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· ソウル(現韓国) · 朝鮮語

東亞日報

1926年9月27日付の東亜日報の見出しは、南軍の進撃と孫・張・呉の協力を結びつけ、和平運動を軍閥の手先によるものと非難した。別の見出しは天津の英国租界での銀行設立を伝え、小見出しは赤化資金を流出させる目的があると主張した。政治記事の見出しは、写真事件をめぐる野党の挑戦に対し、政府が黙殺する姿勢を報じた。

本版は、上海からの署名を含め、提供された3件の見出しと小見出しをすべて訳しています。退色、込み入った段組み、画像端の欠落により、記事本文を連続して確実に復元することはできません。協力の具体的な取り決め、資金疑惑の根拠、政府の詳しい対応は、この読解の範囲外です。解説での人物・銀行・写真事件の特定は、歴史的文脈に基づく推定です。銀行記事の小見出しはAの転記「赤化資金流出目的」を維持しています。取得済みの韓国の歴史データベースの項目は「赤花資金貸出目的?」となっており、疑問符だけでなく語句にも違いがあります。

翻訳

南軍の進撃と孫・張・呉の協力

軍閥の手先による和平運動
上海にて 趙徳津

天津の英国租界に道勝銀行を設立

赤化資金の流出が目的

野党の挑戦を黙殺

写真事件と政府の態度

解説

軍閥の協力の背景にあった軍事的圧力

孫・張・呉は、北伐に直面した軍閥の孫伝芳・張作霖・呉佩孚を指すと考えられる。呉は中国中部、孫は東南部、張は東北部と華北の一部を支配していた。国民革命軍は1926年9月6日に漢陽、7日に漢口を占領し、呉は直接の圧力を受けた。一つの地域勢力への攻撃がほかの勢力をも脅かす状況は、軍閥間の協力が注目された背景を説明する。和平運動の担い手を軍閥の手先と呼ぶ小見出しは、その運動を軍閥の利益に奉仕するものとして描いている。

道勝銀行と赤化資金の疑惑

道勝銀行は、華俄道勝銀行と呼ばれた露清銀行を指すと考えられる。天津の英国租界にはこの記事よりはるか前の1896年から拠点があり、1910年の合併で露亜銀行の一部となった。その後の沿革には、革命後のロシアと国外の銀行業務との分断が表れている。後年の米国の請求審査は、国有化の対象はロシア国内の資産であり、国外支店はパリを本店としてソ連政府の干渉を受けずに営業を続けたと認定した。この区別は小見出しを理解するうえで意味がある。ロシアに起源を持つことだけでは、ソ連による支配や赤化資金の供給という目的は裏づけられない。天津に以前から拠点があったことを踏まえても、見出しの「創設」が具体的に何を意味したかは未解明である。

政争の材料となった写真

写真事件は、朴烈と金子文子が予審取調室で抱き合う写真をめぐる事件を指す可能性が高い。国立国会図書館は、この写真の流布が「怪写真事件」として政局を揺るがせたと説明している。後年の研究が取り上げた1926年9月29日付の同時代の記録は、事件と政友会による若槻内閣の倒閣運動を結びつけている。この記録の日付は本紙の発行日の2日後に当たる。同研究はまた、写真が二人の拘禁中の処遇をめぐって政府を攻撃する材料に使われた経緯を述べている。こうした政争は、野党の挑戦と政府の黙殺を結びつけた見出しの具体的な背景となる。

原文

南軍의步武와 孫張吳의合作

南軍의步武와
孫張吳의合作
軍閥走狗의和平運動
在上海 趙德津

天津英租界에 道勝銀行創設

天津英租界에
道勝銀行創設
赤化資金流出目的

野黨挑戰은默殺

野黨挑戰은默殺
寫眞事件과政府의態度

紙面の出典:Source: Internet Archive / tongailbo-archive

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