Le Petit Matin
- 内閣の情勢
- 税関関係
- 貯蓄金庫
1926年10月2日付のこの第一面には、議会のうわさ話とパリ発の短い公式発表が並んだ。議会記事は、「マメールの男」ジョゼフ・カイヨーがブルボン宮の廊下に姿を見せただけで、まばらで手持ち無沙汰な議員たちにいくらかの活気が生まれ、彼が去ると会話は再びいつもの調子に戻った様子を描いた。パリ発の短信は、翌日の『官報』に載る政令でラ・ロシェルとモンペリエの地方税関管理局が廃止されると報じ、10月1日現在の貯蓄金庫の預け入れが払い戻しを2900万上回ったと伝えた。税関の記事の直前には、ヨーロッパの深刻な情勢に触れたレーモン・コルラ署名の記事の結びの一文があり、海港に関する国際条約をめぐる記事の冒頭も載った。
この読解は、一部しか判読できない紙面から取った三つの短い一節に限られる。カイヨーの記事は前後が切れている。税関の記事は、ほかには書き起こしていないレーモン・コルラの記事の最終行から始まる。貯蓄金庫の記事は、海港に関する別の記事の途中で途切れる。紙面のほかの部分にある細かい活字、途切れた続き、不鮮明な数表は書き起こしていない。貯蓄金庫の数字には通貨単位が記されていない。
翻訳
内閣の情勢
[?] ジョゼフ・カイヨー氏がブルボン宮の廊下に姿を現しただけで、手持ち無沙汰の議員たちのまばらな人だかりにいくらかの活気が生まれ、ちょっとした気晴らしとなった。その中には元大臣も何人かいた。なにしろ代議士というものはみな、大臣を務めたことがあるか、現に務めているか、あるいは再び務める可能性があるのだ。そして「マメールの男」が姿を消すやいなや、会話はまたいつもの調子で続いていった。[?]
税関関係
……と考える。なぜなら、ヨーロッパの現状ほど深刻な情勢にあっては、人間の影響力など事の成り行きの力の前では何の役にも立たないからである。レーモン・コルラ
税関関係
パリ、10月1日発――明日の『官報』に掲載される政令によって廃止される二つの地方税関管理局は、ラ・ロシェルとモンペリエの管理局である。[?]
貯蓄金庫
[?] パリ、10月1日発――10月1日現在、貯蓄金庫の預け入れは払い戻しを2900万上回っている。
海港に関する国際条約
パリ、10月1日発――政府は
解説
カイヨーが議会の廊下に現れただけで話題になった理由
この記事は、カイヨーがブルボン宮に姿を見せたこと自体を政治的な出来事として扱っており、その理由は彼の直近の経歴から分かる。彼は1年余りの間に2度フランスの財務相を務めていた。1925年4月からはパンルヴェ内閣で、1926年6月23日からはブリアン内閣で財務相兼副首相として入閣した。財政再建のため政令で立法する権限を下院に求めたところ、エリオを先頭とする左派の反対に遭い、ブリアン内閣は1926年7月19日に倒れた。続いてポワンカレが7月23日に第4次内閣を組織し、急進派が旧ブロック・ナシオナルに合流したことで、下院に「ユニオン・ナシオナル」と呼ばれる大多数派を得た。当時のカイヨーはもはや代議士ではなく、1925年7月に選ばれたサルト県選出の上院議員だった。紙面の「マメールの男」という呼び名は、1898年から1919年まで彼が下院で代表したサルト県マメールの選挙区にちなむ。元首相であり、ほんの数週間前に財務相の座を追われ、しかも左派との溝を深めていた急進派の彼は、内閣の情勢が取り沙汰されるなかで、代議士たちにとって当然目が離せない存在だった。残っている断片から分かるのは彼が引き起こしたざわめきだけで、議員たちが内閣について実際に何を語ったのかは分からない。
税関の削減とポワンカレの政令による経費節減
ラ・ロシェルとモンペリエの地方税関管理局が「政令によって」廃止されるという記事は、より大きな行政経費削減の動きのさなかに出た。1926年に首相に返り咲いたポワンカレは、財政の立て直しを掲げていた。1926年8月3日の法律第1条に基づき、彼の政府は政令による立法(デクレ・ロワ)を行い、その一つである1926年9月10日の政令は、全国286の郡庁(スー・プレフェクチュール)のうち106を廃止した。この改革は1922年にルイ・マランが委員長を務めた議会委員会に端を発し、ほかにも多くの行政機関を再編・簡素化した。地方税関の廃止も、国家の地方機構を刈り込むという同じ流れに沿うものだが、税関の政令がどの権限に基づくものかは紙面には書かれていない。もし同じ権限によるものだったとすれば、そこには皮肉があった。7月にカイヨーは同種の権限を求めて拒まれ、その要求がブリアン内閣の崩壊を招いていたからである。紙面が伝えているのは二つの都市名と官報掲載の日付だけで、見込まれる節減額や職員の処遇には触れていない。
貯蓄金庫の数字をとりまく財政状況
紙面が伝えているのは、10月1日現在で預け入れが払い戻しを2900万上回ったということだけで、通貨単位も理由も書かれていない。背景には、1925年から26年にかけて財政への信認をめぐって苦闘していたフランス国家の姿がある。1925年4月にカイヨーが財務相に呼び戻されたとき、彼の任務は特に危機的とみなされていた財政状況の立て直しだった。通貨供給量はなお急増しており、フランス銀行の虚偽の貸借対照表をめぐるスキャンダルが、フランス国債に対する国民と投資家の信頼を損なっていた。ポワンカレのユニオン・ナシオナル内閣は、デフレ的な経済政策を実行するため、大多数派を背に1926年7月に発足した。こうした状況のもとで、貯蓄金庫への資金の純流入は、信認回復を目指す政府にとっておそらく歓迎すべき知らせだった。ただし紙面は、まさにこの数週間に預金者がなぜそのように行動したのかを説明しておらず、報じられた一時点の収支だけでは、信認が回復したことまでは示せない。
原文
La situation du Cabinet
[?] Il a suffi que M. Joseph Caillaux fît son apparition dans les couloirs du Palais-Bourbon pour qu'un peu d'animation vînt distraire les groupes clairsemés des parlementaires désœuvrés. Il y avait parmi eux quelques anciens ministres, tous les députés l'ayant été, l'étant ou ayant la possibilité de le redevenir. Et dès que l'homme de Mamers eut disparu, les conversations allèrent leur train. [?]
Dans les Douanes
croit, car dans une situation aussi grave que celle de l'Europe l'influence des hommes ne peut rien contre la force des événements. Raymond COLRAT. Dans les Douanes PARIS, 1 octobre. - Les deux directions régionales des douanes supprimées par décret paraissant demain à l ' «Officiel» sont celles de La Rochelle et de Montpellier. [?]
La Caisse d'Epargne
[?] PARIS, 1 octobre. - Les dépôts de la caisse d'épargne, à la date du 1er octobre sont en excédent de 29 millions sur les retraits. La Convention internationale des ports maritimes PARIS, 1 octobre. - Le Gouvernement