La Tribune de Madagascar
- 外国人と税務当局
- 牛乳問題
- T.C.E.線で
この版は1926年10月28日付『ラ・トリビューン・ド・マダガスカル』の三つの記事を読む。外国人と税をめぐる記事は、ある議員の法案が先行する二つの提案に応じたものだったと伝えた。ファルコとアンドレ・エスは滞在期間に応じた入国税を強い外貨で納めさせる案を出し、フォンジェールは20日を超えて滞在する外国人に20フランを課す案を出していた。牛乳問題の論説は、人口7万のタナナリヴで市当局が牛乳の品質を検査していないと非難した。論説は、牛乳が乳幼児やマラリア、赤痢、肝臓病に苦しむ植民地在住者に欠かせないと訴えた。T.C.E.線についての短信は、乗客が荷物の積み込みを自分で確かめなければならない状況を報じ、終着駅に執達吏を常駐させる案を紹介した。
この版は紙面の3本の抜粋を読んだ部分的な読解であり、OCRの崩れがひどいため本文は紙面画像から書き起こしている。画像の端にある文字は切れており、特に「A Tuléar」と「L'Etat industriel ou Commerçant」の欄、フォントワノンの欄の左端が読めない。風刺画の下の文字は薄くて判読できない。外国人と税の記事で元の法案を名指しした冒頭部分は、選んだ抜粋に入っていない。
翻訳
外国人と税務当局
われわれがこのほど知ったところでは、この名誉ある議員の法案は、一方ではファルコ、アンドレ・エス両氏、他方ではフォンジェール氏から出された別の二つの提案に応じたものだった。これらの提案者たちは、外国人に滞在税を課すことを主張していた。前の二人は、外国人がフランスに入国した時点で、滞在期間に応じた税を、評価の高い外貨で納めなければならないようにすることを求めた。三人目は、フランスに20日を超えて滞在するすべての外国人に20フランの税を課すことを求めた。
牛乳問題
牛乳はだれもが口にしている。人口7万の都市における牛乳供給の問題は、市の行政官と衛生学者が心を配るべき、まぎれもない社会問題である。タナナリヴの納税者は、重い税を払っているにもかかわらず、ここでも、他の多くの事柄と同じく、われわれが習慣から「市当局」と呼ぶことにしているものの完全な機能不全に直面している。質が悪ければ乳幼児の健康に、またマラリア患者や、赤痢や肝臓の病気にかかった植民地在住者の健康に、きわめて重大な影響を及ぼす食品であるのに、その継続的な検査にはまったく配慮が払われていない。こうした人々にとって、牛乳は食品であるだけでなく、ほとんど薬なのである。
T.C.E.線で
ある友人の知らせによると、T.C.E.線の乗客は、到着時に自分の荷物を受け取りたければ、出発時に荷物がきちんと荷物車に積まれたことを自分で確かめなければならない。この友人は、現在のずさんなやり方を考えれば、フランス本国や他のいくつかの植民地で行われているように、終着駅に執達吏を常駐させ、列車の到着時に必要な確認調書をすべて作成できるようにすべきだと考えている。
解説
フランスは1917年から外国人の滞在に課金していた
この記事は、ファルコ、アンドレ・エス両氏と、これとは別にフォンジェール氏が外国人への滞在税を提案したと伝えている。記事によれば、ファルコとエスは入国時に滞在期間に応じた税を強い外貨で納めさせる案を出し、フォンジェールは20日を超えて滞在する外国人に一律20フランを課す案を出した。紙面はこれらの提案がその後どうなったかを書いておらず、手元の資料もその結末を記録していない。フランスの行政は、外国人に費用を払わせる仕組みをすでに持っていた。ジスティの機関誌『プラン・ドロワ』は、1917年に外国人身分証明書が導入されたことで、フランスで外国人の滞在への課税が一般化したと述べている。ノール県文書館は、内務大臣が1926年4月26日に県知事あてに出した、外国人の査証手数料に関する通達を所蔵している。記事に名前が出る提案者たちは、すでにあった手数料の上に新しい税を重ねようとしていたのである。
1920年代半ばのフランスには多くの外国人が住んでいた
1920年代半ばのフランスには大勢の外国人が定住しており、フォンジェール案のように20日を超えて滞在する全外国人に課す税は、観光客以外にも広く及ぶはずだった。ノール県文書館の解説によれば、ノール県だけで192,802人の外国人が住み、その数は県人口の10%近くに達していた。同じ解説は、1921年に1321人だったポーランド人が、1926年までに49,581人のまとまった集団になったと記している。ファルコとエスの案は入国時に強い外貨で払わせる仕組みであり、外貨を持ち込む旅行者を主な対象にしていたと読める。フォンジェールの一律20フランの案は、こうした移民労働者にも課されることになるはずだった。
T.C.E.は首都と東海岸を結ぶ山岳鉄道だった
T.C.E.は、植民地の首都タナナリヴと東海岸を結ぶメートル軌間の鉄道、タナナリヴ=東海岸線の略称である。この路線はモラマンガを経由してアンタナナリヴからトアマシナ、当時のタマタヴまで376キロあり、1913年に全通した。ブリックヴィルとトアマシナを結ぶ海岸側の区間は、1909年から1913年にかけて建設された。マダガスカルの新聞レクスプレスは、この路線に33の駅があり、イメリナ高原へ登るマンドラカの27キロの区間だけで15のトンネルがあったと記している。情報を寄せた友人が言う終着駅は、この長い山岳路線の両端にあり、長旅を終えた乗客が荷物の紛失を申し立てるのは難しかった。紙面は具体的な紛失の例を挙げておらず、手元の資料もその後に終着駅へ執達吏が置かれたかどうかを示していない。
タナナリヴの納税者と実権のない植民地の代表機関
タナナリヴはフランスによる征服の前からマダガスカルの首都であり、女王ラナヴァルナ3世は1895年9月にこの都市をフランス軍に明け渡した。論説はタナナリヴの人口を7万人とし、重い税を払う住民のために市当局が牛乳の検査をしていないと非難した。植民地の住民が不満を伝える公式の場は限られていた。植民地政府は1924年に経済財政代表会議を二つ設け、一つをフランス人入植者で、もう一つを24人のマダガスカル人代表で構成した。二つの会議は一度も合同で開かれず、どちらも実際の決定権を持たなかった。このような制度のもとで、新聞の論説は納税者が市当局に圧力をかけられる数少ない手段の一つだったと考えられる。手元の資料は、この論説のあとにタナナリヴで牛乳の検査規則が作られたかどうかを示していない。
原文
Les étrangers et le fisc
Nous venons d'apprendre que ce projet de l'honorable parlementaire répondait à deux autres propositions émanant de MM. Falcoz et André Hesse, d'une part, Fongères, d'autre part qui, eux, préconisaient l'application aux étrangers d'une taxe de séjour. Les deux premiers demandaient que, dès son entrée en France, l'étranger dût acquitter une taxe proportionnée à la durée de son séjour et payable en devises étrangères appréciées; le troisième, que tous les étrangers séjournant en France plus de vingt jours, fussent frappés d'une taxe de 20 francs.
La question du lait
La consommation en est générale. La question de l'approvisionnement du lait, dans une ville de 70. 000 habitants, est un véritable problème social qui doit attirer la sollicitude des administrateurs municipaux et des hygiénistes. Le contribuable tananarivien, qui paie cependant de lourds impôts, se trouve là, comme en beaucoup d'autres matières, en présence d'une carence absolue de ce que-par habitude - nous sommes convenus d'appeler l'AAAdministration municipale. Aucun souci du contrôle constant d'un aliment dont la mauvaise qualité a les répercussions les plus graves sur la santé des enfants en bas âge et sur celle des paludéens, coloniaux atteints de dysenteries ou d'aftectations hépatiques, pour qui le lait est, non seulement un aliment, mais presque un médicament.
Au T. C. E.
Un ami nous signale que les voyageurs du T. C. E. qui désirent trouver leurs bagages à leur arrivée, devront s'assurer eux-mêmes, au départ, qu'ils ont bien été installés dans le fourgon. Il estime qu'en raison des errements en cours, il y aurait lieu d'assurer - ainsi que cela se fait en France et dans certaines autres colonies - la présence d'un huissier en permanence dans les gares terminus, afin de pouvoir assurer tous constats utiles lors de l'arrivée des convois.