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· アルジェ(アルジェリア) · フランス語

L’Écho d’Alger

1926年11月4日付のレコー・ダルジェ紙の第1面は、フランス警察がスペインのプリモ・デ・リベラ政権と王政の打倒を狙う「スペイン人革命家」の大規模な陰謀を摘発したと報じた。同紙によれば、陰謀団はフランス国内に本部を置いて武器を集めており、主要な活動家は国境を越えるところで逮捕された。ローマ電は、ボローニャでのムッソリーニ襲撃事件について、ザンボーニが憲兵に撃たれたあと群衆中のファシストに刺され首を絞められた経過を伝えた。同じ記事は、ドゥーチェの到着前に警察が2000人を予防検束し、沿道の家々を捜索していたことも伝えた。航空欄は、飛行家ノゲスがペルシア湾を目指してサン=ラファエルを発ち、悪天候のためアジャクシオに寄港したことを短く報じた。

翻訳

フランス警察、スペイン政府に対する大規模な陰謀を摘発

パリ、11月3日発 ― プリモ・デ・リベラ将軍の政府と王政に対し、スペインで本物の革命を起こそうと企てていたスペイン人革命家たちの大規模な陰謀が、わが国の警察によって摘発されたばかりである。実際、これらの無政府主義者たちの強力で極めて組織立った結社は、フランス国内に本部を置き、武器を集め、行動の細部を準備していたのである。フランス当局から通報を受けたスペイン警察は、まだ介入する必要に迫られていない。第一機動隊が、主要な活動家と協力者たちを、彼らが国境を越えようとしたところで逮捕できたからである。

ムッソリーニ氏襲撃事件のあと

ローマ、11月3日発 ― ボローニャからの情報によれば、ザンボーニの放った弾丸をそらせた憲兵は、拳銃の一撃で彼を撃ち倒した。群衆の中にいたファシストたちは短剣で彼にとどめを刺し、首を絞め、警察が介入しなければ遺体を街灯に吊るしていたことだろうという。警察はドゥーチェのボローニャ到着に先立ち、異例の警戒措置を講じていた。2000人の予防検束が行われていたことが確認されている。公式の行列が通る予定の街路に窓が面した家々は捜索され、家主たちは、よそ者を、たとえ親族であっても家に迎え入れることを禁じると通告されていた。

長距離大飛行

パリ、11月3日発 ― ニースからプチ・パリジャン紙に入った報によれば、飛行家ノゲスは今朝、ペルシア湾へ向けた長距離飛行を行うためサン=ラファエルを出発した。ノゲスの出発に先立ち、3機のゴリアテ機がビゼルトへ向けて飛び立っている。悪天候のため、ノゲスはアジャクシオに寄港せざるを得なかった。

解説

「スペインの陰謀」の背後にいたカタルーニャ分離主義者

記事が「スペイン人革命家」や「無政府主義者」と呼んだ集団は、カタルーニャ分離主義政党エスタット・カタラーの指導部とフランセスク・マシアである。マシアらはカタルーニャの独立を目的として、フランス領からカタルーニャへ武装侵攻する計画を立てた。マシアの計画では、エスカモットと呼ばれる武装隊がフランス領カタルーニャのプラッツ・デ・モリョから入り、オロットを占領したあとバルセロナへ向かうことになっていた。記事が触れた武器は長い期間をかけて集められたものである。エスカモットの隊員たちは1925年4月から8月にかけて、仏西国境の近くに複数の武器庫を設けた。マシアは1926年10月30日に動員命令を出し、参加者たちは登山者を装ってパリなどフランス各地の都市から出発する手はずだった。同紙は、独立を目指すカタルーニャ民族主義の企てを、独裁と王政に対するスペインの革命家や無政府主義者の陰謀として描いたのである。

プラッツ・デ・モリョ事件の発覚と裁判

記事は、フランスの第一機動隊が国境で首謀者たちを逮捕し、スペイン警察が動く前に事件を収めたと伝えた。後の研究によれば、フランス警察はあらかじめ警告を受けており、その情報はリッチョッティ・ガリバルディ・ジュニアを中心とするイタリア人亡命者グループから漏れたらしい。ガリバルディ・ジュニアは反ファシストの闘士ではなく、ムッソリーニの政治警察に仕える二重スパイだった。国境付近の一斉検挙では111人が拘束され、マシア本人はパリ電の日付の翌日にあたる11月4日に、滞在していた農家で逮捕された。事件はその後パリの法廷に移り、裁判は1927年1月21日に始まった。マシアはこの法廷で被告全員を代表して長い声明を読み上げ、カタルーニャの大義を訴えた。

1926年10月31日のボローニャ事件とその後

1926年10月31日、ボローニャを無蓋車で通過中のムッソリーニに向けて銃弾が発射され、15歳の少年アンテオ・ザンボーニが群衆に私刑で殺された。ローマ電は、ザンボーニが発砲し、憲兵が弾をそらせたことを確かな事実として伝えている。テロリズム研究者のJ・ボウヤー・ベルは、少年はおそらく無実であり、事件は仕組まれたものかファシスト同士の陰謀だったと判断した。ミンモ・フランツィネッリの近著を紹介したイタリアオッジ紙の書評によれば、少年は刃物で刺され、首を絞められ、殴る蹴るの暴行を受け、噛みつかれた。この描写は、短剣と絞殺を伝えた記事の内容と一致する。同じ年の4月にはヴァイオレット・ギブソンが、9月にはジーノ・ルチェッティがムッソリーニを襲っており、ボローニャ事件はその後に起きた。ボローニャ事件はムッソリーニの秘密警察を設ける法律につながり、同じ書評によれば、政権は一連の襲撃を独立系新聞の非合法化と政党やフリーメーソンの解散に利用した。2000人の予防検束という数字は同紙の報道によるものである。

モーリス・ノゲスと東方航空路

記事が出発を伝えたモーリス・ノゲスは、東方への航空路の開拓に取り組んでいた熟練の操縦士である。ノゲスは1926年に、のちにエール・オリアン社の一部となるメサジュリ・トランザエリエンヌ社に入り、シリア、次いでレバノンへの飛行を始めた。レバノンはのちに、ノゲスが行った最初のマルセイユ―ベイルート飛行の10周年を記念する切手を発行した。サン=ラファエルからペルシア湾を目指し、悪天候でアジャクシオに寄港した今回の飛行は、地中海とレバント地方を越えて東へ航空路を延ばすノゲスの取り組みと同じ方向を向いている。同紙が伝えたのは出発と寄港だけであり、飛行の結末は記事に書かれていない。ノゲスはのちにエール・オリアン社の主任操縦士となり、1931年にシリア線をサイゴンまで延長した。

1926年のギルボーによるマダガスカル方面への飛行艇長距離飛行

同紙の見出し「長距離大飛行」は、フランスの長距離飛行がいくつも同時に進んでいた1926年秋の状況に合っている。1926年10月12日、海軍大尉ギルボーが操縦する長距離型のCAMS 37GR飛行艇がリオレ・エ・オリヴィエLeO H-194を伴って、マダガスカルへの試験飛行に出発した。1927年1月3日にエンジンの連接棒が破損し、ギルボーはマダガスカル飛行を断念して1927年3月9日にマルセイユへ戻った。同じ参考資料の別の箇所は、ギルボーがマダガスカルまで達してから帰還したと書いており、到達地点についての記述は食い違っている。ノゲスの東方飛行と同じく、ギルボーの飛行もフランス本国から遠くへ延びる長い航路を試すものだった。

原文

La police française découvre un vaste complot contre le Gouvernement espagnol

Paris, 3 novembre. - Un vaste complot de révolutionnaires espagnols, qui prétendaient susciter en Espagne une véritable révolution contre le gouvernement du général Primo de Rivera et contre la monarchie, vient d'être découvert par notre police. C'est en France, en effet, qu'une association puissante et extrêmement bien organisée de ces anarchistes avait établi son siège, réuni des armes et préparé les détails de l'action. Alertée par les autorités françaises, la police espagnole n'a pas eu encore à intervenir, car la première brigade mobile a pu arrêter les principaux militants et auxiliaires, au moment où ils passaient la frontière.

Après l'attentat contre M. Mussolini

Rome, 3 novembre. - De Bologne, on apprend que le carabinier qui fit dévier la balle tirée par Zamboni abattit celui-ci d'un coup de revolver. Les fascistes, dans la foule, l'achevèrent à coups de poignard, l'étranglèrent et auraient pendu le corps à la lanterne si la police n'était pas intervenue. La police avait pris, avant l'arrivée du Duce à Bologne, des précautions extraordinaires. On confirme que deux mille arrestations préventives avaient été faites; on avait visité les maisons ayant des fenêtres sur les rues où passerait le cortège officiel; les propriétaires avaient été avisés qu'il leur était interdit de recevoir des étrangers, même leurs parents.

Les grands raids aériens

Paris, 3 novembre. - On mande de Nice au Petit Parisien: L'aviateur Noguès est parti, ce matin, de Saint-Raphaël, pour effectuer un raid vers le golfe Persique. Son départ a été précédé de celui de trois Goliath, qui se sont dirigés sur Bizerte. En raison du mauvais temps, il a dû relâcher à Ajaccio.

紙面の出典:Source: Bibliothèque nationale de France / Gallica

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