Le Figaro
- バスクの風景 1926
- 鉄鋼カルテル
- 海軍建艦の方針
1926年10月1日付のフィガロ紙で、アンドレ・モーロワは署名入りのエッセーを寄せ、フランス領バスク地方の新しい別荘が白壁や非対称の瓦屋根、彩色された梁といった農家の様式を写していることを称え、日常の言葉から文体を築く大作家になぞらえた。ブリュッセル発の記事は、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ドイツの国際鉄鋼カルテルが9月30日に調印されたと報じた。これに先立ち、ベルギーは月産割当を26万5000トンから29万5000トンに引き上げる要求を通していた。ラティエ提督は、軍艦を連続建造すれば同じ費用で3隻ではなく4隻を得られると論じた。そして、たび重なる建艦計画の変更がその実行を妨げていると指摘した。
これは部分的な読み取りである。確実に書き起こせたのは短い3つの箇所だけで、モーロワとラティエの抜粋は長いコラムの断片である。細かい活字、一部の人名や数字、画像の区切りで切れた文字は除いている。鉄鋼の記事は文の途中で途切れ、海軍の論説は文の途中から始まって途中で終わる。ネオ・バスク様式の別荘や1926年のフランス海軍の連続建造については、この読み取りでは背景を解説していない。
翻訳
バスクの風景 1926
[?] フランスのどの地方でも、新しい家々がこれほど調和よく古い村々に溶け込んでいるところはない。建築家たちが、この土地の素朴な様式を賢明にも写し取ったからである。別荘も農家も、同じ白い壁、同じ左右非対称の瓦屋根、同じむき出しの梁を持ち、梁は鉛丹の赤や国旗の青に塗られている。それらは互いに、微妙な差異によってしか違わない。贅沢な暮らしをする人々の家は、漆喰の上塗りがより新しい。そのチェックのカーテンは、おそらくより念入りに庶民風である。窓や玄関ポーチのいくつかの曲線は、より大胆である。だが、しきたりは守られてきた。まさにそのように、偉大な作家は、モリエールであれスタンダールであれ、いくつかの言い回しをわずかに移し替えるだけで、庶民の言葉から自らの文体を形づくるのである。
アンドレ・モーロワ
鉄鋼カルテル
鉄鋼カルテル
昨日結成され、本日発効する
ブリュッセル発、9月30日 ― 本日午前、ブリュッセルで、鉄鋼カルテルの締結に関わる4か国、すなわちフランス、ベルギー、ルクセンブルク、ドイツの代表者会議が開かれた。議論はもっぱらベルギー側の要求をめぐって行われた。周知のとおり、ベルギー産業界は、割り当てられていた月産26万5000トンに代えて、29万5000トンを要求していた。ベルギーはその主張を認めさせた。署名はこの
海軍建艦の方針
同じ造船所によって連続建造される。同様の支出で、一方の場合には3隻、もう一方の場合には4隻が得られることになる。
⁂
海軍は、連続建造の利点を見誤っているわけでは決してない。その技術者たちは、あらゆる利点を承知している。だが、理論から実践へ移る段になると、彼らは上からも下からも妨げられるのである。上からとは、あまりにも頻繁な計画変更であり、それは……に付きものの
ラティエ提督
解説
ブリュッセル鉄鋼カルテルの成り立ちとベルギーの割当の意味
フィガロ紙のブリュッセル発記事は、数か月に及んだ交渉の最終段階を伝えている。フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ドイツの代表が9月30日に会合し、議論はベルギーの要求に絞られた。ベルギーの月間割当が26万5000トンから29万5000トンに引き上げられたうえで、署名が交わされた。日付は史実と一致する。国際鉄鋼協定(Entente internationale de l'acier)は1926年9月30日に成立した。運営にあたったのはドイツ、フランス、ベルギー、ルクセンブルクの業界代表からなる評議会で、記事が挙げた4つの国と同じである。ベルギーが要求を通したという報道は、のちの割当配分の説明とも合致する。ドイツの割当は生産量の比率より低く、ベルギーの割当は逆に比率を上回るよう定められた。これは政治的理由による選択だった。その説明は不均衡を述べるだけでトン数は示しておらず、26万5000トンと29万5000トンという数字は同紙独自のものである。
カルテルの狙いと早くも生じたひずみ
記事はカルテルを決着済みの事柄として扱っているが、1926年当時、それには政治的な期待も託されていた。グスタフ・シュトレーゼマンは、他の産業部門も「国境にとどまることなく」鉄鋼業の例に続くことを望んだ。この協定は、ドイツの国際連盟加盟に伴う高揚感の中で結ばれた。割当を守らせるため、各国グループは割当を超えて生産した1トンごとに4ドルをカルテルに支払う義務を負った。この仕組みはまもなく圧力にさらされた。1926年9月から12月にかけて、ドイツは割当を9〜25%上回った。1927年初めには、ドイツの鉄鋼業者が割当の見直しを声高に求め、協定からの離脱をちらつかせていた。フィガロ紙が9月30日に決着したと伝えた割当交渉は、争いの終わりではなく、不安定な取り決めの始まりだったのである。
バスクの別荘を書いたアンドレ・モーロワとは誰か
バスクをめぐるエッセーの筆者はアンドレ・モーロワで、結びでモリエールやスタンダールを引き合いに出す点に、建築を眺める文学者の視線がうかがえる。モーロワはエミール・エルゾークの筆名で、1885年にエルブフで織物業者の息子として生まれた。第一次世界大戦中は通訳、次いで英国軍との連絡将校を務めた。その経験をもとにした最初の小説『ブランブル大佐の沈黙』(1918年)は、フランスでたちまち成功を収めた。1926年までにはシェリーの伝記『アリエル』(1923年)も出していたが、アカデミー・フランセーズ会員に選ばれるのは1938年のことである。エッセーの主張は彼自身のもので、優れた新しい建物は優れた文体と同じく、土地に根ざした庶民的な形から生まれるというものだった。これは美学上の見解であり、バスク建築の調査報告ではない。
原文
PAYSAGES BASQUES 1926
[?] En aucune région de la France les maisons neuves ne s'unissent aussi harmonieusement aux vieux villages. C'est que les architectes ont eu la sagesse de copier le style rustique du pays. Villas et fermes ont les mêmes murs blancs, les mêmes toits de tuiles dissymétriques, les mêmes poutres apparentes, peintes en rouge minium, en bleu drapeau. Elles ne diffèrent les unes des autres que par de subtiles nuances. Les maisons des gens de luxe ont un crépi plus frais; leurs rideaux à carreaux sont peut-être plus studieusement populaires; quelques courbes de fenêtres et de porches sont plus hardies. Mais l'usage a été suivi. Ainsi le grand écrivain, Molière ou Stendhal, transposant à peine quelques phrases, forme son style du langage vulgaire.
LE CARTEL DE L'ACIER
LE CARTEL DE L'ACIER Il a été constitué hier et entrera en vigueur aujourd'hui BRUXELLES, 30 septembre. - Ce matin a eu lieu, à Bruxelles, la réunion des délégués des quatre pays, France, Belgique, Luxembourg, Allemagne, intéressés à la conclusion du cartel de l'acier. La discussion a porté exclusivement sur les revendications belges. On sait que l'industrie belge a réclamé 295. 000 tonnes de production mensuelle au lieu des 265. 000 qui lui avaient été attribuées. La Belgique a obtenu gain de cause. Les signatures ont été échangées ce
UNE POLITIQUE DE CONSTRUCTION NAVALE
en série par le même chantier. Pour une dépense semblable, dans un cas: on aura trois unités; dans l'autre: quatre. ⁂ La marine est loin de méconnaître les profits de la construction en série. Ses ingénieurs en savent tous les bénéfices; mais lorsqu'il s'agit de passer de la théorie à la pratique, ils en sont empêchés en haut et en bas. En haut: ce sont les trop fréquentes variations de programme inhérentes