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· ブエノスアイレス(アルゼンチン) · スペイン語

Crítica

1926年10月5日の『クリティカ』紙のこの面は、二つの事件を伝えた。ポラックという男性の殺害事件について、同紙は遺体発見現場にデ・ラ・クエスタ警視と自紙の警察担当記者がいたところへ、ベジャ・ビスタ分署のミゲル・キアッパレ警部が重要な情報を持ち込んだと報じた。同紙は語り手が医師から聞いた話として、ライトを消した謎の自動車が橋の上に残されていた様子も載せ、マタンサスの貸切車に関する記載も並んだ。別の速報は、クロット州知事の政府で大臣を務めたオラシオ・バレラがインテンデンテ・アルベアル広場のベンチで青酸カリを飲んで自殺し、判事と警察署長に宛てた手紙を残したと伝えた。同紙はこの速報で1926年を「青酸カリの年」と呼んだ。この読み取りは3面に続くポラック事件の本記を含まない。

この版は、複数の段が混ざった読み取りの悪いOCRから選んだ三つの抜粋を部分的に読んだものである。斜体の前文、端で切れた左段、「Los asesinos desaparecen」の段は使っておらず、3面に続くポラック事件の本記は提供されていない。ポラック事件の二つの抜粋は文の途中で切れており、「Matanzas 30 alquiler」の断片は印刷どおりに訳出している。警部の名前は紙面でChiappareとChiapporeの二通りに記されている。印刷された年の最後の数字は汚れで一部隠れている。参照した資料は、ポラック事件の捜査の結末、バレラの経歴と担当省庁、ライの事件とセンテナリオ大通りの事件、パンド博士の人物像を確認していない。

翻訳

警察が手がかりをつかむ

本日正午を少し過ぎたころ、デ・ラ・クエスタ警視が他の警察官数名と本紙の警察担当記者一名を伴い、ポラックの遺体が発見された現場で調べを進めていたところへ、ベジャ・ビスタ分署のミゲル・キアッパレ警部が到着し、きわめて重大な情報をもたらした。その情報はおそらく ミゲル警部

犯人ら逃走

続いて医師が私に語ったところによると、彼は車の特徴を書き留めたあと自分の自動車に乗り、ベジャ・ビスタへ向けて走り出した。100メートルに達する少し手前で彼はいくらか速度を落とし、ほとんど本能的な好奇心に駆られて、橋の灯火の明かりの中に誰かが姿を見せていないかと振り返った。誰の姿も見えなかった。橋の上には、ライトを消した謎の自動車が闇に包まれたまま残っていた。マタンサス 30 貸切 - - 「知らせを聞いて私がまず考えたのは」とキアッポレ警部は付け加える。「何かつまらない理由で運転者のいなくなった車などではまったくなく、それは

青酸カリが目下の強迫観念

ホセ・カミロ・クロット博士の政府で大臣を務めた人物が、今日の午後、青酸カリの溶液を飲んで自ら命を絶った。疑いなく、青酸カリは流行している。それはその発見者であるパンド博士のおかげである。昨日はライの事件だった。続いてセンテナリオ大通りの悲劇の男女の事件があった。そして今度は、れっきとした名士である元大臣が、広場で平然と致死の溶液を飲むのだ!…… 1926年を、我々は歴史の中で「青酸カリの年」と呼ばねばなるまい。本紙は8面でこの重大事件を詳しく扱っている。自殺したのはオラシオ・バレラ氏である。彼は午後1時20分、インテンデンテ・アルベアル広場のベンチで死を求め、2通の手紙を残した。1通は判事宛て、もう1通は管轄署の署長宛てである。

解説

クロット州政府と元大臣オラシオ・バレラ

速報はオラシオ・バレラをホセ・カミロ・クロット博士の政府の元大臣としてだけ紹介しており、バレラの立場を知るにはクロットの経歴が手がかりになる。クロットは急進市民連合の創設に関わった政治家であり、1909年から1918年まで同党の党首を務めた。クロットは1918年5月1日にブエノスアイレス州の政府を率いる知事に就任し、1921年にイポリト・イリゴージェン大統領との意見対立から辞任した。紙面の記述が正しければ、バレラが閣僚を務めた時期はこの3年間に収まり、その政府は知事とイリゴージェンの対立によって終わったことになる。その場合、バレラは1926年10月の時点で職を離れて少なくとも5年はたっていたことになる。参照したクロットの経歴資料は閣僚の名を挙げていないため、バレラの在任を示すのは紙面の記述だけであり、紙面も担当省庁や在任期間を記していない。

『クリティカ』の紙面づくりと「青酸カリの年」

『クリティカ』はナタリオ・ボターナが率いた大衆紙であり、ブエノスアイレス市の歴史地区案内は同紙を扇情的な論調をもち国内有数の売れ行きを誇った新聞として紹介している。同案内によれば、同紙は1日に30万部を刷ることもあった。同案内はまた、同紙が当時前例のない様式で一面に大見出しを掲げ、挿絵を多く使ったと記している。バレラの速報もこの手法をよく示しており、同紙はライの事件、センテナリオ大通りの男女の事件、元大臣の死を一つの流行としてまとめ、感嘆符を添えて1926年を「青酸カリの年」と名づけた。ポラック事件の記事では、同紙の警察担当記者が警視とともに現場に立ち、証言が一人称の語りで伝えられている。「青酸カリの年」という呼び名と、パンド博士を青酸カリの「発見者」とする言い方は同紙自身の修辞である。参照した資料は、1926年に青酸カリによる事件が実際に増えたかどうかを確かめていない。

ポラック事件の舞台ベジャ・ビスタ

ポラック事件の記事ではベジャ・ビスタという地名が重要な役割を果たしている。決定的な情報はベジャ・ビスタ分署の警部がもたらし、同紙が証言を引く医師もベジャ・ビスタへ向けて車を走らせる途中で、橋の上の明かりのない車を振り返った。ベジャ・ビスタは大ブエノスアイレス北部の地区であり、現在はサン・ミゲル郡に属している。この地区はラス・コンチャス川の別名でも知られるレコンキスタ川の北岸にあり、カンポ・デ・マヨ陸軍基地に接している。19世紀にこの町を設計したフランス人測量技師アドルフォ・スルドーは、ここを大きな別荘地だけで構成する避暑の町として構想した。この成り立ちは、記事が描く現場、つまり橋の灯火だけが照らす暗い道の様子とも矛盾しない。抜粋は橋の名前を挙げておらず、3面の本記はこの読み取りに含まれない。

原文

LA POLICIA TIENE UNA PISTA

Hoy poco después de mediodía, en circunstancias que el comisario De la Cuesta, acompañado por otros funcionarios policiales y uno de nuestros cronistas de policía se hallaba en el lugar donde fué encontrado el cadáver de Polack efectuando averiguaciones, llegó el oficial inspector Miguel Chiappare, de la subcomisaría de Bella Vista, quien proporcionó un dato de trascendental importancia, que quizás El oficial Miguel

Los criminales huyen

Refirióme, luego, el médico, que después de tomar las características del coche, subió a su automóvil emprendiendo la marcha hacia Bella Vista. Poco antes de los 100 metros, detuvo un poco el vehículo y en un arranque de curiosidad, casi instintivo, se dió vuelta pra ver si alguien asomaba al claro del foco del puente. No vió a nadie. En el puente quedaba el automóvil misterioso, sin luces, envuelto en sombras. Matanzas 30 alquiler - - Al enterarme de la novedad, lo primero que pensé - agrega el oficial Chiappore - era que lejos de tratarse de un coche sin gobierno, por cualquier motivo sin importancia, tratábase de

EL CIANURO ES LA OBSESION DEL MOMENTO

Un ex ministro del Gobierno del Dr. José Camilo Crotto se quitó esta tarde la vida, ingiriendo una solución de cianuro de potasio Indudablemente, el cianuro está de moda. Se debe al Dr. Pando, su descubridor. Ayer, fué el caso de Ray. Luego, el de la trágica pareja de la Avenida Centenario. Y, ahora, todo un personaje, un ex ministro, que en una plaza, bebe tranquilamente la solución fatal!... A 1926 tendremos que denominarlo, en la historia, el año del cianuro. En la página 8 nos ocupamos extensamente de este grave suceso. El suicida es el señor Horacio Varela. Buscó la muerte en un banco de la plaza Intendente Alvear, a las 13. 20, dejando dos cartas: una para un juez y otra para el comisario seccional.

紙面の出典:Source: Internet Archive / Biblioteca Nacional de la República Argentina

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