ジョン・ガンサー
スター紙およびシカゴ・デイリー・ニューズ紙への海外電報
ロンドン、10月2日発――チェンバレン外相とムッソリーニ首相の謎めいた会談で何があったのか。本特派員が得た信頼できる情報によれば、次のとおりである。
第一に、チェンバレン氏は、現在ロカルノ条約を土台としている欧州の安定は、いずれ関係各国との個別の「了解」によって補強されなければならない、という英国の見解を示した。
第二に、ブリアン、シュトレーゼマン両外相によるチオリーでの有名な昼食会が仏独協商の宣言に結実したことを踏まえれば、英国とイタリアの代表者が同じような半ば秘密の会話を交わしても「害はない」とした。
全般的な協調を希望
第三に、そうした会話は、2国ずつを潜在的な対抗勢力として組ませることではなく、むしろ全体を何らかの汎欧州的な協調にまとめ、ロカルノの姿勢をいっそう強調することを目指すべきだとした。
ムッソリーニ首相がこれらの提案に心からの共感を示す以上のことをしたかどうかは分かっていない。
英国の姿勢についての慎重な説明は、筆者が高い権威筋から得たところでは以上のとおりである。
大半の観測筋は、まったく別の方向で、もっと深い何かが起きたと感じている。1月にラパッロでチェンバレン、ムッソリーニ両氏が1時間にわたり私的に会談した結果、何が起きたかは誰もが知っている。その後の出来事に照らして、英国は、イタリアがトルコに対して小アジアへ進出しても[?]目をつぶる……と推測されてきた。その結果、トルコはイタリアのはったりの前にモスル問題で屈した。まもなく、アビシニアをめぐる英伊間の合意がそれに続いた。
より深い問題が浮上
多くの観測筋は、国際関係の何らかの局面をめぐって同じような話し合いが、リボルノの美しいヨット「ジュリアナ」号の上で行われた可能性は十分にあると考えている。
端的に言えば、仏独の了解に対抗して均衡をとるためにいつかそうした了解が必要になった場合に備え、英国とイタリアが「了解」への道を開いたのかもしれない、という感触である。
言い換えれば、多くの観測筋は、リボルノはチオリーの論理的な後継として現れたと考えている。秘密の私的会談の時代が欧州に再来した。勢力均衡の考え方がよみがえったのである。
(著作権 1926年 シカゴ・デイリー・ニューズ社)
ムッソリーニに休養勧める
チェンバレン、イタリア首相にそう助言と伝えられる
ローマ、10月2日(AP)――英外相オースティン・チェンバレン卿は……
解説
上院の留保がジュネーブで行き詰まった理由
ローレンスのコラムの焦点は「有名な第5留保」にある。ジュネーブに集まった列強が、上院の書いた形のままでは受け入れなかった条件である。常設国際司法裁判所の標準的な説明によると、米国は自国が関わる事件について拒否権を求め、ほかの国々はその考えを退けた。これで、ローレンスが描く八方ふさがりの状況が理解できる。クーリッジは列強と直接妥協案をまとめることはできなかった。新しい文言は上院に戻す必要があり、コラムも指摘するとおり、そこでは3分の2の賛成が要ったからである。上院で法廷参加への反対の先頭に立っていたのは、最大の反対者だったアイダホ州選出の共和党上院議員ウィリアム・ボラーである。当面は何も動かないというローレンスの見通しは的中した。法廷議定書が署名されたのは1929年12月9日になってからで、その条約も1935年1月29日に上院で7票差で否決された。米国が法廷に加わることはついになかった。
マサチューセッツで2年続いたクラン衝突の背景
AP電はグロトンの銃撃戦を、過去2年間の「長い一連の騒動の最新のもの」と位置づけている。ほかの記録を見ても、この構図は裏づけられる。1920年代初め、マサチューセッツ州東部・中部の小さな町では、クランの集会や十字架焼きがかなり頻繁に行われるようになっていた。復活したクランはカトリック教徒、ユダヤ人、移民を標的とし、州内ではアイルランド系米国人が政治力を強めるなかで反アイルランド感情が再燃していた。対立は公然と政治的な性格を帯びていた。1924年10月のウースターでのクラン大集会を前に、地元紙は、クランの演説者が同年7月の「ランカスターでのクラン乱闘」を受けてデービッド・I・ウォルシュ上院議員を攻撃するとともに、ボストンのジェームズ・M・カーリー市長がクランを敵視し、集会を妨害したとされることを非難する予定だと報じていた。ニューイングランドで開かれたクランの集会として史上最大だったこのウースター集会は、真夜中ごろ暴動に発展した。クラン団員の車は石を投げられ、焼かれた。その後、地域のクラン会員は減っていった。野外の集会をバリケードで囲み、フロントガラスを砕いたグロトンの待ち伏せ襲撃もこの流れに当てはまる。ただし、衝突の詳細はAPが伝えた警察の説明にしか基づいていない。
リボルノのヨット会談の背景にあったロカルノ条約
チェンバレンは「ロカルノ条約を土台とする」欧州の安定を補強したかった、というのがガンサーが伝えた英国の公式説明であり、その前提には1925年末の取り決めがある。イタリアはロカルノの主条約の締約国だった。ロカルノ会議ではビットリオ・シャローヤ上院議員がイタリアを代表し、ムッソリーニも随時出席した。チェンバレンは条約の主要交渉者の一人として、1925年のノーベル平和賞を受けている。ヨット会談は、条約の要となる条件が満たされたわずか数週間後に行われた。1926年9月10日、ドイツが常任理事国として国際連盟に加盟したのである。記事は、ブリアンとシュトレーゼマンのチオリーでの昼食会を、仏独の了解が明確になった瞬間として描いている。ガンサーが引く観測筋は、リボルノ会談をそれに対抗する英伊の重しとみなし、集団的な「ロカルノ精神」に代わって勢力均衡が復活したと読んだ。これはあくまで観測筋の解釈である。報じられた英国の公式見解は、むしろ全般的な汎欧州的協調を強調していた。
ガンサーが持ち出したモスル問題の決着
トルコは「イタリアのはったりの前にモスル問題で屈した」とガンサーは書いているが、これはこの紙面が出る数カ月前に決着した紛争を指している。1926年6月5日、トルコ、英国、委任統治下のイラクがアンカラ条約に調印し、モスル州はイラクに帰属することになった。トルコは、モスルの石油収入からイラク政府に入る使用料の10%を25年間受け取ることになった。条約の記録から分かるのは結果であり、ガンサーが示唆する動機ではない。英国がラパッロで小アジアへのイタリアの進出を容認する意向を示し、その圧力がトルコを屈服させたという見方は、彼自身が観測筋の間で「その後の出来事に照らして推測されてきた」ものだと書いている。アビシニアをめぐる英伊の合意をこの会談と結びつける記述も同様である。どちらの主張も、確認された取引ではなく、東地中海と紅海周辺で英伊が互いに支持を融通し合っているという当時の憶測として読むのが妥当だろう。
原文
U. S. HELD UNLIKELY TO ACT ON COURT
live polar bears lassoed by Carl Dunrud, a Montana cowpuncher, from an iceberg. It brought a cargo of walrus, norwhal and other Arctic specimens, all of which will be mounted for the museum. U. S. HELD UNLIKELY TO ACT ON COURT Next Move Believed Up to Powers Which Acted on U. S. Reservations. BY DAVID LAWRENCE. The next move in the World Court controversy is up to the powers who assembled at Geneva recently and rejected the American reservations which had been adopted by the United States Senate. The word " rejected " is used advisedly. For President Coolidge regards the action of the foreign governments as a rejection of the American proposal. This was officially disclosed at the White House. The President also feels that the proposal which the foreign governments rejected was the Senate's own proposal and that, therefore, he must ask the Senate what it desires to change in the wording of the proposal to conform to the ideas of the foreign governments. He proposes to do the asking in informal fashion rather than by formal message, so there will be no time lost in extended debate. It is a foregone conclusion what Senators of both political parties will tell himnamely, that it is useless to reopen the question and permit the " irreconcilables " to talk it to death and destroy chances of having other important legislation acted on at the coming short session of Congress. Confers With Swanson. Senator Swanson. Democratic leader, who handled the fight for the World Court, was the first consulted by President Coolidge. Mr. Swanson had been in Geneva at the time the American reservations were under consideration, so knows the viewpoint of foreign governments. Possibly they thought the American Senate would be conciliatory and would accept the interpretation placed on the famous fifth reservation. They will shortly be advised that it would be difficult to get two-thirds of the Senate to accept the new interpretation. So if the rest of the world wants the United States in the World Court, the language of the diplomatic note to be addressed to the United States soon by other governments must be changed. There still is time to do it for the final diplomatic exchanges have not been carried out. The views of the United States will be told informally to some of the American Ambassadors and Ministers abroad by the Department of State if the President can obtain a concensus of the Senate in time to do so. Fear Opposition Over Pride.
100 SHOTS GO WILD AS 500 KLANSMEN AND FOES BATTLE
WASHINGTON, D. 100 SHOTS GO WILD AS 500 KLANSMEN AND FOES BATTLE Revolvers and Rifles Crack at Pitched Fight in Massachusetts. KNIGHTS BLOCKED OFF BY TREES ACROSS ROAD Cars Forced Through Fields Under Fire-Grounds Littered With Glass. By the Associated Press. GROTON, Mass., October 2. - A revolver and rifle battle between Klan and anti-Klan forces numbering more than 500 persons, in which more than 100 shots were fired shortly after last midnight, was under investigation today by town and State police. No casualties were reported. The disturbance was the latest of a long series, which have occurred in various parts of the State in the past two years. A field littered with the remains of splintered windshields was all that remained when town and State police arrived in response to calls ' of alarmed residents of the vicinity. An attacking party of 100 persons in automobiles surprised 400 Klansmen meeting in a field off a side road, and after felling trees to barricade either end of the highway by the field, they opened fire, according to the police. Klansmen scurried to their machines, meanwhile returning the fire, and sped through the fields seeking to gain the road without passing the trees, behind which the attacking party had taken a stand. RETIRED CLERKS CONSIDER PROTEST
SECRET DIPLOMACY REVIVED AT ITALIAN YACHT CONFERENCE
esterday's Circulation, 99, 780 Associated Press. TWO CENTS. SECRET DIPLOMACY REVIVED AT ITALIAN YACHT CONFERENCE Chamberlain and Mussolini Believed to Have Deeper Motives Than Are Revealed. PROMOTION OF LOCARNO SPIRIT, OFFICIAL VIEW New Balance of Power Grouping Is Possible Result, in Private Analysis. BY JOHN GUNTHER. By Cable to The Star and Chicago Daily News. LONDON, October 2. - What happened at the mysterious conference between Foreign Minister Chamberlain and Premier Mussolini is as follows, according to reliable information received by the correspondent: First. Mr. Chamberlain presented the British viewpoint that the stability of Europe, now predicated upon the Locarno treaties, must in time be reinforced by individual " understandings " with various countries concerned. Second, that in view of the celebrated luncheon at Thiory between Foreign Ministers Briand and Stresemann, culminating in the declaration of a Franco-German entente, " no harm " would result from similar quasi-secret conversations between the spokesmen of Great Britain and Italy. General Accord Desired. Third, that such conversation should aim not at grouping pairs of powers as possible rivals, but rather at combining all in some sort of panEuropean accord, further emphasizing the Locarno attitude. Whether Premier Mussolini went beyond cordial sympathy with these proposals is not known. So much for the cautious exposition of the British attitude, as it came to the writer on high authority. Most observers feel that something deeper occurred in quite a different direction. Every one knows what happened in January as a result of the private hour between Messrs. Chamberlain and Mussolini at Rapallo. It has been assumed in the light of subsequent events that Great Britain [?] to wink if Italy should move into Asia Minor against Turkey-with the result that Turkey surrendered on the Mosul question before Italy's bluff. The agreement between Great Britain and Italy over Abyssinia followed soon after. Deeper Issues Discovered. It is in the mind of many observers that it is quite within the range of possibilities that some similar discussion over some phase of international relations took place on the pretty yacht Giuliana at Leghorn. Put brusquely, it is the feeling that Great Britain and Italy may have paved the way for an " understanding, " in case any such understanding ever is necessary to balance the Franco-German understanding. In other words, many observers believe that Leghorn has come as a logical successor to Thiory. The age of secret private conferences has come again to Europe. The concept of the balance of power has been revived. (Copyright, 1926, by Chicago Daily News Co.) MUSSOLINI URGED TO REST. Chamberlain Quoted as Advising Italian Premier Thus. ROME, October 2 (AP). - Sir Austen Chamberlain, foreign secretary for
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料