この日に発行された世界の新聞15紙の一面を、翻訳と解説で読めます。
ワシントンD.C.(アメリカ) · 英語
- 3度の地震、サンフランシスコなど沿岸都市を恐怖に陥れる
- ワトソン議員、病床からクラン密約疑惑を否定
- キューバのハリケーン、死者650人を超え被害拡大
1926年10月22日金曜日のイブニング・スター紙の1面には、AP通信の記事3本が並んだ。サンフランシスコ発の記事は、カリフォルニア州中部沿岸を1時間おきに襲った早朝の3度の地震を伝えた。住民は通りや公園へ逃げ、窓が割れて時計が止まったが、負傷者の報告はなく、最も激しく揺れたのはサンタクルーズだったと記事は報じた。インディアナポリス発の記事は、ワトソン上院議員が病床からリード上院議員の選挙資金委員会に証言し、テキサス州のメイフィールド議員の議席をめぐるクー・クラックス・クラン幹部との取引をきっぱり否定したと伝えた。ハバナ発の記事は、ハリケーンの死者が650人を超え、10の町が壊滅し、6,500人が家を失い、製糖工場や葉巻工場が破壊され、損害が1億ドル近くに達する見込みだと報じた。同じ記事は、バハマ諸島が無事だという初期の知らせも伝えた。
モンゴメリー(アメリカ) · 英語
- ブランドン知事、綿花作付け削減週間を設定
- キューバの暴風雨による死者、600人を超える
- ブラウダー殺害事件、巡回裁判所で審理へ
1926年10月22日付のモンゴメリー・アドバタイザー紙1面は、W・W・ブランドン知事の布告をトップで伝えた。知事は銀行家・農民・農業指導者でつくるアラバマ州委員会の要請を受け、10月25日からの1週間を綿花生産者の救済に充てると定めた。布告は今年の収穫を共同出荷にまとめて秩序ある販売を行い、次の作付けを大幅に減らすよう求め、エドワード・A・オニールがこの運動を率いると紙面は報じた。AP通信のハバナ発の記事は、水曜日にキューバを襲ったハリケーンの被害を伝えた。見出しは死者が600人を超えたと報じ、本文は家を失った人が6,500人、壊滅した町や村が10以上、損害が1億ドル近く、沈没または大破した船が100隻、行方不明の船員が約50人だったと伝えた。地元の記事は、ブラウダー殺害事件でフェルプス保安官が操縦士を故殺罪で告発し、事件を軍当局から文民当局へ移すよう主張したと報じた。化学者はおそらく人毛だと報告し、血痕はなかったと紙面は伝えた。
ロンドン(カナダ・オンタリオ州) · 英語
- 地震で建物に被害
- キューバの死者、650人に
- 酒は貸付金の担保だったと主張
オンタリオ州ロンドンの夕刊紙は1926年10月22日、サンフランシスコ湾岸一帯を朝に襲った一連の地震を伝えた。同紙によると、ホテルの宿泊客が通りへ逃げ出し、中には寝間着姿の者もいたが、けが人は出ず、被害は壁のひびや止まった時計、サンタクルーズのリゾートホテルの軽い損傷にとどまった。同紙はキューバを横断したハリケーンの死者を650人と報じ、ハバナだけで推定200人が死亡、1,600人が負傷したと伝えた。同紙は最初に直撃を受けたバタバノで300人を超える死者が出たことや、町ごとの死者数、1億ドル近くに達するとみられる物的損害も載せた。地元の記事では、販売目的で酒類を保有した罪に問われたロンドン・タウンシップの農場主が、車の故障した運転者が借金の担保として酒を農場に置いていったと主張し、治安判事が判決を保留したと伝えた。
ベルリン(ドイツ) · ドイツ語
- クーリッジ、宣言に反対
- ラインラントとトワリー
- 貴族と新しい時代
1926年10月22日付のフォス新聞は、クーリッジ大統領がメロンをホワイトハウスに呼び、先ごろ出た自由貿易宣言へのアメリカの対応を協議したとニューヨーク発の電信で報じた。財務省に近い筋は、メロンが宣言の考え方をヨーロッパについては健全と認め、アメリカの関税政策への適用は拒むと見込んだ。同じ面の論評は、宣言が世界で反響を得られず、署名者自身の連帯も24時間ともたなかったことを嘆いた。「ラインラントとトワリー」の見出しの下では、ライン州長官府が占領軍と住民の衝突を受けて自制を呼びかけた。署名入りの論説でハンス・ユルゲン・フォン・クライストは、ドイツ貴族の大多数が新国家を受け入れず、1918年以来指導者の使命を果たせなかったと論じた。
ウィーン(オーストリア) · ドイツ語
- 別れと復帰
- フランス急進党に分裂の危機
- チェコスロバキアの鉄鋼カルテル加盟は当面見送り
1926年10月22日付のノイエ・フライエ・プレッセは、ウィーンの政権交代を論じる社説を第一面の冒頭に置き、退任と就任の挨拶が礼儀正しかったことを評価した。社説は、退任するラーメク首相がジュネーブ計画を完了させ、オーストリアを財政上の後見から解放したと認めた。社説は、ドイツとの緊密な関係は条約の枠内にとどまるべきだというラーメクの発言にも注目した。社説によれば、ザイペルはラーメクを友人と呼び、自分が陰で糸を引いていたという見方を否定した。社説はまた、ヴァーバー副首相が独墺共通の刑法典を翌春に議会へ出す見通しを示したことと、シュミッツ教育相が国民の最高の宝を守る任務を語ったことを伝えた。パリ発の電報は、ボルドー党大会の後、レオン・メイエール率いる急進社会党の左派約30人が離脱をちらつかせていると報じた。プラハ発の電報は、チェコスロバキアの製鉄所が国内の割当配分で合意できず、国際鉄鋼カルテルへの加盟交渉を延期したと伝えた。
Czechia · ドイツ語
1926年10月22日付の『プラーガー・ターゲブラット』は、チェコスロヴァキアの内政と新しいヨーロッパ鉄鋼カルテルを一面に並べた。署名コラムの筆者R・Kは、ドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ザールの生産者が結んだ鉄鋼協定を批判し、重工業が平和協定の看板の陰で、フランスがドーズ案から得る額に匹敵する「戦争賠償」を消費者から取り立てると論じた。上院の記事は政府声明をめぐる討論を伝えた。ドイツ国民社会主義党のイェッサーは、カルテルがチェコスロヴァキアの産業を顧みずに成立したと訴えた。シュヴェフラ内閣に加わったドイツ人政党を代表するヒルゲンライナーは、ドイツ人大臣は平等要求の約束にすぎず履行ではないと述べた。別の記事は、プラハのウィルソン駅でフリンカが熱烈に迎えられ、人民党が政権参加を検討するなかで共和国とピッツバーグ協定の双方への支持を表明した様子を報じた。
ジュネーヴ(スイス) · フランス語
1926年10月22日付のジュルナル・ド・ジュネーヴ紙1面には、通商、財政、フランス政治を扱う記事が並んだ。W. M.の署名がある社説は、1920年の財政会議の要望が政治、財政、経済の三つの障害に突き当たったと振り返った。社説は、仏独の接近で政治的な障害が小さくなったとして、通商の自由を求める運動に好機が来たと論じた。J. M.の記事は、公務員給与を引き下げればジュネーヴの1927年度予算で90万フラン、場合によっては100万フランの歳出を削減できると主張した。パリ通信員は滞在先の南ブルターニュから、ボルドーで開かれた急進党大会について気の進まない様子で書き始めた。
ベオグラード(現セルビア) · sr-Cyrl
この版は1926年10月22日付『ポリティカ』の二つの記事の一部を読む。M・ネデリコヴィッチ博士は金融機関の統制を論じた署名コラムで、銀行に対する法的・行政的な統制の強化をイタリアのファシズム体制の全般的な精神と結びつけた。筆者は、ファシズムが社会生活を政府の指令に従わせようとしていると書き、その例として雇用者と労働者の強制的な協同体を挙げた。「1903年5月29日を前に」と題する連載の第3回は、アレクサンダル・オブレノヴィッチ国王が未亡人ドラガ・マシンとの結婚を進めた時期の宮廷の慌ただしさを描いた。記事によれば、国王はこの結婚を実行する内閣を組むのに苦労し、国民はまだ事情を知らなかった。
オスロ(ノルウェー) · ノルウェー語
- モーヴィンケル内閣がハンデルスバンケンの営業継続を決めたとき
- 医師2人、ヨハン・シャルフェンベルグ主任医師の医師会除名を要求
- 全面禁酒の旗
1926年10月22日付のアフテンポステンは、紙面の中心に弾劾裁判を据えた。同紙は、前日の法廷で読み上げられた1924年9月30日の財務省会議の議事録を全文掲載した。この会議では、発足したばかりのモーヴィンケル内閣のホルムボー財務相が、経営難のデン・ノルスケ・ハンデルスバンクに営業を続けさせるよう勧めた。同行の代表であるブラトリーとトローネ・ホルストは、この継続案に懐疑的な発言をしたと紙面は伝えた。紙面によれば、同行は会議の2週間後に営業を停止した。同じ面は、医師2人が禁酒運動家シャルフェンベルグの医師会からの除名を求めたことも報じた。シャルフェンベルグは禁酒法の住民投票運動のさなか、レヴァンゲルの集会で医師の処方箋商売を非難していた。社説は、投票で敗れた禁酒派の新聞『フォルケト』が全面禁酒の旗を掲げたことをあざけった。社説は、全面禁酒が漁業と海運をふたたび脅かすと論じた。
ライデン(オランダ) · オランダ語
- 正常組織および病的組織に対するレントゲン線の作用について
- 市議会への請願
- 労働者教育協会
1926年10月22日付のライデン日報の市内面は、三つの話題を詳しく伝えた。D・J・ステーンハイス博士はライデン大学の放射線学講師に就任し、就任講演でレントゲン線による診断が治療より進んでいることと、放射線が組織に及ぼす生物学的な作用がまだ解明されていないことを論じた。映画館経営者のJ・ディクス氏は、ブレー通り31番地の建物を一流の映画館に改築する許可に正面ファサードの変更禁止という条件が付いたことに抗議し、市議会に条件の撤回を求めた。ディクス氏は、ブレー通りがすでに商店街になったことと、自分の計画が窓を二つから一つにするだけであることを訴えた。労働者教育協会のライデン支部では、ハーグのデ・クレルク氏が労働組合役員としての自らの経験を語り、労働者の国際的な交流のために中立的な補助語であるエスペラントを学ぶよう呼びかけた。
上海(中国) · 中国語
- 嘉興東方で昨日正午に開戦
- 第8師第30団、蘇善へ移動
- 陳儀の重要声明
時報は1926年10月22日の紙面で、孫伝芳の聯軍と夏超の浙江軍が滬杭線上、嘉興の東12里にある68号橋で衝突したことを軍政要聞の筆頭で伝えた。午後9時の報は、3時間の撃ち合いで勝敗がつかず、双方の死傷者は少なく同程度だったと報じた。午後6時の報は、孫軍側が嘉興を占領し夏軍が王店方面へ退いたと主張していることを伝えたが、上海との電報が途絶えたため確認できないと記した。紙面は徐州発の電報として、孫伝芳が陳儀を浙江省長に任命したことも報じた。紙面はさらに、第8師の部隊が2本の列車で南京から蘇州へ移った様子を詳しく伝え、上海の流言について陳儀が各新聞社に宛てた声明の冒頭を載せた。
北京(中国) · 中国語
- 世界日報副刊の合本
- 弁護士高穰の告示
- 本紙出版部委託販売書目
北京の世界日報は1926年10月22日の紙面で、北京大学教授の劉半農博士が主編する副刊の合訂本を宣伝した。広告は印刷と装丁の美しさや、1冊およそ120ページで150編以上の作品を収めること、学びと楽しみを等しく重んじることを売り込み、第1巻の目次にはインド寓話や短劇、詩、日記が並んだ。弁護士の高穰は、北京証券取引所の理事会から未回収債権の取り立てを任されたと告げ、債務者に10月15日から1か月以内に元利を返すよう求めた。本紙の出版部も委託販売の書目を掲げ、価格は0.15から0.50の範囲だった。この読み取りはこの三件を扱い、同じ紙面の薬の広告や四部叢刊の趣意書は扱わない。
サンティアゴ(チリ) · スペイン語
1926年10月22日付のサンティアゴの日刊紙ラ・ナシオンは、この面に読み物と広告を並べた。「ある母の物語」は、ヴァージニア州の村でライムンド・ストーン氏が仲のよい家族とともに耕す豊かな農場の描写から始まった。ピエール・ビヨテの署名がある短編「弱い男」は、ヴァルネー氏が隣家の美しい女中をうらやむ場面と、台所からの声が吹きこぼれた牛乳をめぐってレオンをののしる場面を描いた。サアベドラ・ベナール商会の広告は、家畜博覧会に合わせて、ディアリング印を中心とする農機の常設展示をカテドラル街1063番地で見るよう農業者に呼びかけた。
ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語
- オーストラリア人、英国食肉市場からアルゼンチンの排除を狙う
- アルゼンチン代表は見事だ
- 選手たちへの歓待が相次ぐ
クリティカ紙は1926年10月22日の紙面で、ロンドン発のAP電を伝えた。この電報によれば、帝国会議が検討する高速冷蔵船7隻の建造案はオーストラリア政府の発案とされ、サウサンプトンからフリーマントルまでの航海を22日に縮めて、英国の食肉の3分の2以上を供給するアルゼンチンに対抗するねらいがあった。スポーツ面では、アウストラル通信がアスンシオンのラ・トリブナ紙の論評を伝えた。同紙は、サンティアゴでの南米選手権でパラグアイがアルゼンチンに大敗した理由を、守備と前線の弱さ、選手の体調不良、アルゼンチン代表の見事さに求めた。紙面はさらに、サンティアゴで各国代表団のために予定された観劇会、晩餐会、レセプション、ガーデンパーティーの予定も報じた。
Italy · イタリア語
- イタリアの指針と国際金融の計画との対立
- ヴォルピ伯爵から政府首班への書簡
- フランの持ち直し
1926年10月22日付のトリエステの新聞『イル・ピッコロ』は、一面に通貨と財政の記事を並べた。ローマ発の記事は、通商の自由を求める国際的な銀行家・実業家宣言について、イタリア人署名者は形式的な賛同を求められただけで文案作成に関与しなかったと強調し、ミラノの新聞の報道を否定した。同じ記事は見出しで、この問題をイタリアの指針と国際金融との対立として描いた。財務大臣ヴォルピがムッソリーニに宛てた書簡は、国内公債が9月30日までの一四半期で50億リラ近く減ったと伝えた。書簡はその理由として国庫保有の9000万ドルのイタリア銀行への移管と普通国庫証券の減少を挙げ、対外債務は米英との戦債整理とモルガン借款に関わるものだと説明した。パリ発の記事は、フランがポンドに対して急に持ち直し、外貨保有者が損を承知で売りに出たと報じ、リラがフランより先に再評価を進めたと書いた。