L’Écho annamite
- 信条表明
- 選挙区の有権者諸君へ
- ラインラントで新たな事件
L'Écho annamiteのこの1面は、紙面の大半をコーチシナ植民地評議会の選挙戦にあてた。サイゴン、チョロン、タンアン、ミトーからなる第2選挙区では、退任する評議員チュオン・ヴァン・ベンとグエン・ファン・ロンが4年間の任期を振り返った。二人は、良心と引き換えに行政の恩恵を受けることはせず、何の得にもならず時に危険も伴う独立を行政当局に対して守ってきたと訴えた。ブイ・クアン・チエウは、29年間勤めた官職を早期に退いてアンナン人のために働いてきたと述べ、インドシナとフランスで20年にわたって活動してきたことに触れ、3月24日の熱狂的な歓迎を自分への報いとして挙げた。紙面は短い外電も載せ、占領下ラインラントのノイシュタットでフランス軍の下士官がカフェで刺された事件を伝えた。記事によれば、ドイツ当局が犯人の捜索に協力し、ランダウ軍法会議の報告官には証人の聴取が求められた。この読み取りは三つの記事の冒頭部分を扱い、細かい活字の後半部分は含まない。
この読み取りは三つの記事の冒頭部分だけを扱う。対象は第2選挙区の信条表明、ブイ・クアン・チエウの訴え、ノイシュタットの記事である。二つの選挙文書は細かい活字が読めなくなる箇所で文の途中で切れており、綱領の部分は含まない。ラインラントの記事は直前の記事の末尾から始まっている。「Sept, le chiffre fatidique」や「La justice immanente」など紙面のほかの記事は、翻訳できるほど判読できない。この読み取りは、投票日、候補者の全名簿、チャヴィン・ベンチェ・ヴィンロン・ゴーコン選挙区の争いを確認していない。
翻訳
信条表明
第2選挙区 サイゴン、チョロン、タンアン、ミトー
信条表明
親愛なる同胞ならびに有権者の皆さん
皆さんが4年前に私たちに託した任期は、いま終わりを迎えた。私たちはその任務を力の限り果たした。私たちがそこから得たものは道義上の満足だけである。しかし確かに私たちにとって、それは妥協や良心の放棄の代価として支払われる行政上の恩恵よりも、はるかに価値のある報いである。私たちは行政当局に対して独立を守ってきた。その独立は何の得にもならず、ときには危険も伴った。そうすることで、私たちは自分の義務を果たしたにすぎない。なぜなら私たちは皆さんの票を求めたとき、心のうちで……
チュオン・ヴァン・ベン、グエン・ファン・ロン
選挙区の有権者諸君へ
私は皆さんの票を求めに来たが、個人的な野心は何ひとつ抱いていない。行政機関で29年間勤めたあと、私は物質的にも精神的にもこのうえなく恵まれた条件で経歴を続けることもできた。私は法定の年限を待たずに自ら退職した。行政上のしがらみから自由になり、わが国の利益によりよく尽くすためである。私がアンナン人のために何をしてきたかは、皆さん全員が知っている。この20年間、私は最前線に立ち、権力の濫用、人種的偏見、官僚的な惰性からアンナン人の利益を断固として守ってきた。私はインドシナでもフランスでも私たちの要望を説明し、本国にアンナン人民の運命への関心を持たせようと努めてきた。去る3月24日に国じゅうが私を熱狂的に迎えてくれたことで、私は十分に報われた。その歓迎は、私がこの道を続ける励みになっている。皆さんが私を植民地評議会へ送る栄誉を与えてくれるなら、私はそこでどう振る舞うのか。私は同じ熱意と同じ信念をもって、始めた仕事を続けていく。私の綱領は何か。皆さんはそれを知っている。寄与しうることはすべて……
ブイ・クアン・チエウ
ラインラントで新たな事件
……そしてquân-lanhの……。エッケ・ホモ!
ラインラントで新たな事件
下士官、カフェで刺される
ノイシュタットで新たな事件が起きた。オーディグーという名の下士官が、カフェの店内で一人のドイツ人に短刀で刺されたのである。ドイツ当局はフランス当局に協力を申し出て、犯人の捜索にあたっている。犯人はエアハルトという名の元予備役将校だとされる。ギヨーマ将軍はフランス高等弁務官と合意のうえで、ランダウ軍法会議の報告官に対し、ゲルマースハイムの捜査を指揮する警察官と、その警察官が指名する証人たちから証人として話を聞くよう求めた。
解説
ブイ・クアン・チエウが挙げた1926年3月24日の歓迎
ブイ・クアン・チエウは訴えのなかで、去る3月24日に国じゅうから受けた熱狂的な歓迎を自分の働きへの報いとして挙げた。複数の記録によれば、この日の歓迎は政治的な抗議でもあった。回想録作者ゴ・ヴァンは、3月21日の大集会の3日後に、穏健民族主義派の立憲党を率いるチエウがフランスから帰国するのを迎える集会がサイゴン港で開かれたと書いている。ゴ・ヴァンによれば、その集会はジャーナリストのグエン・アン・ニンが逮捕されたという知らせを受けて、怒りのデモに変わった。群衆はチエウを党事務所まで送り、「グエン・アン・ニンを釈放せよ」と唱えたという。ウィキペディアのニンの項目も、ニンの逮捕とチエウの帰国を結びつけている。ただしこの項目は逮捕の日を3月21日とし、ゴ・ヴァンはニンの投獄を集会の3日後としている。チエウは選挙向けの文章でこの歓迎を自分個人への支持として示した。一方これらの記録では、群衆の熱気の多くはより急進的なニンへの支持から生まれていた。この事情は、チエウが選挙戦の始めに行政当局からの独立を強く打ち出した理由を理解する助けになる。
候補者たちが独立を強調した背景にある1926年春の騒動
これらの選挙文書は、サイゴンで異例の騒動が数か月続いたあとに書かれた。ウィキペディアのグエン・アン・ニンの項目によれば、流刑から戻った改革派ファン・チャウ・チンの葬儀は1926年4月4日に政府への前例のない抗議行動となり、7万人が葬列に加わったとされる。この人数は概算として読む必要がある。4月24日にニンへ禁錮18か月の判決が言い渡されると、サイゴンと周辺地域の学生や生徒は一斉に授業を放棄した。この状況のなかで、退任する評議員チュオン・ヴァン・ベンとグエン・ファン・ロンは、行政当局からの独立が何の得にもならず危険も伴ったと有権者に語った。ブイ・クアン・チエウも、行政上のしがらみから自由になるために29年の官職を早く退いたと強調した。これらは新聞が載せた候補者自身による経歴の説明である。周囲の出来事を見ると、植民地の制度の内側で活動する候補者が、ニン事件で動揺した有権者に対して政府との距離を示す必要があったことがわかる。
ノイシュタットのカフェでの刺傷事件がフランス軍法会議にかけられた理由
ノイシュタットの記事は、1918年から1930年まで続いた連合国のラインラント占領の法制度を反映している。ラインラント協定のもとで、ドイツは占領地域の民事と刑事の裁判権を保持した。ただし占領軍の兵士に対する犯罪は連合国の軍事裁判権に属した。このため新聞は、オーディグーへの襲撃をランダウ軍法会議が扱い、ドイツの警察官とその指名する者は証人として聴取されるだけだと伝えた。民政面の監督は連合国ラインラント高等弁務官府が担い、フランスの高等弁務官ポール・ティラールがこれを率いた。記事によれば、ギヨーマ将軍はこの高等弁務官と合意して動いた。占領軍と住民の関係はしばしば緊張し、その緊張はアメリカとイギリスの地域よりもフランスとベルギーの地域で強かった。1926年秋には政治の状況も変わっていた。1925年末のロカルノ条約の調印を受けて、ケルン周辺の北部地域から1926年1月に占領軍が撤退した。そのため残る占領地域での事件は、仏独の和解に影響するようになっていた。記事は「新たな事件」と書き、ゲルマースハイムの捜査にも触れている。この書き方から、読者が同じような衝突を続けて見聞きしていたことがうかがえる。ただし新聞はそれ以前の事件を詳しく伝えていない。
原文
PROFESSION DE FOI
2ème Circonscription: Saigon, Cholon, Tanan, Mytho PROFESSION DE FOI Chers compatriotes et électeurs, Nous voici au terme du mandat que vous nous avez confié il y a quatre ans. Nous l'avons rempli de notre mieux; nous n'en avons retiré qu'une satisfaction morale qui est, pour nous, il est vrai, une récompense autrement enviable que les faveurs administratives par quoi se payent les compromissions et les abdications de conscience. Nous avons observé vis-à-vis de l'Administration une indépendance qui, pour être sans profit, n'allait pas parfois sans risques. Ce faisant, nous avons accompli seulement notre devoir, car en briguant vos suffrages nous avons pris, par devers
Aux électeurs de la circonscription
En venant solliciter vos suffrages, je ne nourris aucune ambition personnelle. Après 29 années de service dans l'Administration, j'aurais pu continuer ma carrière dans des conditions matérielles et morales des plus enviables. J'ai pris volontairement ma retraite avant le terme légal, afin de mieux servir les intérêts de notre pays, libre de toute attache administrative. Ce que j'ai fait pour les Annamites, vous le savez tous. Depuis vingt ans, je suis sur la brèche, défendant résolument leurs intérêts contre les abus d'autorité, les préjugés de race et la routine bureaucratique. En Indochine et en France, j'ai exposé nos désiderata pour tâcher d'intéresser la Métropole au sort du Peuple d'Annam. La réception enthousiaste que le pays m'a réservée le 24 Mars dernier m'a largement récompensé; elle m'encourage à persévérer. Quelle sera ma conduite au Conseil Colonial, si vous me faites l'honneur de m'y envoyer? Avec la même ardeur, la même conviction je continuerai le travail commencé. Mon programme? Vous le connaissez. Tout ce qui pourra contribuer à
Un nouvel incident en Rhénanie
et de quân-lanh... Ecce homo! Un nouvel incident en Rhénanie Un sous-officier poignardé dans un café Un nouvel incident s'est produit à Neustadt, où un sous-officier, du nom d'Audigou, a été poignardé en plein café par un Allemand. Les autorités allemandes se sont mises à la disposition des autorités françaises pour rechercher l'assassin qui serait un nommé Erhardt, ancien officier de réserve. Le Général Guillaumat, d'accord avec le Haut Commissaire Français, a invité le rapporteur du Conseil de Guerre de Landau à entendre, à titre de témoins, le fonctionnaire de la police qui dirige l'enquête de Germersheim et les témoins désignés par celui-ci.