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· ウィーン(オーストリア) · ドイツ語

Neue Freie Presse

1926年9月30日付の「ノイエ・フライエ・プレッセ」は、ウィーンの職場で起きた出来事を皮肉たっぷりに伝えた。ハイリゲンシュタットの車体工場では、カトリック青年団の行進に加わった若い同僚の解雇を約300人の労働者が要求し、経営側が拒むとストライキに入った。その行進は社会民主党系の共和国防衛同盟と衝突していた。トリーア発の特派員電は、ゲルマースハイムでの発砲と同じ日曜日に、占領軍所属のフランス人検査室助手がドイツ人労働者を射殺したと報じた。一方、アリス・シャレクの文芸欄記事は、法律で保障された余暇に芸術や山の景色を楽しめることをオーストリア人は当然視しているが、それは裕福なアメリカ人でさえ手の届かないものだと論じた。

翻訳

三百人対一人

[?] ウィーン、9月30日。労働組合闘争のなかでも最もひどい行き過ぎの一つが、昨日起きた。ある若い労働者が日曜日、ヘルナルスのカトリック青年団の行進に参加する。その際、エルターラインプラッツで共和国防衛同盟(シュッツブント)の隊員たちとの衝突が起きたのである。周知のとおり1ダースほどの軽傷者を出したこの衝突がおそらく原因で、この行進のことは郊外のハイリゲンシュタットでも話題になっている。若者はそこにあるヴァイザー車両・車体製造工場で働いているのだ。仲間たちはこれを耳にし、さっそく月曜日には、善良な社会民主党員として防衛同盟の隊列に加わって行進する代わりに、市民的なキリスト教社会党系の団体に属するという罪を犯したこの不届き者の解雇を強く要求する。しかし経営陣は解雇を認めない。そして同僚たちができる限り彼の生活を苦しくしているにもかかわらず、この「罪なき罪人」は自分から辞表を出すことを拒む。そこで労働者たちは三百人そろってストライキに入り、この最も強力な手段で要求を押し通そうとする。[?]

トリーアでもドイツ人がフランス人に射殺される

[?] トリーア、9月29日。ゲルマースハイムでフランス軍の少尉が平和なドイツ人たちを撃ち倒したのと同じ日曜日に、トリーアではフェオドール・ホルシュタインという作業場の労働者が、モテというフランス人に射殺された。このフランス人も占領軍に属しており、トリーアのフランス陸軍病院の検査室助手である。ホルシュタインは数人の知人と散歩から戻る途中、このフランス人の致命的な銃弾に倒れた。殺害者とその仲間たちは暗闇に紛れて逃走し、今日になってようやく、犯人がフランス人検査室助手モテであることが突き止められた。[?]

オーストリアよ、君のほうが恵まれている!

[?] 結婚生活と独身生活のどちらに利点が多いかをめぐって最近起きた論争で、ある独身者はこう主張した。夫婦のほうが間違いなく恵まれてはいるが、自分は彼らをうらやましいとは思わない。なぜなら彼らはたいてい自分たちの利点をあまりにも当然のことと考え、それどころか多くの場合、もはやその利点を意識すらしていないからだ、と。オーストリアも似たような立場にあるように私には思える。自分たちに何が欠けているかは誰もがよく知っている。しかし、日々享受しているものの価値がわかるのは、外国でそれを恋しく思った者だけだ。すなわち、オーストリアは芸術と自然の美に満ちており、それを楽しむ時間が法律によって誰にも十分に与えられているということである。そのうちこの国で乏しい収入の者にもなお手が届くものが、労働に追い立てられるアメリカでは、裕福な者にさえ手に入らない。そして何よりも、この国ではごく普通の市民でさえ、音楽への憧れと高山の陶酔を満たすためにパンに塗るバターを切り詰めるのに対し、向こうでは自然のためには何ひとつ差し出さず、芸術にはあり余る分しか差し出さない、ということである。[?]

解説

共和国防衛同盟とは何か。カトリックの行進一つがなぜ工場ストにつながったのか

社説はハイリゲンシュタットのストライキを労働組合闘争の最もひどい行き過ぎの一つと呼んだ。防衛同盟と行進せずにキリスト教社会党系の青年団に属したことを、労働者たちが罪のように扱ったと皮肉っている。事件の中心にいた共和国防衛同盟(シュッツブント)は、社会民主労働者党が共和国を守るために1923年に創設した準軍事組織である。武装して軍隊式に編成され、構成員は1925年に約10万人で最大となった。1923年から1927年にかけてのオーストリアでは、政党の武装組織どうしの衝突が繰り返された。一方は社会民主党の防衛同盟、もう一方はハイムヴェーアなどの組織を擁する保守的なキリスト教社会党だった。ヘルナルスのエルターラインプラッツでの乱闘もそうした街頭衝突の一つで、このストライキは同じ陣営対立が工場の中にまで及んだことを示している。同紙は労働者の要求を労働運動による強要として描いた。スト参加者300人、軽傷者約1ダースという数字は同紙自身の説明である。1年もたたないうちに、対立は大きく激化した。シャッテンドルフでの銃撃事件の被告を陪審が無罪としたことを受け、1927年7月にウィーンで暴動が起き、警察の発砲で84人が死亡した。

1926年、なぜトリーアとゲルマースハイムにフランス人要員がいたのか

トリーア発の電報は、発砲した人物をフランス陸軍病院で働く占領軍の一員と伝えた。同じ日曜日にゲルマースハイムでフランス軍少尉が起こした発砲とも結びつけている。両都市はいずれも連合国占領下のラインラントにあった。1918年11月の休戦協定、ヴェルサイユ条約、それと並行して結ばれたラインラント協定により、ライン川以西の地域は1918年12月1日から連合国の管理下に置かれた。これを監督したのが、フランス人高等弁務官が率いる連合国ラインラント高等委員会である。ロカルノ条約の後、イギリス軍は1926年1月にケルン地区から撤退したが、フランス軍はほかの地区に残った。コブレンツ地区からの撤退は1929年11月、マインツ地区からの撤退は1930年6月30日で、これにより占領は終わった。ラインラント協定は民事・刑事の裁判権をドイツに残したが、占領軍に対する犯罪は連合国の軍事裁判権に服するとした。住民との関係は、アメリカやイギリスの地区よりもフランスとベルギーの地区で険悪で、初期には小規模な暴力が頻発した。双方とも宣伝戦を展開し、ドイツ側の文書は時に激しい調子を帯びた。ルール占領期のある呼びかけは「フランス人とベルギー人の盗人と殺人者」と書いている。平和なドイツ人が撃ち倒され、「殺害者」が闇に紛れて逃げたという電報の描き方は、そうした空気の中にある。トリーア事件の人名や状況は、同紙の報道だけに基づいている。

アリス・シャレクとは誰か。なぜ芸術と山とアメリカを論じたのか

「オーストリアよ、君のほうが恵まれている!」は、アリス・シャレク(1874〜1956年)の署名入り文芸欄記事である。彼女は1903年から「ノイエ・フライエ・プレッセ」の文芸欄に寄稿し、30年以上にわたって同紙で働いた。スカンディナヴィア、北アフリカ、インド、東アジアへの旅や、1913年に多くの国を巡った旅の旅行記、そして数千枚に及ぶ写真で名を上げた。第一次世界大戦中はオーストリア=ハンガリー軍戦時報道部に所属する唯一の女性従軍記者だった。カール・クラウスは戦争を美化していると非難し、彼女を激しく攻撃した。1923年からは再び旅行ジャーナリストとして各地を回った。熱心な登山家でもあり、登山を題材にした小説や文芸欄記事も書いた。そのことが、この記事の「高山の陶酔」の賛美に重みを与えている。この記事の数か月前、1926年6月には、同紙にラックス・ロープウェーについての文芸欄記事を寄せていた。「労働に追い立てられるアメリカ」との対比は、彼女自身の旅と照らし合わせて読むことができる。1914年8月には、コロラド川のグランドキャニオンを題材にした「ワイルド・ウェスト」の記事が同紙に載った。またこの記事の4年後、1930年には米国を訪れている。記事は、芸術と自然を楽しむ十分な時間を法律が万人に与えているとするが、抜粋部分はそれがどの法律を指すのかを示していない。

原文

Dreihundert gegen einen.

[?] Wien, 30. September. Einer der ärgsten Exzesse des gewerkschaftlichen Kampfes hat gestern stattgefunden. Ein junger Arbeiter nimmt Sonntag an dem Umzug der Hernalser katholischen Jugendvereinigung teil, bei der es auf dem Elterleinplatz zu dem Zusammenstoß mit den republikanischen Schutzbündlern gekommen ist. Dieses Renkontre, bei dem, wie wir wissen, etwa ein Dutzend leichte Verwundungen vorgekommen sind, hat wohl Schuld daran, daß von dem Umzug auch draußen in Heiligenstadt gesprochen wird, wo der junge Mann in der Wagen - und Karosseriefabrik Weiser beschäftigt ist. Die Kameraden hören davon und gleich am Montag verlangen sie mit Nachdruck die Entlassung des Uebeltäters, der das Verbrechen begangen hat, statt als braver Sozialdemokrat in den Reihen des Schutzbundes mitzuziehen, dem bürgerlichen christlichsozialen Verein anzugehören. Die Entlassung wird jedoch von der Direktion nicht zugestanden, und da der unschuldig Schuldige sich weigert, selbst seine Kündigung einzureichen, obwohl ihm die Kollegen das Leben so schwer als möglich machen, treten die Arbeiter allesamt, dreihundert Mann hoch, in Streik, um ihre Forderung mit diesem kräftigsten Mittel durchzusetzen. [?]

Auch in Trier ein Deutscher von einem Franzosen erschossen.

[?] Trier, 29. September. An demselben Sonntag, an dem in Germersheim ein französischer Unterleutnant friedliche Deutsche niederschoß, ist in Trier ein Werkstättenarbeiter namens Feodor Hollstein von einem Franzosen namens Motet erschossen worden. Auch dieser Franzose gehört zur Besatzung, er ist Laboratoriumsgehilfe am französischen Militärlazarett in Trier. Hollstein befand sich auf dem Rückwege von einem Spaziergange in Begleitung von mehreren Bekannten, als er der tödlichen Kugel des Franzosen zum Opfer fiel. Der Mörder. und seine Genossen entkamen in der Dunkelheit und erst heute gelang es, den Täter in der Person des französischen Laboratoriumsgehilfen Motet zu ermitteln. [?]

Oesterreich, du hast es besser!

[?] Bei einem Streit, der jüngst darüber entbrannte, ob das Leben der Verheirateten oder Ledigen mehr Vorteile biete, behauptete ein Junggeselle, daß er die Eheleute, wiewohl sie es zweifellos besser hätten, nicht beneide, weil sie zumeist ihre Vorteile allzu selbstverständlich fänden, ja sich ihrer oft gar nicht mehr bewußt seien. In ähnlicher Lage scheint mir Oesterreich. Was wir entbehren, weiß jeder von uns ganz genau, aber was wir täglich genießen, würdigt nur derjenige, der es im Ausland vermißte: daß nämlich Oesterreich von Kunst und Naturschönheit erfüllt ist, die zu genießen jeder durch das Gesetz Zeit genug hat: was davon bei uns dem wenig Bemittelten noch zugänglich ist, bleibt in dem arbeitdurchtobten Amerika auch dem Wohlhabenden unerreichbar. Und vor allem, daß hierzulande sich auch der Durchschnittsbürger die Butter vom Brot abspart, um seiner Sehnsucht nach Musik und Höhenrausch zu genügen, während man drüben Natur gar nicht, Kunst aber nur gegen Ueberfluß eintauscht. [?]

紙面の出典:Source: Oesterreichische Nationalbibliothek / ANNO

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