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· アルジェ(アルジェリア) · フランス語

L’Écho d’Alger

1926年10月5日付の『エコー・ダルジェ』第1面は、仏独和解を求める議論とその摩擦を並べて伝えた。諸紙の論評欄は『エール・ヌーヴェル』の論説を引き、仏独接近を両国にとって死活的な必要事であり、ヨーロッパ合衆国への第一歩だと論じる意見を紹介した。同じ論説は、シュトレーゼマンが戦争責任の論争を蒸し返したことを惜しんだ。ヴェルダン発の記事は、ゲルマースハイムを離れた第311砲兵連隊を市長が歓迎し、フランスの善意はドイツ側の誠実さ次第だと警告したことを報じた。ウィーン発の記事は、第1回汎ヨーロッパ会議の開幕、名誉議長の顔ぶれ、フランス代表団、ブリアンの電報を伝えた。

翻訳

仏独関係

諸紙の意見と論評

『エール・ヌーヴェル』紙より

仏独接近は必要である

シュトレーゼマン氏が演説の中で1914年の戦争の経済条項に触れたことを、非難するわけにはいかない。その一方で、紛争の責任をめぐる無益な論争を長引かせなかったならば、同氏はわれわれの見るところ賢明であっただろう。

仏独接近は、フランスにとってもドイツにとっても死活的な必要事である。仏独接近だけが、永続的な平和をわれわれに保証できる。仏独接近だけが、ヨーロッパ合衆国の建設の糸口を開くことができる。しかし、パリからベルリンへ通じる道の上に、両国政府がそれぞれ相手をくぐらせようとする「カノッサ」を置くのはやめよう。過去の出来事は忘却の中に葬ろう。そして互いの合意によって、仏独の二元的な対立を仏独の協力に置き換える契約を結ぼう。

『エクレール』紙より(エミール・ビュレ氏)

なぜ再び持ち出すのか

ゲルマースハイム事件のあと

ヴェルダン市長、第311砲兵連隊を歓迎

ヴェルダン、10月3日発 ― ゲルマースハイムを離れたばかりの第311砲兵連隊が、本日ヴェルダンに到着した。

市庁舎で催された歓迎会で、ヴェルダンの代議士兼市長シュレテール氏が、新たに着任した将兵への歓迎の辞を述べた。

同氏はドイツの国家主義的な示威行動に触れ、そうした示威行動は重大であり、それが明らかにする精神状態のゆえにわれわれは大いに憂慮している、と述べた。示威行動が示しているのは、勝利したとはいえ深く傷ついたフランスが昨日の敵に誠実に平和の手を差し伸べているまさにその時に、ドイツにはいまだに傲慢さと挑発の精神をまったく捨てていない市長たちや住民たちがいる、ということである。

「そうだ。フランスは誠実に、心から平和を望んでいる。しかしフランスがそうあり得るのは、同じく絶対的な誠実さで平和を望む国民に対してだけである。

「最悪の誤りとなるのは

汎ヨーロッパ会議

28か国が代表を送る

ウィーン、10月4日発 ― Gondeloff-Kallergi伯爵が組織した第1回汎ヨーロッパ会議が、昨日朝ウィーンで開幕した。名誉議長はベネシュ、Seippell猊下、カイヨー、スフォルツァ伯爵、ポリティス、Lœbenの各氏である。

開会演説を行ったのは、オーストリアの前首相Seippell猊下であった。

フランス代表団の主な顔ぶれは、元文部大臣イヴォン・デルボス氏と、著名な経済学者ドレジ氏である。

ブリアン氏の電報

ブリアン氏は電報を送り、開幕した会議に際して自ら出向けないことを遺憾とすると述べた。

汎ヨーロッパの旗

汎ヨーロッパの旗を形づくるのは

解説

ゲルマースハイムの発砲事件とランダウの軍法会議

ヴェルダン発の記事は、第311砲兵連隊の到着をゲルマースハイムでの「事件」の後日談として伝え、シュレテール市長がドイツの国家主義的な示威行動と現地の市長たちの「傲慢さ」を非難したと報じている。抜粋は事件そのものの経過を記していない。1927年1月3日付の米誌『タイム』によれば、フランス軍のルジエ中尉が1926年9月、占領下ラインラントのゲルマースハイムでドイツ市民1人を射殺し、2人を負傷させた。ランダウのフランス軍法会議は12月末、ドイツ人たちがステッキで襲いかかったため中尉は正当防衛で発砲したと認め、故殺の罪について中尉を無罪とした。負傷した2人には、一人に禁錮2年、もう一人に禁錮2か月の刑が言い渡され、ほかのドイツ人4人も有罪となった。ドイツ政府はフランス外務省に正式に抗議し、その後ドゥメルグ大統領が有罪となったドイツ人6人に恩赦を与えた。紙面はこの事件を和解の議論と並べて載せたが、事件はその後も数か月にわたって仏独間の争点であり続けた。

汎ヨーロッパ会議の成り立ち

ウィーン発の記事が伝える会議は、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が率いた汎ヨーロッパ運動の最初の大会である。紙面の「Gondeloff-Kallergi」は伯爵の名が崩れた表記である。運動は伯爵が1923年に出版した宣言書『パン・ヨーロッパ』から始まり、この本は統一されたヨーロッパ国家の構想を示した。汎ヨーロッパ連合の第1回大会は1926年にウィーンで開かれ、2000人の代議員が伯爵を中央評議会の議長に選んだ。伯爵はこの地位に1972年に亡くなるまで就いていた。小見出しの「28か国」は新聞が伝えた数字であり、2000人という代議員数は後年の伝記的記述による数字である。

名誉議長たちとブリアンの電報

記事はベネシュ、カイヨー、スフォルツァ、ポリティスらを名誉議長として挙げ、オーストリアの前首相が開会演説をしたと伝えている。紙面で「Seippell猊下」と印刷された人物は、イグナーツ・ザイペルである。クーデンホーフ=カレルギーは汎ヨーロッパ連合オーストリア支部の会長職をザイペルに打診し、ザイペルはためらわずに引き受けた。イタリアの反ファシスト政治家カルロ・スフォルツァも、汎ヨーロッパ構想を支持した政治家の一人であった。ブリアンは1926年の大会には電報を送っただけであったが、1927年には汎ヨーロッパ運動の名誉会長に選ばれた。フランス外相ブリアンは短い期間でこの運動に近づいたのである。

「ヨーロッパ合衆国」の構想とブリアンの1929年演説

『エール・ヌーヴェル』の論説は、仏独接近だけが「ヨーロッパ合衆国」の建設を始められると主張した。1926年10月の時点で、この主張は一新聞の意見であり、ウィーン会議に宛てたブリアンの電報の記事と同じ紙面に載った。同じ構想はその後フランス外交の中心に現れた。汎ヨーロッパ連合の支持者であったブリアンは、1929年9月5日にジュネーヴの国際連盟で連邦的なヨーロッパを訴える演説を行い、ヨーロッパの安全を確保して歴史的な仏独の敵対を解消することを目指した。1926年にウィーンへ欠席の電報を送ったブリアンは、3年後に同じ構想を国際連盟の場で取り上げたことになる。

原文

Les relations franco-allemandes

Les relations franco-allemandes Opinions et commentaires De l'ERE NOUVELLE Le rapprochement franco-allemand est une nécessité M. Stresemann ne saurait être blâmé d'avoir, au cours de son exposé, évoqué les clauses économiques de la guerre de 1914. Par contre, il eut été, à notre sens bien inspiré, en ne prolongeant pas d'inutiles polémiques sur les responsabilités du conflit. Le rapprochement franco-allemand est une nécessité vitale pour la France comme pour l'Allemagne. Lui seul peut nous assurer une paix durable; lui seul peut amorcer la constitution des Etats-Unis d'Europe. Mais ne déposons pas sur la route qui va de Paris à Berlin un «Canossa» par où chacun des gouvernements essayera de faire passer l'autre. Laissons l'événement du passé s'ensevelir dans l'oubli; et établissons, d'un commun accord, un contrat qui substituera, au dualisme franco-allemand, la collaboration franco-allemande. De l'ECLAIR (M. Emile Buré) Pourquoi remettre sur le tapis

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Après les incidents de Germersheim LE MAIRE DE VERDUN SOUHAITE LA BIENVENUE AU 311e D'ARTILLERIE Verdun, 3 octobre. - Le 311e régiment d'artillerie, qui vient de quitter Germersheim, est arrivé aujourd'hui à Verdun. Au cours d'une réception donnée à l'Hôtel de Ville, le député-maire de Verdun, M. Schleiter, a prononcé un discours de bienvenue aux nouveaux arrivants. Faisant allusion aux manifestations nationalistes allemandes, il a déclaré que de telles manifestations sont graves et qu'elles nous préoccupent grandement par l'état d'esprit qu'elles nous font découvrir. Elles nous révèlent qu'au moment où la France victorieuse, mais durement meurtrie, tend une main loyalement pacifique à l'adversaire d'hier, il y a encore en Allemagne des bourgmestres et des populations dont l'arrogance et l'esprit de provocation n'ont point désarmé. «Oui! la France est pacifique, loyalement et sincèrement; mais elle ne saurait l'être qu'envers des peuples qui aussi aspirent à la paix avec la même absolue sincérité. «Ce serait la pire des erreurs de

Le Congrès pan-européen

Le Congrès pan-européen VINGT-HUIT NATIONS Y SONT REPRESENTEES Vienne, 4 octobre. - Le premier congrès pan-européen organisé par le comte Gondeloff-Kallergi, dont les présidents d'honneur sont: MM. Bénès, Mgr Seippell, Caillaux, le comte Sforza, Politis, Lœben, s'est ouvert hier matin, à Vienne. Ce fut l'ancien Chancellier d'Autriche, Mgr Seippell, qui a prononcé le discours d'ouverture. Les principaux membres de la délégation française sont MM. Yvon Delbos, ancien ministre de l'Instruction publique, et Delaisi, économiste bien connu. UN TELEGRAMME DE M. BRIAND M. Briand a envoyé un télégramme dans lequel il déclare regretter de ne pouvoir faire le voyage à l'occasion du congrès qui a été inauguré. LE DRAPEAU PAN-EUROPEN Le drapeau pan-européen est fait de

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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