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· チュニス(チュニジア) · フランス語

Le Petit Matin

1926年10月30日付の1面は、サン=シール校を訪れたプリンス・オブ・ウェールズがグラン・カレでの内輪の式典で「フランス第1大隊」の一等兵の階級を授けられたと伝えた。記事によると、同期で席次最下位の生徒が白手袋とカゾアールの略帽を手渡し、皇太子は「モロッコ期」の名誉サン=シール生になった。同紙は、元大臣レオン・ベラールがエリオ公教育大臣に宛て、この二年間の重大な教育改革が議会の審議を経ずに進んだと訴えた書簡の冒頭を載せた。署名入りの「今日の覚え書き」は、ロビンソン博士が今回は火星と交信できないと予想し、それでも将来の交信に役立つ試みとして研究者に敬意を表した。

翻訳

プリンス・オブ・ウェールズ、サン=シール校を訪問

次いで、グラン・カレで行われたごく内輪の式典において、プリンス・オブ・ウェールズにフランス第1大隊の一等兵の階級が授与された。同期で席次最下位の「ペール・システム」は、プリンス・オブ・ウェールズを本校の生徒の一人に数えられることを喜び、階級章である白手袋とカゾアールの略帽を手渡した。こうして英国の王位継承者に、「モロッコ期」の名誉サン=シール生の称号が授けられた。

公教育改革をめぐり、ベラール氏がエリオ氏に長文の書簡

パリ、10月29日発。代議士で元大臣のレオン・ベラール氏は、公教育大臣エリオ氏に次の書簡を送った。「親愛なる大臣閣下 「この二年来、公教育において重大な結果をもたらす改革や変更が行われてきたが、両院がそれについて審議したことは一度もない。議会による監督が教育の事柄に対してもっと積極的に、もっと厳密に働かなかったことを、財政難が何よりも優先されていたためだと説明するのは、あまりにもたやすいであろう。

今日の覚え書き

私の本心を言えば、マンフィールド・ロビンソン博士は今回もまだ火星と交信するには至らないだろうと思う。しかし私は、私たちの息子たちでなくとも孫たちは火星と日常的に交信するようになると確信している。そして今日の研究者たちの実を結ばなかった試みが、この問題の解決が見いだされる時を早めることに役立ったことになるとも確信している。だからこそ私は彼らに敬意を表するのである。

解説

エリオに書簡を送った元大臣レオン・ベラール

記事で代議士・元大臣と紹介されたレオン・ベラールは、宛先の公教育省をかつて自ら率いた人物である。上院の経歴資料によると、ベラールは1919年11月から1920年1月まで、さらに1921年1月から1924年3月まで公教育・美術大臣を務めた。ベラールは大臣として1923年に中等教育のすべての生徒にラテン語の学習を義務づけようとしたが、後任の大臣がこの1923年5月3日の政令を撤回した。ベラールは大臣を退いた後、近代科の中等教育クラスの開設について政府に質問する意向を示した。書簡が両院の審議なしに行われた「この2年来」の重大な変更を問題にするとき、その期間はベラールが1924年に大臣を退いた時期からほぼ始まっており、自らの古典教育改革の撤回もそこに含まれるとみられる。

エリオが1926年に始めた「アマルガム」

急進派の公教育・美術大臣エドゥアール・エリオは、1926年に「アマルガム」と呼ばれる試みを始めた。この試みは、中等教育の古典科と近代科の生徒、さらに高等小学校の生徒を、一部の授業で同じ教室に集めるものだった。歴史家ジャン=イヴ・セギは、この試みが経済的な理由づけを伴い、初等教育と中等教育を一つにまとめる「統一学校」の構想と結びついていたと論じている。セギの論文は、この措置に対して起きた反対も分析している。すべての中等教育の生徒にラテン語を課そうとしたベラールにとって、大臣の判断で古典科と近代科の生徒を同じ授業に集める措置は、1923年に争った問題に直接関わるものだった。書簡の抜粋は具体的な措置の名を挙げる前で終わっており、アマルガムとの関係は書簡の記述ではなく当時の状況から読み取れる関係である。

皇太子に渡されたカゾアールと大隊の呼び名

記事が皇太子に渡されたと伝えるカゾアールは、サン=シールの生徒たちが自分たちの印とみなす品だった。サン=シール校の軍帽の羽根飾りは、ヒクイドリにちなんで「カゾアール」と呼ばれ、1855年に初めて採用された。生徒たちは当初この羽根飾りを歓迎しなかったが、羽根飾りはやがて同校の象徴になった。現在の同校では各期が一つの大隊として編成され、生徒隊全体が一個連隊の形をとっている。1926年の記事が「フランス第1大隊」と書いていることから、この大隊の呼び名は当時すでに使われていたことがわかる。同校は訪問当時もサン=シール=レコールにあり、1940年までそこにとどまった。記事は、同期で席次最下位の「ペール・システム」が階級章を手渡したと伝えており、この名誉を生徒たち自身の慣習の中に位置づけている。

期の名前、植民地モロッコ、英仏の友好

サン=シール校の各期は1829年以来、自分たちの期に名前をつけてきた。19世紀半ばからはフランスの植民地にちなむ名前を選ぶ期が多くなり、1870年代から第一次世界大戦の開始までの期名の半数は植民地に由来していた。記事が伝える「モロッコ期」という名前もこの傾向に沿っており、モロッコはその後も期名に現れた。1930年代には、1933年にモロッコ征服の最終段階で戦死した騎兵将校アンリ・ド・ブルナゼルの名を冠した期が生まれた。英仏関係そのものも、のちに期の名前になった。第二次世界大戦期のある期は英仏協商に象徴される英仏の友好を名に選び、この期の生徒は戦争のため6か月の短縮課程で学んだ。

1926年10月、ロビンソン博士の火星あて通信

コラムが「マンフィールド・ロビンソン博士」と書いた人物は、ロンドンの弁護士で元ショーディッチ区書記のヒュー・マンスフィールド・ロビンソン博士である。ロビンソンは、1920年代初めからウーマルルという火星の女性とテレパシーで交信していると主張していた。ロビンソンは1926年10月にこの計画を郵便局に持ち込んだ。郵便局はその少し前に、世界的な無線電信の拠点となるラグビー無線局を開設していた。送信は10月27日午後11時55分に、ロビンソンが指定した波長1万8240メートルで予定され、内容は「オペスティ、ニピティア、セコンバ」の3語だった。郵便局員たちは、火星の女性が好むとロビンソンが述べた波長3万メートルに受信機を合わせて待ったが、応答は得られなかった。予定された送信の3日後に載った「今日の覚え書き」は、まさにこの結果を「今回も」と予想しながら、試みそのものに敬意を表した。

コラムが後の世代による火星との交信を確信した背景

20世紀初めには、多くの科学者が火星に生命が存在する可能性を信じていた。コラムの筆者P.L.は、そうした考えが広まっていた時期に、「息子たちでなくとも孫たちは」火星と日常的に交信すると確信を込めて書いた。ロビンソン自身も1926年の後に計画をやめず、火星が再び地球に近づくまで2年待って、1928年10月に再び送信を試みた。ロビンソンは1940年に75歳で亡くなり、生涯を通じて火星との無線交信を実現しなかった。コラムの予言は筆者自身の確信であり、当時の実験はその確信を裏づける結果を出さなかった。

原文

Le prince de Galles visite l'Ecole de Saint-Cyr

Puis, au cours d'une cérémonie tout intime, qui se déroula sur le grand carré, le grade de soldat de 1e classe du premier bataillon de France, fut décerné au prince de Galles. Le Père Système, dernier sorti de la promotion, se félicita de pouvoir compter le prince de Galles parmi les élèves de l'Ecole, et lui remit les insignes du grade: gants blancs, calot de casoar, conférant ainsi au prince héritier britannique le titre de SaintCyrien honoraire de la promotion du Maroc.

Une longue lettre de M. Bérard à M. Herriot au sujet de la réforme de l'enseignement public

PARIS, 29 octobre. - M. Léon Bérard, député, ancien Ministre, vient d'adresser à M. Herriot, ministre de l'Instruction Publique, une lettre suivante: «Mon cher Ministre, «Des réformes ou des changements de grande conséquence furent accomplis depuis deux ans dans l'enseignement public, sans que les Chambres en aient jamais délibéré; il ne serait que trop facile d'expliquer par la prééminence des difficultés financières que le contrôle du Parlement ne se soit pas montré plus actif et plus exact aux choses d'éducation.

Note du Jour

Et si vous voulez le fond de ma pensée, je crois que le docteur Manfield Robinson n'arrivera pas encore cette fois à communiquer avec la planète Mars, mais je tiens pour certain que nos petits-fils sinon nos fils le feront couramment, et que les tentatives avortées des chercheurs d'aujourd'hui auront contribué à avancer l'heure où la solution du problème sera trouvée. C'est pourquoi je les salue.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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