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· ベルリン(ドイツ) · ドイツ語

Vossische Zeitung

『フォッシッシェ・ツァイトゥング』は、独仏和解をめぐる可能性と緊張を伝えた。国際連盟についての論説は、国際協力と監督をめぐり、フランスの積極姿勢とイギリスの慎重姿勢という役割の逆転を指摘した。シュトレーゼマンのインタビューは、共通の経済的利益、相互の譲歩、ロカルノ条約署名国との協力によって、接近への異論を乗り越えられるという主張を伝えた。別の論説は、再燃した戦争責任論争と両政府にかかる民族主義勢力の圧力を踏まえて、ポアンカレの反応を判断するよう促した。

翻訳

国際連盟での役割逆転

第7回国際連盟総会の歴史的意義は、ドイツの加盟と、さほど熱意ある賛同を得られなかった理事会改革によって定まることになるだろう。その総会の実務は、必然的にこの二つの表立った出来事の陰に隠れた。しかし、第7回国際連盟総会は、審議すべき最も重要な二つの課題、経済会議と軍縮会議について、間違いなく立派な仕事をした。ただし、その過程では奇妙な政治的変化も見られた。以前はたいていイギリス代表団が前進を促し、まさにそれによってロバート・セシル卿は国際連盟の使徒という名声を得たものだった。ところが今回はフランス側が進行を急ぐよう求め、イギリス、とりわけイタリアが足を引っ張る側に回った。両国にとっては、どれほど準備を尽くしても十分に綿密ではなく、どれほど事前作業を重ねても十分に包括的ではないらしかった。連盟が計画する会議の成功を案じるという装いの陰には、そこで自国にとって好ましくない決議が採択されるかもしれないというイギリス政府の懸念が、隠しきれずに見えていた。ほかの面でも、今回のイギリス代表団が、かつての連盟への好意をかなり失っていることが随所で認められた。

連盟の権限を厳密に定義しようというロバート・セシル卿の提案と、それに関するイギリスの覚書は、きわめて示唆的だった。連盟予算の上限を数年先まであらかじめ定めようというインドの提案も、間違いなくイギリスの働きかけから生まれたものだ。以前、フランス側が連盟予算を細かく吟味していた一方、イギリス代表団は連盟の活動をどこまでも広げようとしていたことを思い起こせば、政治情勢の逆転が最もはっきりと分かる。連盟はその情勢を測る優れた指標なのである。ほかの問題でも同じ傾向が見られた。確かに、委任統治委員会による監督に最も激しく抵抗したのはフランス代表のド・ジュヴネルだった。しかし、同委員会の権限が拡大されようとしているとの見方に立って、今回の連盟理事会会期の初期の会合でチェンバレンが行ったほど、痛烈な反対発言をした者はいなかった。連盟の友人たちは、かつての総会のある瞬間を、深い苦々しさとともに思い返したかもしれない。当時は南アフリカ代表としてここに姿を見せ、今はボールドウィン政府の代表となっているロバート・セシル卿が、総会の熱狂的な拍手の中でこう叫んだ瞬間である。「国際連盟は、すべてでなければ、何ものでもない。」

シュトレーゼマン、未来への道を示す

ザウアーヴァインは今日の『マタン』紙に、独仏接近についてドイツ国外相シュトレーゼマン博士に行ったインタビューを掲載している。『マタン』紙の外交論者が、独仏接近に対するフランス世論の姿勢について自分の見解を述べ、とりわけ両国の接近を進めるうえで軍事・財政の専門家の間に難航する問題が生じる可能性を指摘したのに対し、シュトレーゼマン外相は、次のようなことを語った。

「両国の専門家から異論が出ることに驚きはありません。しかし一方で、イギリスのことわざを忘れないようにしましょう。意志あるところに道はある、という言葉です。確かなのは、ブリアンと私は接近の可能性について意見が一致しているということです。そして、ブリアン氏も私も、愛国心に欠けているわけではないと考えています。フランスとドイツの和解は、同じくロカルノ条約に署名したイギリス、ベルギー、イタリアなどの国々の協力のもとで進められるため、それだけいっそう実効あるものになるでしょう。

フランスとドイツについていえば、何もかもが接近にうってつけです。互いを補う経済資源、地理的な近さ、両国民の疑いようのない勇敢さ、勤勉さと秩序を重んじる気質があります。将来の実りある相互理解に備えるため、両国の置かれた状況を楽にできるような一定の譲歩を互いに行うのが最善だと、私たちは考えました。ここ数年に起きた大きな変化は、憎しみと激情が次第に薄れ、相互理解と将来の協力への希望に道を譲ってきたことです。

先日ある記者から、これは商取引の契約を結ぶという話なのかと尋ねられましたが、その質問は、人々が時としてずいぶん狭い見方をしていることを示しています。両国の間に利益を共有する関係を築き、その際フランスは条約上の権利を、ドイツは協定や条約に基づく特権を手放す、ということは検討できます。私たちが用意しようとしている未来に目を向ければ、両国が払うべき犠牲はそれほど大きくありません。ドイツが国際連盟の活動に相当な貢献をするようになっても、道義的に正当化できない立場に陥ることなく、わが国の領土を何年も占領し続けられると、本当にお考えですか。他方、しかるべき形で合意された資金の移転によって、皆さんが必要とする財源を見いだすお手伝いができるのであれば、あらゆる分野で理解し合うことを本気で望んでいる以上、そうするのは当然ではありませんか。フランス世論がこうした計画をどう受け止めるか、私には分かりません。少なくともドイツでは、この考えはかなり広く支持されるようになっています。とかく民族主義の代表者とされがちなラインラント・ヴェストファーレンの実業家たちは、この道の先駆者なのです。

ポアンカレ、過去を振り返る

ポアンカレの演説には、感情に基づく基準と、現実政治に基づく基準という二つの尺度を当てることができる。どちらを選ぶかで評価は違ってくる。政治における、数値では測れない感情的要因の重要性を軽視するつもりはない。それでも、独仏関係の歴史が決定的な転機に立つ今この瞬間に、目前の未来を形づくるうえで唯一ものをいう具体的な事実以外を判断の秤に載せるのは、重大な誤りだといってよいだろう。したがって、何よりも二つのことを念頭に置くのが賢明である。一つは、不幸な「ガンブリヌス」演説が先にあり、戦争責任問題を蒸し返したそのやり方が、とりわけポアンカレ内閣を相手にするには不適切だったことである。もう一つは、フランス政府もドイツ国政府と同じく、民族主義的な反対派による独仏接近への国内の抵抗を考慮せざるを得ないと考えていることである。

しかし、そうした事情を踏まえても、ポアンカレの昨日の発言の意味を十分に理解するには、同様の機会に以前用いられた言葉遣いと比較しなければならない。

解説

ドイツ加盟の先にある連盟の権限

この論説は、ドイツ加盟と理事会改革を、連盟が実際に何をできるかをめぐる争いの背景として捉えている。後年の1928年5月8日付米議会記録は、選挙で選ばれる理事国9か国に加え、ドイツを含む5か国を常任理事国として挙げている。当面の争点は、予算、会議の準備、委任統治地域の監督だった。その後の1926年11月17日の英国貴族院討議で、パームーアは、委任統治委員会が請願者から直接話を聞き、質問票を使うことを求めていたと説明した。情報の収集を通じて、国際的な監督が統治を担う国々の権限と衝突し得たのである。一方、セシルは、第6回総会が採択したフランスの提案によって軍縮準備が前進したと評価し、専門家の作業を称賛した。こうした優先事項の違いから、本紙の批判の意味が見えてくる。慎重な準備と説明される手続きは、連盟の活動範囲や進行を制限するものとも受け取られたのである。

撤兵への道としての資金協力

シュトレーゼマンは、フランスの財源確保とドイツの占領解除要求を結びつけ、相互の譲歩をロカルノ条約署名国間の協力の中に位置づけている。1926年11月の『プロシーディングズ』の記事によれば、トワリー会談では、ラインラントからの撤兵促進と、ドーズ案のもとでベルリンに保管されていたドイツの鉄道債・産業債の売却を結びつける構想が話し合われたという。これらの証券を売却してフランスに資金を提供する仕組みは、インタビューで概括的に述べられた資金移転の具体像を示している。シュトレーゼマンはさらに、ドイツが連盟の活動に相当な貢献をすれば、長期の占領は道義的に正当化できなくなると論じている。ラインラント・ヴェストファーレンの実業家への称賛も、この接近論の一環である。民族主義と結びつけられる人々を協力の先駆者として描くことで、経済的な譲歩と愛国的な利益は両立すると訴えている。

戦争責任と和解の国内政治上の代償

「ガンブリヌス」とは、シュトレーゼマンがジュネーヴのビールの集いで行った演説を指す。1926年10月11日付『タイム』によれば、彼は連盟加盟によってドイツの戦争責任の汚名が消えたと語り、ドイツの民族主義者の一部から支持を得た一方、フランスの民族主義者はその発言を自国への責任転嫁と受け止めたという。国内で接近政策への支持を得る助けとなった主張が、国境の向こうでは反発を招いたのである。9月27日付の本紙が論じているのは、前日にポアンカレがサン=ジェルマン=アン=レーで行った演説であり、バル=ル=デュックでの演説は今後の予定として報じている。後日の『タイム』の記事は、バル=ル=デュックでの演説を取り上げている。本紙の論説は、両政府が抱える国内政治上の制約と、以前の発言との比較を通じて、サン=ジェルマンでの発言を評価するよう求めている。感情と現実政治を区別する議論は、戦争責任論争が再燃しても、和解への糸口を守ろうとする立場を支えている。

原文

Rollentausch im Bölferbund

Die Arbeiten der 7. Völkerbundversammlung, deren Bedeutung in der Geschichte dyrc< die Aufnahme Deutschlands
und auch durch die Ratsreform, die wenig begeisterte Zustimmung gefunden hat, bestimmt werden dürfte, sind hinter
diesen beiden äußeren Ereignissen notwendigerweise zurüdgetreten. Die 7. Völkerbundsversammlung hat aber in den
beiden wichtigsten Problemen, die ihr vorlagen, der Wirt-
<hafts- und der Abrüstungskonferenz zweifellos eine gute Arbeit geleistet, wenn sich auch eine seltsame politifhe Veränderung dabei konstatieren ließ. Während es
früher gewöhnlich die englis<e Delegation war, die vorwärtsdrängte und gerade dadurd Lord Robert Cecil seinen
Ruf als Apostel des Völkerbundes gewinnen ließ, waren es
diesmal die Franzosen, die zur Beschleunigung mahnten,
während England und besonders Italien die retardierenden
Elemente waren, denen keme Vorbereitung gründlich und
keine Vorarbeit umfassend genug erschien. Hinter der Verkleidung der Besorgnis um das glüdlihe Gelingen der Konferenzen, die der Völkerbund plant, konnte sich die Besorgnis
der englischen Regierung nur schlecht verste>en, daß auf
diesen Konferenzen Beschlüsse gefaßt werden möchten, die ihr
wenig gefallen würden. Aber auch sonst hat man allenthalben
feststellen können, daß die englische Delegation diesmal von
ihrer früheren Völkerbundsfreundlichkeit recht viel eingebüßt hat..
Der Antrag Lord Robert Cecils auf genaue Definierung
der Befugnisse des Völkerbundes und die englische Denkschrift
dazu. waren überaus bezeichnend. Auch der indische Antrag,
auf mehrere. Jahre im voraus die Maximalziffer für das
Budget des Völkerbundes festzuseßen, verdankt zweifellos
englischer Initiative - seine Entstehung. Wenn man sich erinnert, wie früher von französischer Seite das Budget des
Völkerbundes genau unter die Lupe genommen wurde, wo
die englische Delegation die Arbeiten des Völkerbundes nicht
weit genug ausdehnen konnte, jo kann man den Umschwung der politifhen Situation, für die der
Völkerbund ein ausgezeihnetes Barometer ist, am deutlichsten erkennen. Auch in anderen
Fragen ließ sich die gleiche Tendenz feststellen. Zwar hat
sich der französische Delegierte de Jouvenal am heftigsien
gegen die Kontrolle der Mandatskommission gewehrt, aber
niemand hat so sc<hneidend scharf gegen die vermeintliche Erweiterung der Befugnisse der Mandatskommission gesprochen,
wie Chamberlain in einer der ersten Sißungen dieser Tagung
des Völkerbundrates. Die Völkerbundfreunde mögen mit
starker Bitterkeit an jenen Augenblid zurückgedacht haben,
wo in einer früheren Versammlung einmal der damals hier
als Vertreter Südafrikas erschienene Lord Robert Cecil, der
heute Delegierter der Regierung Baldwin ist, unter dem
frenetischen Beifall der Versammlung ausrief: „Der Völkerbund wird nichts sein, wenn er nicht alles ist.“

Gtresemann weist in die Zukunft

Sauerwein veröffentliht heute im „Matin“ eine Unterredung mit dem Reichsaußenministor Dr. Stresemann über die deutsch-französische Annäherung. Minister“Stresemann führt darin, nachdem ihm der Außenpolitiker des „Matin“
über die Haltung der öffentlihen Meinung in Frankreich zu der
Frage einer- deutsch-französischen Annäherung seine Ansichten dargelegt und insbesondere hervorgehoben hatte, daß bei den militätifehen und finanziellen ' Sachverständigen Schwierigkeiten bei
der Anbahnung einer Annäherung der beiden Länder entstehen
könnten, u. a aus:
„34 bin nicht überrascht, daß von den Sachverständigen beider
Länder Einwendungen erhoben werden. Aber vergessen
wir andererseits nicht, das englische Sprichwort: Wo ein Wille
ist, da ist auch ein Weg. Tatsache ist, daß Briand und ich
über die Möglichkeit einer Annäherung einer Meinung find.
Dabei glaube ich, ‚daß weder Herr Briand noch ich schlechte
Patrioten sind. Eine Versöhnung zwischen Frankreich und
Deutschland wird um so wirksamer sein, als sie unter der Mitwirkung von Staaten wie England, Belgien und
Italien stattfinden wird, die aud den Vertrag von Locarno
unterzeichnet haben.
Was Frankreich und Deutschland anbelangt, so ist alles wie
für eine Annäherung geschaffen: die einander ergänzenden Wirtschaftsquellen, die geographische Nachbarschaft, die
unbestreitbare Tapferkeit beider Völker, der Arbeits- und Ordnungssinn. Zur Vorbereitung einer künftigen erfolgreichen Verständigung haben wir geglaubt, daß es das beste sei, einander gewisse Zugeständnisse zu machen, die die Lage der beiden Länder
zu erleichtern geeignet sind. Das Große, das sich in den Iehten
Jahren ereignet hat, ist, daß der Haß und die Leidenschaften
ständig mehr verschwunden sind, um einem gegenseitigen Verstehen und der Hoffnung auf eine künftige Zusammenarbeit Plat
zu machen.
Die mir von einem Journalisten jüngst gestellte Frage, ob es
sich um den Abschluß eines geschäftlichen Vertrages handele,
beweist, daß man sich bisweilen eine recht enge Vorstellung macht.
Man kann in Erwägungen darüber eintreten, daß zwischen beiden
Ländern eine Interessengemeinsc<aft hergestellt wird,
wobei Frankreich auf Rechte aus den Verträgen und Deutschland
auf Vorrechte aus Abkommen und Verträgen verzichten. Die von
beiden Ländern zu bringenden Opfer sind nicht sehr groß, wenn
man den Bli> auf die Zukunft richtet, die wir vorbereiten
wollen, Glauben Sie denn wirklich, daß bei
einer erheblichen Mitarbeit Deutschlands im Völker»
bund, ohne daß Sie sich an moralische Unmöglichkeiten
ftoßen, viele Jahre hindurch unser Gebiet besetzt halten
können. Wenn wir andererseits Ihnen durch Transferierung von Geld, der in gehöriger Form zugeftimmt
worden ift, helfen können, Hilfsquellen aufzufinden,
die Sie brauchen, ist es dann nicht natürlich, daß wir
fo verfahren, wenn wir wirklich die Absicht haben,
uns auf allen Gebieten. zu verständigen? Wie die französische öffentliche Meinung sich zu solchen Plänen stellt, weiß
ich nicht. In Deutfhland jedenfalls hat fie viel Boden
gewonnen. Die rheinifch-weitfälifchen Industriellen, die man
gern al Vertreter des Nationalismus hinstellt, sind Pioniere
auf diesem Wege.

Poincare erinnert an Bergangenes

Man kann an Poincar6s Rede zwei Maßstäbe anlegen: den gefühlsmäßigen oder den realpolitischen. Je nachdem wird man zu einer verschiedenartigen Bewertung gelangen. Ohne die Bedeutung sentimentaler Imponderabilien in der Politik unterschägen zu wollen, wird man doch
sagen dürfen, daß es im gegenwärtigen Augenblid, wo die
Geschihte der deutsch-französischen Beziehungen an einem
entscheidenden Wendepunkt steht, ein s<werer Fehler wäre,
andere als die für die Gestaltung der nächsten Zukunft allein
zählenden konkreten Tatsachen auf die Wagschale zu legen.
Man wird deshalb gut daran tun, sich vor allem zwei Dinge
vor Augen zu halten: daß die unglüdselige „Gambrinus"“-
Rede mit der gerade dem Ministerium Poinears gegenüber
wenig geschikten Neuaufrollung der Kriegsihuldfrage voraufgegangen ist, und daß die französische Regierung genau wie das Reichskabinett sich verpflichtet glaubt,
den von der nationalistishen Opposition ausgehenden
innerpolitis<en Widerständen gegen eine deutschfranzösische Annäherung Rechnung zu tragen.
Aber auch danach wird man der Bedeutung von Poincars
gestrigen Ausführungen nur dann voll gere<ht werden können,
wenn man sie mit der bei ähnlichen Anlässen früher geführten Sprache vergleicht.

紙面の出典:Source: Staatsbibliothek zu Berlin / zefys

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