Neue Freie Presse
- 財政委員会でポアンカレに反対の声
- 英国の炭鉱労働者、政府の調停案を拒否
- ジュネーヴとトワリーがドイツにもたらした帰結
1926年10月6日のノイエ・フライエ・プレッセは、外電2本と長い談話記事を一面に載せた。パリ電は、急進社会党の代議士がポアンカレの計画を支持できないとして財務省予算の報告者を辞任し、ワシントン債務協定の批准も行き詰まっているため深刻な国内危機が予想されると伝えた。ロンドン電は、争議を続ける英国の炭鉱労働者が政府の調停案を投票で拒否したと報じた。同時にこの電報は、すでに4分の1が職場に戻り、投票した者は最大でも6割だったと強調した。中心の記事は、ドイツ国会議員ヴェルナー・フォン・ラインバーベンが国際連盟でのドイツ初の会期を語った談話だった。ラインバーベンは、連盟事務局でドイツ人職員が足りないこと、連盟の役割をめぐる英仏の対立、理事会の拡大、そしてトワリーでのブリアンとシュトレーゼマンの会談を論じた。ラインバーベンは、トワリー会談をラインラント占領と結びついた現実の金融取引だと説明した。
翻訳
財政委員会でポアンカレに反対。
〔…〕編集欄(小年代記、〔…〕演劇ニュース、エコノミスト)に掲載された有料の告知は、冒頭に付したEの字で区別してある。
財政委員会でポアンカレに反対。国内政治危機の恐れ。
本紙特派員電。
パリ、10月5日発。ポアンカレの財政政策に対する左派の大部分の反発は、きょう財政委員会で、財務省予算担当の特別報告者デリエスが辞任したことによって鋭く表面化した。急進社会党に属するこの代議士は、委員長にあてた書簡の中で辞任の理由を述べている。それによれば、彼は政府の計画を是認しておらず、この点で委員会の多数派と対立していることを自覚している以上、報告者の職を務め続けることはもはや自分の良心と相いれないという。ワシントン協定の批准問題でも、依然として大きな困難が生じた。このため政界では、これらの問題が深刻な国内政治危機を招くとみられている。
政府の調停案、英国の炭鉱労働者が拒否。
労働者の4分の1が職場に復帰。
本紙特派員電。
ロンドン、10月5日発。各炭田地区でこれまでに判明した投票結果によれば、投票への参加は低調だったものの、なおストライキを続けている労働者の多数が政府の調停案の拒否を表明した。この結果を評価するにあたっては、労働者の4分の1がすでに職場に戻っていること、そしてストライキ中の労働者のうち地区ごとの投票に参加したのはせいぜい60パーセントにすぎないことを指摘しておかねばならない。ラムゼイ・マクドナルドをはじめとする労働党の指導者たちは、ここ数日、炭鉱労働者を支援するために開いたあらゆる大衆集会で〔…〕
ジュネーヴとトワリーがドイツにもたらした帰結。
西では希望の持てる展開、東では進展なし。
元次官、ドイツ国会議員ヴェルナー・フォン・ラインバーベン男爵。(談話より)
ジュネーヴ、9月末。
ドイツ人民党の議員として国際連盟への議会代表団に加わっているラインバーベン男爵は、厚意により本紙特派員と会い、国際連盟9月総会の成果を分かりやすく説明してくれた。ラインバーベン次官は次のように語った。
「ドイツ代表団は、総会本会議でのシュトレーゼマン博士の演説によって幕を開けたジュネーヴ会期の経過を、満足をもって振り返っている。その後も、各委員会において、また軍縮と世界経済会議という二つの重要問題において、ドイツの立場は事実に即した的確なやり方で表明され、良い成果と同様に良い効果を上げた。とはいえ、ドイツの加盟によって連盟の機構に目に見える変化が起きると想像していた人は、失望を味わわざるをえなかった。他の国々は、事務局に多数の職員を置いて長年代表してきたという点で、ドイツに対して優位にあったからである。われわれが見いだしたのは、すでに動いている仕組みだった。今後、限られた数ではあるが、ドイツ人の代表が事務局に採用されることになっている。したがって、現在のはっきりした不利は徐々にしか解消できない。経済委員会と委任統治委員会でドイツに割り当てられたいくつかのポストを誰で埋めるかも、きわめて重要になるだろう。
すでに新聞で報じられているとおり、ドイツ代表団は、議員である団員の間にあらゆる党派の違いがあるにもかかわらず一致していた。このことを私は確認できる。党派政治上の違いが表に出れば、ドイツ代表は当然ながら一挙に対外的な影響力をすべて失うだろう。要するに、われわれはこの数日間に多くの経験を積むことができ、それを将来に生かさねばならない。最も重要な点で、われわれは期待を〔…〕連盟は創設当時の状況からゆっくりと発展した結果、一種の大きな政治の取引所となった。そこでは関係する外相や政府代表団が互いに接触し話し合うなかで、実に多くのことが交渉され、それがのちに連盟の外で進められる政策に方向と目標を与える。これに関連して、閉会会議でのフランス代表バルテルミーとロバート・セシル卿の論争を思い起こしたい。フランスの提案は、連盟を現状維持のための道具、言い換えればフランスに優越した役割を永続的に確保するのに役立ちうる道具にしようとするフランスの傾向を裏づけている。これに対して英国の姿勢は、様子を見ることが得策であり、事態の進展に、そして英国の利益に合わせていくというものである。
大いに議論を呼んでいる理事会拡大の問題について、私個人の立場は、拡大は結局のところドイツにとって前進を意味するというものだ。連盟に対するドイツの主張と立場は、フランスのそれよりも、きょう英国が打ち出した立場とはるかによく一致しているからである。
ドイツにとって今会期の重要な出来事は、言うまでもなくトワリーでのブリアンとシュトレーゼマンの会談だった。その後、数時間に及んだ会談の意義をめぐる大げさな言葉は、事実に即した批評に取って代わられた。ドイツの立場から見て、これは大いに歓迎すべきことである。われわれは良い方法によってのみ前進できる。結局のところ、ここで問題になっているのは、まったく現実的で物質的な金融取引だからである。残念ながら、1871年のフランスの戦争賠償金との比較は当たっていない。ドイツにとって、これはいまだに戦争賠償の最終的な上限設定と完済の話ではないとされているからである。しかし、占領がもっぱら、すみやかに現金化される数十億の取り立てに役立つはずだったと、驚くほど率直に認められた。この計画の詳細は〔…〕
解説
ワシントン債務協定の批准がポアンカレ政権の難題だった理由
本紙はパリの二つの問題を結びつけて報じている。一つは急進社会党の予算報告者デリエスの辞任で、デリエスは政府の計画を是認できないと書簡に記した。もう一つはワシントン協定の批准の行き詰まりである。この協定は1926年4月29日のメロン=ベランジェ協定で、フランスが米国に負う戦時債務の返済額と返済率を定めていた。協定はフランス国内できわめて不評で、多くのフランス人は米国が債務を免除すべきだと考えていた。パリでは約2万人の退役軍人が協定に反対してデモ行進した。フランス側は英国との協定と同じように、対米返済をドイツからの賠償金の受け取りと連動させる条項を求めたが、米国はこの連動を拒んだ。1926年10月に政界が予想した危機は、すぐの採決という形にはならなかった。歴代のフランス政府は批准を先送りし、下院は1929年7月21日、徹夜の審議の末に300対292でようやく協定を承認した。本紙が伝えた財政委員会の対立は、約3年続いた批准論争の初期の段階にあたる。
英国の炭鉱労働者が10月には単独で争議を続けていた経緯
ロンドン電は、争議を続ける炭鉱労働者が政府の調停案を投票で拒否したと伝えている。ただし同電は、すでに4分の1が職場に戻り、投票率は最大でも6割だったと指摘して、この結果の重みを割り引いている。争議の発端はサミュエル委員会の報告で、同委員会は炭鉱労働者の賃金を13.5パーセント引き下げ、政府補助金を打ち切るよう勧告した。英国炭鉱労働者連盟は、賃下げと、経営者側が求めた地域別交渉の両方を拒否した。1926年5月、労働組合会議は120万人の締め出された炭鉱労働者の賃下げと労働条件の悪化を政府に防がせようとしてゼネストを呼びかけたが、この試みは失敗に終わった。ゼネストは大きな暴力を伴わずに終わり、労働組合会議は敗北を認めて手を引いた。この記事が出た時点で、炭鉱労働者はほかの労働運動の支援を失ったまま数か月にわたり争議を続けていた。本紙が挙げた職場復帰と低い投票率の数字は、炭鉱労働者の疲弊を示している。本紙はこの争議をストライキと呼んでいるが、炭鉱労働者は実際には締め出されていた。
トワリー会談で何が話し合われ、なぜすぐに実を結ばなかったのか
ラインバーベンは、トワリーでのブリアンとシュトレーゼマンの会談を今会期でドイツにとって重要な出来事と呼び、これはまったく現実的で物質的な金融取引だと強調している。両外相は1926年9月にこの村で会い、第一次世界大戦が残した請求の最終的な決着に向けた案を話し合った。ドイツの負担にいまだ最終的な上限がないというラインバーベンの不満は、1924年のドーズ案による賠償の仕組みを指している。ドーズ案はドイツの支払いの日程を定めていた。占領は主にすみやかに現金化される数十億を取り立てるためのものだったと率直に認められたという指摘は、ラインバーベン自身の説明であり、誰が認めたのかは示されていない。この取引は1926年には実現しなかった。両政治家とも自国の世論を納得させられなかったからである。財政面の譲歩と占領撤退を交換する考え方は、その後ふたたび取り上げられた。1928年9月16日、ブリアンとシュトレーゼマンは賠償支払いの交渉と軍の撤退を結びつけることで合意し、これが1929年のドイツ賠償の見直しにつながった。
ドイツの連盟加盟と「東では進展なし」の意味
この談話の副題は、西での希望の持てる展開と東での進展のなさを対比している。この対比は1925年のロカルノ条約に由来する。ロカルノ条約は戦後ドイツの西部国境を確認し、フランスとの平和を保障し、その1年後のドイツの国際連盟加盟への道を開いた。ドイツの東部国境はこの保障の外に置かれた。ドイツ人民党の議員であるラインバーベンが1926年9月の会期を西での前進としてだけ評価した背景には、このことがあると考えられる。事務局のドイツ人職員不足への不満、バルテルミーとロバート・セシル卿の論争の読み方、理事会拡大への支持は、代表団の一員であるラインバーベン自身の評価である。ドイツを連盟に導いたフランスとの和解によって、シュトレーゼマンとブリアンは1926年のノーベル平和賞を受けた。
原文
Opposition im Finanzausschuß gegen Poincaré.
[?] redaktionellen Teil (Kleine Chronik, [?] Theaternachrichten, Economist) enthaltene entgeltliche Mitteilungen sind durch ein vorgesetztes E kenntlich gemacht. Opposition im Finanzausschuß gegen Poincaré. Gefahr einer innerpolitischen Krise. Telegramm unseres Korrespondenten. Paris, 5. Oktober. Die Gegnerschaft eines großen Teiles der Linken gegen die Finanzpolitik Poincarés hat heute in der Finanzkommission durch die Demission des Spezialberichterstatters für das Budget des Finanzministeriums Deryes scharfer Ausdruck gefunden. Der der radikalsozialen Partei angehörende Abgeordnete gibt in einem an den Vorsitzenden der Kommission gerichteten Schreiben als Grund seiner Demission an, daß er die Projekte der Regierung nicht billige und daß er, da er sich in diesem Punkte mit der Mehrheit der Kommission im Widerspruch wisse, es mit seinem Gewissen nicht länger vereinbaren könne, das Amt eines Berichterstatters auszuüben. Auch in der Frage der Ratifizierung des Washingtoner Abkommens ergaben sich noch immer große Schwierigkeiten. In politischen Kreisen rechnet man infolgedessen damit, daß diese Fragen zu einer schweren innerpolitischen Krise führen werden. Die Vermittlungsvorschläge der
Die Vermittlungsvorschläge der Regierung von den englischen Bergarbeitern abgelehnt.
Amt eines Berichterstatters auszuüben. Auch in der Frage der Ratifizierung des Washingtoner Abkommens ergaben sich noch immer große Schwierigkeiten. In politischen Kreisen rechnet man infolgedessen damit, daß diese Fragen zu einer schweren innerpolitischen Krise führen werden. Die Vermittlungsvorschläge der Regierung von den englischen Bergarbeitern abgelehnt. Ein Viertel der Arbeiter zur Arbeit zurückgekehrt. Telegramm unseres Korrespondenten. London, 5. Oktober. Nach den bis jetzt vorliegenden Abstimmungsergebnissen in den einzelnen Kohlenbezirken hat sich bei schwacher Beteiligung an der Abstimmung die Mehrheit der noch im Streik stehenden Arbeiter für die Ablehnung des Vermittlungsvorschlages der Regierung ausgesprochen. Zur Bewertung dieses Ergebnisses muß darauf hingewiesen werden, daß ein Viertel der Arbeiter bereits wieder zur Arbeit zurückgekehrt ist und daß sich von den streikenden Arbeitern höchstens sechzig Prozent an den örtlichen Abstimmungen beteiligt haben. Ramsay Macdonald und andere Führer der Arbeiterpartei haben in allen Massenversammlungen, die sie in den letzten Tagen zugunsten der Bergarbeiter veranstaltet haben [?]
Die Folgen von Genf und Thoiry für Deutschland.
Die Folgen von Genf und Thoiry für Deutschland. Hoffnungsvolle Entwicklung im Westen, kein Fortschritt im Osten. Von Staatssekretär z. D. Werner Freiherrn v. Rheinbaben. Mitglied des deutschen Reichstages. (Aus einem Gespräch.) Genf, Ende September. Freiherr v. Rheinbaben, der als Mitglied der deutschen Volkspartei der parlamentarischen Delegation für den Völkerbund angehört, hatte die Freundlichkeit, Ihren Korrespondenten zu empfangen und ihm eine übersichtliche Darstellung der Ergebnisse der Septembertagung des Völkerbundes zu geben. Staatssekretär Freiherr v. Rheinbaben sagte: " Die deutsche Delegation blickt mit Befriedigung auf den Verlauf der Genfer Session zurück, die durch die Rede Dr. Stresemanns in der Plenarsitzung eingeleitet worden ist. Auch weiterhin wurde mit gutem Erfolge und ebensolcher Wirkung in den einzelnen Kommissionen sowie in den beiden wichtigen Fragen Abrüstung und Weltwirtschaftskonferenz die deutsche Stellungnahme in sachlicher und präziser Art zum Ausdruck gebracht. Wer sich allerdings vorstellte, daß mit dem Eintritt Deutschlands eine sichtbare Veränderung in dem Völkerbundapparat eintreten würde, der mußte eine Enttäuschung erfahren, denn die anderen Völker besaßen Deutschland gegenüber den Vorteil einer langjährigen Vertretung durch ein großes Personal im Generalsekretariat. Wir hatten einen bereits in Betrieb befindlichen Mechanismus angetroffen. Nun soll jetzt eine, wenn auch nur beschränkte Anzahl deutscher Vertreter in das Generalsekretariat eingestellt werden. Daher kann der gegenwärtig bestehende, offenkundige Nachteil erst allmählich behoben werden. Von größter Wichtigkeit wird auch die Besetzung einiger für Deutschland zur Verfügung stehender Stellen in der Wirtschafts - und Mandatskommission sein. Ich kann Ihnen die bereits in der Presse gemeldete Einmütigkeit der deutschen Delegation trotz aller Parteiunterschiede ihrer parlamentarischen Mitglieder bestätigen. Das Hervortreten parteipolitischer Unterschiede würde natürlich mit einem Schlage die deutsche Vertretung jeder Wirkung nach außen hin berauben. Wir haben also, alles zusammengenommen, in diesen Tagen zahlreiche Erfahrungen sammeln können, die für die Zukunft nutzbar gemacht werden müssen. In den wichtigsten Punkten fanden wir unsere Erwartungen Durch langsame Entwicklung gegenüber den Verhältnissen bei Gründung des Völkerbundes ist dieser eine Art von großem politischen Handelsplatz geworden, wo bei gegenseitiger Fühlungnahme und Aussprache zwischen den beteiligten Außenministern und Regierungsdelegationen sehr vieles verhandelt wird, das später der dann außerhalb des Völkerbundes fortzuführenden Politik Richtung und Ziel gibt. In diesem Zusammenhange möchte ich an die Auseinandersetzung zwischen dem französischen Delegierten Barthélemy und Lord Robert Cecil während der Schlußsitzung erinnern. Der französische Antrag bestätigt die französische Tendenz, den Völkerbund zur Erhaltung des Statusquo, beziehungsweise zu einem Instrument zu machen, das dazu dienen könnte, Frankreich eine überragende Rolle für die Dauer zu sichern. Demgegenüber steht die englische Einstellung der Opportunität des Abwartens, der Anpassung an den Fortschritt der Dinge - und an das Interesse Großbritanniens. In der viel umstrittenen Frage der Erweiterung des Rates ist meine persönliche Stellungnahme die, daß die Erweiterung letzten Endes deshalb einen Fortschritt für Deutschland bedeutet, weil die deutsche These und Stellung zum Völkerbund sich viel eher mit der heute von England aufgestellten als mit der Frankreichs deckt. Das für Deutschland wichtige Ereignis der Tagung war natürlich die Zusammenkunft Briands mit Stresemann in Thoiry. Inzwischen haben die ganz großen Worte über die Bedeutung der mehrstündigen Unterredung einer sachlichen Kritik Platz gemacht. Das ist vom deutschen Standpunkt aus sehr zu begrüßen, und nur mit guter Methode werden wir Fortschritte machen, denn es geht doch hier schließlich um ein ganz reales materielles Finanzgeschäft. Leider ist der Vergleich der französischen Kriegsentschädigung von 1871 unzutreffend, da es sich hier für Deutschland immer noch nicht um eine endgültige Begrenzung und Ableistung der Kriegsentschädigung handeln soll; aber es ist erstaunlich, mit welcher Offenheit zugegeben wurde, daß die Besatzung in ganz überwiegendem Ausmaße zur Eintreibung rasch flüssiggemachter Milliarden dienen sollte. Die Einzelheiten dieses Planes werden in den [?]