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· サイゴン(現ベトナム) · フランス語

L’Écho annamite

1926年11月4日付の『エコー・アンナミット』1面には、青年支援の呼びかけ、領事殺害の速報、同業紙との言い争いが並んだ。E. A.の署名がある論説は、同紙の友人がフランスとベトナムの諺を引き、コート・ダジュールの地所と別荘をアンナンの青年に提供してトゥーロン仏越学院を設けたことを称えた。ニュース記事は、ロンチョウから自動車でハノイへ向かったロベール領事とカデ行政官が町から23キロの地点で匪賊に襲われたと報じた。同じ記事は、中国当局が送った武装隊が道路脇でロベール領事の射殺された遺体を見つけたと伝えた。署名コラムでは、ポール・マルシェがミトーで女性に殴られたという『アンパルシアル』紙の記事を否定した。マルシェは、相手紙の社員が関わった殴り合いを持ち出して反撃した。

翻訳

必要な施設の設立

この友人は、我々が指摘してきた弊害を正さねばならない、それも急いで正さねばならないと理解した。そして「天は自ら助くる者を助く」というフランスの諺を信じる者として(我々もまた「Co troi mà cung tai ta」と言う)、コート・ダジュールに所有する広大な地所と別荘をアンナンの青年たちの自由な利用に供することを決め、そこに一つの施設を設けて、トゥーロン仏越学院(I.F.A.T.)と名付けた。

フランス領事、雲南の匪賊に殺害さる

ロンチョウ駐在フランス領事ロベール氏と文官行政官カデ氏は、日曜朝6時、アンナン人運転手の運転する自動車でロンチョウからハノイへ向けて出発したが、ロンチョウから23キロのキアンハン・ガオ付近で、前日からこの地域にいた匪賊の一団に襲撃された。ロンチョウ=ランソン間の定期便を運行するマオカインの乗合輸送会社の添乗員から、前記の地点の路上で壊れた自動車を見かけたとの知らせを受けると、ロンチョウの中国当局は直ちに、医師と領事館の中国人書記に随行する武装先遣隊を自動車で現場へ送った。ロベール領事の遺体は、2発の銃弾を、1発は頭に、もう1発は腹に受けて死亡しており、道路近くの谷の手前の小道で発見された。

『アンパルシアル』は嘘をついた

昨日の号で『アンパルシアル』紙は、私がミトーでこっぴどく袋叩きにされ、ある女性がほうきや拳や足で私をさんざん打ちのめしたと主張している。その女性は、評判のよろしくない保安局員である夫の悪事を暴いた『エコー・アンナミット』紙に仕返しをしたのだという。私はその打撃を笑顔で受け止め、何ひとつ言い返さなかったことになっているが、それならばこの打撃は私に驚くほどの治療効果と強壮効果をもたらしたと考えるほかない。なぜなら私はかつてないほど元気であり、疑う人は本紙の事務所でとくと確かめることができるからだ。真相は、『アンパルシアル』紙がほのめかしている出来事は、私が昨日この欄で述べた通りに起きたということである。ところで、カティナ通りの同業者がそれほど情報に几帳面だというのなら、なぜ自社の支配人について語らなかったのか。その支配人は、私の仲間チン・フン・ガウが『エコー・アンナミット』の編集室でノックアウトしたではないか。なぜ、フラセト氏の息子が『アンパルシアル』の工場そのものでM.....氏に見舞ったボクシングの一戦について口をつぐんだのか。これらの出来事も、ひところはずいぶん評判になったのだが。

解説

フランスがロンチョウに領事を置いた理由

ロンチョウは広西のベトナム国境近くにある町で、フランス領事館はトンキンをめぐる清仏戦争の結果として置かれたものである。戦争の後、清朝政府はロンチョウを通商港とし、フランス政府がそこに領事館を開くことを認めた。この町は左江に沿った古くからの交通路の上にあり、この道は今も中国南部とハノイを結ぶ主要な連絡路である。記事の舞台もこの地理に沿っている。ロベール領事とカデ行政官はロンチョウから自動車でハノイへ向かい、ロンチョウとランソンを結ぶ定期便が、二人の壊れた車が見つかった地点を通っていた。襲撃者を「雲南の匪賊」とする記述と、中国当局が領事館の職員とともに武装隊を送って遺体を収容したという経過は、同紙がこの日に伝えた内容である。

トゥーロンの学院を紹介した新聞の政治的立場

『エコー・アンナミット』は、サイゴンの記者グエン・ファン・ロンが1920年に創刊した新聞である。ロンは同紙で欧亜混血の民族主義的な書き手ウジェーヌ・ドジャン・ド・ラ・バティと協力し、後にブイ・クアン・チエウが率いた立憲党の副党首を務めた。同紙は自らを仏越両者の利益を守る機関紙と名乗っていた。歴史家フィリップ・ペイカムの著書を紹介した書評によれば、同紙はさまざまな政府方針に反対しながらも、対決ではなく協調の姿勢をとった。E. A.の論説もこの路線によく合っている。論説は、個人がフランスに設けた仏越の学院を、ベトナムの青年が抱える問題に対する自助の取り組みとして紹介し、フランスの諺とベトナムの諺を並べた。論説はこの計画を植民地政府への要求としてではなく、二つの民族の協力として描いている。

1926年のサイゴンで記者が殴り合った背景

ポール・マルシェが並べた殴り合いの話は、サイゴンの新聞界がはっきりと攻撃的になっていたことを映している。ペイカムの著書を紹介した書評によれば、1926年春の騒乱の後、ベトナムの新聞はより劇的で対決的になった。対立する編集者同士の個人的な衝突には前例があった。『ランドシーヌ』の共同創刊者アンドレ・マルローは、ウジェーヌ・ドジャン・ド・ラ・バティを伴って、植民地当局が支援する『ル・プログレ・アンナミット』の社長レ・クアン・チンを訪ねたことがある。レ・クアン・チン自身の記述によれば、マルローはある記事をめぐって最悪の報復をすると脅した。グエン・ファン・ロンはこの一件を皮肉を込めて書いた。ドジャン自身も急進的な『ラ・クロッシュ・フェレ』に原稿を送りながら、『エコー・アンナミット』への執筆を続けており、同紙の周辺の人々は町全体の論争と深く結びついていた。マルシェが挙げたミトーでの暴行、チン・フン・ガウによる『アンパルシアル』支配人のノックアウト、フラセト氏の息子のボクシングの一件は、ここではいずれもこのコラムを通じてしか知られていない。

原文

UNE FONDATION NÉCESSAIRE

Cet ami a compris qu'il fallait - et d'urgence - remédier au mal que nous avons signalé; et, partisan du proverbe français «Aide-toi, le Ciel t'aidera» (nous disons aussi: «Co troi mà cung tai ta», il a décidé de mettre une vaste propriété et une villa qu'il possède sur la Côte d'Azur à la disposition de la jeunesse annamite en y installant un établissement auquel il a donné le nom d'Institut Franco-Annamite de Toulon (I. F. A. T.).

ASSASSINAT d'un consul de France par des pirates yunnanais

M. Robert, Consul de France à Long-Tcheou. et l'Administrateur des Services Civils Cadet. qui étaient partis de Long-Tchéou Dimanche matin à 6 heures pour Hanoi, dans une automobile conduite par un chauffeur annamite. ont été attaqués. à hauteur de Kiang-Hang Ngao, à 23 kilomètres de Long-Tchéou. par une bande de pirates qui était dans la région depuis la veille. Avertis par le convoyeur d'une entreprise de transport en commun de Maocanh, du service régulier LongTchéou-Langson, qu'une automobile brisée avait été rencontrée sur la route aux lieux susvisés, les autorités chinoises de Long-Tchéou ont envoyé aussitôt sur place, par automobile, une avant-garde armée qui accompagnait le médecin et un commis chinois du Consulat. Le corps du Consul Robert, tué par 2 balles l'une dans la tête. et l'autre au ventre, a été retrouvé dans un sen tier devant un ravin, à proximité de la route.

« L'Impartial » a menti

Dans son numéro d'hier, l'Impartial prétend qu'on m'a flanqué une raclée majuscule à Mytho, qu'une femme m'a administré force coups de balai, de poing et de pied, pour se venger de l'Echo Annamite, qui avait dévoilé les méfaits de son mari, un agent de la Sûreté peu recommandable. Il faut croire que ces coups, que j'aurais encaissés avec le sourire, sans réplique d'aucune sorte, ont produit sur moi un effet curatif et fortifiant merveilleux, car je me porte mieux que jamais, et les sceptiques pourront le constater à leur aise aux bureaux de ce journal. La vérité est que l'incident auquel l'Impartial fait allusion s'est passé comme je l'ai relaté hier dans ces colonnes. Au fait, puisque notre confrère de la rue Catinatse montre si scrupuleux dans ses informations, pourquoi n'a-til pas parlé de son administrateur que mon camarade Trinh-hung-Ngâu a mis K. - O. dans la salle de rédaction de l'Echo Annamite? pourquoi a-t-il passé sous silence le match de boxe que M. Frasseto fils a infligé à M. M....., dans les ateliers mêmes de l'Impartial? Ces faits ont eu, pourtant, leur moment de célébrité.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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