L’Écho d’Alger
- アルジェ県議会
- ベルギー・フランの安定化
- ランブイエのドゥメルグ氏
この日のアルジェの日刊紙の一面には、植民地の行政、国際金融、大統領の儀礼行事の記事が並んだ。アルジェ県議会はデュルー上院議員を議長として開かれ、地元の憲兵隊のための予算を可決した。議会は、ブーザレアの憲兵隊兵舎に使う建物の購入費の第1回分として5万5000フランを、シディ・アイッサの憲兵隊の備品費として2000フランを認めた。パリ発の記事は、プティ・パリジャン紙のニューヨーク電を引き、ベルギー・フラン安定化のための5000万ドルの借款が売り出し当日の午前10時30分までに全額の応募を集めたと伝えた。同紙によれば、借款を発行したのはモルガンとギャランティ・カンパニーが率いる米国銀行団だった。ランブイエ発の短い記事は、ドゥメルグ氏がランブイエの猟場で狩猟会を催したと報じた。この記事は紙面の途中で切れており、招待客を示す語は「Corps di」で途切れていたが、ほぼ確実に外交団を指す語だった。
この版は、紙面を部分的に読み取って得た3本の記事を扱う。OCRの文字データがひどく崩れていたため、抜粋は画像の区画を目で見て書き起こした。そのため、区画の端にある語の一部は欠けている。ランブイエ発の記事は「Corps di」という語の途中で終わる。集めた資料には、アルジェ県議会での家畜税やゼッカートをめぐる議論を裏づける記述がない。そのため解説はこの論点を扱わない。
翻訳
アルジェ県議会
会議は午後3時30分に開会する。デュルー上院議員が議長を務める。議会はただちに議事日程に入る。ラキエール氏の報告に基づき、ブーザレアの憲兵隊兵舎に必要な建物の購入費の第1回分として、5万5000フランの予算が可決される。続いて議会は、シディ・アイッサの憲兵隊の備品購入費として2000フランの予算を議決する。
ベルギー・フランの安定化
パリ、10月27日発――ニューヨークからプティ・パリジャン紙に次の報が届いた。モルガン氏らとニューヨークのギャランティ・カンパニーの幹部が率いる米国銀行団は、ベルギー・フラン安定化のための5000万ドルの借款を発行し、朝から応募の受け付けを始めた。窓口は遅くとも午前10時30分には閉じられた。借款の全額に応募が集まったためである。
ランブイエのドゥメルグ氏
ランブイエ、10月27日発――ドゥメルグ氏は本日、ランブイエの猟場において、外交……の各員をたたえて狩猟会を催した。
解説
1926年のベルギー通貨救済策を立案した人物
この記事が伝えたニューヨークでの借款は、ベルギー国内の通貨安定策を外国からの資金で支えるものだった。ベルガ通貨の歴史をまとめた貨幣史の記事によれば、ベルギーの新しいジャスパール内閣は1926年にベルギー・フランの安定化計画を作った。この計画は新しい計算単位ベルガを導入し、1ベルガを5ベルギー・フランと定めた。無任所相を務めた銀行家エミール・フランキは、通貨危機を収めた改革案の立案者とされている。フランキの伝記に引かれた歴史書によれば、ベルギーは1926年にフランキの主導で金本位制に復帰した。ただし新しい平価は、それまでのほぼ7分の1の水準に置かれた。ニューヨークで数時間のうちに売り切れたドル建て借款は、元の価値に戻るフランではなく、大幅に低い水準で固定されるフランを支えたのである。紙面は銀行団を率いたのがモルガンとギャランティ・カンパニーだと伝えた。ここで集めた資料は、銀行団の構成も、応募がこれほど早く集まった理由も確かめていない。
ベルギー・フランの安定化が必要になった理由
ベルギー・フランの混乱は、第一次世界大戦中のドイツ占領に始まった。大戦中はライヒスマルクがベルギー唯一の公式通貨になった。戦後、ベルギー政府はこのマルクを占領者が決めた割高な相場のままフランと交換した。その結果、戦時のインフレが平時の経済に持ち越され、フランの価値は下がった。フランはその後もポンドやドルに対して下がり続け、資本は国外へ流出した。プレ=ヴァンデルヴェルド内閣は最後には総辞職に追い込まれた。危機は中央銀行の人事にも及んだ。1923年からベルギー国立銀行総裁を務めたフェルナン・オータンはフランキと対立し、1926年に解任された。後任にはルイ・フランクが就いた。記事が伝えた借款の即日完売は、こうした政変と中央銀行の交代を経た後のことだった。
フランキと米国のつながり
フランキは米国と深い関係を持っており、この関係は借款がニューヨークで集められた事情を考える手がかりになる。フランキはベルギー領事として中国に駐在していた1901年に、のちの米大統領ハーバート・フーヴァーと出会った。二人は競争相手だったが、互いに敬意を抱き、友人になった。第一次世界大戦中、フーヴァーが米国で設立したベルギー救済委員会は、フランキが委員長を務めるベルギーの国民救援食糧委員会を国外から支えた。フランキは1924年4月、ドイツの賠償問題を解決するためのドーズ案の作成にも加わった。1926年にベルギーが米国市場で資金を求めたとき、財政の中心にいたのは、米国側と長く協力してきたフランキだったのである。
ランブイエの大統領狩猟会
ランブイエ発の記事は、フランス共和国の儀礼行事の一つを伝えている。大統領狩猟会は1848年、第二共和政のもとで始まった。狩猟会は初めマルリーの大統領領地で開かれ、1880年からはランブイエの大統領領地で開かれた。1909年にランブイエで撮られたアルマン・ファリエール大統領の写真は、第三共和政のもとでもこの慣行が続いていたことを示している。大統領は狩猟会に政府の閣僚を招き、外交官、大使、国家元首、王族など外国の要人も招いた。20世紀後半の記録によれば、狩猟の季節には外交団、つまりパリ駐在の外国大使たちのための日が慣例として1日設けられていた。1926年のこの記事で途切れた「Corps di」という語は、この慣例と合っている。記事は、歴代大統領が使ってきたランブイエの領地でドゥメルグ氏が狩猟会を主催したことを伝えている。
原文
CONSEIL GÉNÉRAL D'ALGER
La séance est ouverte à 15 h. 30. M. le Sénateur Duroux préside. On aborde immédiatement l'ordre du jour. Sur un rapport de M. Laquière est adopté un crédit de 55. 000 francs pour la première tranche de l'achat de l'immeuble nécessaire à la caserne de gendarmerie de la Bouzaréa. - On vote un crédit de 2. 000 francs pour l'achat de mobilier à la gendarmerie de Sidi-Aïssa.
La Stabilisation du franc belge
Paris, 27 octobre. - On mande de New-York au Petit Parisien: L'emprunt de 50 millions de dollars pour la stabilisation du franc belge, lancé par le Syndicat des banques américaines dirigées par MM. Morgan et les directeurs de la Garanty Company de New-York, a été mis en souscription dès le matin; à 10 h. 30, au plus tard, les guichets fermaient, l'emprunt ayant été entièrement souscrit.
M. Doumergue à Rambouillet
Rambouillet, 27 octobre. - M. Doumergue a offert, aujourd'hui, dans les tirés de Rambouillet, une chasse en l'honneur des membres du Corps di -