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· ジュネーヴ(スイス) · フランス語

Journal de Genève

1926年11月4日付のジュルナル・ド・ジュネーヴ紙1面は、欧州政治を扱う記事を三本載せた。W・Mの署名がある論説は、ムッソリーニ暗殺未遂が続くことへのイタリアの動揺に理解を示し、ムッソリーニを帝国主義的な弁舌にもかかわらず欧州の平和と秩序の防壁と呼んだ。同じ論説は、襲撃のたびにイタリアの群衆の怒りがフランスへ向かうことに疑問を投げかけた。R・Pの署名があるコラムは、1918年の革命指導者ロベルト・グリムを国民議会議長に選ぶことをスイス国民は認めないと論じ、グリムの党が最近出した声明も批判の材料にした。ポーランド発の特派員記事は、ピウスツキ元帥がネスヴィジでラジヴィウ公の墓を訪ねたことを君主派貴族の支持の表れと読み、元帥が王冠を望んでいるという世界中の噂を引用した。

翻訳

フランスとイタリア

ムッソリーニ氏を狙った襲撃が繰り返されるなかで、イタリア国民と新聞が神経をとがらせているのは、かなりの程度まで理解できる。ファシズムの政策をどう評価するにせよ、イタリア首相が非業の死を遂げれば、まず同国にとって、ついで欧州にとって大惨事となることは、だれも無視できない。というのも、ムッソリーニ氏は帝国主義的な弁舌にもかかわらず、欧州の平和と秩序を支える防壁のひとつだからである。理解しがたいのは、襲撃が起きるたびに群衆の怒りがフランスに向かうことである。

二つの品位

国民議会議長へのロベルト・グリムの立候補に反対して始まった運動は、たちまち世間の反響を呼んだ。抗議の集会は相次いでおり、国民が国の立法府の最高職にグリムを選ぶことは決してないだろうと言っても、まず間違いではあるまい。1918年に自らはほとんど顧みなかった憲法を守ると同僚議員に宣誓させる人物を、どうして選べるのか、国民には実際理解できないだろう。革命の指導者を議院の長に据えることも、国民は認めないだろう。ましてグリムは、自党の執行委員会が最近出した声明のなかで、プロレタリアートは状況次第で、あまり民主的でない手段に訴えて権力を握ることもありうると表明しているのである。これが住民の考えていることである。

ピウスツキ将軍の政策

議会の右派諸政党が相変わらずピウスツキ元帥に敵対的な態度をとる一方で、元帥がこのほど行ったネスヴィジ訪問は、君主制の伝統に立つ貴族層が、国会でその理念を代表する人々とは異なる考えをもっていることを明白に示した。元帥はネスヴィジで、かつての副官ラジヴィウ公の墓に花輪を供えたのである。「ピウスツキはラジヴィウ家の公子の一人のために王冠を用意している。ピウスツキは元大公妃ジェロームの影響を受けている。ピウスツキはポーランド国王に推戴されたがっている」。ネスヴィジでの会見の後、世界中に広まったのはこうした報道だった。この会見では、ポーランド貴族を代表する最も華やかな面々が初代元帥に敬意を表し、ピウスツキ元帥のほうも、旧ポーランドの栄光に力の限り尽くした名門貴族の人々の疑いようのない功績を認めたのである。

解説

1926年に相次いだムッソリーニ襲撃

論説が言う「繰り返される襲撃」は、1926年の1年足らずの間に起きた一連の事件を指している。1926年4月7日、ヴァイオレット・ギブソンがムッソリーニに拳銃を撃ち、弾はムッソリーニの鼻をかすめた。9月11日には、無政府主義者の大理石職人ジーノ・ルチェッティがローマのポルタ・ピアでムッソリーニの車に爆弾を投げ、ほかの4人が負傷した。10月31日には、ボローニャを無蓋車で通るムッソリーニに銃弾が放たれ、15歳の少年アンテオ・ザンボーニが群衆の私刑で殺された。この事件は、この号が出るわずか4日前に起きている。テロ研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実だったと後に書いた。ボローニャ事件をきっかけに、ムッソリーニの秘密警察を設ける法律が作られた。ジュネーヴの論説はムッソリーニの死を欧州秩序への危険として論じている。訳出した部分は、政権がこれらの襲撃を弾圧の強化に利用した点には触れていない。

イタリアの怒りがフランスに向かった理由

英週刊誌スペクテイターは1926年11月13日号で、論説が理解しがたいとした反仏感情について、当時通用していた説明を伝えている。同誌によれば、イタリアは、フランスが誤った寛容さ、さらには怠慢から、祖国に対して陰謀を企てるイタリア人亡命者を多く匿ってきたと感じていた。同誌は、直前の2週間に国境の町々でフランス国旗が侮辱され、フランスの役人が暴行を受けたと報じた。ジュネーヴの論説が念頭に置いていたのは、こうした事件である。同誌はさらに、反ファシストを名乗るリッチョッティ・ガリバルディ大佐が実はイタリア警察の手先だというフランス紙の主張も紹介した。フランスの論者たちは、この話を意図的な挑発の証拠とみなした。これらの話は両国の新聞が当時ぶつけ合った主張であり、確定した事実として扱うことはできない。スペクテイターの記述からは、W・Mが在仏の反ファシスト亡命者をめぐる仏伊の公然たる対立のさなかに論説を書いたことがわかる。

ロベルト・グリムと1918年のゼネスト

コラムが言う「1918年に自らはほとんど顧みなかった憲法」は、グリムが率いた1918年11月のスイス・ゼネストを指している。1919年4月、軍事法廷は、スト参加者への発砲命令を拒むよう兵士に呼びかけた罪で、グリムに禁錮6か月を言い渡した。R・Pが立候補に反対した主な理由は、この経歴にある。国民議会議長は同僚議員に宣誓をさせる立場にあり、R・Pはゼネスト後に有罪となった人物がその役を務めることを受け入れられなかった。コラムは国民が決してグリムを選ばないと断言しているが、この断言は筆者による世論の見立てであり、投票の結果を示すものではない。グリムは最終的に1946年に国民議会議長に就任した。就任は、この反対運動から20年後のことである。

ネスヴィジのピウスツキと王冠の噂

米誌タイムは1926年11月15日号で、ピウスツキを現在のポーランド共和国の独裁者であり首相兼陸相だと紹介した。同誌によれば、ネスヴィジ近郊のアルブレヒト・ラジヴィウ公の領地に集まったポーランドの君主主義者たちは、ピウスツキに対し、ポーランドには君主が必要だと請け合った。同誌は、ピウスツキが王冠に向けた手立てを何もとらずにワルシャワへ戻り、皆を驚かせたとも書いた。タイムの記事は、ジュルナル・ド・ジュネーヴの特派員が世界中に広まったと書いた噂の一例にあたる。特派員はその噂を引用しながら、訪問をピウスツキと旧貴族層が互いに敬意を示した場として描いた。後の歴史記述によれば、1926年5月のクーデターの際、君主主義者の間にはピウスツキが君主制を復活させるかもしれないという短い期待が生まれた。ピウスツキは実際にはサナツィア体制を築き、君主主義者を厳しく取り締まった。

原文

La France et l'Italie

On comprend, dans une large mesure, la nervosité qui s'empare du peuple italien et de la presse en présence des attentats répétés dont M. Mussolini est l'objet. Quelque jugement que l'on porte sur la politique du fascisme, personne ne peut ignorer que la mort violente du premier ministre italien serait une catastrophe pour son pays d'abord, pour l'Europe ensuite. Car M. Mussolini est, en dépit de sa rhétorique impériale, l'un des remparts de la paix et de l'ordre européens. Ce que l'on comprend moins, c'est qu'à chaque attentat, la colère des foules se tourne contre la France.

Deux dignités

La campagne entreprise contre la candidature de Robert Grimm à la présidence du Conseil national a trouvé un écho immédiat dans le public. Les manifestations se sont multipliées, et l'on ne se tromperait guère en disant que jamais le peuple n'élirait Grimm à la plus haute charge législative du pays. Il ne comprendrait pas, en effet, comment on pût choisir un homme qui ferait jurer à ses collègues de respecter une Constitution dont lui s'est si peu soucié en 1918. Il n'admettrait pas qu'on mit un chef révolutionnaire à la tête de la Chambre, d'autant plus que Grimm a déclaré dans le récent manifeste du comité directeur de son parti que le prolétariat pourrait, selon les circonstances, recourir à des moyens peu démocratiques pour s'emparer du pouvoir. Voilà ce que l'on pense dans la population.

La politique du général Pilsudski

Alors que les partis parlementaires de la droite se montrent toujours hostiles au maréchal Pilsudski, la visite que ce dernier vient de faire à Nieswicz, où il a déposé une couronne sur le tombeau de son ancien aide de camp, le prince Radziwill, ' a clairement démontré que l'aristocratie de tradition monarchiste pense autrement que les représentants de cette idée à la Diète. «Pilsudski prépare la couronne pour l'un des princes Radziwill; Pilsudski subit l'influence de l'ancienne archi-duchesse Jérome; Pilsudski veut être proclamé roi de Pologne»; telles furent les nouvelles répandues dans le monde entier à la suite de l'entrevue de Nieswicz, où les plus brillants représentants de l'aristocratie polonaise ont rendu hommage au premier maréchal et où le maréchal Pilsudski a reconnu les mérites incontestables des membres des grandes familles nobles, qui ont contribué de leur mieux à la gloire de l'ancienne Pologne.

紙面の出典:Source: Le Temps archives / Journal de Geneve

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