Journal de Genève
- 中国とベルギーの係争
- 予算に関する覚え書き
- トルコの帽子問題
1926年11月3日の『ジュルナル・ド・ジュネーヴ』は、中国とベルギーの係争を取り上げた。記事は、中国政府が4月16日に、1865年条約の廃棄通告権、関税率、領事裁判権、治外法権に関する条項を改正する意向をベルギー政府に伝えた経緯を振り返った。予算欄の筆者は、1927年をスイス財政の立て直しの最後の段階とする連邦予算の序文を引いた。筆者は、社会保険のための1800万と製粉奨励金の400万がなければ今年すでに財政は健全になっていたと論じた。トルコに関する記事は、帽子が長くトルコ人の目に外国人とキリスト教徒の印と映ってきたことを伝えた。記事によれば、山高帽やカンカン帽をかぶった写真一枚でコンスタンティノープルの政治家の評判を落とすことができた。
翻訳
中国とベルギーの係争
事実は周知のとおりである。本紙でもすでに明快に伝えており、数行で要約できる。去る4月16日、中国政府はベルギー政府に対し、1865年の条約のうち廃棄通告権、関税率、領事裁判権、治外法権に関する条項を改めて、同条約を改正する意向を通告した。……
予算に関する覚え書き
予算の序文には「1927年は、わが国の財政を最終的に立て直すための最後の段階とならねばならない」とある。つまり来年には財政状況は健全になる。もっとも、通常収入から社会保険のために1800万を取り置いたり、製粉奨励金にあたる400万を連邦財政の負担としたりしていなければ、今年すでに健全になっていたはずである(ついでに言えば、このことは、たとえ穀物専売が廃止されても製粉奨励金は支払われることを示している)。
トルコの帽子問題
たとえば今日まで、トルコ人の目には、帽子は常に外国人、いやむしろキリスト教徒を見分ける印と映ってきた。最後の数代のスルタンの時代には、あえて帽子をかぶった「信徒」は誰であれ、ただちに投獄され、重い刑を科されたであろう。実際、トルコとヨーロッパ列強のあいだに緊張が高まるたびに、帽子をかぶる者はとりわけ憎まれた。そしてつい昨日まで、コンスタンティノープルで政治家の評判を落とそうと思えば、カンカン帽や山高帽や中折れ帽といった外国風のかぶり物姿の写真を新聞に載せるだけで十分だった。
解説
1926年11月に決裂したベルギーと中国の交渉
この記事は、北京での条約交渉が最終局面にあった時期に掲載された。1926年11月5日、ベルギー公使館は中国外交部に対し、ベルギー政府が中国側の最新の提案を受け入れないと通告した。ベルギー政府はそれ以前に、1865年条約を双方の合意で廃止する案を示していた。11月6日、中国外交部は回答を送り、中国政府には1865年の中国・ベルギー条約の終了を宣言するほかに道がないと述べた。回答とともに出された大総統令は、同条約が10月27日に期限を迎え、その日から効力を失ったと宣言した。11月3日付のこの記事の抜粋は4月の改正通告を振り返っている。記事が掲載されたのは、北京政府が一方的な終了宣言を出す3日前だった。
1865年条約と不平等条約に対する中国の運動
歴史家の唐啓華は、1865年条約の改正問題を北京政府の条約改正政策の試金石と位置づけている。唐によれば、北京政府はこの条約を不平等条約とみなし、条約自体の改正条項と事情変更の原則を根拠に改正を求めた。中国外交部は11月6日の回答で、片務的な条約と不平等な待遇がいつまでも続くことに中国全土で反対の世論があると述べた。記事が挙げる廃棄通告権、関税率、領事裁判権、治外法権の各条項は、北京政府が改めようとした規定である。ベルギー政府は1926年11月25日付の訴状で常設国際司法裁判所に提訴した。1927年の初めに、ベルギー政府は両国政府が1865年条約を廃止する条約の締結に向けて交渉を再開することで合意したと裁判所に伝えた。両国は条約草案をまとめたが、北京政府は崩壊するまでに正式な条約を結べなかった。南京の政府が交渉を引き継ぎ、ほどなく新しい条約に調印した。
1925年の帽子法とその強制
記事が描くトルコ人の帽子観は、ムスタファ・ケマルの政府が1年前から法律で変えようとしていた考え方である。ムスタファ・ケマルは1925年8月24日、カスタモヌでつば広の白い帽子をかぶった。トルコ議会は1925年11月25日に帽子に関する法律第671号を採択し、トルコの人々がフェズやターバンなどの伝統的なかぶり物を使い続けることを禁じた。この法律は各地で抵抗を招いた。法律が成立した日にエルズルムで抗議デモが起き、政府は同県に1か月間の戒厳令を敷き、当局は逮捕者のうち13人に死刑を言い渡した。リゼでは約10日続いた騒動の結果、143人が逮捕された。イスタンブールのファーティフ地区では、演説で民衆を反乱へ扇動したとして多くの人が告発され、逮捕されてアンカラで裁かれた。この経過から見ると、つい昨日までコンスタンティノープルでは帽子姿の写真一枚で政治家の評判を落とせたという記事の指摘は、国家が逮捕と裁判で支えた急な転換を示している。
ジャン=マリー・ミュジと1927年の連邦予算
1927年の連邦予算は、ジャン=マリー・ミュジが連邦財務省を率いていた時期に作られた。ミュジは1919年12月11日に連邦参事会員に選ばれて1934年4月30日まで在任し、在任中は一貫して財務省を担当した。ミュジは1925年に連邦大統領も務めた。R. P.が引いた予算の序文は、1927年を財政の立て直しの最後の段階とする目標を掲げた。筆者はこの目標を受け入れたうえで、社会保険のための1800万と製粉奨励金の400万がなければ今年すでに財政が健全になっていたと論じた。筆者は括弧書きで、穀物専売が廃止されても製粉奨励金は支払われると指摘しており、この指摘から1926年秋には穀物専売の存続そのものが論点になっていたことがわかる。
原文
Le litige sino-belge
On connaît les faits, qui ont été clairement exposés dans ce journal et que l'on peut résumer en quelques lignes. Le 16 avril dernier, le gouvernement chinois prévenait le gouvernement belge de son intention de reviser le traité de 1865 en en modifiant les clauses qui concernent le droit de dénonciation. le tarif douanier, la juridiction consulaire et le droit d'exterritorialité. Les
Notes sur le budget
«Il faut, lit-on dans l'introduction au budget, que 1927 soit l'étape finale vers le redressement définitif de nos finances.» Ainsi, l'an prochain, la situation sera assainie; elle l'aurait, d'ailleurs, déjà été cette année-ci, si l'on n'avait pas réservé sur les recettes ordinaires 18 millions pour les assurances sociales et mis à la charge de la caisse fédérale les 4 millions que représentent les primes à la mouture (ceci montre, entre parenthèses, qu'elles seront payées même si le monopole des blés vient à disparaître).
La question des chapeaux en Turquie
Jusqu'à ce jour, par exemple, le chapeau a toujours paru aux yeux des Turcs la marque distinctive de l'étranger, mieux du chrétien. Sous les derniers sultans, tout «fidèle» qui aurait osé s'en coiffer eût été immédiatement incarcéré et condamné à une peine sévère. En fait, dans tous les moments de tension entre la Turquie et les puissances européennes, les porteurs de chapeaux étaient particulièrement honnis. Et hier encor si l'on voulait discréditer à Constantinople un personnage politique, il suffisait de publier dans un journal une photographie le représentant coiffé à l'étranger, d'un canotier, d'un melon ou d'un chapeau mou.