L’Écho annamite
- 現地人運転手には共済会をつくる権利がない
- 植民地評議会選挙
- 知事代理
1926年9月29日付『レコー・アンナミット』は、日々の暮らしの不安と選挙をめぐる約束を同じ紙面で伝えた。辛辣な論説は、共済制度、家族の生活保障、旅先で眠る場所を求める運転手たちを取り上げ、歴代の当局者が請願を放置したと批判した。Truong-Van-BênとNguyên-Phan-Longは綱領の提示を控えつつ、自主独立の姿勢、粘り強い要求、愛国的な連帯を掲げて再選への支持を訴えた。その傍らには、投票への介入を禁じ、全職員への周知を確認するよう命じたル・フォル知事代理の通達が掲載された。
翻訳
現地人運転手には共済会をつくる権利がない
社会主義者ヴァレンヌの治世下で
ひどい稼業だ!
このご時世に、いや、もっと正確にいえば、これほど多くの自動車が走り回るご時世に、危険を伴う仕事といえば、まさしく運転手である。
それを知るには、「ひかれた犬」の三面記事、さらには「機械の怪物」によって人間がどろどろにされた記事に目を通すだけでよい。
多くの危険を伴う運転手の仕事は、その当然の帰結として、従事する者に絶え間ない注意力を、時には並外れた冷静さを要求する。
ふと気をそらす、不器用な動きをする、ほんのささいなこと、それだけで惨事となり、当然の成り行きとして、その後にはしばしば訴追と、それに付きまとう厄介事が待っている。
自分や他人の負傷、障害、さらには死。罰金、投獄、雇い主、警察、裁判官、新聞、被害者からのお叱り。ただし、その被害者こそ、たいていの場合、事故の責任を負うべきなのだが。なるほど、少しも楽しくない見通しである!
それでも、われらが記者たちが無造作に、また手厳しく「無謀な運転手」と呼ぶ人々は、たいてい気のいい、善良な連中だ。
われわれの知る限り、彼らが故意に車を犯罪の道具や殺人の武器として使ったことは一度もない。
彼らが引き起こす害は、われわれも嘆いているし、彼らもわれわれと同じほど、いや、それ以上に嘆いている。その害を、彼らは悪意なく引き起こしてしまうのであって、本人の意図とは無関係なのだ。
罪のない者が、彼らに石を投げるがよい!
多くの危険を伴い、従事する者に絶え間ない注意力を要求する運転手の仕事には、決まった勤務時間がない。
運転手は、いわば農奴である。いつでも出発できるようにしている。主人の命令ひとつで、さあ、ハンドルを握れ! 出発だ! プップップッ! 雨が降ろうが風が吹こうが、暑かろうが寒かろうが、暗かろうが明るかろうが!
決まった勤務時間のない運転手の仕事には、日曜日も祝日もない。いや、それどころではない。休息の日と呼ばれる日こそ、運転手にとっては余分な苦役の日なのだ。休暇中の雇い主は旅行や散歩に出かけ、運転手たちは大忙しだ!
いわば農奴である運転手は、ある意味では砲兵でもある。砲兵は演習から戻ると、自分の世話をする前にラバの世話をする。運転手も旅から戻ると、自分の身の回りを気遣う前に、馬……ならぬ馬力の世話をする。
君主制の下では、生きたロバは死んだ王より価値がある。共和国では、兵士はラバより安くつく。植民地では、自動車は大切にされ、運転手は取るに足りない。社会主義者ヴァレンヌの太守支配の下でさえそうなのだ。インドシナの運転手はオーヴェルニュの有権者ではないからか?
ある謙虚で恭しい請願のいきさつ
仕事に付きまとうさまざまな不測の事態を前に、アンナン人運転手たちは共済会を結成する必要を感じていた。
われわれの幸せな国では、現地の人々に結社の自由はない。
したがって、どうしても必要な政府の許可を願い出るほかなかった。
そこで1925年12月17日、謙虚で恭しい請願書がモーリス・コニャック氏に送られた。18人の職業運転手が署名し、それぞれの住所を記していた。
設立を予定する団体の規約の写しも添えられた。
この規約には革命的なところなど何もなかった。
請願者たちはストライキ権も、賃上げも、8時間労働制も求めていなかった。
彼らの目的は控えめすぎるほどで、政府の許可を得て長年活動してきた現地人共済組合の大半と同じだった。病気や失業の際の金銭的援助、亡くなった会員の未亡人や遺児への救済などである。
この運転手たちが望んだのは、仕事中の事故で自分が死んだとしても、妻子が飢え死にせずに済むことだった。賢明な備え。正当な願い。一家の父としての務めについての健全な考え方である。
ところが、ここから彼らの要求は法外なものになる。彼らは、庇護してくださる行政当局に、補助金を受けているバンガロー式宿泊所に、通りがかりの運転手のための休泊所を付け加えてほしいと頼んだのだ。ああ、ごく簡単なものでいいからと!
請願者たちは、厚かましくもこの点にこだわりすぎた! 問題の宿泊所には機械の馬力のための車庫はちゃんとあるのに、運転手という人間の顔をした馬のためには、ほんの小さな馬小屋さえない、と不平を述べたのである!
ほら、先ほど申し上げたとおり、この人々などまったく取るに足りないのだ!
さらにこの連中は、蚊に刺されるのを防ぎ、旅の疲れを癒すために、泊まる場所があればありがたいと付け加えるほど図々しかった。そのうえ、わずかな快適さもなく、夜よく眠れなければ、翌日にきちんと運転することはできないと主張した。
最後には、どうだ、この理屈屋どもは! 自分たちにそのわずかな快適さを認めることは、雇い主自身の利益にもなると言ったのである。よく働くには十分に休んでいなければならないという原則に従えば、そうすることで事故をいっそう防げるし、旅行もあらゆる点でよくなるというのだ……。
コニャック氏は何をしたか? コニャック氏は、立派な緑色の書類ばさみの中に請願書を葬り、その上でデ・プロフンディスを唱える手間さえかけなかった。善良なる医師は、この貧しく哀れな死者をそれ以上気にも留めなかった。診てやるべき、生きた金持ちの患者がいたからだ。たとえばNgô-châu-man氏とTrân-trinhTrach氏。二人ともカマウとバクリエウの泥の中に幾度も潜り込んだせいで、急性の「ピアストル炎」にかかっていた。善良なる医師には、ほかにも片づける用事があった。たとえば、植民地評議会の文書を「いじくり回す」仕事である。
「コニャックではどうにもならない!」と、われらが運転手たちは考えた。「われらが」とは言葉のあやで、われわれの運転手というわけではない。「ル・フォルなら、もっと見込みがあるかもしれないぞ?」
彼らはル・フォル氏に会いに行った。
ル・フォル氏は約束した……そして忘れた!
1926年4月のことだった。ル・フォル氏はアルヌー氏と一緒に、ちょっとした汚い仕事の準備に忙しかった。架空の騒乱扇動者たちの家に対する違法な家宅捜索である。そのために、飲むことも食べることも眠ることも忘れていた。運転手たちの謙虚で恭しい請願を考える暇などなかったのだ!
運転手たちが、もう何もかも投げ出してしまおうとしていたとき、ドナウの農夫の、失礼! われらが総督の豊かなひげの中に、一筋の希望の光が見えた。
社会主義者だ! これは「うまくいきそう」に見えた!……。
ところがどうだ! 少しも「うまくいかなかった」!
7月30日に送られた手紙に――親愛なる読者よ、私が日付をきちんと示していることにお気づきだろうか――ヴァレンヌ氏は何の返事もしなかった。そして今なお死んだふりを続けている。彼の中の社会主義者は、完全に息の根を止められてしまったのである。
当たっているかどうかはともかく、ヴァレンヌ家では奥方が実権を握っていると考えた運転手たちは、書留の手紙で夫人に頼み込んだ。この件について送ったものは、すべて書留である。自分たちの謙虚で恭しい請願を「その強力なお口添えによって」後押ししていただきたい、と。
奥方は旦那様と同じことをした。今もなお沈黙を守っている。
E. DEJEAN de la BATIE.
植民地評議会選挙
1926年10月10日投票
第2選挙区:サイゴン、チョロン、タナン、ミトー
選挙声明
親愛なる同胞、有権者の皆様、
4年前に皆様から負託を受けたわれわれの任期が、終わりを迎えました。
われわれは力の限りその務めを果たし、そこから得たものは道義的な満足だけでした。もっとも、われわれにとってそれは、妥協や良心の放棄の見返りに与えられる行政上の恩恵などより、はるかに望ましい報酬です。
われわれは行政当局に対して自主独立の姿勢を保ってきました。それは何の利益ももたらさない一方、時には危険を伴うものでした。そうすることで、われわれはただ自らの義務を果たしたにすぎません。皆様の票を求めたとき、われわれは皆様に対して約束をしたからです。国の利益がかかる時々に、その約束の重さを痛感し、言葉をたがえない誠実な人間として、これを厳格に守ってきました。
自らの良心に照らして背かなかったと信じるこの負託を、再びわれわれにお与えいただきたいとお願いする次第です。
われわれは皆様に綱領をお示ししません。約束の実現が、それをする者の善意にも願いの強さにも左右されないとき、そんな約束がいかにむなしいかを経験が教えてくれたからです。それに、アンナン人の社会的、政治的地位に関してなお解決を待つ問題の大半は、今日も差し迫った問題であり、必然的にわれわれの注意を求めています。これらの問題から生まれた正当な要求を、時の経過によって失効させはしません。認められるまで、たゆまず要求し続けます。
われわれの行動は、これまでと同じく、あらゆる状況に適応できるだけの柔軟さを持ちながら、義務の道を踏み外さないだけの堅固さも備えた行動原則に従います。すなわち、われわれに負託した人々の利益を守り、その思いと願いを忠実に表すという心構えです。
われわれは、極端な思想や言葉のまぼろしによって皆様の票を得ようとは思いません。われわれが票をお願いし、皆様が票を与えてくださる、その行為を通じて、互いの手が兄弟として結ばれることを願っています。そして、まだ足取りのおぼつかない病み上がりの人をいたわるように、愛する祖国を優しく気遣いながら導き、その運命へと向かわせたいのです。われわれはいつの日か、1870年の後にフランスのある偉大な政治家がフランスについて語った言葉を、祖国について言えるようになることを目指さねばなりません。「彼女はひざまずいていた。私が再び立ち上がらせたのだ!」
この孝心の行いを通じて、われわれは民族の永続と国の未来への信念を、ともに分かち合うでしょう。今この時の悲しみと失望にもかかわらず、われわれは希望を持たねばならず、過去の声に耳を傾けねばならないからです。われわれには [?] [?] [?] [?] [?]。一つの民族として、われわれが落胆に身を任せることは許されません。諦め、すべてを投げ出す民族は滅亡を運命づけられるからです。そしてアンナン民族は、浮き沈みの多い歴史を通じて、あまりにも見事な生命力を示してきました。滅亡を宣告された諸民族の運命を、甘んじて受け入れることなどできません。
親愛なる同胞の皆様、われわれはこの信念を示す行いに皆様をお招きします。多くの方々が加わり、その意義が望まれる限り十分に広がることを願っています。
TRUONG-VAN-BÊN、NGUYÊN-PHAN-LONG.
知事代理
コーチシナ
政府官房長、各省の行政長官、地方各部局長宛。総局各部局長にも回付。
サイゴン、1926年9月29日。
コーチシナ知事代理の職務に就いて以来、私は幾度となく、選挙に関して厳正な中立を保つことは行政当局の義務であると考える旨を表明してきました。
植民地評議会の改選が近づくに当たり、この件についてすでに皆様に申し述べた注意事項を、ここに最も正式な形で再確認したいと思います。
皆様自身であれ、その部下であれ、いかなる性質の働きかけによっても、自由な投票意思の表明に影響を及ぼすことのないよう、私は明確に望みます。
また、この微妙な問題において、皆様が職責について抱いておられる高い自覚を全面的に信頼できると確信しています。私自身に課している厳正な公平の原則に対し、いかなる理由であっても、皆様自身も、その周囲の者も違反することはないと信じます。この原則からの逸脱を一切お認めにならぬよう、切に求めます。
本通達を受領した旨を遅滞なくご回答いただくとともに、指揮下の全職員にその内容を明確かつ実効的に伝える措置を至急講じたことを、私に証明してくださるようお願いします。
署名:A. LE FOL.
解説
行政の許可に左右された共済
運転手たちの要求は、病気、失業、死亡によって家族の支えが失われるという、日常的な職業上の危険を共同で負担するためのものだった。コーチシナには現地人の共済組織の先例があり、2019年に公刊されたアドリアン・ローバの法制史書誌は、現地人教員の共済会の会報を、早くも1915年の刊行分から記録している。したがって、この論説は、運転手たちが既存の団体と同様の扱いを求めていると描いている。政府の許可が不可欠だったと述べ、18人が1925年12月17日に規約と請願書を提出したと説明する。その処理について記事が告発するのは、行政の不作為である。コニャックは棚上げし、ル・フォルは約束を忘れ、ヴァレンヌ夫妻は沈黙したという。ささやかな家族の生活保障さえ、当局者が返事をする気になるかどうかに左右されるという点に、この批判の鋭さがある。
政治的平等を伴わない代表制
代表権の制限は、候補者たちがアンナン人の政治的地位を未解決の問題とした理由を理解する手がかりになる。1926年の『ブリタニカ百科事典』補巻によれば、植民地評議会における現地人の代表は全体の12分の5だった。選挙権を持つのは、前科がなく、財産、学歴、特定の公職、フランスへの貢献のいずれかによって資格を得た、フランス臣民である現地人男性だった。これは、身分によって区別された植民地制度の中での政治参加だった。その制度的背景の下で、選挙声明は正当な要求を訴え続けると約束しつつ、評議員の善意だけでは実現を保証できないと認めている。綱領を示さないという姿勢は、行政上の恩恵から独立してきたという主張と結び付いている。抜粋自体は、未解決の社会的、政治的要求を具体的に列挙していない。有権者に明確に提示しているのは、忠実な代表と粘り強い働きかけである。
行政の指揮系統を通じた中立の徹底
ル・フォルの通達は、中立を行政の指揮系統に沿って徹底すべき義務とした。各省の行政長官や部局の責任者は、自分自身と部下による介入を防ぎ、至急指示を回覧し、指揮下の全員に伝えたことを証明するよう求められた。つまり、有権者に影響を及ぼし得る当局者自身に、周知と監督の責任を負わせる仕組みだった。この問題の制度上の重みは大きい。同時代の『ブリタニカ百科事典』の記述では、インドシナ総督には植民地評議会を解散または停会する権限があった。したがって、行政に自制を求めたル・フォルの指示は、強い執行権力の下で行われる選挙に向けられたものだった。通達が定めたのは、受領の回答と、指揮系統全体に指示を伝えたことの証明であり、独立した選挙監督制度は規定されていなかった。
原文
Les chauffeurs indigènes n'ont pas le droit d'avoir leur amicale
[?]........ [?] [?] mois........ 22 $ 00 Pour les abonnements et les envoi Sous le règne du socialiste Varenne Les chauffeurs indigènes n'ont pas le droit d'avoir leur amicale Un sale métier! Par le temps qui court, - ou, plus exactement, par ce temps où courent tant d'automobiles, - s'il est un métier qui comporte des risques, c'est bien celui de chauffeur. Il suffit, pour s'en apercevoir, de parcourir la chronique «des chiens écrasés», voire des gens mis en marmolade par les «monstres mécaniques». Le métier de chauffeur, qui comporte bien des risques, suppose, - corollaire naturel, - de la part de qui l'exerce, une attention soutenue, parfois un sang-froid peu ordinaire. Une distraction, une maladresse, un rien, et c'est la catastrophe avec ses suites logiques, dont souvent des poursuites judiciaires avec leur cortège d'ennuis. Blessures, infirmités, mort même pour soi ou pour autrui: amendes, prison, admonestations du patron, de la police, des juges, de la presse, de la victime, - à laquelle, cependant, dans la plupart des cas, revient la responsabilité de l'accident: voilà, certes, une perspective peu réjouissante! Pourtant, ceux que nos reporters traitent avec désinvolture et sévérité de «chauffards» sont généralement bons garçons, braves diables. A notre connaissance, ils ne se sont jamais sciemment servi de leur voiture comme d'un instrument criminel, comme d'une arme meurtrière. Les maux qu'ils causent, - et que nous déplorons, - et qu'ils déplorent autant que nous, sinon davantage, - ils les causent innocemment, leur volonté n'y est pour rien. Que celui qui est sans péché leur jette la pierre! Le métier de chauffeur, qui comporte bien des risques, qui exige une attention soutenue de qui l'exerce, ne connaît pas d'heures régulières de service. Le chauffeur est un serf à sa manière: il est toujours prêt à partir. Un ordre du maître, et, hôp! au volant! et en avant! coin, coin, coin! qu'il pleuve ou qu'il vente, qu'il fasse chaud ou froid, qu'il fasse noir ou clair! Le métier de chauffeur, qui ne connaît pas d'heures régulières de service, ne connaît non plus ni dimanches ni fêtes. Que dis-je? les jours dits de repos sont pour les chauffeurs des jours de corvées supplémentaires. Les patrons en congé voyagent, se promènent, et ça «chauffe» pour les chauffeurs! Le chauffeur, qui est un serf à sa manière, est un artilleur à sa façon: l'artilleur soigne son mulet à la rentrée de la manœuvre, avant de se soigner lui-même; le chauffeur soigne ses chevaux.... vapeur au retour du voyage, avant de songer aux soins de sa personne. Sous le régime monarchique, un âne vivant vaut mieux qu'un roi mort. En république, un soldat coûte moins cher qu'un mulet. Dans les colonies, l'auto est précieuse et le chauffeur négligeable, même sous le proconsulat du socialiste Varenne. - Est-ce parce que les chauffeurs d'Indochine ne sont pas des électeurs d'Auvergne? Histoire d'une requête humble et respectueuse En présence des multiples aléas de leur métier, les chauffeurs annamites sentaient la nécessité de se grouper en une amicale. Dans notre heureux pays, la liberté d'association n'existe pas pour les autochtones. Force leur fut de solliciter l'indispensable autorisation gouvernementale. Une requête humble et respectueuse fut donc adressée à M. Maurice Cognacq, le 17 décembre 1925. Elle portait les signatures de 18 chauffeurs professionnels et mentionnait leur adresse respective. Une copie y fut jointe des statuts du groupement projeté. Ces statuts n'avaient rien de révolutionnaire. Les requérants ne réclamaient ni droit de grève, ni augmentation de salaire, ni journée de huit heures. Leurs buts, plus que modestes, ressemblaient à ceux de la majorité des associations indigènes de secours mutuels qui fonctionnent depuis des années avec la permission du gouvernement: aide financière en cas de maladie et de chômage, secours aux veuves et orphelins des membres décédés, etc. Ces chauffeurs voulaient qu'au cas où ils mourraient d'accident dans l'exercice de leurs fonctions, leurs femmes et leurs enfants ne mourussent point de faim. Sage prévoyance. Désir légitime. Saine conception des devoirs de père de famille. Voici où leurs prétentions devenaient exorbitantes: ils demandaient à l'Administration protectrice d'adjoindre aux bungalows subventionnés des abris - oh! bien simples! - pour les chauffeurs de passage! Les requérants commirent l'impudence de trop insister sur ce chapitre! Ils se plaignaient de ce que, dans les bungalows en question, il y avait bien des garages pour les chevaux-vapeur, mais pas la moindre écurie pour les chevaux à face humaine que sont les chauffeurs! Quand je vous disais que ces derniers sont tout à fait négligeables! Ces gaillards eurent en outre l'outrecuidance d'ajouter qu'ils seraient heureux de trouver un gîte pour se préserver des piqûres de moustiques et se reposer des fatigues de voyage, ils soutinrent, par dessus le marché, qu'il leur était impossible de bien conduire le lendemain s'ils avaient passé une mauvaise nuit faute d'un brin de confort. Enfin, - voyez-vous ces raisonneurs? - ils dirent que ce serait dans l'intérêt même des patrons qu'on leur accorderait, à eux, le peu de confort dont il s'agit: car, en vertu du principe que pour bien travailler il faut être dispos, les accidents seraient mieux évités ainsi et les voyages y gagneraient à tous les points de vue...... Que fit M. Cognacq? - M. Cognacq enterra la requête, dans de beaux cartons verts, sans même prendre la peine de réciter dessus un De Profundis. Le bon docteur ne s'occupa pas autrement de la pauvre morte indigente. Il avait des clients vivants et galetteux à soigner: par exemple, MM. Ngô-châu-man et Trân-trinhTrach atteints tous deux de «piastrite» aiguë à force de plonger dans les boues de Camau et Baclieu. Le bon docteur avait d'autres chats à fouetter: par exemple, il avait à «tripatouiller» dans les archives du Conseil Colonial. «Rien à faire avec Cognacq!» se dirent nos chauffeurs, - façon de parler, car ils ne sont pas nôtres, - peut être réussirons-nous mieux avec Le Fol?» Ils allèrent voir M. Le Fol. M. Le Fol promit...... puis oublia! C'était en avril 1926. M. Le Fol s'occupait, avec M. Arnoux, à monter une petite malpropreté: les perquisitions illégales chez les imaginaires fomenteurs de troubles. Il en perdait le boire, le manger et le dormir. Pas le temps de penser à la requête humble et respectueuse des chauffeurs! Les chauffeurs étaient disposés à tout envoyer au diable, quand un rayon d'espoir leur apparut dans la barbe fleurie du paysan du Danube, - pardon! - de notre gouverneur général. Un socialiste! ça avait l'air de «coller»!.......... Hé mais! Ça ne «collait» pas du tout! A une lettre qui lui fut envoyée le 30 juillet, - avez-vous remarqué, cher lecteur, que je précise les dates? - M. Varenne ne répondit rien. Et il continue à faire le mort: c'est qu'en lui, le socialiste est définitivement tué. Pensant, à tort ou à raison, que, chez les époux Varenne, Madame porte culotte, les chauffeurs prièrent Madame, par lettre recommandée, - comme d'ailleurs tous les envois concernant cette affaire, - d'appuyer leur humble et respectueuse requête «de sa puissante intervention». Madame fit comme Monsieur. Elle garde encore le silence. 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ELECTIONS AU CONSEIL COLONIAL
ts et les envois d'argent, adressez les lettres ou mandats à M. Nguyên-báonne icale orité des ours mudes anouvernede malaux veudécédés, qu'au cas nt dans s, leurs mourusrévoyanception le. s deveandaient ce d'adventionnés! - pour l'impuce chapie, dans il y avait vaux-varie pour que sont ces dereables! e l'ouseraient pour se ustiques voyage, marché, de bien avaient te d'un raisonit dans u'on leur confort du prinil faut seraient ges y gavue...... Cognacq ELECTIONS AU CONSEIL COLONIAL SCRUTIN DU 10 OCTOBRE 1926 2ème Circonscription: Saigon, Cholon, Tanan, Mytho PROFESSION DE FOI Chers compatriotes et électeurs, Nous voici au terme du mandat que vous nous avez confié il y a quatre ans. Nous l'avons rempli de notre mieux, nous n'en avons retiré qu'une satisfaction morale qui est, pour nous, il est vrai, une récompense autrement enviable que les faveurs administratives par quoi se payent les compromissions et les abdications de conscience. Nous avons observé vis-à-vis de l'Administration une indépendance qui, pour être sans profit, n'allait pas parfois sans risques. Ce faisant, nous avons accompli seulement notre devoir, car en briguant vos suffrages nous avons pris, par devers vous, un engagement dont la gravité nous est apparue aux heures où les intérêts de notre pays se sont trouvés en jeu et auquel nous avons scrupuleusement fait honneur en honnêtes gens fidèles à la parole donnée. Ce mandat, auquel nous avons conscience de n'avoir pas failli, nous venons vous en demander le renouvellement. Nous ne vous soumettons aucun programme; l'expérience nous a démontré l'inanité des promesses dont la réalisation ne dépend ni de la bonne volonté ni de la ferveur des vœux de celui qui les fait. Aussi bien, la plupart des questions touchant le statut social et politique des Annamites, qui attendent encore leur solution, demeurent au premier plan de l'actualité et s'imposent nécessairement à notre attention. Nous ne laisserons pas prescrire les justes revendications qu'elles ont suscitées et que nous renouvellerons inlassablement jusqu'à ce qu'il y soit fait droit. Notre action sera commandée, comme elle l'a été, par une règle de conduite assez souple pour s'adapter à toutes les circonstances, mais en même temps assez rigide pour nous maintenir dans le chemin du devoir: le souci de défendre les intérêts de nos mandants et de traduire fidèlement leurs sentiments et leurs aspirations. Nous ne voulons pas devoir vos suffrages à l'outrance des idées ni au mirage des mots. Nous voudrions que, dans le geste par quoi nous les sollicitons de vous et celui par quoi vous nous les accorderez, nos mains se joignissent fraternellement pour conduire, avec une tendre sollicitude, comme une convalescente aux pas encore chancelants, et guider vers ses destinées notre chère patrie, dont nous devons avoir l'ambition de pouvoir dire un jour ce que disait de la France, après 1870, un grand homme d'Etat français: «Elle était à genoux, je l'ai remise debout!». Par ce geste de piété filiale, nous communierons ensemble dans la foi dans la pérennité de notre race et dans l'avenir de notre pays. Car, malgré les tristesses et les déceptions de l'heure présente, nous devons espérer, nous devons écouter le Passé: il nous est [?] [?] [?] [?] [?]: il nous est défendu, en tant que peuple, de nous abandonner au découragement, car un peuple qui renonce et qui abdique est voué à l'anéantissement, et le peuple Annamite a fait preuve, au cours d'une histoire fertile en vicissitudes, d'une trop magnifique vitalité pour se résigner au sort des races condamnées. Nous vous convions, chers compatriotes, à cet acte de foi. Nous espérons que vous serez nombreux à le faire pour que la portée en atteigne toute l'ampleur désirable. TRUONG-VAN-BÊN, NGUYÊN-PHAN-LONG. Nouvelles aériennes Le record de vol en ligne droite sera-t-il battu? Le Gouverneur p. i. DE LA COCHINCHINE à Messieurs le Directeur des Buélecteu Trav En ve ne nous nelle. A dans l'A tinuer matériel viables. retraite mieux pays, il traire. Ce qu vous le je suis tement d'autorit routine et en Fr la pour pole au La ré pays m'a m'a lar m'en sou Que Colonial de m'y deur, la de l'in Mon p tes. To fortifier unanimit d'autre, respecte dans la nam. Sans vo blessé, ce suivrai l aspiratio d'instruc de dignit gime plu justice. Devant et reçue Trâh, j consacre cause an Tel j'ai é M. Ng élu en 19 rales sco Conseil C parfaite c timents s présente
Le Gouverneur p. i.
TRUONG-VAN-BÊN, NGUYÊN-PHAN-LONG. es n ligne u? Vitroles te Egypont donc d de vol lant de Paris, à st, dans... n reconque lorsntreprise o, dans frais du at comisme, le téresse, les cin essé, et eurs de préférables comrouges, s corpoil n'en de l'aviSa Maétienne stiques c telles vec l'aréprouvé marque e qu'ases éclaiière, se or qu'il sociale stat de nes! comme adrons enir. Le Gouverneur p. i. DE LA COCHINCHINE à Messieurs le Directeur des Bureaux du Gouvernement, les Administrateurs, Chefs de Province, les Chefs des Services locaux, en communication à MM. les Chefs des Services Généraux Saigon, le 29 Septembre 1926. Depuis que j'exerce p. i. les fonctions de Gouverneur de la Cochinchine, j'ai, en maintes occasions, exprimé mon sentiment sur l'obligation qui incombe, à mon avis, à l'Administration de conserver en matière électorale une stricte neutralité. A l'approche des élections pour le renouvellement du Conseil Colonial, je tiens à vous confirmer de la manière la plus formelle les recommandations que je vous ai déjà faites à ce sujet. Je désire expressément qu'aucune démarche de quelque nature qu'elle soit, de votre part ou de la part de vos subordonnés, ne vienne influencer la libre expression des suffrages. Je suis persuadé, au surplus, que je puis entièrement compter, en cette délicate matière, sur le sentiment élevé que vous avez des devoirs de votre charge, et qu'aucune infraction, pour quelque motif que ce soit, ne sera commise, par vous ni autour de vous, à la règle de haute impartialité que je me suis imposée à moi-même et à laquelle je vous demande instamment de ne tolérer aucune dérogation. Je vous prie de vouloir bien, en m'accusant réception, sans délai, de la présente circulaire, m'attester que vous en avez assuré d'urgence la claire et utile notification à tout le personnel placé sous vos ordres. Signé: A. LE FOL. Gentlemen, vous serez toujours élégants avec le tussor cause an Tel j'ai M. N élu en 1 rales so Conseil parfaite timents présente tions él Candi MM. Saigo MM. Vinh MM. Canto MM. Chaud MM. Si vo on ais venir, si défectu Conseil C tous dro de vous les plus par leur La pré dis Les jo cours de vent les taient q nouvelle pays. «Il est Gouvern nion des l'avis de entendan impropre démocrat la Franc Conseil fixées sur qui n'en