Prager Tagblatt
- 共和党の選挙敗北
- ファシストの暴力行為
- ニューヨークでのファシストのテロ行為
1926年11月4日付のプラーガー・タークブラット第1面は、国外からの記事を3本載せた。ワシントン発のユナイテッド・プレス電は、米中間選挙の初期集計を共和党の後退として伝えた。この記事は、上院が民主党46、共和党46、農民労働党1に分かれたと数え、7人の独立派共和党議員が実際の決定権を握ると論じた。別の記事は、ファシストがトリポリのフランス領事館に押し入った事件とヴェンティミーリアでの事件について、駐ローマ・フランス大使が最も強い調子で抗議したことを報じた。さらにニューヨーク発の電報は、ファシスト党ニューヨーク支部の黒シャツ隊が、ムッソリーニ暗殺未遂への報復として反ファシスト紙イル・マルテッロとイル・ヌオーヴォ・モンドの編集室と植字室を荒らしたと伝えた。
翻訳
共和党の選挙敗北
ワシントン、11月3日(ユナイテッド・プレス)。昨日行われた上院議員35名の改選の結果、これまでに判明した結果によれば、上院は現在、民主党46、共和党46、そして農民労働党の代表であるシップステッド上院議員1名で構成されている。まだ決まっていない残り3議席は共和党の地盤の選挙区での補欠選挙で埋められ、たとえまったく予想外の事態が起きたとしても、確実に共和党の議席に数えることができる。しかし今回も、3月に招集される議会で共和党が持つのは、純粋に形式上の多数にすぎない。実際の決定権は常に7人の独立派共和党議員のグループが握り、今日の時点では彼らは民主党と行動を共にするだろう。
ファシストの暴力行為
トリポリでも、数人のファシストがフランス領事館の建物に押し入り、領事と領事館職員に暴力を振るうと脅した。駐ローマ・フランス大使ベナールは今朝早く、これに対してコンスルタ宮のイタリア外務省に最も強い調子で抗議し、外務省は調査を開始して責任者を厳しく処罰すると約束した。ヴェンティミーリアでは、フランス側で開始された調査が今日にも終わる見込みである。同地での事件についても、駐ローマ・フランス大使は公式の申し入れを行っている。
ニューヨークでのファシストのテロ行為
ニューヨーク、11月3日(ユナイテッド・プレス)。当地の反ファシスト系イタリア語新聞「イル・マルテッロ」と「イル・ヌオーヴォ・モンド」の編集室と植字室が、ムッソリーニ暗殺未遂への報復として、イタリア人ファシストの一団によって一部破壊された。侵入者たちは全員がファシスト党ニューヨーク支部に属し、黒シャツを着ていた。彼らはまず「イル・マルテッロ」の植字室に押し入り、そこでイタリア人植字工たちに持ち場を離れるよう強いた。
解説
1926年11月2日の選挙は連邦議会の勢力をどう変えたか
プラーガー・タークブラットは、開票がまだ続いている段階のユナイテッド・プレス電に基づいて、上院が民主党46、共和党46、農民労働党のシップステッド1で並んだと伝えた。同紙は未確定の3議席を共和党に数え、実際の決定権は7人の独立派共和党議員が握ると論じた。確定した記録も、民主党が議席を伸ばしたという方向では同紙と一致している。選挙はカルビン・クーリッジ大統領の2期目、すなわち唯一の満期在任期間の半ばにあたる1926年11月2日に行われた。共和党は上院で6議席、下院で9議席を民主党に奪われたが、両院で多数を維持した。民主党の伸びは、中間選挙としてはきわめて小さかった。同紙の見出しが言う敗北は、共和党の多数派の差が縮んだことを指すと読むのが妥当である。独立派共和党議員が決定権を握るという指摘は同紙自身の政治判断であり、ここで用いた資料はその当否を検証していない。
同じ投票日に有権者は禁酒法について何を選んだか
1926年11月2日には、8つの州の有権者が連邦議員の選挙と並んで禁酒法に関する住民投票に臨んだ。タイム誌の1926年11月15日号によれば、イリノイ、モンタナ、ネバダ、ニューヨーク、ウィスコンシンの5州の有権者は酒類法の緩和に賛成した。同誌は、ニューヨークでは緩和を求める反禁酒派(ウェット)が3対1を超える圧倒的多数を得たと伝えた。カリフォルニア、コロラド、ミズーリでは、禁酒派(ドライ)が勝った。同誌は、反禁酒派が投票日前に自らの提案を撤回していたため、ミズーリの結果には意味がないと判断した。同誌はまた、ブルックリンでリンカーンに投票した経験を持つ有権者3人が投票所に行き、ボルステッド法の修正に賛成票を投じたことも伝えた。プラハの電報は上院の党派別議席だけを数えたが、同じ投票では、各州の有権者が同紙の描いた政党間の争いと並んで禁酒法の是非も争っていた。
ニューヨークの襲撃者はどの暗殺未遂への報復を名目にしたか
ニューヨーク発の記事は襲撃を暗殺未遂への報復と伝えており、直近の暗殺未遂は電報の3日前に起きていた。1926年10月31日、何者かがオープンカーでボローニャ市内を進むムッソリーニに向けて発砲し、その結果15歳の少年が私刑で殺された。テロリズム研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件はでっち上げかファシスト同士の陰謀だったと書いている。この事件を受けて、体制はムッソリーニの秘密警察を生む法律を制定した。ボローニャの事件は、1926年にムッソリーニが狙われた3度目の事件だった。同年4月7日にはバイオレット・ギブソンが拳銃を撃ち、弾はムッソリーニの鼻をかすめた。同年9月11日には、アナキストの大理石工ジーノ・ルチェッティがローマのポルタ・ピアでムッソリーニの車に爆弾を投げ、ほかの4人を負傷させた。ニューヨークの黒シャツ隊は、体制がこの危機を国内の警察権力の強化に使っていた時期に行動を起こした。
在米イタリア系ファシストはどう組織され、米政府は彼らをどう見たか
同紙がファシスト党ニューヨーク支部と呼んだ黒シャツの一団は、イタリア系米国人社会に急速に広がった運動に属していた。各地のイタリア系米国人は、1923年半ばまでに40近いファッショ団体を組織していた。1924年には、これらの団体を束ねる北米ファシスト連盟が結成された。イタリアのファシスト党は1920年代半ばから後半にかけてパオロ・イニャツィオ・マリア・タオン・ディ・レヴェルを米国に送り、各地のファッショを連盟に組み込ませた。米国務省は態度を決めかね、当初は連盟を法と秩序と反共産主義を重んじる団体と見ていた。反ファシストのイタリア系米国人は早くも1923年に北米反ファシスト同盟を結成し、両派の衝突は次第に増えて、少なくとも12人の死者を出した。死者の数は両派でほぼ同じだった。連盟の終わりはこの襲撃の3年後に来た。1929年11月にハーパーズ誌が扇情的な記事を載せると、ムッソリーニは世論の反発を口実にデ・マルティーノ大使に連盟の解散を命じた。
襲撃されたイル・ヌオーヴォ・モンドはどんな新聞だったか
襲撃された2紙の一つであるイル・ヌオーヴォ・モンドは、1925年11月16日にニューヨークで第1号を出したイタリア語の反ファシスト日刊紙であり、襲撃の時点で創刊から1年たっていなかった。研究者はこの新聞を、イタリア人が国外で発行した最初の反ファシスト日刊紙と位置づけている。国際婦人服労働組合の第89支部が同紙に資金を出し、紙面には主にファシストの抑圧を逃れてイタリアを離れた亡命者の記事が載った。同紙は襲撃の約10週間前にあたる1926年8月26日に、北米反ファシスト同盟の宣言を掲載した。労働組合や亡命者の反対運動とのこうした結びつきは、ニューヨークのファシストがイル・マルテッロと並んで同紙を報復の標的に選んだ理由を説明する手がかりになる。
原文
Wahlniederlage der Republikaner.
Washington, 3. November. (United Preß.) Als Resultat der gestrigen Neuwahlen von 35 Senatoren besteht der Senat nunmehr nach den bisher vorliegenden Resultaten aus 46 Demokraten, 46 Republikanern und einem Vertreter der Farmer-labour-Partei Senator Shipstead. Die noch außenstehenden drei Sitze werden durch Ersatzwahlen in republikanischen Bezirken besetzt werden und können, selbst wen noch ganz unerwartete Umstände eintreffen, definitiv den Republikanern zugerechnet werden. Aber auch diesmal wird der im März zusammentretende Kongreß nur eine rein formale republikanische Mehrheit haben. Die eigentliche Entscheidung wird immer bei der Gruppe der sieben unabhängigen Republikaner liegen und diese werden heute mit den Demokraten gehen.
Die fascistischen Gewalttaten.
Auch in Tripolis haben mehrere Fascisten das französische Konsulatsgebäde gestürmt und den Konsul und das Konsulatspersonal tätlich bedroht. Der französische Botschafter in Rom Besnard hat dagegen heute früh in schärfster Weise auf der Consulatà protestiert, die versprochen hat, eine Untersuchung einzuleiten und die Schuldigen streng zu bestrafen. In Ventimiglia dürfte die auf französischer Seite eingeleitete Untersuchung heute zum Abschluß kommen. Auch die dortigen Zwischenfälle sind vom französischen Botschafter in Rom zum Gegenstand einer offiziellen Demarche gemacht worden.
Fascistische Terrorakte in New York
New York, 3. November. (United Preß.) Die Redaktionsräume und Setzereien in den hiesigen antifascistischen italienischen Zeitungen " Il Martello " und " Il Nuovo Mondo " sind als Repressalien für das Attentat auf Mussolini von einer Gruppe italienischer Fascisten teilweise zerstört worden. Die Eindringlinge, die sämtlich der New Yorker Ortsgruppe der fascistischen Partei angehören und Schwarzhemden trugen, drangen zunächst in die Setzeret des " Il Martello " ein, wo sie die italienischen Setzer zwangen, ihre Posten zu verlassen.