Crítica
- 英国人クリアリー、ついに口を開く
- 政治と犯罪
- 警察、いま大々的な活動を展開
1926年10月1日付の『クリティカ』は、ビセンテ・ロペスで起きたライ医師殺害事件を引き続き大きく扱った。記者は取材を拒み続けていた英国人クリアリー氏にようやく話を聞き、使用人アンヘラ・ビジャルバの供述が生んだ問題の重大さを説いたうえで、アルゼンチン生まれながら英国で育った妻はサクソン流の習慣を守り、家の使用人と話すのに必要な程度しかスペイン語を話さないという氏の言葉を伝えた。社説は、報道の節度を説いてきたある新聞が事件を次の選挙の材料と見なし、予審記録にあるマリア・ポエイの半生を全文掲載したと非難した。別の記事は、首都と州の捜査員がサンティアゴ警視の執務室に集まり、警視が盗賊を追っていると記者に語ったことを報じた。
一面の3つの断片の部分的な読み取り。OCRは無関係な段を混ぜ合わせており、3つの抜粋はいずれも段や画像の境界で切れて文の途中から始まり、文の途中で終わる。「[?]」と「……」はこうした切れ目を示す。社説断片の末尾にある「DESPLIEGA LA」は次の見出しの冒頭で、その見出しは3番目の抜粋として全文を掲げているため、社説の翻訳では繰り返していない。題字のある左上部分は折り目で損傷している。「政治と犯罪」の判読できる本文は、攻撃相手の新聞名を挙げていない。欠落部分の復元は行っていない。
翻訳
英国人クリアリー、ついに口を開く
[?]……この市内の事務所。取材に対する彼の拒絶はほとんど揺るがない。われわれはまず、彼の使用人アンヘラ・ビジャルバの供述によって生じた問題が、どれほど重大で深刻なものであるかを、あますところなく彼に説かねばならなかった。そのビジャルバもまた、記者と関わることを望んでいない。ようやく彼は、シャレー風の邸宅の一階にある食堂へわれわれを通してくれる。クリアリー氏本人と同じく、飾り気のない食堂である。取材のなかで、氏はわれわれにこう語った。
「妻はアルゼンチン人ですが、ごく幼いころからイギリスで育てられました。ですからサクソン流の習慣をすべて保っていて、スペイン語は家の使用人と意思を通じるのに欠かせない程度しか話さないほどなのです」[?]
政治と犯罪
……投獄されることを。社会環境と教育の産物である一人の女性が、他人の犯した罪の責任を負わされることなど、意に介さなかった。「この件は次の選挙に利用できる」――それが唯一の考えだった。
こうして、報道の節度を説くことに明け暮れ、「警察記事の食い物化」に憤然と抗議の声をあげてきた新聞が、予審記録に記載されたマリア・ポエイの半生についての、スキャンダラスで猥褻な物語――最悪の読者の最も汚らわしい好奇心を満たすためのもの――を、一字一句すべて、しかも他紙に先駆けて掲載し、皆に範を示すことを何らためらわなかったのである。……
警察、いま大々的な活動を展開
……は、ならず者たちの中に探し求めるべきだ」
「“スクルチャンテ”(押し込み盗)だ」
午前中ずっと、捜査部の庁舎では今日、並々ならぬ動きが見られた。首都と州の捜査員が次々と到着し、この捜査のあらゆる活動の軸となっているサンティアゴ警視と協議した。
すでに詳しく報じたとおり、この件で目覚ましい働きを見せている州警察のマンチョ警部は、朝早くサンティアゴ氏の執務室を訪れ、長時間にわたって会談し、自らの調査の進み具合を報告した。
サンティアゴ語る
今朝もまた、記者たちはサンティアゴ警視を質問攻めにした。
「われわれは積極的に動いている」と彼は言う。「盗賊を見つけ出すため、そして……」
解説
隣家の女中の証言がクリアリー氏を記事にした理由
クリアリー氏のインタビューは、1926年9月末の捜査状況を踏まえると理解しやすい。医師で町議会議員のカルロス・ライは9月10日、ビセンテ・ロペスの自宅で撃たれて死亡し、同居していたマリア・ポエイは覆面の男2人が発砲して逃げたと供述した。事件の後年の記録によれば、隣家の女中アンヘラ・ビジャルバは、ポエイが窓から叫んでいる間に2人の男が逃げるのを見たと話したが、雇い主からは関わり合いを避けるため何も言うなと指示されていた。紙面はその雇い主を英国人クリアリーとし、使用人の供述が生んだ「問題の重大さ」を説いてようやく口を開かせた、消極的な証人として描いている。英国で育ちサクソン流の習慣を守り、スペイン語をほとんど話さない妻についての発言は紙面が伝える本人の言葉であり、地元の生活や言葉から距離のある家庭の姿を示すことで、記者が障害とみなした沈黙の背景を説明する形になっている。女中の証言と雇い主の口止めは独立した記録で裏づけられるが、クリアリー家の人物描写は紙面自身のものである。
新聞ごとに割れた殺人事件の見方
社説「政治と犯罪」は、ライを殺したのは誰かをめぐる新聞同士の争いの一部である。事件の後年の記録によれば、『ラ・ラソン』と『ウルティマ・オラ』はマリア・ポエイ有罪説を支持し、『クリティカ』は殺害を強盗未遂とみるエドゥアルド・サンティアゴ警視の見立てを支持した。ポエイを「冒険的で節操のない女の典型」と書いた新聞もあった。事件にははじめから政治がからんでいた。ライはビセンテ・ロペスの町議会議員で、当時の与党の一派である反個人主義派急進党に加わって地元政治で活動しており、同じく拘束されたホセ・ペレイラも同僚の議員だった。判読できる社説の断片は攻撃相手の新聞名を挙げておらず、どの競合紙を指したのかはこの紙面からは確定できない。一方で、この断片からは、『クリティカ』がポエイを「社会環境と教育の産物」であり「他人の罪」を負わされた女性として擁護し、節度を説く競合紙が予審記録の彼女の半生を「一字一句」掲載し、事件を次の選挙の観点から計算していると非難していたことが読み取れる。
首都の捜査官と州の事件
警察の記事には管轄の重なりが表れている。ビセンテ・ロペスはブエノスアイレス市に隣接するブエノスアイレス州に属し、事件はラ・プラタに拠点を置く刑事裁判所のフリオ・M・ファシオ判事が担当していた。ところが紙面が描く捜査の中心は、後年の記録が首都の警察(記録では「連邦警察」と表記)の捜査部長とするサンティアゴ警視であり、州警察のマンチョ警部がその執務室へ報告に訪れている。時期も重要である。判事は、解剖で青酸化合物(シアン化物)が検出されたとの報告を受けてポエイ、ペレイラと使用人らの拘束を命じていたが、この号の2日前の9月29日、大学の化学系学部の委員会による報告が判事のもとに届き、シアン化物の痕跡はないと結論づけた。この結果は拘束の根拠だった毒殺説を揺るがし、『クリティカ』が推す強盗説に重みを与えた。両管轄の捜査員がサンティアゴのもとに集まり「盗賊」を追うという紙面の描写は、こうした流れの中にある。
盗賊の追跡はどこへ行き着いたか
サンティアゴが追っていた強盗の線は、最終的に容疑者を浮かび上がらせたが、それは時間がかかり、すっきりした決着でもなかった。事件の記録によれば、1926年12月、ブエノスアイレスで別の強盗未遂を起こして重傷を負い逮捕されたビクトル・アンティアが、共犯者2人とライ殺害に加わったと自供し、警察は盗品の一部を発見した。12月30日、ポエイとペレイラは90日間の拘束を経て釈放された。しかし事件はそこで終わらなかった。共犯者らは後に、自白は警察の拷問で引き出されたとして供述を撤回し、ファシオ判事は警察の調書に不備を見いだして、1927年11月7日、彼らの釈放、警察官数人の訴追、そしてポエイとペレイラの再拘束を命じた。これに対し控訴院は再拘束を取り消してポエイとペレイラを免訴とし、男たちへの訴追は継続させ、警察官の訴追は取り消した。この紙面が伝える活発な捜査は、その手法自体がのちに司法の検証を受けることになる捜査の初期段階だったことになる。
原文
Por Fin Habló el Inglés Cleary
[?] critorios en esta ciudad. Su resistencial reportaje es casi inquebrantable; de bimos antes significarle toda la enorme transcendencia y gravedad del problema creado por las declaraciones de su sirvienta Angela Villalba, que no desea, tampoco, entenderse con periodistas. Finalmente, nos hace pasar al comedor, ubicado en la planta baja del chalet. Un comedor sobrio, como el mismo señor Cleary, quien en nuestra entrevista nos expresó: - Mi esposa, aunque argentina, fué desde muy pequeña criada en Inglaterra. Conserva pues todas las costumbres sajonas, y tan es así que habla español solamente lo imprescindible para entenderse con el servicio de la casa. [?]
La política y el crimen
fuera encarcelado. Que una mujer, fruto del medio social y de la educación fuera responsabilizada de crímenes ajenos, no le preocupó. " El asunto se puede aprovechar para las próximas elecciones ", es la única reflexión que se hizo. De esta manera, el diario que se pasa la vida hablando de austeridad periodística y alzando airadas protestas contra " la explotación de la nota policial " no ha tenido inconveniente en dar el ejemplo a todos publicando íntegramente, letra por letra y antes que nadie, el relato escandaloso y pornográfico de la vida de María Poey consignado en el sumario y destinado a satisfacer las más sucia curiosidad del peor público. DESPLIEGA LA
DESPLIEGA LA POLICIA AHORA GRAN ACTIVIDAD
deben buscarse entre los maleantes " SON SCRUCHANTES " Durante toda la mañana, en las oficinas de la División Investigaciones se observó hoy extraordinaria actividad. Continuamente llegaban pesquisantes de la capital y de la provincia, quienes conferenciaban con el comisario Santiago, eje sobre el cual giran todas las actividades en esta pesquisa. El subcomisario Mancho, de la provincia, que, como lo hemos informado ampliamente, tiene destacada actuación en este asunto, concurrió en las primeras horas de la mañana al despacho del señor Santiago, con quien tuvo una larga entrevista y a quien informó acerca de la marcha de sus averiguaciones. Habla SantiagoUna vez más los periodistas acosaron a preguntas esta mañana al comisario Santiago. Estamos trabajando activamente - dice-para dar con los ladrones y has
紙面の出典:Source: Internet Archive / Biblioteca Nacional de la República Argentina