Leidsch Dagblad
- ライデンの運河の悪臭の原因
- 女性市民協会
- ライデン市民登録
1926年10月27日のライデン日刊紙は、市内の運河がなぜ悪臭を放つのかを調べた研究を報じた。コルスワーヘン嬢は多数の水の試料を調べ、ライデンの運河水の塩素含有量は悪臭に影響するほど高くならないと結論した。紙面は女性市民協会の集会報告も載せ、講演者が1838年以来のオランダ婚姻法を論じた様子を伝えた。講演者は、民法典がフランス法の良い点を取り除き、夫権によってすべての権力を夫に与えたと述べた。紙面にはライデン市の市民登録も並び、冒頭に子どもの出生が記された。
翻訳
ライデンの運河の悪臭の原因
コルスワーヘン嬢は、多数の試料を調べた結果に基づき、次の結論にまとめられる成果に達した。1. ライデンの運河水の塩素含有量は、悪臭の発生にわずかでも影響を及ぼしうる濃度に達することは決してない。
女性市民協会
講演者は次に、婚姻法制を、その成立と運用の両面から取り上げた。私たちが現在その下で暮らしている婚姻法制は、実際には1838年にさかのぼる。それ以前には法律による規定はなかった。フランス支配の時代には、ナポレオン法典(フランスの法制)から取り入れた法律があった。1838年に我が国の民法典が作られ、その中で婚姻法制も定められた。この規定からは、フランスの法制にまだ見られた良い点が再び取り除かれた。そのとき、すべての権力は強い男の手に委ねられ、女の弱い肩には何も負わされなかった。男は、いわゆる夫権を持っていたのである。
ライデン市民登録
出生。ウィルヘルミナ、P・オトハールとC・バウマンの娘。― フランス・ヨハン・ウィレム、A・バウマンとF・L・ルートマンの息子。― ヘレナ・ヤコバ、K・カルクホーフェンとJ・M・C・フェルフーフェンの娘。
解説
ライデンが何世紀も抱えてきた運河の汚染
記事が取り上げた悪臭は、1926年の時点で長い歴史を持つ問題だった。ライデンの運河は、何世紀にもわたり工業排水と家庭排水の放流によって汚されてきた。市当局は早くも1400年頃に汚染を抑える規則を出したが、その規則はほとんど成果を上げなかった。市は後の時代に運河の水を流して入れ替える方法を続けたが、腐った汚泥が溜まり、強い悪臭を生み続けた。ライデン市は、コレラが流行した1866年以降、運河の大半を埋め立てた。紙面によれば、コルスワーヘン嬢はまだ残っていた運河の水を調べ、最初の結論で塩素を悪臭の原因から外した。
記事の頃に進んでいた下水道計画
ライデン市は20世紀になってから独立した下水道網の建設に移り、その工事はしばしば悪臭を放つ運河の埋め立てと組み合わされた。ハーグの技術事務所が1922年に改善策を勧告し、市はその具体化のために1925年10月1日付で技師J・E・デ・メイイェルを採用した。この採用は本記事のおよそ1年前のことである。市は記事の2年後の1928年にマーレシンゲルに北部下水ポンプ場を建て、未処理の下水を市外のスラーフスロートへ積極的に排出した。ライデン市の最初の下水処理施設が稼働したのは1939年である。紙面が伝えた悪臭の原因調査は、市がこうした工事を準備していた時期に発表されたものである。
女性参政権運動から生まれた女性市民協会
女性市民協会は、オランダの女性参政権運動の中心団体だった女性参政権協会が名前を変えた団体である。この協会は1919年に女性参政権が実現した後に改名し、家庭での女性の役割を重視しながらも、女性の自立を目指す活動を続けた。婚姻法は既婚女性の法的地位を定めていたので、婚姻法をめぐる講演はこの活動の方針に沿うものだった。協会は1930年にオランダ女性利益連合と合併した。紙面が報じた集会は、女性が参政権を得てから協会が合併するまでの時期に開かれたものである。
既婚女性の行為無能力が1957年まで続いた経緯
1838年の民法典がフランス法の良い点を取り除き、夫に夫権を与えたという説明は、紙面が伝えた講演者の主張である。既婚女性の従属的な地位がいつまで続いたかは、別の資料が確かめている。オランダは1956年6月14日の法律、官報1956年第343号によって既婚女性の行為無能力を廃止し、この法律は1957年1月1日に施行された。この法律は、構想を立てたユリウス・クリスティアーン・ファン・オーフェンの名で呼ばれている。法律が成立するまでの経緯は長く不安定で、法案は提出され、棚上げされ、撤回された。旧民法第160条第1項の『夫は婚姻共同体の長である』という規定も、一度削除された後に再び維持された。ファン・オーフェンは、時流に逆らって約30年にわたり自分の考えを守り続けた。講演者が1926年に批判した夫の権力は、その後30年にわたり法律に残ったのである。
原文
DE OORZAKEN VAN DE STANK DER LEIDSCHE GRACHTEN.
Aan de hand van onderzoekingen van een groot aantal monsters kwam mej. Korswagen tot het resultaat, samengevat in de volgende conclusies: 1. Het chloorgehalte van het grachtwater te Leiden bereikt nooit een concentratie, die de stankvorming ook maar in de geringste mate kan beïnvloeden.
VEREEN. VAN STAATSBURGERESSEN.
Spr. behandelde nu de huwelijkswetgeving in haar ontstaan en werking. De huwelijkswetgeving waaronder wij thans leven, dagteekent feitelijk van 1838. Vooraf was er geen wettelijke regeling; tijdens de Fransche overheersching werd een wet ontleend aan de code Napoleon (de Fransche wetgeving). In 1838 werd ons Burgerlijk Wetboek gemaakt en daarin werd ook de huwelijkswetgeving geregeld. Uit deze regeling werd het goede, dat in de Fransche wetgeving nog werd aangetroffen, weder verwijderd. Toen werd alle macht in handen gelegd van den sterken man, op de zwakke schouders der vrouw werd niets gelegd. De man had, zooals het heette, de maritale macht.
Burgerlijke Stand v. Leiden.
GEBOREN. Wilhelmina, d. v. P. Otgaar en C. Bouwman. - Frans Johan Willem, z. v. A. Bouwman en F. L. Roetman. - Helena Jacoba, d. v. K. Kalkhoven en J. M. C. Verhoeven.
紙面の出典:Source: Erfgoed Leiden en Omstreken (leiden.courant.nu)