Journal de Genève
- ベルギーの通貨安定
- 独仏会談
- 小麦問題
1926年10月27日付のジュルナル・ド・ジュネーヴは、戦後ヨーロッパの三つの動きを論じた。W. M.の署名入り社説は、ベルギーの通貨安定を支える1億ドルを相当な額だが容易に得られた資金だと評した。同じ社説は、金を基礎とする新通貨ベルガに金フランと異なる価値を与えたことで、ベルギーがフランス・フランと運命を切り離し、損失を受け入れたと論じた。ニュース記事は、フォン・ヘーシュ大使とベルトロ、ブリアン両氏の会談でトワリー交渉が速やかに進むという見方を戒め、交渉は数か月に及ぶと予測した。J. M.の署名入りコラムは、スイスの小麦専売に反対するシュタイガー教授の運動を支持し、専売を社会主義者が歓迎する国家社会主義への一歩として描いた。
翻訳
ベルギーの通貨安定
1億ドルは30億ベルギー・フランを超え、同国の通貨流通総額のおよそ3分の1に当たる。これは相当な額である。それがさしたる苦労もなく得られたとすれば、それはドイツを含むすべての国が、ヨーロッパの金融安定化の道をさらに一歩進めることが自国にとってどれほどの経済的利益になるかを理解したからである。金を基礎とするベルギーの新通貨ベルガについて我々が持っている情報はあまりに簡略で、確定的な意見を述べることはできない。それは計算貨幣となるのか、それとも支払貨幣となるのか。確かなのは、ベルガに金フランとは異なる価値を定めることで、ベルギーが自らの運命をフランス・フランの運命から意図的に切り離すということである。ベルギーは被った損失を認め、自国の経済生活を新たな基礎の上に築くことを決意するのである。
独仏会談
最近パリに戻ったドイツ大使フォン・ヘーシュ氏は、先週末、まず外務省事務総長フィリップ・ベルトロ氏と、次いでブリアン氏本人と長時間会談した。人々はこれを、トワリーで始まった独仏交渉の再開とみた。ある意味ではそれは正しい。ただしそれは、この話し合いがまだごく初期の段階にあり、仮に前向きな成果に至るとしても非常に長く続き、数週間ではなく数か月にわたって続くということを見失わない限りにおいてである。
小麦問題
シュタイガー教授は小麦専売に対して精力的な闘いを始め、国民発議¹(専売によらず小麦栽培を奨励するもの)を支持する立場を表明した。なぜこの立場なのか。理由は次のとおりである。小麦専売は我々をまっすぐ国家社会主義へと導く。極左は、自らの綱領の非常に重要な部分を実現する機会が与えられたことを大いに喜んでいる。その指導者の一人であるシュナイダー氏は、はっきりとそれを認めた。社会主義者に小麦専売を支持させたのは教義だけではなく、彼らは国民経済のあれこれの部門について、たとえ現時点では労働者階級の影響が間接的にしか及んでいなくとも、その国営化を確実に実現しなければならない、というのである。社会主義者は目先の結果だけを見ているのではない。彼らはもっと先を見ており、小麦専売が……自分たちの水車に水を引くことになると知っているのである。
解説
ベルガは対外取引のための金の単位だった
W. M.は、ベルガについての情報が乏しく、計算貨幣になるのか支払貨幣になるのかを判断できないと書いた。後の記録は主に前者の答えを示している。ベルギーは1926年に国際取引用の新しい金通貨としてベルガを導入し、1ベルガを5ベルギー・フランと定めた。ベルギーはベルガを英ポンドに結びつけ、1ポンドを35ベルガ、すなわち175フランとした。フランはベルガと並んで使われ続け、ベルギー国立銀行は1927年からフランとベルガの両方で額面を示した紙幣を発行した。ベルガは対外取引のための金の尺度として働き、ベルギーの紙幣にはベルガと並んでフランの表示も残ったのである。
ベルギーはフランス・フランとラテン通貨同盟から離れた
社説は、ベルギーがフランス・フランと自らの運命を「意図的に」切り離したと書いた。この評価の背景には古い結びつきがある。ベルギー、フランス、スイス、イタリアは1865年にラテン通貨同盟をつくり、各国の通貨単位を1対1で自由に交換できるようにした。1926年にはベルギーもフランスと同じく通貨の下落と急激な信認の崩壊に見舞われた。ベルギーはベルガの導入で対応し、同時に通貨同盟から離脱した。ラテン通貨同盟はその年の末に消滅した。W. M.が「損失」と呼んだものは大きかった。歴史家ガブリエル・トルテッラは、銀行家エミール・フランキが大臣として示した強い姿勢によってベルギーが1926年に金本位制に復帰したと書き、その平価は以前の平価のほぼ7分の1にとどまったと記している。フランキはソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックの取締役を務め、1924年にはドーズ案の作成に加わった人物である。
トワリーの約束と記事が忍耐を求めた理由
記事は、フォン・ヘーシュ大使とベルトロ、ブリアン両氏の会談をトワリーで始まった交渉の再開と位置づけつつ、交渉には数か月かかると強調した。ワイマール共和国の年表によると、1926年9月17日にトワリーでシュトレーゼマンはフラン安定のための物質的支援を約束し、ブリアンはザール地域のドイツへの早期返還と、ラインラントの軍事管理と占領の早期終了に同意した。同じ年表は、独仏両政府の異論によってこの合意の範囲がまもなく縮小されたと記している。歴史家ゲルハルト・レンペルは、米国とフランスの政治家がこの取引の成功を妨げたと書いている。ラインラントの最終撤退は1930年にようやく実現し、レンペルによれば期限より5年早かった。この経過は、成果が出るまでに長い時間がかかるという記事の見通しと一致した。
1926年12月5日のスイス穀物国民投票の結果
J. M.のコラムは投票の6週間足らず前に掲載され、シュタイガー教授の側に立って、小麦の国家専売を社会主義者が教義以外の理由からも歓迎する国家社会主義への一歩として描いた。スイスは1926年12月5日にこの問題を国民投票にかけ、国家の穀物供給に関する第23条の2を連邦憲法に新設する連邦決議が投票の対象となった。この投票は義務的国民投票であり、可決には国民の過半数と州の過半数という二重の多数が必要だった。有権者と州の多数がこの提案を否決したが、国民票の差は小さく、反対37万2049票、賛成36万6507票だった。この結果は、コラムが専売に反対した立場と一致した。社会主義者の動機やシュナイダー氏の発言についてのコラムの説明は、筆者による論争的な解釈である。
原文
La stabilisation belge
Cent millions de dollars représentent plus de trois milliards de francs belges, soit environ le tiers de la circulation totale du pays. C'est une somme considérable. Si elle a été obtenue sans grand'peine, c'est que tous les pays, y compris l'Allemagne, se sont rendu compte de l'avantage économique que représenterait pour eux un nouveau progrès dans la voie de la stabilisation financière de l'Europe, Les renseignements que nous possédons sur la nouvelle monnaie belge, à base or, le belga, sont trop succincts pour qu'on puisse exprimer une opinion définitive. Sera-ce une monnaie de compte ou une monnaie de paiement? Ce qui est certain, c'est qu'en fixant au belga une valeur qui n'est pas celle du franc-or, la Belgique détache délibérément son sort de celui du franc français. Elle enregistre la perte éprouvée et se résout à établir sa vie économique sur une base nouvelle.
Les conversations franco-allemandes
M. von Hœsch, ambassadeur d'Allemagne, qui est rentré récemment à Paris, a conféré longuement, à la fin de la semaine dernière, d'abord avec M. Philippe Berthelot, secrétaire général du ministère des affaires étrangères, puis avec M. Briand lui-même. On a vu là la reprise de la négociation franco-allemande engagée à Thoiry. Dans un sens c'est exact, mais à la condition qu'on ne perde pas de vue qu'il s'agit de pourparlers qui sont encore à leurs premiers débuts et qui, dans l'hypothèse où ils aboutiraient à un résultat positif, dureront très longtemps, et se poursuivront non pas pendant des semaines, mais pendant des mois.
La question du blé
M. le professeur Steiger a engagé une lutte énergique contre le monopole du blé, et s'est prononcé en faveur de l'initiative populaire¹ (encourageant la culture du blé sans monopole). Pourquoi cette position? - Pour les raisons que voici: Le monopole du blé nous achemine directement au socialisme d'Etat. L'extrême gauche est enchantée de l'occasion qui lui est offerte d'accomplir une partie très importante de son programme. L'un de ses chefs, M. Schneider, l'a reconnu de façon explicite: la doctrine n'est pas seule à avoir engagé les socialistes à appuyer le monopole du blé, et ils doivent assurer l'étatisation de telle ou telle branche de l'économie nationale même si, pour le moment, elle n'est influencée qu'indirectement par la classe ouvrière. Les socialistes ne voient pas exclusivement le résultat immédiat: ils regardent plus loin, et ils savent que le monopole du blé amènerait de l'eau.... à leur moulin.