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· ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

Crítica

1926年10月30日付の『クリティカ』紙は、フィラデルフィア博覧会でアルゼンチン館が翌日開館するというAP電を載せた。このAP電は、多くの米国人が充実していると言われる展示を見ないうちに博覧会が閉幕することを、アルゼンチン人たちが残念がっていると伝えた。同紙は別のAP電で、マルセイユがサッコとヴァンゼッティの日を催すことと、パリの共産主義者二千人が二人の処刑の脅威に抗議してデモを行ったことを報じた。コラム「今日」は、ドイツ人飛行士が45馬力のファルマン機でサンパウロを発ったことを取り上げ、こうした長距離飛行にスポーツとしての価値や実用上の意味があるのかを疑った。

翻訳

フィラデルフィア博覧会のアルゼンチン館、明日開館へ

アルゼンチン人たちは、多くの米国人がアルゼンチンの展示を見に来られないうちに博覧会が閉幕してしまうことを残念がっている。その展示は充実しており、きわめて興味深いものだと言われている。

明日マルセイユでサッコとヴァンゼッティの日を挙行

パリの共産主義者二千人が、これらの労働者に迫る処刑の脅威に抗議するデモを行い、通告文を手渡した……

今日

サンパウロから当地へ向けて、ドイツ人飛行士が45馬力のファルマン製の小型機で出発した。実のところ、われわれにはこのスポーツ上の偉業がどこにあるのかわからない。危険にあるというのか。こうした長距離飛行が、いまや……のエンジンで旅をする時代に、何かの役に立つのか……

解説

アルゼンチン館は博覧会の予定閉幕の約1か月前に開館した

建国150年記念国際博覧会は、独立宣言から150年を記念してフィラデルフィア南部で開かれ、1926年5月31日に開幕し、11月30日までの会期を予定していた。クリティカ紙のAP電が伝えたとおりアルゼンチン館が10月31日に開館したとすれば、公式会期の残りは約1か月しかなかったことになる。記事にあるアルゼンチン人の嘆きは、この日程から生じたものである。開館の遅れは博覧会全体の傾向とも一致する。博覧会は未完成のまま開幕し、6か月の会期のうち約2か月が過ぎた7月下旬になっても、いくつかの建物は工事中だった。外国の参加は限られており、パビリオンを出したのは31の州と4つの準州に対し、外国は9か国だった。スミソニアン誌の記事は、出展した外国政府として当時のペルシャ、すなわち現在のイランと日本の名を挙げている。アルゼンチンの展示を充実したきわめて興味深いものとする評価は、このAP電が「と言われている」という伝聞の形で伝えたものである。

会期末を気にした理由は博覧会の来場者不足にある

アルゼンチン側が会期の終わりを気にした背景には、博覧会全体の来場者不足がある。主催者は3000万人の来場を見込んでいたが、実際に入場料を払ったのは462万2211人で、来場者総数も約640万人にとどまった。会期184日のうち107日に雨が降った。主催者は来場者不足を受けて、売店業者が残りの在庫を売れるように12月も会場を開けた。このため、スミソニアン誌は閉幕を12月31日としているが、正規の会期は11月30日に終わっていた。会期の最後の数週間に展示を公開したアルゼンチンは、もともと予想よりはるかに少ない観客のうち、さらにその一部にしか展示を見せられなかったことになる。

1926年10月のサッコ・ヴァンゼッティ事件は死刑判決の言い渡し前の段階にあった

ニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティの二人は、1921年7月14日、陪審によってサウス・ブレインツリーでの強盗殺人の罪で有罪とされた。弁護側はその後も再審を求める申し立てを重ね、有罪判決を受けた銀行強盗セレスティノ・マデイロスによるブレインツリー事件の自白もその根拠に加えた。かつてヴァンゼッティに重い刑を科したウェブスター・セイヤー判事が、これらの申し立てをすべて退けた。正式な死刑判決は1927年4月9日に言い渡され、二人は1927年8月23日に処刑された。この経過から、1926年10月のAP電は日付の決まった処刑ではなく、二人に迫る「処刑の脅威」を伝えている。記事は二人を労働者と呼んでいるが、当局や地域社会は二人を以前から労働争議に深く関わる無政府主義の活動家として知っていた。

パリの共産主義者は国際的な抗議運動の一部として二人の無政府主義者を支援した

パリのデモとマルセイユの記念日は、地元の事件から始まって国際的に広がった抗議運動の一部だった。弁護士フレッド・ムーアの攻撃的な弁護戦略が、無名だった事件を国際的に注目される事件に変えた。リベラル派の人びとも、より急進的な無政府主義者、社会主義者、共産主義者とともに評決に抗議した。事件史によれば、死刑判決が言い渡された1927年4月までに、パリ、ロンドン、メキシコシティ、ブエノスアイレスなど世界の大都市でデモが裁判の不公正に抗議していた。このAP電が伝えたパリの共産主義者二千人は、そうした共産主義者の参加の一例である。クリティカ紙の読者は、1927年春までには自分たちの町ブエノスアイレスでもデモを呼んだ運動の動きを、AP電を通じて追っていたことになる。

1926年のアルゼンチンではブエノスアイレスを目指す長距離飛行が相次いだ

1926年のアルゼンチンの新聞読者は、ブエノスアイレスを目指す長距離飛行の報道に繰り返し接していた。スペインの飛行艇プルス・ウルトラ号は1926年1月22日にスペインのパロス・デ・ラ・フロンテーラを出発し、1月26日にブエノスアイレスに着いた。この飛行艇は10,270キロの旅を59時間39分で完了した。1926年8月初めには、サンタフェの日刊紙エル・リトラルが、アルゼンチンの飛行士を乗せた水上機「ブエノスアイレス」号のニューヨーク・ブエノスアイレス間飛行を一面の国際ニュースの筆頭に据えた。同紙は電報で乗員のドゥガン、オリベロ、カンパネッリの足取りを追い、同じ面で英国の飛行士アラン・コバムの長距離飛行の成功も伝えた。クリティカ紙のコラム「今日」は、こうした飛行が相次ぐなかで、45馬力のファルマン機でサンパウロを発ったドイツ人飛行士の試みにスポーツとしての価値も実用上の意味も認めなかった。コラムは旅行に使われるエンジンとこうした飛行を比べたが、読み取れる本文はその文の途中で切れている。

原文

Mañana Será Inaugurado el Pabellón Argentino en la Exposición de Filadelfia

Los argentinos lamentan que la exposición cerrará sus puertas antes que muchos norteamericanos hayan podido visitar la exposición argentina, de la que se dice que es completa y sumamente interesante.

Mañana Celebrarán en Marsella el Día de Sacco y Vanzetti

Dos mil comunistas de París hicieron una manifestación de protesta por la amenaza de ejecución que pende sobre esos obreros y entregaron una comunicación

Hoy

Ha partido, de San Pablo para ésta, un aviador alemán con un aeroplanito Farman, de 45 caballos. En realidad, no vemos en qué consiste la hazaña deportiva. ¿ En el peligro? ¿ Sirven para algo estos raids cuando ahora se viaja con motores de

紙面の出典:Source: Internet Archive / Biblioteca Nacional de la República Argentina

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