Evening Star
- 自動車転落でA・S・ウィリアムズ大佐死亡 バトラーが告発した人物
- フロリダ州知事が救援を妨害とペイン氏が非難
- ピウスツキ、ポーランド首相に就任
1926年10月1日付イブニング・スター紙の第1面は、サンフランシスコ発AP電として、春にサンディエゴでスメドリー・バトラー将軍の告発による「カクテル」軍法会議にかけられた海兵隊の募兵責任者アレクサンダー・S・ウィリアムズ大佐が、ボヘミアン・クラブで夕食をとると妻に告げて出かけた夜の後、運転する車ごと湾に転落して溺死したと伝えた。同じ面には、赤十字のジョン・バートン・ペイン議長が、冬の観光シーズンを守りたいフロリダの当局者と不動産業者が9月18日のハリケーン被害を小さく見せ、救援を妨げていると非難した記事も載った。マイアミで赤十字の報告を検閲にかけようとする要請があったことも報じた。ワルシャワ発の記事は、5月のクーデターを率いながら表舞台から退いていたピウスツキ元帥が、バルテル内閣の総辞職を受けて首相に就いたと伝えた。本稿が扱うのはこの3本の抜粋で、各記事の続きの部分は含まない。
翻訳
自動車転落でA・S・ウィリアムズ大佐死亡 バトラーが告発した人物
春、将軍を招いた宴席での酩酊をめぐって
AP通信
サンフランシスコ、10月1日発――海兵隊西部地区の募兵責任者で、去る4月にサンディエゴで開かれた有名な「カクテル」軍法会議で被告となったアレクサンダー・S・ウィリアムズ大佐が、今朝未明、自ら運転していた箱型の自動車がサンフランシスコ湾に突っ込み、当地で溺死した。
ウィリアムズ大佐の遺体は死体安置所に運ばれ、ウィリアムズ夫人が本人と確認した。それ以前にも、将校や新聞記者、友人たちが、写真や印章付きの指輪、財布の中の書類から、仮に本人と確認していた。
ウィリアムズ夫人によると、夫は昨日午後5時ごろ家を出る際、友人数人とボヘミアン・クラブへ夕食に行くと話していた。夫人の話では、夫は昨夜9時に電話をかけてきて、とても楽しく過ごしている、帰宅は明け方になると言ったという。
車が突然進路をそれる
夫人によれば、夫は夜遅くに出かけたときは、照明が明るく、また市内の道に不案内だったため、たいていエンバーカデロを通って車で帰宅していた。夫人は、夫が車の制御を失ったか、何かに視界を遮られたに違いなく、そのために車が湾に突っ込んだのだと考えている。[?]
フロリダ州知事が救援を妨害とペイン氏が非難
[?]フロリダ州の当局者たちは「知事以下」、また不動産業者たちも、繁忙な冬のシーズンを目前に観光業が台無しになることを恐れて、先のハリケーンがもたらした被害を小さく見せようと躍起になっており、9月18日のハリケーンで最もひどい被害を受けた人々に救援を届けようとする米国赤十字の取り組みを深刻に妨げている――赤十字理事会議長のジョン・バートン・ペイン判事は今日、バージニア州リッチモンド支部長のC・C・ピンクニー氏にあてたメッセージで、こう非難した。
「被災した貧しい人々は、フロリダのホテル業や観光業よりも軽んじられている」とペイン判事は断言した。「それでも赤十字は前進し、同じようにこの仕事をやり遂げねばならないし、誰もが協力すべきだ。現地のわれわれの職員は、サンフランシスコの大災害以来最大の窮状だと報告しており、5,000戸の家屋が全壊し、18,000世帯が困窮している。赤十字の援助は損失ではなく、実際の必要性のみに基づいて行われる」
回状が照会のきっかけに
このメッセージは、ペイン判事がピンクニー氏から電信で受けた照会に促されたものだった。ピンクニー氏はその中で、マイアミの暴風被害についてひどく誇張された印象が作り出されており、実際には「粗末な造りの家が何軒か吹き倒され、ハウスボートが何隻か失われた」だけだと主張する回状が、このバージニアの都市で配布されていると述べていた。
同時に、マイアミの有力者たちが、現地の赤十字職員に対し、ワシントンの全国本部に送られ、報道機関に公表される可能性のあるすべての情報と報告を、このフロリダの都市にいる検閲官に提出するよう求めていたことも明らかになった。
ピンクニー氏の電報は、マイアミはこの冬も例年どおり訪問客を受け入れる、と付け加えていた。[?]
ピウスツキ、ポーランド首相に就任
[?]ポーランド・ワルシャワ、10月1日発――ジョゼフ・ピウスツキ元帥は今日、昨夜チャールズ・バルテル氏の辞任によって空席となったポーランド首相の職を受諾した。
ピウスツキ元帥は長くポーランドの国政で重要な役割を演じ、去る5月にはヴィトス政権を倒したクーデターの指導者だったが、この数カ月はポーランド政界のやや後景に退いていた。この数カ月は、バルテル内閣と国会との対立が目立った時期だった。
5月にヴィトス政権が倒され、チェホフスキ大統領が追放されると、ピウスツキ元帥はポーランドの全面的な独裁者となったが、国家の最高行政職に就く意思はないことをまもなく示した。彼は独裁制の提案を退け、続いて国会によって選出された大統領職の受諾も拒んだ。
名目上の行政職には就いていなかったものの、ピウスツキ元帥は依然として事実上国政の最高指揮を握り、昨日総辞職した内閣を率いたバルテル氏を首相に選んだ。元帥は同内閣で陸相の職に就き、軍の最高指揮権を掌握した。[?]
解説
「カクテル」軍法会議とその結末
紙面はウィリアムズを何よりも「カクテル」軍法会議の被告として紹介しており、その中身は当時の記事から補える。タイム誌は1926年5月31日号で、ウィリアムズが前週に判決を受けたと伝えた。サンディエゴで上官のスメドリー・D・バトラー准将をもてなしたある晩にカクテルを飲み過ぎたとして、有罪とされたのである。判決は軽かった。海兵隊司令官ジョン・A・ルジューン将軍が初犯を理由に寛大な処分を求め、その勧告に従って、准将への昇進を待つ大佐の序列で4つ順位を下げられるにとどまり、18番から22番になった。タイム誌は、これで昇進が半年から1年ほど遅れると見積もり、さらにその後ウィリアムズがサンディエゴからサンフランシスコに異動し、西部の募兵業務の責任者になったと伝えている。これはこの記事でスター紙が挙げている役職と同じである。つまり溺死した時点でウィリアムズはまだ海兵隊で勤務していた。軍法会議は彼の経歴を断ったのではなく昇進を遅らせたのであり、数カ月後になってもバトラーの告発と結びつけて語られていたことが、スター紙の見出しから分かる。
禁酒法下でバトラーが飲酒を告発した背景
見出しはバトラーを告発者として名指ししており、彼の経歴を見るとこの種の告発が彼と結びつけられた理由が分かる。バトラーは1924年1月から1925年12月まで、海兵隊を休職してフィラデルフィア市の公安局長を務め、禁酒法を厳しく執行した。就任から48時間以内に900を超えるもぐり酒場への手入れを指揮した。労働者向けの酒場だけでなく、リッツ・カールトンやユニオン・リーグのような上流階級が好む場所も取り締まった。その後の任地には、ウィリアムズが宴席を開いたサンディエゴの海兵隊基地も含まれる。バトラーは、有力者に対しても酒類の法律を執行する姿勢をすでに示していた。私的な宴席での飲酒を理由に同僚の上級将校を告発したことはこの行動様式に合っており、この事件が全国的な話題になったことや、数カ月後も報道がウィリアムズの名にバトラーの名を添え続けたことの説明にもなる。
1926年マイアミ・ハリケーンの規模と、被害を小さく見せる動機
ペインの非難は、今日分かっているこの暴風の規模と照らし合わせると評価しやすい。1926年の「マイアミ大ハリケーン」は9月18日、マイアミ中心部の約15マイル南にあるペリン付近に上陸した。米国赤十字によると死者は372人で、うち114人がマイアミ市内だった。ただし当初はマイアミだけで死者が1,000人を超えるとの推計も出ていた。家を失った人はおよそ43,000人で、大半がマイアミ周辺の住民だった。これらの数字は、粗末な家とハウスボートが少し失われただけだというバージニアの回状の主張を裏づけない。むしろ5,000戸が全壊し18,000世帯が困窮したとするペインの報告に近い。経済上の利害も現実のものだった。南フロリダは1920年代の土地ブームのさなかにあり、このハリケーンは現地のブームを終わらせた最後の一撃とみなされている。赤十字の報告を地元の検閲官に通させようとしたマイアミの「有力者」が誰なのか、スター紙は名前を挙げていない。しかしその要請は、被害の報道がホテル業や観光業を支える買い手や冬の訪問客を遠ざけるというペインの描いた懸念と符合する。
5月クーデター後のピウスツキの権力
ワルシャワ発の記事は、1926年5月以降、ピウスツキが国家の最高職に就かないまま実権を握るという異例の体制を描いている。5月12〜14日のクーデターは、スタニスワフ・ヴォイチェホフスキ大統領とヴィンツェンティ・ヴィトス首相が抵抗をあきらめて辞任したことで決着した。スター紙の「チェホフスキ」はヴォイチェホフスキの名が崩れたものである。その後、カジミェシュ・バルテル(紙面では「チャールズ」)を首相とする新政府が発足し、ピウスツキは軍事相に就いた。5月31日には国民議会がピウスツキを大統領に指名したが、彼は辞退し、最終的にイグナツィ・モシチツキが大統領になった。それでも実権はクーデター以来ピウスツキが握っていた。クーデター前、ピウスツキは国会(セイム)での絶え間ない権力の移り変わりを混乱した有害なものとみなしていた。この経緯を踏まえると、バルテル内閣と国会の対立が重要だった理由が分かる。ピウスツキは自ら首相を引き受けることで、自分が選んだ内閣の背後から表に出て、議会と対立していた政府を正式に率いることになった。1926年10月のこの就任は、彼が自ら率いた2つの政権(1926〜1928年と1930年)の最初の政権の始まりだった。彼は1935年に死去するまで、すべての政権で形式上も国防相を務め続けた。
原文
AUTO PLUNGE KILLS COL. A. S. WILLIAMS, ACCUSED BY BUTLER
Spring for Drunkenness at Party for General. By The Associated Press. SAN FRANCISCO, October 1. - Col. Alexander S. Williams, in charge of recruiting for the Marine Corps in the Western district, who figured as the defendant in the famous " cocktail " court-martial at San Diego last April, was drowned here early this morning when a closed car he was driving plunged into San Francisco Bay. Col. Williams ' body was taken to the morgue, where it was identified by Mrs. Williams. It had been previously tentatively identified by officers, newspaper men and friends from photographs, a signet ring and papers in his wallet. Mrs. Williams said that on leaving home about 5 p. m. yesterday her husband told her he was going to the Bohemian Club with some friends for dinner. She said he telephoned her at 9 o'clock last night that he was having a wonderful time and that he would not be home until an early hour in the morning. Car Suddenly Swerved. She said that when her husband was out late he usually drove home by way of the Embarcadero, as it was well lighted and he was not well acquainted with the city's streets. She believes he must have lost control of the car or that his vision was obstructed by something, causing the car to plunge into the bay. [?]
FLORIDA GOVERNOR HAMPERING RELIEF, CHARGE OF PAYNE
[?] The officials of Florida, " from the governor down, " and the real estate operators, anxious to minimize the damage wrought by the recent hurricane for fear that the tourist business will be ruined with the busy Winter season at hand, have seriously handicapped the American National Red Cross in its efforts to provide relief for those who suffered most in the hurricane of September 18, Judge John Barton Payne, chairman of the governing board of the Red Cross, charged today in a message to C. C. Pinckney, chairman of the Richmond, Va., chapter. " The poor people who suffered are regarded as of less consequence than the hotel and tourist business of Florida, " Judge Payne declared. " The Red Cross is bound to go forward and do the job just the same, and every one should help. Our officials on the ground report the greatest need since the San Francisco disaster, with 5, 000 homes totally destroyed and 18, 000 families impoverished. Red Cross assistance is given only on the basis of actual need, not losses. " Circulars Prompt Inquiry. This message was prompted by an inquiry Judge Payne received by wire from Mr. Pinckney in which the latter declared that circulars had been distributed in the Virginia city charging that a very exaggerated idea of Miami's storm condition had been created and that only " some cheaply constructed houses had been blown down and some houseboats lost. " At the same time it was disclosed that a request had been made by influential persons at Miami that the Red Cross officials there should submit all information and all reports forwarded to the national headquarters in Washington, and which might be given out to the press, to a censor in the Florida city. Mr. Pinckney's message added that Miami would be open to visitors as usual this Winter. [?]
PILSUDSKI IS MADE POLAND’S PREMIER
[?] WARSAW, Poland, October 1. - Marshal Joseph Pilsudski today accepted the premiership of Poland, vacated last night by the resignation of Charles Bartel. Although Marshal Pilsudski has long played a prominent part in Polish affairs and was the leader of the coup d'etat which overthrew the Witos government last May, he had been rather in the background of Polish politics for the last few months, which have been marked by controversy between the Bartel cabinet and the Diet. When the Witos government was overthrown and President Ciechowski had been exiled in May, Marshal Pilsudski became general dictator in Poland, but he soon indicated that he had no desire to hold the chief executive post in the state. He declined a suggestion for a dictatorship and then refused to accept the presidency, to which he was elected by the Diet. Although not holding the nominal executive post, Marshal Pilsudski still held a practically supreme direction of affairs and selected M. Bartel, whose cabinet resigned yesterday, to be premier. The marshal took the post of war minister in the cabinet and took over supreme command of the army. [?]
紙面の出典:所蔵機関のデジタル資料