Il Piccolo
- ノイシュタットでフランス下士官が刺される
- トリエステにおけるバルドゥッツィ議員の働き
- イタリアとフランスの友好
1926年10月5日のイル・ピッコロは、プチ・パリジャン紙を引いたパリ発の記事で、ノイシュタットの混んだレストランで私服のドイツ人がフランス第12砲兵連隊のオーディグー軍曹に飲み物を勧め、妻を殺すつもりだと話した末に、口論もないまま軍曹の胸を短剣で刺したと伝えた。ブレシア発のファシスト党報道局の発表は、トゥラーティ書記長がトリエステ・ファッショの特別委員バルドゥッツィの働きとヴェローナ県連の方針を承認したと報じた。その後には、上下両院が11月に再開する見込みだという短い記事の書き出しが続いた。ロンドン発の記事は、チェンバレンとムッソリーニのリヴォルノ会談がフランスに向けたものではなく、イタリアとフランスの友好が英国の利益にかなうとするモーニング・ポストの社説を紹介した。この読み取りは三つの抜粋の一部を扱い、そのうち二つは文の途中までしか訳していない。
この版は一部しか読めない紙面から三つの抜粋を訳している。図書館のラベルと印が題字と右上の見出し部分を覆い、段の端が切れているため行末の語が欠けており、ノイシュタットとバルドゥッツィの記事は文の途中で終わっている。「ヴィルヘルムの活動に関する暴露」の行は、隣の記事からノイシュタットの記事に混じったものとみられる。解説はノイシュタット事件の背景にあるゲルマースハイムの出来事とバルドゥッツィ任命の理由を扱っておらず、その理由は確かめられた出典を得られなかったことにある。
翻訳
ノイシュタットでフランス下士官が刺される
ノイシュタットでフランス下士官が刺される ヴィルヘルムの活動に関する暴露 パリ発、4日 プチ・パリジャン紙はノイシュタットから、フランスの下士官が襲撃の犠牲になったと伝えている。昨日4時ごろ、第12砲兵連隊所属のオーディグー軍曹は、フリードリヒ通りのレストランで飲み物を飲んでいた。店内は客で混み合っており、客はみなドイツ人だった。突然、そのうちの一人で私服姿の男が立ち上がり、フランス人軍曹に近づいて、自分のグラスから飲むよう誘った。フランス人下士官は初め断ったが、このドイツ人のしつこさから逃れられそうにないと見て、ついに受け入れた。しかしドイツ人は彼を放っておかず、それどころか長い会話を始め、その途中でポケットから短剣を取り出した。男の言うところでは、その短剣はノイシュタット近郊の小さな集落ロンブレヒトに住む妻を殺すためのものだった。突然、何の説明もなく、二人の間にほんのわずかな口論も起きていないのに、ドイツ人はフランス人下士官の頭をつかんで後ろへ引き、心臓のあたりに短剣を突き刺した。一撃を加え――
トリエステにおけるバルドゥッツィ議員の働き
トリエステにおけるバルドゥッツィ議員の働き トゥラーティ議員が承認 ブレシア発、4日 国家ファシスト党報道局は次のように発表した。«国家ファシスト党書記長は、トリエステ・ファッショの特別委員バルドゥッツィ議員を迎え、同議員から、同県で行ってきた活動とトリエステのファシズムの現状について報告を受けた。トゥラーティ議員は状況を検討したうえで、特別委員の働きを承認した。トゥラーティ議員は続いてヴェローナ県ファシスト連盟の書記ムット氏を迎え、同氏から県内の党の状況について報告を受けた。トゥラーティ議員は行われた活動に満足の意を示し、その方針を承認した。 下院と上院は11月に再開の見込み ローマ発、4日 政府首班はパラッ――
イタリアとフランスの友好
……英国の利益に反しない ロンドン発、4日 モーニング・ポスト紙は今日、チェンバレン=ムッソリーニ会談とチェンバレン=ブリアン会談を取り上げた社説を掲げた。同紙は、自らが好んで紙面でたびたび論じてきた主題であるイタリアとフランスの友好を、再び取り上げている。同紙の目には、二つのラテン国家の結びつきは戦争の最も顕著な成果の一つと映っている。イタリアとフランスは共に戦い、その勇気によってヨーロッパと文明を救った。モーニング・ポストは続けてこう述べる。トワリー会談がイタリアとフランスの関係にいくらかの冷え込みをもたらしたと聞き、われわれはこのうえない遺憾の念を抱いた。この中傷的なうわさは否定され、ムッソリーニ=チェンバレン会談にフランスに向けた政治的行為を見て取れると考えた人々のほのめかしも、同じく否定された。いや、チェンバレンはフランス国民に対する陰謀を企てるためにリヴォルノへ行ったのではない。彼は、ヨーロッパの安全と平和がイタリアとフランスの友好にかかっていることを自覚している。英国はこの現実を念頭に置き、自国の利益がイタリアとフランスの友好関係の継続にあることを忘れていない。チェンバレンとムッソリーニは平和に背く陰謀を企ててはいない。
解説
アウグスト・トゥラーティとブレシア発の発表
バルドゥッツィの記事は国家ファシスト党報道局のブレシア発の発表であり、党書記長の「トゥラーティ議員」がトリエステの特別委員の働きを検討して承認したと伝えている。アウグスト・トゥラーティは1926年から1930年まで党書記長を務め、ムッソリーニの支配を固めることに力を貸した。トゥラーティは1924年から1934年まで下院議員でもあり、本紙が彼に議員の敬称を付けているのはこのためである。トゥラーティはブレシアを政治の本拠とし、同地のファッショで書記を務めていた。トリエステとヴェローナについての党の発表がブレシア発だったこともこの経歴と符合するが、ローマではなくブレシアから出た理由を紙面は説明していない。発表文は、トリエステの特別委員とヴェローナの県連書記という地方の責任者が全国書記長のもとへ報告に出向き、書記長がその活動と方針を承認するという関係を示している。紙面は、バルドゥッツィが特別委員に任命された理由や、彼の働きが収めようとした地元の対立の中身を説明していない。
チェンバレンとムッソリーニの会談の形
ロンドン発の記事が紹介したモーニング・ポストの社説は、オースティン・チェンバレンとムッソリーニがリヴォルノで行った会談を取り上げており、この会談は二人の一連の非公開会談の一つだった。チェンバレンは1924年11月から1929年6月まで英国の外相を務めた。歴史家ピーター・エドワーズはチェンバレン文書と英伊の外交文書を調べ、この期間に二人が側近も通訳も同席させずに完全な非公開で五回会ったことを明らかにした。二人ともフランス語に堪能だったため、通訳は必要なかった。会談後に出た発表文は個人的な友情と政治的な一致を強調し、話し合った議題には具体的に触れなかった。リヴォルノ会談の中身は公表されなかったので、チェンバレンの意図についての社説の保証は会談内容の報告ではなく、好意的な英国紙の解釈である。本紙はその解釈を伝えた。
社説がフランスに対する陰謀を否定した理由
社説は、チェンバレンが「フランス国民に対する陰謀を企てるためにリヴォルノへ行ったのではない」と強調し、こうした会談がたびたび招いた疑いに答えている。エドワーズによれば、発表文があいまいだったため、秘密協定や打算的な取引のうわさが広く出回った。ムッソリーニは、自分がイタリアの外交政策についてチェンバレンの承認を求めているという広い思い込みを、公に否定しなければならなかった。チェンバレンは、イタリアを再び訪れれば政治的な憶測を呼ぶため、1927年の休暇をスペインで過ごさざるをえなかった。エドワーズは史料を調べたうえで、そうした憶測の多くはひどく的外れだったと結論している。本紙の記事によれば、モーニング・ポストはリヴォルノ会談をトワリー会談と結びつけ、トワリー会談がイタリアとフランスの関係を冷やしたといううわさに遺憾を示し、そのうわさを既に否定された中傷だと述べた。イタリアとフランスの友好の継続が英国自身の利益だという見方は、本紙が伝えたモーニング・ポストの社説上の立場である。
原文
Sottufficiale francese pugnalato a Neustadt
Sottufficiale francese pugnalato a Neustadt Rivelazioni sull'attività di Guglielmo PARIGI, 4 Il Petit Parisien ha da Neustadt che un sottufficiale francese è stato vittima di un attentato. Ieri verso le 4, il sergente Audigou, appartenente al 12. o artiglieria stava bevendo una bibita in un ristorante della Friedrichstrasse. La sala era affollata di clienti tutti tedeschi. Improvvisamente uno di essi vestito in borghese si alzò e avvicinatosi al sergente francese lo invitò a bere nel suo bicchiere. Il sottufficiale francese rifiutò dapprima, ma vedendo che non sarebbe riuscito a liberarsi dalle insistenze del tedesco finì per accettare. Il tedesco però non lo lasciò in pace, anzi impegnò con lui una lunga conversazione nel corso della quale trasse di tasca un pugnale, destinato, a quanto disse ad uccidere la moglie, abitante a Lonbrecht, piccola località nei dintorni di Neustadt. D'improvviso, senza alcuna spiegazione, senza che il minimo diverbio fosse sorto fra di essi, il tedesco afferrò il capo del sottufficiale francese, lo trasse indietro e gli conficcò il pugnale nella regione del cuore. Fatto il col -
L'opera dell'on. Barduzzi a Trieste
L'opera dell'on. Barduzzi a Trieste approvata dall ' on. Turati BRESCIA, 4 L'Ufficio stampa del P. N. F. comunica: «Il segretario generale del P. N. F. ha ricevuto l'on. Barduzzi, Commissario straordinario del Fascio di Trieste, dal quale ha avuto relazione sulla azione da lui svolta in quella provincia e sull'attuale condizione del Fascismo triestino. L'on. Turati, esaminata la situazione, ha approvato l'opera del Commissario straordinario. L'on. Turati ha ricevuto poi il segretario della Federazione provinciale fascista di Verona, sig. Mutto, che gli ha riferito sopra la situazione del Partito nella provincia. L'on. Turati si è compiaciuto della azione svolta approvandone le direttive. La Camera e il Senato si riaprirebbero in novembre ROMA, 4 Il Capo del Governo ha ricevuto a Palaz -
L'amicizia fra Italia e Francia
non contrasta con gli interessi britannici LONDRA, 4 Oggi la Morning Post dedica un articolo editoriale ai convegni Chamberlain-Mussolini e Chamberlain-Briand. Il giornale riprende il tema da lui stesso preferito e più volte discusso nelle sue colonne: l'amicizia italo-francese. L'unione delle due nazioni latine appare agli occhi del giornale uno dei più salienti risultati della guerra. L'Italia e la Francia hanno combattuto insieme salvando col loro valore l'Europa e la civiltà. La Morning Post continua: Abbiamo udito col più grande rammarico come il convegno di Thoiry avesse portato qualche freddezza nei rapporti fra l'Italia e la Francia. Tale voce calunniosa è stata smentita e così pure è stata smentita l'insinuazione di coloro che nel colloquio Mussolini Chamberlain credettero di poter vedere un atto politico rivolto contro la Francia. No, Chamberlain non si è recato a Livorno per ordire trame contro la nazione francese. Egli è conscio che la salvezza e la pace d'Europa dipendono dall'amicizia dell'Italia e della Francia. L ' Inghilterra tenendo presente questa realtà non dimentica che il proprio interesse risiede in una continuazione degli amichevoli rapporti italo-francesi. Chamberlain e Mussolini non ordiscono intrighi contro la pace.
紙面の出典:Source: Internet Archive