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· チュニス(チュニジア) · フランス語

Le Petit Matin

1926年11月3日付の『ル・プティ・マタン』1面は、仏伊国境のヴェンティミーリアで再び起きた騒ぎを伝えた。記事によると、ファシストたちはフランスの鉄道員に嫌がらせをし、フランスの列車の発車を妨害すると脅し、小銃や棍棒を手にフランス領事館へ押しかけた。警察は阻止線を張り、領事館に入り込んだ一人を逮捕した。レモン・コラのロビー欄では、社会党の代議士が党の新しい機関紙の書き手を皮肉った。この代議士は、各県で完全な名簿を立てるという党大会の決定が右派を利するとの懸念も語った。ドゥエー発の短信は、身ごもった息子の嫁を射殺したマリー・ルフェーヴルに死刑判決が下ったと報じた。

翻訳

南東国境で再び重大な事件が起きる

当てが外れたファシストの将校は、そこで機関士がくわえていたたばこをその唇からもぎ取り、「ファシストの前でたばこを吸うものではない」と言い放った。その間に、ヴェンティミーリアの警察に通報が入っていた。警察署長は民兵隊を送ってフランス領事館を警備させ、駅の周辺から人を退かせた。駅ではファシストたちが、フランスの列車の発車を妨害すると脅していたのである。誰かが「危ない、警察だ」と叫ぶと、「黒シャツ隊」は小銃や棍棒を振りかざして領事館へ向かった。警察は阻止線を張っていたが、一人のファシストが監視の目をかいくぐって領事館に入り込み、バルコニーの上から仲間たちに演説をぶった。この男は逮捕された。

パ・ペルデュの間でしばし……

社会党の代議士が通りかかる。「われわれは新しい機関紙を待っている。もちろん、ブルム同志の記事は満足して読まれるだろう。ルーケ市民にも得意客はつくだろう。ルノーデル氏の読者は、慢性の不眠症に悩む人だけということになりかねない」――「それでも党大会ではよい仕事をなさったのでしょう?」――「まあ、そう言えなくもない……。党内に一つの亀裂も生じなかったのは明らかだ。とはいえ、いくつかの決定はかなりまずかったと思う。各県で完全な候補者名簿を出すというのは、もしかすると危険かもしれない。そのつもりもなく、むしろ逆の効果を狙いながら、われわれは自分たちや左派の友人たちを犠牲にして、右派の候補者を利することになるだろうからだ。」

あの悪女は罪を償う

ドゥエー、11月2日発――非常に裕福な実業家の妻で、息子が運転する自動車の中で、身ごもっていた息子の嫁を拳銃で撃ち殺したマリー・ルフェーヴル夫人に、死刑判決が言い渡された。この恐るべき悪女は、自らの行為をまったく悔いる様子を見せなかった。審理中の彼女の態度に、傍聴人は何度も敵意をあらわにして騒いだ。

解説

ヴェンティミーリアの騒ぎが起きたころのイタリア

『ル・プティ・マタン』は、ヴェンティミーリアでファシストがフランスの鉄道員に嫌がらせをし、フランス領事館に押しかけた出来事を1926年11月3日付で伝えた。この日付は、ボローニャでムッソリーニを狙った襲撃事件の3日後にあたる。1926年10月31日、市内を車で移動していたムッソリーニに向けて拳銃が撃たれた。その直後、ファシストたちは無政府主義者の家系に生まれた15歳10か月の少年アンテオ・ザンボーニをその場で殺し、襲撃の犯人とした。ファシスト政権はこのボローニャの事件を新たな抑圧策の口実にした。政権は1926年11月9日に野党議員120人の議員資格を失わせ、同じ日に発動した非常権限のもとでアントニオ・グラムシら反ファシストを逮捕した。抜粋は国境での騒ぎの原因を書いておらず、見出しの「再び」という言葉は以前にも同じような事件があったことを示している。抜粋だけでは、ボローニャの事件がヴェンティミーリアの騒ぎを引き起こしたとまでは言えない。それでもこの記事は、政権が公然の反対派をすべて押さえ込もうとしていた時期の出来事を伝えている。

左翼カルテル崩壊後の社会党

各県で完全な名簿を立てることへの代議士の懸念は、社会党が抜けたばかりの連合を考えるとよくわかる。1924年の総選挙で、社会党と急進社会党は左翼カルテルを組んだ。左翼カルテルは得票では過半数に届かなかったが、有利な選挙制度のおかげで327対254と議席の過半数を得た。この多数派は1926年に崩れ、社会党は野党に回った。1926年7月に政権に就いたレーモン・ポワンカレは、国民ブロックの諸党に急進社会党を加えた内閣をつくった。つまり1926年11月の時点で、代議士の言う「左派の友人たち」とみられる急進派は、右派と同じ内閣に入っていたことになる。代議士の話によれば、社会党大会は各地で独自の完全な名簿を立てると決めた。代議士は、こうして左派の票が割れれば社会党と急進派の両方が負け、右派の候補者が当選すると心配した。コラの欄はこれを名前の出ない一人の代議士の私見として載せており、党の公式な見解として伝えてはいない。

1928年の総選挙はどのように戦われたか

代議士が指摘した危険は1926年当時の選挙制度に結びついており、その制度は次の総選挙までに改められた。1928年の総選挙では、1919年に廃止された2回投票制が復活した。そのため選挙は、社会党大会が想定していたのとは違う規則で行われた。急進社会党はそれまでの選挙と同じく左派の側に立った。それでも右派が勝ち、議席は右派329に対し左派258となり、ポワンカレの中道右派政権が勝利した。この結果を、代議士が批判した完全名簿の決定を直接試したものとみることはできない。ただしこの結果は、左翼カルテル崩壊後の左派が少数派にとどまったことを示している。

マリー・ルフェーヴルの死刑判決のその後

見出しは「悪女」が罪を償うと伝えたが、ドゥエーで言い渡された死刑は執行されなかった。マリー・ルフェーヴルは1925年8月26日、息子と息子の嫁との自動車での外出の機会に、若い嫁を撃ち殺した。ルフェーヴルは1926年10月にドゥエーの重罪院で裁かれた。ルフェーヴルは裁判中に一度も悔いる様子を見せず、法医学の鑑定人たちは彼女に責任能力があると判断した。裁判所はルフェーヴルに死刑を言い渡したが、1926年12月に大統領の恩赦で刑は終身刑に減じられた。ルフェーヴルはまもなくアグノーの女子刑務所に移され、そこで亡くなるまで過ごした。その死は1934年5月16日にリールで発表された。短信はルフェーヴルを「非常に裕福な実業家」の妻と書いている。百科事典の項目は、夫を彼女が1888年に結婚したビール醸造業者ギヨーム・ルフェーヴルとしている。

ルフェーヴル事件が大きな注目を集めた理由

短信が伝えた傍聴人の敵意ある騒ぎは、世間全体の空気を映していた。マリー・ルフェーヴルには世論が一様に反感を抱き、人々は彼女がどんな人物なのかを問うようになった。新聞各紙はこの事件を大きく取り上げ、とくに『フィガロ』は多くの専門家に紙面を提供した。精神分析家のマリー・ボナパルト王女もこの事件に関心を持った。ボナパルトは、減刑から数週間後の1927年1月14日に刑務所でルフェーヴルに会い、4時間以上にわたって話を聞いた。ボナパルトは1927年に『フランス精神分析誌』に論文を発表し、この殺人をイオカステ・コンプレックスの表れと解釈した。新聞がつけた「悪女」という呼び名とボナパルトの研究は同じ注目の高まりから生まれたが、両者は犯人をまったく違うやり方で説明した。

原文

De graves incidents se produisent de nouveau sur la frontière du S. E.

Déçu, un officier fasciste arracha alors des lèvres d'un mécanicien la cigarette qu'il fumait déclarant que l ' «on ne fumait pas en présence d'un fasciste». Cependant la police de Vintimille avait été alertée. Le commissaire envoya la milice garder le Consulat Français et fit dégager les abords de la gare où les fascistes menaçaient de saboter le départ des trains français. Quelqu'un ayant crié «au danger, vu la police», les «chemises noires» se dirigèrent vers le Consuiat brandissant fusils et bâtons. La police avait organisé un barrage mais un fasciste, déjouant la surveillance, pénétra dans le Consulat et du haut d'un balcon harangua ses camarades. Il fut arrêté.

Quelques instants avec... aux Pas-Perdus

Passe un député socialiste: «Nous attendons notre nouvel organe; certes, on lira le camarade Blum avec satisfaction. Le citoyen Louquet aura des pratiques, M. Renaudel pourrait bien n'avoir comme lecteurs que ceux qui sont atteints d'insomnies chroniques. - «Vous avez pourtant fait du bon travail au Congrès? - Si l'on veut... Il est évident qu'aucune fissure n'est apperue dans le parti. Toutefois certaines décisions m'ont paru assez malheureuses, le fait de présenter une liste complète dans chaque département constitue peut-être un danger, car sans le vouloir, et en cherchant à obtenir l'effet contraire, nous favoriserons les candidats de droite au détriment de nous-mêmes et de nos amis de la gauche.

La mégère expiera

DOUAI, 2 novembre. - Mme Marie Lefebvre, cette femme d'un très riche industriel, qui avait assassiné d'un coup de revolver sa bru enceinte dans l'automobile que conduisait son fils, a été condamnée à mort. L'horrible mégère n'a montré aucun regret de son acte. Son attitude au cours des débats a soulevé à plusieurs reprises des manifestations hostiles de l'auditoire.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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