The Montgomery Advertiser
- フランク・ブラウダー氏死亡で航空将校3人を拘束
- クランがジェームズ・E・ワトソンを支援と証人が告発
- 著名な社会主義指導者が死去、死してついに沈黙
1926年10月21日付のモンゴメリー・アドバタイザー紙は、1面で地元の惨事を大きく伝えた。マクスウェル飛行場の中尉3人が、83歳の南部連合軍退役軍人フランク・G・ブラウダー氏を市の東の綿花畑で低空飛行の飛行機によって死なせたとして、故殺の容疑で拘束された。同紙は、基地司令官が保安官による身柄引き渡しの要請を断ったことや、各操縦士に対する飛行記録と目撃証言の中身を詳しく報じた。同紙はシカゴ発で、クー・クラックス・クランがインディアナ州のワトソン、ロビンソン両上院議員を支援しているとする上院選挙資金委員会での証言も載せた。その証言には、元クラン幹部が1万ドルを持ちかけられ、「善人は若死にする」と警告されたという話が含まれていた。同紙はAP電で、社会主義指導者ユージン・V・デブスがシカゴ郊外の療養所で死去したことも伝えた。
翻訳
フランク・ブラウダー氏死亡で航空将校3人を拘束
モンゴメリーの名士、水曜早朝に綿花畑で飛行機にはねられ死亡
痛ましい悲劇を軍法会議が審理へ
本件は軍と民間当局が競合する管轄権を持つ
水曜午後遅く、将校3人が故殺の容疑で逮捕された。容疑は、昨日朝、モンゴメリーの東4マイルの綿花畑で低空飛行の飛行機に打たれて即死した、83歳の南部連合軍退役軍人フランク・G・ブラウダー氏の死に関するものである。
逮捕されたのは、A・J・レーマン、J・C・A・デニソン、クレア・ストローの各中尉である。3人はH・H・C・リチャーズ少佐の命令により、軍法会議まで飛行場で拘束されている。軍法会議の日取りはまだ決まっていないが、事件をさらに調べるためにアトランタからワグナー監察総監が到着する今日、おそらく決まる見通しだ。
水曜夜、R・C・フェルプス保安官がリチャーズ少佐に対し、レーマン中尉の引き渡しを非公式に求めた。しかし要請は拒否された。リチャーズ少佐の説明によれば、3人はすでに拘束されており、一般の法律に違反したとはいえ、この行為は軍法にも違反している。こうした場合、軍と民間当局は競合する管轄権を持つと説明された。リチャーズ少佐はまた、囚[?]を引き渡す前に、軍管区司令官ヘイグッドとも協議したいと述べた。
リチャーズ少佐によると、レーマンとデニソンに対する容疑には2つの証拠の連鎖が結びついている。ストローに対する証拠はそれほど強くないと少佐は述べた。3人の操縦士はいずれも水曜朝に飛行していた。
操縦士たちは取り調べを受けておらず、逮捕の際にも何も供述しなかった。しかし、被疑者たちの飛行に同乗した整備兵たちは、機体が何かにぶつかったことは知らないし、低空を飛んだことは一度もないと将校らに語った。
デニソンに対する証拠の一部は、ノース・ユニオン通り605番地に住む黒人チャーリー・ジャドキンズの供述に基づいている。ジャドキンズは、水曜朝、ウェアズ・フェリー街道の上空で飛行機が自分のすぐ上まで降下してきたと将校らに語った。機体には「10」の番号があり、これがデニソンの機と特定されたという。記録によると、デニソンは9時に飛行場を離れ、10時15分に戻った。リチャーズ少佐によれば、悲劇は8時30分から9時10分の間に起きた。デニソンの整備兵クラレンス・C・ホワイト伍長は、ウェアズ・フェリー街道のクック駅付近を飛んだことは認めたが、飛行中、機体は1,000フィート以上の高度を保っていたと主張した。
記録によると、レーマン中尉は8時50分に1号機で飛行場を離れた。同乗したレイ・フランシスコ軍曹は、ブラウダー氏が死亡したころ、現場のすぐ近くを飛んでいたと証言した。フランシスコ軍曹は、飛行中に機体が「急降下」したことは否定した。レーマン中尉に対しては他にも証拠があることがほのめかされたが、その具体的な中身は明かされなかった。
知られている限り、ストロー中尉に対する唯一の証拠は、同中尉がその時刻に飛行中で、しかも東へ向かって飛んだということである。
レーマン中尉は水曜夜、マクスウェル飛行場でフェルプス保安官の前に連れ出されたが、弁護人の助言に従い、一切の供述を拒んだ。
ブラウダー氏は娘のB・S・チャップマン夫人に付き添われ、ハイランド通り812番地の自宅を[?]
クランがジェームズ・E・ワトソンを支援と証人が告発
インディアナ州選出上院議員のために「足並みをそろえる」ことを拒み、グランド・ドラゴンが覆面団体での地位を失う
元クラン幹部、「善人は若死にする」と警告される
上院調査委員会、フージャー州の問題に目を向ける
シカゴ、10月20日発――インディアナ州選出の共和党上院議員ジェームズ・E・ワトソンとアーサー・ロビンソンの再選をかけた戦いを、クー・クラックス・クランが支援しているとの証言が、今日、上院選挙資金委員会で行われた。
インディアナ州サウスベンドの元エグザルテッド・サイクロプス、ヒュー・P・エモンズは、インディアナポリスのウォルター・ボサートがインディアナ州のグランド・ドラゴンを解任されたのは、今回の選挙戦でワトソン上院議員のために「足並みをそろえる」ことを拒んだからだと、クランの幹部から聞かされたと明言した。
エモンズはさらに、インペリアル・ウィザードのハイラム・W・エバンズ博士によってボサートの後任に任命されたインディアナ州エバンズビルのW・リー・スミスが、ワトソンの立候補を支持するなら1万ドルを出すと証人に持ちかけたと告発した。
エモンズは、この申し出を断ったと述べたうえで、もし「裏切り者」になれば「足並みをそろえる」ことになるかもしれないとスミスに言われ、「善人は若死にする」と念を押されたと告発した。
この元インディアナ州クラン幹部は委員会で、クランはワトソン上院議員に借りがあるとエバンズから聞かされたと述べた。ワトソン議員が、「合衆国で最も優れたクランズマンの一人」とされるテキサス州選出の民主党上院議員メイフィールドの議席承認に尽力したからだという。インペリアル・ウィザードはさらに、メイフィールドの議席承認をめぐって、ワトソン上院議員がニューハンプシャー州選出の共和党上院議員モーゼスを「抱き込んだ」とも語ったとされる。
エモンズは、インディアナ州の上院予備選の少し前にエバンズがサウスベンドを訪れたことを語り、その際エバンズが、ワトソンに大差の票が集まれば、ワトソンが大統領候補になるかもしれないと話したと明言した。
証人によると、エバンズは、ワトソンがホワイトハウス入りすれば、元カンザスシティ在住で現在はワシントン在住のクラン法律顧問ウィリアム・F・ズンブルンを駐メキシコ大使に任命するだろうと語った。エモンズは続けて、エバンズがズンブルンを、合衆国上院議員とその夫人たちに大きな影響力を持つ人物だと評していたと述べた。「彼は議員たちと酒を酌み交わし、食事を共にしている」とエバンズが語ったと、エモンズは述べた。
委員会はインディアナ州の状況の調査を始める前に、イリノイ州の無所属共和党上院候補であるシカゴのヒュー・S・マギルの強い否定を聴いた。マギルは、共和党の正式候補フランク・L・スミスと民主党候補ジョージ・E・ブレナンを相手にした自分の選挙戦で、30万ドルや40万ドルといった額が使われる予定だという話を否定した。自分は……ないと主張し
著名な社会主義指導者が死去、死してついに沈黙
ユージン・V・デブス
アメリカ政界の傑出した人物、その活動に終止符 家族が枕元に
シカゴ、10月20日発(AP)――合衆国における社会主義の傑出した使徒、ユージン・V・デブス氏が今夜7時44分、郊外の療養所で死去した。来る11月5日まで生きていれば71歳だった。
デブス氏は1か月前に神経衰弱に陥り、のちに息を引き取ることになる療養所に入った。高齢であることと、ほぼ生涯にわたって患ってきた心臓病のため、容体が悪化した際、体はわずかな抵抗しかできなかった。数週間前には、さらに合併症として腎臓病も発症した。
デブス氏は先週土曜日に深い昏睡状態に陥り、意識を取り戻さなかった。死を押しとどめていたのは本人の生きる意志だったと主治医たちは述べ、昏睡の期間が非常に異例だったとも指摘した。
老いた社会主義指導者の最期を見守ったのは、妻キャサリン、インディアナ州マンシーに住む娘メアリー、兄弟のセオドア、そしてインディアナ州テレホートのジョン・ハインル夫人とニューヨークのC・O・メイユー夫人の2人の姉妹である。最期の瞬間には、全国書記長ウィリアム・H・ヘンリーをはじめとする社会党の指導者たちも枕元にいた。
H・O・ワイズマン医師によると、デブス氏は力が次第に衰えていき、安らかに亡くなった。この3日間、いつ亡くなってもおかしくないとみられていた。土曜日以来ほぼ付きっきりで看護してきたルイーズ・H・ニブラック夫人は、患者は最後の数日間、まったく痛みを感じていなかったようだと医師たちに語った。
ワイズマン医師によると、死因は慢性心筋炎で、デブス氏はこの心臓の病を25年間患っていた。
葬儀は金曜日か土曜日にインディアナ州テレホートで営まれ、その後、遺体はインディアナポリスに運ばれて火葬される。テレホートでの葬儀はおそらく一般に公開されると親族は述べたが、最終的な手はずはまだ決まっていない。
デブスは5回にわたり社会党の大統領候補に指名された。自らの主義を貫いた結果、2度服役した
解説
1926年のマクスウェル飛行場
3人の中尉が拘束されたマクスウェル飛行場は、モンゴメリー郊外にある陸軍の新しい航空拠点だった。アラバマ百科事典によると、この施設は第3エンジン・修理補給廠として市のすぐ北西に設けられた。陸軍省は1922年にこの飛行場の任務を作戦基地に改め、第22観測飛行隊を配置した。同飛行隊の主な任務は、陸軍の地上部隊を偵察で支援することだった。アドバタイザー紙の記事も、この飛行場の日常の飛行の様子を伝えている。各機は整備兵を乗せて朝の定例飛行に出ており、飛行場は番号付きの機体ごとに離陸と帰還の時刻を記録していた。リチャーズ少佐はこの記録を使い、事故が起きた8時30分から9時10分の時間帯と各機の離陸時刻を照らし合わせた。同紙は、被疑者の将校がどの部隊に属していたかを書いていない。同紙が報じたのは、軍と民間当局が競合する管轄権を持つという司令官の見解と、司令官が保安官によるレーマン中尉の引き渡し要請を断ったことである。この段階で容疑を支えていたのは、飛行記録、10号機を見たという通行人の証言、整備兵の否定であり、操縦士本人たちは何も供述していなかった。
エバンズとクランの政治的野心
エモンズの証言は、ワトソン上院議員との取引の中心にインペリアル・ウィザードのハイラム・W・エバンズを置いた。エバンズは1922年11月、D・C・スティーブンソンの支持を得て、アトランタでインペリアル・ウィザードの座に就いた。エバンズはクランを全国的な政治勢力にする野心を持っていた。ワトソンが大差で勝てば大統領候補になるかもしれない、クランの法律顧問が駐メキシコ大使になるかもしれない、というエバンズの話をエモンズは証言しており、この話はエバンズの野心と一致する。インディアナ州では、クランの指導者が州と地方の選挙で候補者を公然と推薦し、その推薦は実際に効果を上げた。証人が語ったグランド・ドラゴンの地位も、クランの内部で争われていた。スティーブンソンは1923年9月に全国組織と縁を切り、裁判の年表によると1924年5月にグランド・ドラゴンに復帰した。ウォルター・ボサートがワトソン支持を拒んで解任されたという話や、W・リー・スミスが1万ドルを持ちかけたという話を、同紙は委員会でのエモンズの告発として載せており、確定した事実として扱ってはいない。
1926年10月のインディアナ州クラン
上院委員会が「フージャー州の問題」を取り上げたのは、インディアナ州クランで最も名の知れた指導者が失脚してから約1年後だった。D・C・スティーブンソンは1925年、若い教師マッジ・オーバーホルツァーへの強姦と殺害の罪で起訴され、有罪となった。陪審は1925年11月14日、最初の投票でスティーブンソンに第2級殺人の有罪を決めた。インディアナ州の政治にクランの金がどれほど流れていたかが広く公になったのは、さらに後のことである。スティーブンソンはエド・ジャクソン知事に恩赦を拒まれ、1927年にインディアナポリス・タイムズ紙の記者に話し始めた。スティーブンソンが出した情報をもとに、ジャクソン知事やほかの公職者が起訴された。エモンズがシカゴで証言した時点で、クランはすでにスティーブンソン事件で評判を落としていたが、公職者への支払いの詳しい記録はまだ公表されていなかった。つまり、現金の提供や脅しをめぐるエモンズの告発は、そうした支払いの記録が公になる前に行われたものだった。
デブスの5度の大統領選と2度の服役
AP電の結びの数行は、デブスの長い公的経歴を短くまとめている。デブスは社会党の候補として5回大統領選に出た。最も多く票を得たのは1912年の6.0パーセントで、1920年には獄中から選挙戦を戦って3.4パーセントを得た。記事のいう2度の服役は、性格の異なるものだった。デブスは1894年にプルマン・ストライキに関わり、ストライキを禁じた裁判所の差し止め命令に従わなかったとして連邦法違反で有罪となり、6か月服役した。デブスは第1次世界大戦への米国の参戦を非難する演説を行い、それがもとで1918年に再び逮捕された。デブスは1918年治安法違反で有罪となり、市民権を剥奪された。ハーディング大統領は1921年12月に刑を減じたが、デブスの市民権は生前には回復しなかった。AP電は死因を25年来の慢性心筋炎としたが、ウィキペディアの記述は、療養所入りの原因となった心血管の病を獄中生活で生じたものとしている。南部の日刊紙であるアドバタイザー紙は、デブスを「社会主義の傑出した使徒」と呼び、服役を「主義を貫いた」結果とするAP電の敬意ある表現で記事を載せた。
原文
THREE AIR OFFICERS HELD FOR KILLING OF FRANK BROWDER
THREE AIR OFFICERS HELD FOR KILLING OF FRANK BROWDER Prominent Montgomerian Struck Down by Airplane While in Cotton Field Early Wednesday Morning COURTMARTIAL WILL MAKE INQUIRY INTO SAD TRAGEDY Military and Civil Authorities Have Concurrent Jurisdiction in Matter Three officers were arrested late Wednesday afternoon on charges of voluntary manslaughter, in connection with the killing of Frank G. Browder, 83, Confederate veteran, who was struck dead by a low flying plane yesterday morning in a cotton field four miles east of Montgomery. The officers arrested are Lieutenants A. J. Lehman, J. C. A. Dennison and Claire Stroh. They are being held in custody at the field under orders of Major H. H. C. Richards, pending courtmartial. Date for the courtmartial has not been set, but will probably be decided upon today with the arrival of Inspector General Wagner from Atlanta, to further investigate the affair. Informal request for Lieut. Lehman was made Wednesday night by Sheriff R. C. Phelps upon Major Richards. The request, however, was refused, Major Richards explaining that the men were already in custody and that, while a civil law had been violated, the act was also in violation of the military law. In such cases, it was explained, military and civic authorities have concurrent jurisdiction. Major Richards stated that he also wished to confer with Corps Area Commander Haygood before releasing the prison - [?] Two chains of evidence are linked with the charges against Lehman and Dennison, Major Richards said. The evidence against Stroh is not so strong, he stated. All three of the pilots were in the air Wednesday morning. The pilots were not questioned and upon being arrested, made no statements. Mechanics who accompanied the accused men on the flights, however, told the officers that they had no knowledge of the planes having struck any object, and that at no time did they fly low. The evidence against Dennison is based partly on a statement of a negro, Charlie Judkins, 605 North Union street, who told officers that a plane dipped down close above him Wednesday morning over the Ware's Ferry road. He said the plane bore the number " 10 " and which was identified as Dennison's machine. The records show that Dennison left the field at 9 o'clock and that he returned at 10: 15. The tragedy occurred between 8: 30 and 9: 10 according to Major Richards. Dennison's mechanic, Corporal Clarence C. White, admitted flying near Cook's station on the Ware's Ferry road, but maintained that the plane remained 1, 000 feet and higher during the flight. Lieut. Lehman left the field at 8: 50 o'clock, the records show in plane No. 1. He was accompanied by Sergeant Ray Francisco, who testified that they flew close in the vicinity of the tragedy, about the time Mr. Browder was killed. Sergeant Francisco denied that the plane ' swooped ' downward during the flight. It was intimated that other evidence was held against Lieut. Lehman, the exact nature of which was not revealed. ~ The only evidence against Lieut. Stroh, insofar as is known, is that he was in the air at the time and also flew eastward during the flight. Lieut. Lehman was brought before Sheriff Phelps Wednesday night at Maxwell field, but acting upon advice of his ' counsel, he refused to make any statement. Mr. Browder accompanied by his daughter, Mrs. B. S. Chapman, left his home, 812 Highland avenue at [?]
KLAN SUPPORTING JAMES E. WATSON WITNESS CHARGES
KLAN SUPPORTING JAMES E. WATSON WITNESS CHARGES Refusal to ' Go Down Line ' For Indiana Senator Cost Grand Dragon Position in Hooded Organization FORMER KLUX OFFICIAL WARNED ' GOOD DIE YOUNG ' Senate Probing Committee Turns Attention to Hoosier State Affairs CHICAGO, Oct. 20. - Ku Klux Klan support of Senators James E. Watson and Arthur Robinson, republicans of Indiana in their fight for re-election was testified to today before the senate campaign funds committee. Hugh P. Emmons of South Bend, Ind., a former exalted cyclops, declared he had been told by Klan officials that Walter Bossert, of Indianapolis had been removed as grand dragon for Indiana because he had refused " to go down the line " for Senator Watson in the present campaign. Emmons also charged that W. Lee Smith, of Evansville, Ind., appointed by Dr. Hiram W. Evans, imperial wizard, to succeed Bossert, had offered the witness $ 10, 000 if he would support the Watson candidacy. Asserting that he had declined this proffer, Emmons charged that Smith told him that if he turned " traitor, " he might " go down the line, " reminding him that " the good die young. " The former Indiana Klan official told the committee that he had been informed by Evans that the Klan owed a debt to Senator Watson because he had been instrumental in the seating of Senator Mayfield, democrat, Texas, described as one of " the best klansmen in the United States. " The imperial wizard was quoted further as saying that Senator Watson had " gotten to " Senator Moses, republican, New Hampshire, with reference to the seating of Mayfield. Relating that Evans visited South Bend shortly before the Indiana senatorial primary, Emmons declared Evans had told him that if a big majority were given Watson, it might be that he would become a presidential candidate. The witness related that Evans had said that should Watson reach the White House he would appoint as ambassador to Mexico William F. Zumbrunn, formerly of Kansas City and now of Washington who is general counsel for the klan. Evans, Emmons continued, described Zumbruhn as a person of great influence with United States senators and their wives. " He wines and dines with them, " Emmons said Evans had told him. Before opening its investigation of the Indiana situation the committee heard a vigorous disclaimer from Hugh S. Magill of Chicago, independent republican senatorial candidate in Illinois that any such sum as $ 300, 000 or $ 400000 was to be expended in his campaign against Frank L. Smith, regular republican nominee, and George E. Brennan, the democratic candidate. Asserting that he would not coun -
NOTED SOCIALIST LEADER SUCCUMBS; IS SILENT IN DEATH
EUGENE V DEBS NOTED SOCIALIST LEADER SUCCUMBS; IS SILENT IN DEATH End Comes to Activity of Outstanding Figure in American Political Life; Family at Bedside CHICAGO, Oct. 20. - (AP) - Eugene V. Debs, outstanding apostle of socialism in the United States, died in a suburban sanitarium tonight at 7: 44 o'clock. Mr. Debs would have been 71 years old had he lived until next November 5. He suffered a nervous breakdown a month ago and retired to the sanitarium in which he died. Because of his advanced years and heart disease, which had persisted virtually throughout his life, he offered but slight physical resistance when a turn for the worse occurred. Several weeks ago kidney disease developed as an added complication. He lapsed into a profound coma last Saturday and failed to recover consciousness. It was his will to live which stayed death, said the attending physicians, who also remarked upon the period of coma as very unusual. With the aged socialist leader at the end were his wife, Katherine, his daughter, Mary of Munice, Ind., a brother, Theodore, and two sisters Mrs. John Heinl, of Terra Haute, Ind., and Mrs. C. O. Meilloux of New York. At his bedside during his last moments also were socialist party leaders, including William H. Henry, the nationel executive secretary. Dr. H. O. Wiseman said Mr. Debs died peacefully, his strength gradually ebbing away. His death had been expected at any minute ior the past three days. Mrs. Louise H. Niblack, who had attended Mr. Debs almost continuously since Saturday told physicians the patient apparently suffered no pain whatever during his last days. Dr. Wiseman said death was due to chronic myocarditis, a heart affliction with which he had suffered for 25 years. Funeral services will be held at Terre Haute, Ind., Friday or Saturday, after which the body will be taken to Indianapolis to be cremated. The Terre Haute funeral services probably will be public, relatives said, although final arrangements have not been made. Debs five times was the nominee of the socialist party for the presidency. Twice he served prison terms as a result of his constancy to his principles
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