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· チュニス(チュニジア) · フランス語

Le Petit Matin

1926年10月27日付のこの紙面は、議会再開を前にした政界の空気、内閣会議の模様、モロッコ総督のマラケシュ訪問を伝えた。レイモン・コルラの署名論説は、代議士たちが厳しい措置の不人気をポアンカレ内閣に負わせるために沈黙していると論じた。同じ論説は、ポアンカレが裁判所の再編や献立の制限のほかにも改革を用意しているという噂を紹介し、「ポンドは下がり、物価は上がる」という声が広がっていると書いた。内閣会議の記事は、種まきを助けるために除隊予定兵を29日から繰り上げ除隊させる決定と、クイユ農相による輸出禁止措置の説明を報じた。マラケシュ発の記事は、ステーグ総督の盛大な入市、玉座の間での歓迎会と王子たちへの贈り物、タンジールの労働争議を知らせる電報について伝えた。

翻訳

疑問符

すでにパリに来ている代議士たちの態度から判断するかぎり、議会の新会期はきわめて平穏なものになるだろう。事態の重大さを前にし、始まりつつある苦行に直面し、生活費の絶え間ない上昇に続いて起こりかねない街頭の政治運動を見越して、議員たちは静かに身を慎んでいる。彼らは、自分たちも招くのに手を貸した事態の責任を負うことにはあまり気が進まず、避けられない厳しい措置に必ずつきまとう不人気を、現内閣に負わせておきたいのである。というのも、事情通の言うことを信じるなら、ポアンカレ氏は裁判所の再編と献立の制限のほかにも、別の改革を袋の中に用意しているらしいからだ。ポンドは下がり、物価は上がる! これこそ、どこへ行っても耳にする絶え間ないリフレインである。

レイモン・コルラ

内閣会議にて

パリ、10月26日発――閣僚たちは今朝9時30分、ポアンカレ氏の主宰のもと、財務省で内閣会議を開いた。会議はまず日常の案件を処理した。陸軍大臣パンルヴェ氏は、除隊予定の年次兵の繰り上げ除隊について前回の閣僚会議で決めた事項の承認を得た。この除隊は種まきを助ける目的で行われ、今月29日に始まる。海軍省についても同様の措置がとられる。農業大臣クイユ氏は、輸出を禁止するためにとられた措置について説明する。

ステーグ氏、マラケシュに

マラケシュ、10月26日発――ステーグ氏は午後3時に到着した。氏は市の入り口で当局者の出迎えを受けた。新市街の大通りや広場、そしてメディナの路地は飾り付けられていた。壮麗な入市であった。ステーグ氏はその後ただちにスルタンの宮殿へ赴き、ムーレイ・ユーセフに挨拶した。玉座の間で歓迎会が開かれ、その席でステーグ氏はシャリーフ家の王子たちに結婚の祝意を述べて立派な贈り物を手渡し、さらにスルタンに対して、タンジールのメンドゥーブから労働者の騒擾のため同市を離れられないとの電報が届いたことを伝えた。明日は、スルタンがステーグ氏のために催す晩餐会で祝宴が続く。

解説

ステーグが1926年10月にモロッコ総督だった理由

テオドール・ステーグは、1920年代にまずアルジェリア、次いでモロッコの植民地行政を担ったフランスの政治家である。ステーグは1925年10月11日にユベール・リヨテの後任としてモロッコ総督に就き、和平の回復と軍政から民政への移行を任務とした。リーフの指導者アブド・エル・クリムは1926年5月26日にペタンに降伏し、レユニオン島へ流されて1947年までそこに留め置かれた。新聞が報じたマラケシュ入市は、この降伏から5か月後に行われたものであり、ステーグはこのとき民政への移行を進めていた。ステーグはモロッコにフランス人入植者をさらに呼び込むことを支持し、最初の3年間で、前任者が13年かけて入れたのとほぼ同じ数の入植者を迎え入れた。

保護領体制がスルタン、ムーレイ・ユーセフに残したもの

ムーレイ・ユーセフは、1912年のフェス条約がモロッコをフランスの保護領としたのち、退位したスルタン、アブドゥルハフィードから王位を継いだ。フェス条約は法のうえで、立法権と軍事防衛、外交、司法の管轄をフランスに与えた。モロッコ側の政府が権限を持ったのは、モロッコ固有の事項とイスラムの事項だけだった。ユーセフは自らの安全のために宮廷をフェスからラバトへ移しており、歓迎会が開かれたマラケシュの宮殿はスルタンが普段いる場所ではなかった。記事は、総督がまず宮殿を訪ねたこと、玉座の間で歓迎会が開かれたこと、王子たちに贈り物が渡されたこと、スルタンが晩餐会を催すことを伝えている。こうした儀式は、国家の権限がフランスにあった体制のもとで、王家に残された宮廷儀礼上の地位を示すものである。

盛大な歓迎と、ステーグとスルタン家の実際の関係

ステーグは前任のリヨテと比べて、スルタンやモロッコの有力者と過ごす時間が少なかった。マラケシュ発の記事が伝える盛大な入市と玉座の間での歓迎会は、ふだんは距離のあった関係のうち、公式の場に表れた部分である。この訪問は、スルタン家にとっての転機のおよそ1年前に行われた。ムーレイ・ユーセフは1927年に尿毒症で急死し、その在位は突然終わった。ステーグはその後継に若いシディ・モハメド・ベン・ユーセフを選んだ。この人選には、経験の浅い若い君主を望む意図があった可能性がある。新聞は、ステーグが結婚の祝意を伝えた相手を「シャリーフ家の王子たち」と書くだけで、どの王子が結婚したのかを記していない。

輸出禁止措置を説明した農相アンリ・クイユ

内閣会議の記事で輸出禁止の措置を説明したアンリ・クイユは、開業医としてヌヴィックに戻り、急進社会党の地方政治家として歩み始めた人物である。クイユは1924年に初めて農相に任命され、1920年代から1930年代にかけて多くの内閣でこの職を務めた。クイユは第二次世界大戦後に三度首相を務めた。記事では、パンルヴェが種まきを助けるための繰り上げ除隊の承認を得た直後に、クイユの説明が置かれている。記事が伝えるこの二つの議題は、どちらも農業経済に関わるものだった。

原文

UN POINT D'INTERROGATION

La rentrée sera très calme, si l'on en juge par l'attitude des députés déjà présents à Paris. Devant la gravité de la situation, en face de la pénitence qui commence, en prévision des mouvements politiques de la rue qui pourraient bien suivre l'augmentation constante du prix de la vie, les parlementaires se recueillent, peu soucieux de prendre la responsabilité d'un état de choses qu'ils ont contribué à créer et désireux de laisser au Ministère en place l'impopularité qui fatalement s'attachera aux mesures sévères qui s'imposeront. Car s'il faut en croire les gens renseignés, M. Poincaré aurait d'autres réformes dans son sac que la réorganisation judiciaire et la limitation des menus. La livre baisse et la vie monte! Tel est le refrain continuel que l'on entend partout.

Au Conseil de Cabinet

PARIS, 26 octobre. - Les Ministres se sont réunis ce matin à 9 h. 30 en Conseil de Cabinet au Ministère des Finances sous la présidence de M. Poincaré. Le Conseil tout d'abord procéda à l'expédition des affaires courantes. M. Painlevé, ministre de la guerre, fit approuver les décisions prises par le dernier Conseil des Ministres touchant le renvoi anticipé de la classe libérable. Cette libération, effectuée dans le but de favoriser les semailles, commencera le 29 courant; il en sera de même pour le Ministère de la Marine. M. Queuille, ministre de l'Agriculture, fait un exposé des mesures prises pour interdire l'exportation.

M. STEEG A MARRAKECH

MARRAKECH, 26 octobre. - M. Steeg est arrivé à 15 heures. Il fut reçu à l'entrée de la vile par les autorités. Les avenues, les places de la ville nouvelle et des ruelles de la Medina avaient été décorées. Ce fut une entrée grandiose. Aussitôt après, M. Steeg se rendit au Palais du Sultan saluer Moulay Youssef. Une réception eut lieu dans la Salle du Trône au cours de laquelle M. Steeg a présenté ses vœux de mariage aux princes chérifiens auxquels il remit d'importants cadeaux et fit part au Sultan que le Mendoub de Tanger lui télégraphia qu'il ne peut pas quitter la ville à cause de l'agitation ouvrière. Demain, les fêtes continueront par un diner offert par le Sultan à M. Steeg.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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