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時報

1926年10月27日の『時報』のこの面には、広告と告知だけが並んだ。中国化学工業社は第15周年の記念として、1元の買い物ごとに4角分の景品を贈る売り出しを告知し、残りの日数がわずかだと伝えた。別の広告は梁啓超の『飲冰室文集』再編版の構成を示し、生涯の時期ごとに分けた四つの集と、題跋や詩、小説、詩話を収めた附集を挙げた。上海債券聯合会は、各地の販売同業者が時局を理由に延期を求めたため、5つの券局が共同で抽選を延期したと通告し、新しい日程を続けて掲げた。

この版は、広告と告知だけで構成された紙面から3件の短い抜粋を部分的に読んだものであり、紙面に報道記事は含まれていない。OCRの乱れが大きく、料金表、辞書の中国語訳、百貨店広告の端の文字、装飾書体の店名は判読できず、延期後の抽選日程表も読み取りに含まれていない。5種の債券がどのように組織され、許可を得て販売されたか、また飲冰室文集の出版元と予約条件については手元の資料に裏付けがなく、解説では扱っていない。

翻訳

中国化学工業社 第15周年記念大景品

お買い上げ一元ごとに四角の景品を進呈します。残りの日数はわずかです。

梁任公先生 乙丑年再編 飲冰室文集

第一集は戊戌以前の作、第二集は日本滞在中の作、第三集は帰国後から欧州大戦前までの作、第四集は欧州大戦の講和から最近までの作、附集は題跋、詩、詞、曲、小説、詩話などを収める。

上海債券聯合会 東方・江南・中南・利濟・慈善の5種甲乙券の抽選延期に関する通告

最近、各地で債券を販売する同業者から、時局の関係により五券局に抽選の延期を求める要請があり、すでに新聞紙上で通告したとおりである。ここに五券局が共同で議決した延期後の日程を、順に以下に掲げる。

解説

1926年10月の「時局」の背後にあった戦闘

上海債券聯合会は、抽選延期の理由を「時局關係」の一言で説明している。通告は具体的な戦闘の名を挙げていないが、1926年秋は北伐の第一段階にあたる。国民革命軍は1926年9月4日に江西省境を越えて攻め込み、9月6日と7日に漢陽と漢口を占領し、10月10日に武昌を攻め落とした。戦闘はその後、上海のすぐ近くにまで及んだ。浙江省長の夏超は10月16日に浙江の独立を宣言し、孫伝芳が支配する上海へ兵を向けたが、ほとんど間を置かずに撤退を強いられた。孫伝芳の軍は10月23日までに反乱を鎮圧しており、この紙面はその4日後に印刷された。販売同業者の要請はこうした情勢の中で出たと読むのが自然だが、通告自体はどの出来事を指したかを明記していない。

上海と販売各地を支配していた勢力

1926年秋の上海は孫伝芳の支配地域に含まれていた。孫伝芳は1925年秋に反撃して張宗昌の軍を上海の中国人街区から追い出し、その後、江蘇、浙江、福建、安徽、江西の5省全体に支配を広げて、南京に司令部を置いた。通告のいう「各埠」の販売同業者は、この5省の内外にある町の代理人を指すと考えるのが最も自然だが、紙面は販売地を列挙していない。江西は9月に戦場となり、浙江では10月に反乱が起きたので、販売網の各地で債券を売り、代金を集めることが難しくなったと推測できる。上海の5つの券局が個別ではなく共同で延期を決めた理由も、この事情で説明がつく。

四つの集が示す梁啓超の経歴

この広告は梁啓超の著作を時期ごとに分け、戊戌以前、日本滞在中、帰国後から欧州大戦まで、講和以後の四つの集としている。この区切りは梁啓超の経歴の転機と一致する。梁啓超は戊戌の年にあたる1898年から1912年まで14年間日本に亡命し、その間に多数の論説や著書を書き、その多くを自ら創刊した雑誌に発表した。第二集は、梁啓超が多くの文章を書いたこの亡命期の作を収めることになる。梁啓超の著作集はそれ以前にも編まれており、日本人の下河辺半五郎は1904年に『飲氷室文集類編』などを編集し、東京で刊行した。今回広告された乙丑年、すなわち1925年の再編版は、年代順の構成をとり、最近の文章までを収めた。

原文

中國化學工業社第十五週紀念大贈品

購貨一元贈品四角為日無多

梁任公先生乙丑重編飲冰室文集

一集戊戌以前作二集居東瀛作三集歸國後至歐戰前作四集歐戰和議以迄最近作附集題跋詩詞曲小說詩話等

上海債券聯合會為東方江南中南利濟慈善五種甲乙券展期開獎通告

近據各埠銷券同業因時局關係請求五券局展期開獎曾經登報通告在案茲將五券局公同議決展定日期挨次列下

紙面の出典:Source: Internet Archive / eastasia-periodicals

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