Vossische Zeitung
- シュルツのフェーメ裁判、延期
- 詩人アカデミーの嵐
- 白と黒
1926年10月27日付のフォス新聞の紙面には、性格の異なる三本の記事が並んだ。法廷記事は、ゲーディケ事件を扱う第二次ランツベルク・フェーメ裁判が審理初日に無期限延期になったと報じた。記事によれば、被告の退役中尉シュルツは、隠すことは何もなく、すべては合法的に政府も承知のうえで行われたと主張し、裁判所は検察側証人の欠席を理由に審理を延期した。署名「Ma.」のコラムは、プロイセン芸術アカデミーに新設された文学部門の最初の会合が、アルノ・ホルツが少し前の論文で代弁した動きのために荒れたと伝えた。コリン・ロスの論説「白と黒」は、アフリカに来たばかりの白人が抱く先入観を取り上げた。ロスは、黒人を対等な「キリストにある兄弟」とみる宣教師の見方と、黒人を仕えるべき劣等人種とみなして今の労働の分け方を当然視する見方とを対比した。
翻訳
シュルツのフェーメ裁判、延期
第二次ランツベルク・フェーメ裁判(ゲーディケ事件)は意外な展開を見せた。この審理の初日にして早くも、裁判所は無期限に延期するのが適当と判断したのである。被告の退役中尉シュルツは「洗いざらいぶちまけて」いた。その言い分は、隠すべきことも暴くべきことも何もなく、すべては合法的に、政府も承知のうえで行われた、というものだった。裁判所は、検察側が召喚した証人の一人が出廷しなかったことを理由に、審理そのものを延期した。
詩人アカデミーの嵐
プロイセン芸術アカデミーに新設された文学部門の最初の会合が何事もなく終わるかどうかは、大いに見ものだった。人間心理に通じた者たちは、アルノ・ホルツが二週間前に大きな反響を呼んだ論文でその代弁者を買って出た、あの動きが、この設立総会でも再び表に出るだろうと見ていた。人間心理に通じた者たちの見立ては当たった。この会合では、空想家たちによって、なんとも空想的な騒ぎが繰り広げられたのである。
白と黒
アフリカに初めてやって来る白人のほとんどは、黒人について、また黒人と白人との関係について、すでに一定の先入観を携えている。宣教師として、あるいは「宣教の精神」をもってやって来る者は、原住民のうちに「キリストにある兄弟」を見る。少なくとも、根本において同じ種類で同じ価値をもつ同胞を見るのであり、その同胞を教育し文明化しさえすれば、ヨーロッパ人とは肌の色だけが違う人間にできると考える。ところが別の者たちは、ニグロのうちに、まぎれもなく劣った人種の一員を見る。その人種は、神と自然によって永遠に、奴隷としてではないにせよ下僕として白人に仕えるよう定められているというのである。そして彼らは、重い仕事も不快で汚い仕事もすべて黒人に押しつけ、快適で実入りのよい仕事はすべて白人のためにとっておくという、アフリカにおける現在の事物の秩序を、自然な世界秩序として受け入れており、いつか変化が起こりうるなどとは考えもしない。
解説
黒い国防軍とシュルツの役割
フォス新聞の記事は、シュルツが法廷で、隠すことは何もなく、すべては合法で政府も承知していたと主張したことだけを伝えている。この主張が持つ意味は、黒い国防軍の成り立ちを見るとわかる。ハンス・フォン・ゼークト将軍は、ヴェルサイユ条約の兵員上限を回避するため、正規の国防軍部隊に付属する名目上は民間の「労働大隊」として黒い国防軍を作った。国防省は、私的契約によってパウル・シュルツをこの組織の一員として再び雇い入れた。シュルツは、キュストリンに労働部隊を設置する任務を与えられた。シュルツはまた、組織内部のフェーメ制裁を監督した。この制裁は、通常、裏切り者と疑われた者をすばやく秘密裏に殺害することを意味した。労働部隊が実質的に国防軍の一部だったのであれば、シュルツの弁明は、部隊内で起きたことの責任を国防省と陸軍指導部に向けるものになる。
ゲスラーの否定、ゼークトの承認、マルクス内閣の退陣
シュルツの主張は、政府の公式の立場と真っ向から食い違っていた。国防軍とオットー・ゲスラー国防相は、黒い国防軍の存在を公に否定した。これに対してゼークトは裁判所に書簡を送り、そのような集団が存在したことを認め、その必要性を擁護した。フェーメ裁判は、国防相の否定と将軍の承認を同じ場に並べることになり、1926年10月にシュルツが政府の承知を主張したことは、まさにこの食い違いを突くものだった。黒い国防軍をめぐる暴露は、この延期が報じられてからわずか数週間後の1926年末に、ヴィルヘルム・マルクス内閣の退陣につながった。
「フェーメ・シュルツ」のその後
シュルツの裁判は、この延期の後も続いた。シュルツは1927年3月26日、黒い国防軍の軍曹ヴァルター・ヴィルムスの殺害を教唆した罪で死刑判決を受けた。この事件は、記事が扱ったゲーディケ事件とは別の事件である。ヒンデンブルク大統領は1928年2月、ヴィルムス事件の三人の死刑判決を、シュルツの分も含めて終身刑に減刑した。シュルツは1930年10月の政治的恩赦によって釈放された。ドイツの右派の多くは、シュルツを殉教者とみなした。
自然主義詩人アルノ・ホルツ
コラムは、新設の文学部門の最初の会合を荒らした動きの代弁者としてアルノ・ホルツの名を挙げている。ホルツは1863年生まれのドイツの自然主義詩人・劇作家であり、この会合の3年後の1929年10月に没した。ホルツは1898年の詩集『ファンタズス』で最もよく知られ、ノーベル文学賞に9回推薦された。ホルツは、詩は規則的な押韻や韻律から離れ、「内的リズム」によって形づくられるべきだと主張し、文学の慣習に挑む姿勢をとった。コラムの筆者が結びで「空想家たち」が「空想的に」振る舞ったと書いたのは、ホルツの代表作の題名にかけた言葉遊びなのかもしれない。
広く読まれた旅行作家コリン・ロス
「白と黒」の筆者コリン・ロスは、戦間期には誰もが名を知る存在だった。ロスはオーストリア出身の旅行作家・映画作家であり、1910年から1945年までに35冊の本、6本の映画、約1200本の記事を発表した。ロスの代表的な映画の一つ『撮影機を携えて世界一周』は、この論説と同じ1926年の作品である。ロスは民主主義に反対する立場をとり、1931年の著書『世界の意志』でその考えを述べた。ナチの催しで講演し、1941年にナチ党に入党した。この抜粋でロスは、アフリカに来た白人に見られる宣教師的な見方と人種の上下を前提とする見方の二つを並べており、自分自身の見解はまだ述べていない。
南アフリカ労働法の「カラーバー」
ロスが描いた、重く汚い仕事を黒人が担い、快適で給料のよい仕事を白人がとっておく秩序は、南アフリカでは法律によって定められていた。南アフリカの鉱山・工場法は1911年に制定され、1912年と1926年に改正された。この法律は、南アフリカの雇用上の「カラーバー」を法的に確立した。カラーバーという語は、通常、白人が独占する特定の職種に黒人が参入できないようにするため、時間をかけて作られた労働慣行、組合慣行、政府規則、法律の総体を指す。1926年の鉱山・工場改正法は、カラードと呼ばれた人々を白人と並ぶ特権的な地位に置き、技能証明書の規則について大臣が鉱山所有者と白人労働組合の意見を聞くよう定めた。ロスの論説はアフリカ全般を論じ、この法律には触れていないが、同じ年に書かれたものである。
原文
Femeprozeß Schulz vertagt
Der zweite Landsberger Feme-Prozeß (Fall Gaedicke) hat eine überraschende Wendung genommen: Am ersten Verhandlungstage dieses Verfahrens bereits hielt das Gericht es für zweckmäßig, auf unbestimmte Zeit zu vertagen. Der Angeklagte, Oberleutnant a. D. Schulz, hatte " ausgepackt ", unter dem Vorgeben, es sei nichts geheimzuhalten und nichts zu enthüllen, alles sei gesetzlich verlaufen, mit Wissen der Regierung. Das Gericht nahm die Abwesenheit eines von der Staatsanwaltschaft geladenen Zeugen zum Anlaß, überhaupt zu vertagen.
Sturm in der Dichterafademie
Man durfte gespannt darauf sein, ob die erste Sitzung der neuen Sektion für Dichtung in der Preußischen Akademie der Künste ohne Zwischenfall verlaufen würde. Gute Psychologen waren der Meinung, daß jene Bestrebungen, zu deren Sprachrohr sich Arno Holz vor zwei Wochen in einem vielbeachteten Artikel gemacht hatte, erneut bei der konstituierenden Versammlung in die Erscheinung treten würden. Die guten Psychologen haben recht behalten: es ist auf dieser Tagung von Phantasiemenschen phantastisch hergegangen.
Weiß und Schwarz
Fast alle Weißen, die frisch nach Afrika kommen, bringen bereits eine bestimmte, vorgefaßte Meinung über den Schwarzen und sein Verhältnis zum Weißen mit. Kommen sie als Missionare oder im " Geiste der Mission ", so sehen sie im Eingeborenen den " Bruder in Christo ", jedenfalls einen im Grunde gleichartigen und gleichwertigen Mitmenschen, den es lediglich zu erziehen und zu zivilisieren gilt, um aus ihm einen Menschen zu machen, der sich vom Europäer lediglich durch seine Hautfarbe unterscheidet. Die anderen aber sehen im Neger den Angehörigen einer unbedingt inferioren Rasse, die von Gott und der Natur in alle Ewigkeit dazu bestimmt ist, dem weißen Manne wenn nicht als Sklave, so doch als Knecht zu dienen, Und sie nehmen die gegenwärtige Ordnung der Dinge in Afrika, welche alle schwere und alle unangenehme und schmutzige Arbeit auf die Schwarzen abwälzt und alle angenehme und gut bezahlte dem Weißen vorbehält, als die natürliche Weltordnung, ohne sich Gedanken darüber zu machen, daß je eine Aenderung eintreten könnte.