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· ベルリン(ドイツ) · ドイツ語

Vossische Zeitung

この日のベルリンの紙面は、フランス占領下のプファルツにあるゲルマースハイムの市長が国際連盟に送った緊急電報を大きく伝えた。電報は、9月26日から27日にかけての夜にフランス人将校が町の若者3人を犠牲にしたと訴えた。そのうえで、すべての犠牲について連盟に責任を問い、公平な仲裁裁判所の設置とフランス軍の撤退を求めた。市内面では、ベルリン警察が150件の通報を洗い、タウエンツィエン通りの宝石強盗の足取りをブレスラウでつかんだと報じた。盗品を売ろうとした29歳の労働者が逮捕された一方、男装して襲撃に加わった若いポーランド人女性の共犯者は、獲物の半分を持って国境の向こうへ逃れたとみられると伝えた。ロンドンとローマからは、チェンバレンとムッソリーニの会談が間近だとの予測が届いた。イタリア各紙はこの会談をトワリー会談やロカルノ条約と結びつけ、ドイツが連合国の対米債務支払いを肩代わりすればラインラントの完全な主権を取り戻せるという構想も紹介した。

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「フォス新聞」通信部
ek ゲルマースハイム、9月29日

ゲルマースハイム市長は住民の名において、国際連盟に以下の電報を送った。その文面はライヒ(ドイツ中央)政府およびバイエルン州政府にも電報で通知された。

全世界への緊急の訴え! 8年来、プファルツはフランス占領の軛の下で呻吟している。この長い歳月に住民が被ってきた苦しみは、言葉では言い表せない。あらゆる平和と和解の演説にもかかわらず、ロカルノとジュネーヴにもかかわらず、フランスの占領体制は住民にとってまさしく災厄と化した。とりわけゲルマースハイム市は久しくフランス軍の恣意になすすべもなく委ねられ、市民はもはや命の安全すらない。占領軍の構成員による度重なる重大な非行に加え、今般、今月26日から27日にかけての夜、善良で無防備な市民の息子3人が、まったく罪なくして、フランス人将校の非道かつ冷酷に計算された殺人の手の犠牲となった。極度に憤激したゲルマースハイム市の住民は、文化国家にふさわしからぬ、外国勢力による奴隷のごとき虐待に対し、全世界の前で激烈な抗議を行う。住民は、現在および将来のすべての犠牲について国際連盟に責任を問う。全住民は一致して、息子3人に対する恥ずべき犯罪への無条件の償いを要求する。住民は、この流血の凶行を調査するための公平な仲裁裁判所の即時設置を要求し、さらに全フランス軍を市壁の内から速やかに撤去することを要求する [?]

宝石強盗事件、解決

[?] 驚くほどの速さで、警察当局はタウエンツィエン通り7番地の宝石店マロッティ・ウント・フライントに対する大胆な強盗事件を解決した。4日間にベルリン刑事警察へ寄せられた150件の手がかりのうち、ブレスラウへつながる1件が有用であると判明した。同地で昨日午後2時半ごろ、昨日の夕刊の大部分ですでに報じることができたとおり、盗まれた宝石を売却しようとしていたところを、ベルリンのコペルニクス通り28番地に住む29歳の労働者ハンス・シュプルッフが逮捕された。共犯者は女であることが判明した。21歳のポーランド人ゾーニャ・イグニアテフで、自称女優、シュプルッフがしばらく前にフリードリヒ通りで知り合った相手である。この娘は男装して、世間を騒がせたこの襲撃に加わっていた。彼女は獲物の半分を持ってポーランド国境を越え、逃亡したものとみられる。シュプルッフは詳細な自白をした。彼の手元で見つかった宝石は押収された。

最初の手がかり

山のような通報の中から、[?]

本日、チェンバレン=ムッソリーニ会談

……パトロールを除き、夜9時以降は通りに立ち入ってはならない。受け取っていた、ただちに2つの手がかりが特に重要と思われ、いずれも東ドイツ方面を指していた。駅で1件の

チェンバレン=ムッソリーニ新会談

whe ロンドン、9月29日
今後48時間以内に、ローマの軍港チヴィタヴェッキアでムッソリーニとチェンバレンの会談が行われる。英国側の予測によれば、会談はもっぱら地中海問題に限られるという。この会談の申し入れは英国側からではなく、ムッソリーニから出たものである。

mp ローマ、9月29日
チェンバレンとムッソリーニの会談で予想される内容については、見方が分かれている。タンジールやアビシニアといった特定の問題が議題になると言われるかと思えば、全ヨーロッパ的な性格の接触だとも言われる。外交筋でも表明されている、ムッソリーニ=チェンバレン会談はトワリー会談の直接の結果だという見方を、とりわけ「ラヴォーロ・ディタリア」紙が採っており、同紙はこう書いている。「この会談はロカルノの全般的政策の枠内にある。保障された2国が互いの関係を別の基盤の上に築く必要を感じるならば、保障する側の列強もまた意見交換に入らねばならない」。「ジョルナーレ・ディタリア」紙は、タンジールとアビシニアが討議されるだろうと推測している。しかし同紙にとっても最も重要なのは独仏政策の新たな方向づけであるようだ。独仏の了解は、イタリアと英国が保障したロカルノ条約の帰結にすぎないからだという。「ラヴォーロ・ディタリア」紙には、さらにイタリア外交政策の考え方をはっきりとほのめかす記述も見られる。同紙は社説でこう書いている。ドイツが、連合国がアメリカに支払わねばならないのと同額をアメリカに支払う義務を引き受けるなら、ドイツとの取引は可能であろう。それによってドイツはラインラントに対する完全な主権を得るだろう。そうした取引の技術的側面については協議が必要である。その際、連合国にとってもなお利益が生じなければならない。そしてこの記事の結びの文はこうである。パリは、目先の数十億の必要のために将来を危うくするのは危険だと知るべきである。そのうえ、ヴェルサイユ条約の調印国はそれを許さないだろう。最も真っすぐな道は、ついに賠償問題を解決することである。[?]

解説

1926年9月26〜27日の夜、ゲルマースハイムで何が起きたのか

電報が訴えているのは、のちに「ルジエ事件」と呼ばれる出来事である。酒場で飲酒のうえドイツ人とフランス兵が口論となり、9月27日の早朝、フランス軍少尉ピエール・ルジエが3発を発砲した。市民エミール・ミュラーが郵便局の近くで射殺され、それ以前にヨーゼフ・マテスとリヒャルト・ホルツマンの2人も撃たれて負傷していた。つまり「町の息子3人が殺人の手の犠牲となった」という市長の表現は、死者1人と負傷者2人をひとまとめにして告発している。当初から報道は食い違った。ドイツの新聞はルジエの有罪を当然視し、フランスの新聞はルジエが襲われて正当防衛で撃ったと報じた。この要塞都市では、1918年12月にフランス軍が進駐して以来たびたび衝突が起きており、ロカルノ後の緊張緩和もほとんど実感されていなかった。ルジエの部隊は1926年9月30日、かねての予定どおりヴェルダンへ移駐した。ただしそれは、電報が求めた全面撤退ではなかった。

ゲルマースハイムが求めた法廷を、国際連盟は用意できたのか

市長がジュネーヴに訴えたのは、1926年9月10日にドイツが常任理事国の地位を得て国際連盟に加盟してから、わずか3週間足らずのことだった。しかし占領は連盟の制度ではなかった。占領はヴェルサイユ条約とそれと並行するラインラント協定に基づいており、占領地における連合国の最高機関は連合国ラインラント高等弁務官府だった。ドイツは占領地で民事・刑事の裁判権を保持したが、占領軍に対する犯罪は連合国の軍事裁判権に属した。ロカルノ体制はドイツ・フランス・ベルギー間の紛争解決に連盟理事会の役割を与えたが、それは国家間の紛争が対象である。一つの町が兵士の行為について調査を求める仕組みは用意されていなかった。実際、事件はラインラントの規則どおりに扱われた。1926年12月17日、ランダウのフランス軍事法廷でルジエの審理が始まった。ルジエは無罪となり、ドイツ人被告には禁錮3か月から2年の刑が言い渡された。ドイツの外交的働きかけを受けて、ドイツ人被告は12月25日に恩赦を受けた。

イタリア紙はなぜ英伊を「保障する側の列強」と呼んだのか

ローマ電によれば、「ラヴォーロ・ディタリア」紙はフランスとドイツを「保障された2国」、英国とイタリアを「保障する側の列強」と呼んだ。この言い回しはロカルノ条約の構造に由来する。その主条約は、ドイツ、ベルギー、フランス、英国、イタリアの5か国による相互保障条約だった。締約国はヴェルサイユ条約で定められた独仏・独白国境の不可侵を保障し、ラインラントの非武装地帯の遵守を約束した。条約はドイツの連盟加盟とともに1926年9月に発効しており、この紙面のわずか2週間ほど前のことだった。そのためイタリアの論者は、トワリー会談に見られるような独仏二国間の接近は保障国にも関わる問題だと主張した。この見方に立てば、ムッソリーニが申し入れた会談は、保障国が話し合いに加わる機会だった。ただし記事自体、議題については定まっていない。ロンドンは地中海問題のみと伝え、ローマの各紙はタンジールやアビシニアを挙げた。トワリーや会談の目的について紙面が伝える内容は、当時の観測にとどまる。

「ラヴォーロ・ディタリア」紙の言うように、ドイツはラインラントを買い戻せたのか

イタリア紙の社説は、ラインラントを金銭と結びつけた。ドイツが連合国の対米支払いを引き受ければ、その見返りにラインラントの完全な主権を得られるという構想である。この結びつきは占領そのものに組み込まれていた。占領の目的はフランスとベルギーの安全の確保とドイツの賠償履行の担保であり、ヴェルサイユ条約は占領期間を最長15年と定めた。ドイツが義務を果たせば、占領地帯は段階的に撤収される仕組みだった。結局、撤退の時期を決めたのはやはり金の問題だったが、それはローマで思い描かれた取引によってではなかった。新たな賠償協定である1929年のヤング案を経て、連合国は1930年6月30日に最後の地帯から撤退した。条約の期限より5年早かった。ゲルマースハイムにとってそれは、市長の電報のあとも4年近くフランス軍が駐留し続けたことを意味した。

原文

An die Welt

An die Welt Nachrichtendienst der " Vossischen Zeitung " ek Germersheim, 29. September Der Bürgermeister der Stadt Germersheim hat im Namen der Bevölkerung an den Völkerbund das nachstehende Telegramm gerichtet, dessen Wortlaut auch der Reichsregierung und bayerischen Staatsregierung telegraphisch bekanntgegeben worden ist. Notruf an die ganze Welt! Seit acht Jahren schmachtet die Pfalz unter dem Joch der französischen Besatzung. Was die Bevölkerung in dieser langen Zeit gelitten hat, ist mit Worten nicht zu schildern. Trotz aller Friedensund Versöhnungsreden, trotz Locarno und Genf ist das französische Besatzungsregime zu einer wahrhaften Geißel der Bevölkerung geworden. Die Stadt Germersheim namentlich ist der Willkür der französischen Truppen seit langem machtlos preisgegeben, die Bürger sind ihres Lebens nicht mehr sicher. Neben anderen wiederholten schweren Verfehlungen von Angehörigen der Besatzung sind jetzt in der Nacht vom 26. auf den 27. d. M. drei brave, wehrlose Bürgersöhne der ruchlosen und kalt berechnenden Mörderhand eines französischen Offiziers gänzlich schuldlos zum Opfer gefallen. Die aufs höchste erregte Bevölkerung der Stadt Germersheim erhebt vor aller Welt flammenden Protest gegen die sklavische, einer Kulturnation unwürdige Mißhandlung seitens einer fremen Macht. Sie macht den Völkerbund verantwortlich für alle gegenwärtigen und zukünftigen Opfer. Die gesamte Einwohnerschaft fordert einmütig unbedingte Sühne für das schändliche Verbrechen an dreien ihrer Söhne. Sie fordert die sofortige Einsetzung eines unparteiischen Schiedsgerichts zur Untersuchung der Bluttat, und sie fordert schnellste Entfernung aller französischen Truppen aus den Mauern ihrer Stadt [?]

Der Juwelenraub aufgeklärt

[?] Ueberraschend schnell ist es den Polizeibehörden gelungen, den verwegenen Raubüberfall auf das Juwelengeschäft von Marotti u. Freint in der Tauentzienstraße 7 aufzuklären. Von den 150 Spuren, die der Berliner Kriminalpolizei im Laufe von vier Tagen mitgeteilt wurden, erwies sich eine, die nach Breslau führte, als brauchbar. Dort wurde gestern nachmittag gegen ½3 Uhr, wie im größten Teil der gestrigen Abendausgabe bereits mitgeteilt werden konnte, beim Verkauf der gestohlenen Juwelen der 29 Jahre alte Arbeiter Hans Spruch aus der Kopernikusstraß e 28 in Berlin verhaftet. Sein Komplice entpuppte sich als eine Frau, die 21 Jahre alte Polin Sonja Igniatew, eine angebliche Schauspielerin, die Spruch vor einiger Zeit auf der Friedrichstraße kennengelernt hatte. Das Mädchen hatte in Männerkleidung an dem sensationellen Ueberfall teilgenommen. Sie ist anscheinend über die polnische Grenze mit der Hälfte der Beute entkommen. Spruch hat ein eingehendes Geständnis abgelegt. Die bei ihm gefundenen Juwelen wurden sichergestellt. Die ersten Spuren Unter dem Wust von Mitteilungen, [?]

Heute Begegnung Chamberlain—Mussolini

mit Ausnahme der Patrouillen von 9 Uhr abends ab die Straße nicht mehr betreten dürfen. halten hatte, erschienen sofort zwei Spuren als besonders wichtig, die beide nach Ostdeutschland wiesen. Ein am Bahnhof Neue Begegnung Chamberlain-Mussolini whe London, 29. September In den nächsten 48 Stunden wird eine Begegnung zwischen Mussolini und Chamberlain in Civita Vecchia, dem Kriegshafen Roms, stattfinden. Nach englischen Voraussagen soll sich die Unterredung ausschließlich auf Mittelmeerprobleme beschränken. Die Aufforderung zu dieser Unterredung ist nicht von englischer Seite, sondern von Mussolini ausgegangen. mp Rom, 29. September Ueber den voraussichtlichen Inhalt der Besprechungen Chamberlains mit Mussolini gehen die Voraussagen auseinander. Bald sollen bestimmte Probleme wie Tanger und Abessinien den Gegenstand bilden, bald aber handelt es sich um eine Fühlungnahme allgemeinen europäischen Charakters. Die auch in diplomatischen Kreisen geäußerte Ansicht, die Zusammenkunft Mussolini-Chamberlain sei die unmittelbare Folge der Besprechungen von Thoiry, eignet sich besonders der " Lavoro d'Italia " an, der schreibt: " Die Zusammenkunft gehört in den Rahmen der allgemeinen Politik von Locarno. Wenn die beiden garantierten Nationen das Bedürfnis spüren, ihre Beziehungen auf einer anderen Grundlage aufzubauen, müssen auch die garantierenden Mächte in einen Gedankenaustausch eintreten. " Das " Giornale d'Italia " nimmt an, daß Tanger und Abessinien zur Diskussion kommen würden. Aber die Neuorientierung der deutsch-französischen Politik scheint auch ihm das Wichtigste zu sein; denn die deutsch-französische Verständigung sei nur eine Folge des Paktes von Locarno, den Italien und England garantiert hätten. Im " Lavoro d'Italia " findet man außerdem eine deutliche Anspielung auf die Gedankengänge der italienischen Außenpolitik. Das Blatt schreibt in seinem Leitartikel: Eine Transaktion mit Deutschland wäre möglich, wenn Deutschland die Verpflichtung übernimmt, an Amerika so viel zu zahlen, als die Verbündeten an Amerika abgeben müssen. Dadurch würde Deutschland eine völlige Souveränität über die Rheinlande erhalten. Die technische Seite einer solchen Transaktion bedarf der Besprechungen. Es müsse dabei für die Verbündeten noch ein Vorteil herauskommen. Und die Schlußsätze dieses Artikels lauten: Paris möge wissen, daß es gefährlich ist, die Zukunft wegen eines augenblicklichen Milliardenbedarfs zu kompromittieren. Außerdem würden dies die Unterzeichner des Vertrages von Versailles nicht zulassen. Der geradeste Weg wäre, endlich einmal das Reparationsproblem zu lösen. [?]

紙面の出典:Source: Staatsbibliothek zu Berlin / zefys

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