Prager Tagblatt
- ファシズム、復讐を叫ぶ
- 学校制度の見直し
- ヴェンティミーリアで反仏暴動
1926年11月3日付のプラーガー・タークブラット紙は、ファシスト政権下のイタリアをめぐる記事を二本掲げ、国内の学校制度を論じるコラムも載せた。ローマ発の記事は、ドゥーチェの弟アルナルド・ムッソリーニが「ポポロ・ディタリア」紙で、ファシストの無秩序な復讐の叫びに代えて冷静な熟慮を求め、容赦なく打つことこそ「犯罪者たち」を止める最良の手段だと書いたと伝えた。パリ発の記事は、フランス側の報道に基づき、国境警備のためにジェノヴァから送られたばかりのファシスト民兵がヴェンティミーリアでフランス人鉄道員を襲ったと報じた。襲撃の口実は、ムッソリーニを支持する示威行動の際に数人の職員が帽子を取らなかったことだった。パウル・フュルステナウの署名コラムは、共和国大統領と財務大臣という二人の「教師」の言葉を取り上げ、学校制度の道徳的な基礎を論じた。
翻訳
ファシズム、復讐を叫ぶ
ローマ、11月2日発。ドゥーチェの弟アルナルド・ムッソリーニは「ポポロ・ディタリア」紙に、ファシストたちの無秩序な復讐の叫びよりも冷静な熟慮のほうがよいと書いている。容赦なく打ちのめすこと、これこそが犯罪者たちにその仕業を続けさせないための最良の手段だという。
学校制度の見直し
パウル・フュルステナウ筆
二人の教師が、これらの言葉を語った。一人は共和国の大統領であり、もう一人は共和国の財務大臣である。哲学者は、あらゆる学校制度の道徳的な基礎を打ち立てている。
ヴェンティミーリアで反仏暴動
パリ、11月2日発。イタリアの国境の町ヴェンティミーリアで、激しい反仏騒乱が起きた。フランス側の報道によれば、国境警備の増強のためにここ数日のうちにジェノヴァから到着したばかりのファシスト民兵が、ファシストの将校に率いられてフランス人鉄道員を襲撃した。襲撃の口実とされたのは、国境駅のすぐ隣にあるフランス人鉄道員の宿泊所のバルコニーで、ムッソリーニへの共感を示す示威行動が行われた際、数人の職員が群衆から求められたにもかかわらず帽子を取るのを拒んだ、ということであった。
解説
アルナルド・ムッソリーニの呼びかけの背後にあったボローニャの銃撃
アルナルド・ムッソリーニが記事で言う「犯罪者たち」は、ローマ発の日付の2日前、1926年10月31日にボローニャでベニート・ムッソリーニに向けて放たれた銃弾の件を指すと読める。抜粋そのものは、この事件の名を挙げていない。ムッソリーニがオープンカーでボローニャを通っていたときに銃弾が放たれ、その結果、15歳の少年アンテオ・ザンボーニがリンチを受けた。別の記述によれば、ムッソリーニを崇拝するファシストたちが、殴打と刃物でザンボーニをその場で殺した。この殺害を踏まえると、アルナルドが冷静な熟慮と対比した「無秩序な復讐の叫び」は具体的な出来事を指していたと考えられる。アルナルドの文章は、群衆による私的な報復に代えて、計画的で容赦ない処罰を求めるものと読める。ザンボーニが実際に撃ったかどうかについては、今も争いがある。テロリズム研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件は仕組まれたものか、ファシスト同士の陰謀だったと書いた。したがって、新聞が伝えた「犯罪者たち」への処罰の呼びかけは、のちに疑問が投げかけられた事件理解の上に立っている。
「仕業を続ける」という言い方と1年間の暗殺未遂
アルナルドが犯罪者たちの「仕業」の継続を警告したのは、1年足らずのうちにムッソリーニの命を狙った4件目の事件の直後だった。元社会党議員ティート・ザニボーニは、1925年11月4日にムッソリーニ暗殺を企てたとして逮捕された。歴史家たちは、この計画そのものを、政権が権力固めの口実として仕組んだものと考えている。1926年4月7日には、ヴァイオレット・ギブソンがピストルでムッソリーニを撃ち、弾は鼻をかすめた。1926年9月11日には、アナキストの大理石職人ジーノ・ルチェッティがローマのポルタ・ピアでムッソリーニの車に爆弾を投げ、ほかの4人が負傷した。アルナルドは「犯罪者たち」と複数形で書き、続いている「仕業」として語ることで、今回の襲撃を、組織的な対応を必要とする継続的な企ての一部として扱った。だが、この1年の暗殺未遂は、まったく異なる人物による別々の事件だった。同じ紙面のパリ発の記事は、この時期にフランス国境の町でもムッソリーニへの忠誠を示す示威行動が行われていたことを伝えている。ただし、その記事はヴェンティミーリアの示威行動が何をきっかけにしたものかを記していない。
容赦ない処罰の呼びかけから例外法へ
アルナルドが容赦なく打つことを求めた記事は、政権がボローニャの暗殺未遂を大規模な立法に結びつける1週間前に掲載された。ボローニャの暗殺未遂は、ムッソリーニの秘密警察を設ける法律につながった。続いて取られた弾圧的な措置には、政治的反対派の解散と死刑の復活が含まれた。1926年11月9日、ファシスト政府は非常権限を発動し、共産主義者アントニオ・グラムシを含む多くの反ファシストが逮捕された。これらの措置は、1925年から1926年にかけて制定された「レッジ・ファシスティッシメ」と呼ばれる一連の法律に属する。これらの法律は反ファシストに警察による流刑を科し、秘密警察OVRAと国家の安全のための特別法廷を設けた。11月3日付の紙面は、アルナルドの要求を伝えることしかできなかった。読者は数日のうちに、アルナルドの言う「冷静な熟慮」が法律の形を取るのを目にすることになった。
教師でもあった財務大臣
フュルステナウのコラムが描く「教師」である財務大臣の姿は、カレル・エングリシュの経歴とよく合う。抜粋そのものは、この大臣の名を挙げていない。エングリシュは1920年から1931年にかけて、六つの内閣でチェコスロヴァキアの財務大臣を務めた。エングリシュは政治家になる前から大学人であり、1919年に教授となって、新設されたブルノのマサリク大学の初代学長に就いた。エングリシュは教師として二世代のチェコの経済学者に影響を与え、いわゆるブルノ経済学派を創始した。このため、コラムが財務大臣を教師と呼んだのは比喩ではなく、経歴をそのまま述べたものと読める。この経歴を踏まえると、学校制度の見直しを論じるコラムが、財務大臣の言葉を予算政策としてだけでなく教育者の議論として扱った理由も理解できる。
原文
Der Fascismus ruft nach Rache.
Rom, 2. November. Arnaldo Mussolini, der Bruder des Duce, schreibt im " Popolo d'Italia ", besser als das ungeordnete Rachegeschrei der Fascisten sei kalte Ueberlegung. Unbarmherzig zuschlagen, dies sei das beste Mittel, um zu verhindern, daß die Verbrecher ihr Werk fortsetzen.
Revision der Schule.
Zwei Lehrer, von denen der eine Präsident der Republik, der andere ihr Finanzminister ist, haben diese Worte gesprochen. Der Philosoph stellt die moralische Begründung allen Schulwesens auf.
Franzosenfeindliche Ausschreitungen in Ventimiglia
Paris, 2. November. In der italienischen Grenzstadt Ventimiglia haben sich schwere franzosenfeindliche Unruhen zugetragen. Nach französischen Meldungen unternahm fascistische Miliz, die erst in den letzten Tagen aus Genua zur Verstärkung des Grenzschutzes angekommen war, unter Führung eines fascistischen Offiziers einen Ueberfall auf französische Eisenbahner unter dem Vorwand, daß auf dem Balkon des direkt neben dem Grenzbahnhof gelegenen Uebernachtungshauses der französischen Eisenbahner mehrere Beamte sich trotz der aus der Menge heraus erfolgten Aufforderung geweigert hätten, bei einer Sympathiekundgebung für Mussolini die Kopfbedeckung abzunehmen.