Vossische Zeitung
- ブリアン、ムッソリーニに断り
- レーベの議会改革
- ローマ進軍から4年
1926年10月28日付のフォス新聞は、イタリア大使がブリアンを訪ねた後、ケ・ドルセーがブリアンとムッソリーニの直接会談を当面ないものと説明したとパリから伝えた。同紙によれば、フランス外務省はイタリアとの関係の最終的な整理をまだ時期尚早とみなし、タンジール規約の改定は署名国間の交渉で扱うべきだと主張したが、後の会談の可能性は残した。ベルリンについて同紙は、各地の政治的催しから戻ったレーベ国会議長が、翌週始まる国会会期の準備を同紙の議会担当記者に語ったと報じた。ローマについて同紙は、ファシスト系各紙がローマ進軍4周年の回顧記事で埋まり、ムッソリーニが演説を禁じてファシスト向けのメッセージの朗読だけを命じたと伝えた。
翻訳
ブリアン、ムッソリーニに断り
ケ・ドルセーでは、イタリアの駐パリ大使ダヴェッツァーナ男爵が昨日ブリアンと行い、政界で盛んに論評されている会談に関連して、ブリアンとムッソリーニの直接会談は当面問題になりえないと説明している。フランスとイタリアの関係を最終的に整理する問題は、当地ではさしあたりまだ機が熟したとはみなせないという。とりわけイタリア側が望むタンジール規約の改定は、フランス、イタリア、イギリスの三署名国の直接交渉によってのみ解決されるべき事柄だという。後に情勢がはっきりすれば、ブリアンはムッソリーニとの直接の話し合いという考えを決して退けはしないという。
レーベの議会改革
ここ数週間、一連の重要な政治的催しに参加していたレーベ国会議長は、今週初めからベルリンに戻っている。レーベ議長は「フォス新聞」の議会担当記者との対談で、来週始まる新しい国会会期の準備について次のように語った。
ローマ進軍から4年
ファシスト系各紙は、今日の紙面をすべて明日のローマ進軍4周年に充てている。過去数年を振り返る詳細な回顧記事は、ファシズムが自らの栄光ある功績として主張するものを描いている。明日はイタリア全土で行進と祝典が催されるが、統領は演説を一切行わず、各地ではファシストだけに向けたメッセージを読み上げるだけにするよう命じた。
解説
イタリアがタンジール規約の改定を求めた理由
ケ・ドルセーが署名国の直接交渉に委ねるとしたタンジールの体制は、発足から1年半もたっていなかった。フランス、スペイン、イギリスの3国は1923年12月18日にパリ協定に調印し、その際に参加を望んだイタリアの意向を無視した。タンジール国際管理地域は1925年6月1日に発足した。ファシスト政権下のイタリアは地中海の大国としての対等な地位を求め、この協定の批准を拒んだ。1926年8月には英誌スペクテーターが、エステーリャ侯爵がタンジールのスペイン保護領化を求めたことについて、要求そのものよりもその時機が世界を驚かせたと論じた。同誌は、スペインがイタリアとの友好仲裁条約を起草する際にタンジール問題を話し合ったと推測し、1923年にイタリアを協議から外したことを英仏西3国の失策と評した。スペインは1926年からイタリアの対等参加の要求を支持し、1928年7月25日にパリで調印された議定書が1923年の協定を改めた。この経緯と照らし合わせると、フォス新聞が伝えたフランス側の説明には食い違いがある。記事は三署名国をフランス、イタリア、イギリスとしているが、1923年の協定に調印したのはフランス、スペイン、イギリスであり、イタリアは協議から外された側の国だった。
トワリー会談後のブリアン外交と今回の拒絶
この拒絶は、ブリアンの対独政策が頂点に達してからわずか6週間後に報じられた。ドイツは1926年9月10日に国際連盟に加盟し、9月17日にはブリアンとシュトレーゼマンがフランスの村トワリーで会談した。この会談でブリアンは、ザール地方をドイツに早期に返還し、ラインラントの軍事管理と占領を早く終わらせることに同意した。独仏両政府が異議を唱えたため、トワリーでの合意の範囲はまもなく縮小された。フォス新聞の記事は、イタリアとの関係の最終的な整理がまだ時期尚早であることと、タンジール問題が署名国の扱う事柄であることを公式の理由として伝えるだけである。日付を並べると、ローマへのこの冷淡な回答は、トワリーでのドイツとの取り決めがまだ固まっていない時期に出されたことになる。
パウル・レーベと国会議長の職務
パウル・レーベは社会民主党の政治家で、ヴァイマル共和国の国会議員と国会議長を務めた。レーベは1925年から1932年まで国会議長の職にあり、この職は国会の自治を維持し組織する責任を負っていた。1925年にエーベルトが死去すると、社会民主党はレーベに大統領選挙への立候補を打診したが、レーベはこれを辞退した。1926年秋の会期を前にフォス新聞に議会改革を語ったレーベは、議会の運営に直接の責任を負う立場から発言していたことになる。議場の秩序の問題は、その後さらに深刻になった。レーベは特に1930年10月以降、審議中の妨害に直面することが増え、その多くはナチスと共産党の議員によるものだった。レーベは個々の議員に対し、忍耐と厳しさを組み合わせて秩序を保たせた。
ローマ進軍4周年とファシスト青少年組織
フォス新聞は、上から統制された記念日の姿を伝えている。記事によれば、ファシスト系各紙は回顧記事に紙面を充て、イタリア全土で行進が行われ、統領は演説を禁じてファシストだけに向けたメッセージを読み上げさせた。同じ1926年、ファシスト政権は若者に働きかける常設の組織としてバリッラ少年団を法律によって設立した。バリッラ少年団への加入は当初は任意だったが、のちに6歳から18歳の男子に義務づけられた。政権はボーイスカウトやカトリック教会の青年団体を含む、ほかのすべての青少年運動を禁止した。バリッラ少年団の信条は、イタリアが1918年と1922年に栄光のうちに天に昇ったと唱え、政権の出発点を宗教的な物語に組み込んだ。1926年の記念行事は、政権が1922年の記憶を若者に受け継がせる組織を作っていた年に行われたのである。
原文
Absage Briands an Mussolini
Am Quai d'Orsay erklärt man im Zusammenhang mit der in politischen Kreisen stark kommentierten Unterredung, die der italienische Botschafter in Paris, Baron d'Avezzana, gestern mit Briand gehabt hatte, daß von einer direkten Begegnung zwischen diesem und Mussolini vorerst nicht die Rede sein könne. Die Frage einer endgültigen Bereinigung der Beziehungen zwischen Frankreich und Italien könne hier vorläufig noch nicht als reif angesehen werden. Insbesondere die Revision des Statuts von Tanger, die von italienischer Seite gewünscht werde, sei eine Angelegenheit, die lediglich durch direkte Verhandlungen zwischen den drei Signatarmächten Frankreich, Italien und England geregelt werden müsse. Wenn später die Situation geklärt sei, so werde Briand den Gedanken einer direkten Aussprache mit Mussolini keineswegs zurückweisen.
Löbes Parlamentsreform
Reichstagspräsident Löbe, der in den letzten Wochen sich an einer Reihe bedeutsamer politischer Veranstaltungen beteiligte, ist seit Anfang dieser Woche wieder nach Berlin zurückgekehrt. Im Gespräch mit einem parlamentarischen Mitarbeiter der " Vossischen Zeitung " machte er die folgenden Mitteilungen über die Vorbereitungen für die in der kommenden Woche einsetzende neue Reichstagssession:
Vier Jahre Marsch auf Rom
Der den fascistischen Blättern zur Verfügung stehende Raum ist heute der morgigen vierten Jahreswiederkehr des Marsches auf Rom gewidmet. Ausführliche Rückblicke auf die abgelaufenen Jahre schildern, was der Fascismus für sich an Ruhmestaten in Anspruch nimmt. Der morgige Tag wird in ganz Italien durch Paraden und Festlichkeiten begangen werden, aber der Duce hat verfügt, daß keine Reden gehalten, sondern überall nur die Botschaft zur Verlesung gebracht werden soll, die sich nur an die Fascisten richtet.